2006年6月

バグダッド日誌 ( 2006年6月1日 )

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バグダッドLO日々業務報告 ( 6月1日1830 )

( 1 ) サマーワに直接影響を及ぼす秘情領

費成发等

( 2 ) イラ全域に係る資成レベル :

サマーウ及びバス用 、 バグダッド及びモスルに

ラマディは

| | 2 特記事項

なし

3 本日の業務

( 1 ) 情報収集及び連結制整 ( 2 ) ACSA申請手続

4 明日の予定

( 1 ) 情報収集及び連結開陸 ( 2 ) COA調整会

、 その他 ( 備

| バグダッド 日 誌 ( 6月1日 )

○白いカラス

バグダッドに勤務し始めた頃 、 英語があまり得意ではない は 、 「 調整を終わるまで帰ってくるな ! 」 という系 の言葉を良く守り 、 なんとか調整をこなしていた 。 今も英語はあまり上達してはいないが 、 コミュニケーション能力をフ ル稼働させ 「 足 」 と 「 顔 」 で稼いでいる 。

最近は翅けたもので 、 きっちりと自分の言いたい事だけ言って 、 相手の言うことは 「 聞こえないふり 」 、 「 分からないふ りをしている 。 そして結果的には自分の都合のいいように調整してきているから頼もしい 。 その 突 然 、 「 イラクのカラスは白いんですね 。 」 と言い始めた 。 調整先で 「 黒いものを白と均いくるめて 」 真 整していたため 、 とうとう焼きが回ってしまったかとバグダッド連縮財皆で心配していた 。 先日 、 食堂に行く際に日本コンテナ近くの木に羽の根元と期体が白いカラスが留まっており 、 なるほど白の混じった カラスもいるものだと感心すると同時に 、 の発言にも裏 」 がとれ皆で安堵した 。 雑草のように還しいコミュニケーション能力を駆使して 、 今日も は遠絡 ・ 調整に第闘している 。

*

16

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バスラ日誌 ( 2006年6月1日 )

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バスラ日誌 ( 6月1日 ) 1 先日 、 1日の業務を終えて 、 2415頃宿泊コンテナに戻ると同部屋の業1 」 ( 本人の名誉のため 、 本名は伏せさせて頂きます 。 ) が 、 手にモップを持ち 、 ペットの上にあぐらを掻いて神妙な顔をしてい る 。 異様な雰囲気に私が 「 どうしたんだ 」 と聞くと 、 「 侵入されました 。 」 と一言 。 荷1軍関係者しか 宿泊していないこんなところで泥棒騒ぎか 」 なんてことだろうと思い 、 「 何 、 取られた 」 と聞くと 、 「 いいえ 、 ネズミに侵入されました 。 」 と拍子抜けする回答 。 砲曰く 、 「 2200頃帰ってきて 、 ドア をあけると目の前にネズミがいました 。 これはやばいと思い 、 追い出そうとしましたがどこに行ったか 分かりません 。 こうやって出てくるのを待っているところです 。 J 、 私 そんなにでかいネズミな の . . 、 彼 「 いえ 、 これくらい ( 約5 ~ 6cmくらいか ? ) です 。 」 私 「 そんなの 、 ほっときゃいい じゃん . J 、 彼 「 えーさん 、 イヤじゃないんですか 。 J 、 私 「 そんな小さかったら 、 かじられても たかが知れてるだろ 。 もしかして 、 ネズミが怖いのか 。 」 、 「 ・ ・ ・ どちらかと買えば 、 怖いで す 。 」 , とりあえず夜も遅く 、 明日の業務に支障が出るといけないので 、 不確定状況を嫌がる素1閲を 説得してそのまま寝ることにした 。 その後 、 ネズミは出てこないのでたぶん這い出すことに成功していたのだろう 、 寝る前に基1尉は 、 ネズミに侵入されたと思われる経路 ( コンテナの開にネズミが通れそうな隙間ができていた 。 ) を 一生懸命塞いでいた 。 何が起こってもボーとしていそうな彼が 、 小さなネズミ1匹を怖がって私の 期りを待っていたのが 、 滑縮というか 、 かわいらしいというか 、 新たな一面を発見した気分である 。 そういえばこの前彼は 、 今怖いものは 、 「 ロケット 、 電 、 班長 、 先輩 」 などとバスラ日誌に書いて いたような気がする 。 ネズミは4位以内に入っていないのにあの怖がりようなので 、 まだまだ私の 怖さは不足しているようだ 。 班長の明確な方針の下 、 「 怖いもの順位 : 第4位 」 の名に恥じないよ う 、 ビシビシ指導していきたいとの気持ちを新たにした ( 半分冗談 、 半分本気です ) 。

2 今頃 、 タリルにいるはずの は 、 元気にしているだろうか ? 明日のヘリはまだ確定してはい 「 ないが 、 速結によると無事に過ごしているようである 。 今回タリルにおいて 、 宿泊 ・ 食事等自分達で調

整した彼らは , 既にケリルLO要員として登録されたことだろう 。 怪我の功名ではないが , ころんでも ただでは起きない我ら日本隊としては 、 また人的戦闘力が充実したことになる 。

3 . 木口開254g , 括めて他店 。

「 スミッティL0日々業務報告 ( 6月1日 )

|

| | | | | |

区 分 ・

|

: | 1 警戒態勢等 変化なし

Threat Level ( 1 ) 業支隊長 ・ 政策アドバイザー等がキャンプスミッティを訪問 . TFMCO ・ AMTG2CO ・ 英森POLAD % と 2 特記事項

会認を英路 ( 2 ) サマーワ市内で発生した採卵管事案に関して政点的に何報収鉱を実施 ( 1 ) 増税要求対応等

サマーワ市内で発生した爆発音事業関連 、 サマーワ市内等の治安情勢 、 デモ関速報 、 英※年の情勢

「 判断勢 | 本日の業務

| ( 2 ) 各種森務調整等

明日以降の審軍支援要請関連 、 TFMCD ・ AMTG2CD - AMTG3co導サマーワ宿営地訪問関遠 ( 2日 ) . QDG Administralan Offee関連 CMC関連等 ( 3 ) 各種ミーティング等

英審軍作戦会議参加 ,

( 1 ) 情報要求対応募 明日の予定 。 ( 2 ) 各種実務整尊

( 3 ) ミーティング等

明日の射悼碑 」 5 その他 ( 備考 )

RANGE1 : CRO ( 小火器 ) 0800 ~ 1200

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バグダッド日誌 ( 2006年6月2日 )

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JAM Update : 02 June

バグダッド 日 誌 ( 6月2日 ) |

・ ・ ・

○暑気払いに冷や着類

連日50℃を超える暑い日が続いている 。 昨日は特に暑さが厳しくパレス ( 多国籍軍司令部 ) ゲートの温度計は56 度を指していた 。 進路のアスファルトも燃けムッとしている 。 夕方5時頃少し涼しくなったと思って日本獣コンテナ事に ある温度計を確認するとまだ48℃を指している 。 毎日米軍仕様の食事を食堂で楽しんでいるが 、 この暑さでステーキ 、 フライド ・ チキン 、 ハンバーガーではさすがに 皆の食欲も落ちてきて 、 グロッキ一気味である 。 ・ 「 そこで先日 、 業務支援隊長がバグダッドを訪問してくださった時に持ってきて頂いた素顔つゆ ( 200ccの缶ジュース タイプ×12 ) を使わせてもらい冷や素類を楽しんだ 。 茶類は4次隊が残してくれていた最高級の 「 揖保の糸 」 、 食堂か ら沢山の氷を調達して 、 冷たい様にしの素養を心ゆくまで味わった 。 食べた量はというと 、 5人で24人前の素額を一 ・ 気に平らげ 、 食後は身動きがとれないほどであった 。 久しぶりに 「 日本 」 を感じることの出来た楽しい一時であり 、 すっかり青気払いをすることができた 。 明日からはまたハンバーグを頬張りながらお国のために頑張りたい 。


バスラ日誌 ( 2006年6月2日 )

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バスラ日誌 ( 6月2日 )

1 ここバスラに来てから4ヶ月半ほどが過し 、 我々はベテランの部類に入りつつあり 、 我拶をしてくれる人々も格

段に増えていることは 、 以前のバスラ日誌で紹介のあった通りであるが 、 最近特に日本語で挨拶してくる人が増えて いるような気がしている 。 さすがに正確性 ( 夜なのに 「 オハヨウ 」 、 朝イチで 「 コンニチハ 」 など ) の面では 、 改善 の余地はあるものの 、 やはり母国語である日本橋で救援されるのはとてもうれしい 。 基拶といえば 、 当初は思うよう に触ることができず 、 よく言葉を詰まらせていたが 、 私も英語の挨拶 ( あくまで挨拶のみに限定 ) にも慣れ 、 こちら から “ Good moming ” と禁拶した様の “ Goad maming how are you ? ” の志跡攻撃に対しても 、 Not bud , yourselr " と返せるようになったので 、 今度は彼らに日本語で挨拶してもらおうと 、 親在J9において 「 日本書挨拶 普及作戦 」 を実施しているところである 。 「 日本語挨拶普及機 」 の内容を紹介すると 、 朝は " Good morning の構 に 、 必ず 「 おはよう 」 といい 、 英基及び日本籍をセットにして挨拶するとともに 、 相手にも生を薬求 、 日本語での 排携を強要している 。 また 、 J2の入リロ通路の壁に掛かっているホワイトボードに 、 Todays Japaage Words " というコーナーを ( 勝手に ) 設け 、 簡単な挨拶の言葉を英講と日本語で併記して2 ~ 3フレーズ書き 、 ホワイトボー ドを見た人が日本橋に興味を持つように仕向けている 。 現在のところ 、 まだまだ相手からの主導的日本橋挨拶 ( 変な ・ 日本語だ ) は不十分であるが 、 「 こんにちは 」 と扶養すれば 、 最ね コンニチワ 」 と違ってくるレベルにはなってい

る 。 これからも執構に日本で接し 、 我々が帰る頃には 、 相手側から主導的に日本語で挨拶してもらえるよう努力 していこうと思う 。

2 日本でもコーヒーなどを飲む時 、 側にいる人に 「 コーヒー飲む ? 」 と話しかけることはあるが 、 イギリス人はその 程度ではない 。 部屋の中にいる全員に何か飲むかを聞いて回る 。 今まで最大で8人分位をいっぺんに作っているのも 見たことがある . しかも 、 作ったり 、 配ったりする業をするのは 、 基本的に作ると言い出した人だけ 。 作ってもら う人は自分の席に座って書類を読んだり 、 パソコン作業をしている . 作った人は 、 それぞれの球 ( ブラック 、 ホワ イト 、 砂素ありなし 、 紅茶は実に調有り ) に応じたコーヒーなり 、 紀末なりを作って 、 みんなに配る 。 勿論 、 お礼 は言うが 、 気まずそうな雰囲気はない 。 日本人の私は 、 思わず自分の分を取りに行ってしまうが 、 みんなお嫌いなし である , イギリスではそれが普通なのだろう 。 大抵自分が何か飲もうとする時 、 みんなに声をかけている 。 私も 『 導 に入っては 、 事に従え 」 で 、 コーヒー ・ 紅茶を飲む時は 、 みんなに声をかけ 、 みんなの分を作り 、 配っている 。

3 本日快晴 , パスラ4名 、 有めて健康 。

: スミッティLO日々業務報告 ( 6月2日 )

・ 区 分 1 警戒態勢等

2 特記事項

害 「 変化なし 。

Threat Leval ) ( 1 ) サマーワ宿営地 ・ キャンプスミッティに対するIDF青載及びサマーワ市内で発生した場精査事案に関しt

点的に情報収集を実施 ・ ( 2 ) TFNCO ・ AMTG3CO ・ 英POLADがサマーワ有営地を訪間 、 群基 ・ 業支障長 ・ 政策アドバイザー等

と会談を探旗 ( 3 ) 本日 ( 2日 ) 1700 、 ( 1 ) 情報要求対応等

サマーワ宿営地及びキャンプスミッティに対するDF着席情報 、 サマーツ市内で発生した塩非音事業関連 情報 、 QDGによるOP CHEPSTOWN連情報 、 スミッティにおけるLECの運用 ( 給与 ) 状況 、 サマーワ市内

等の治安情勢 、 デモ関連情報 、 英素軍の情勢判断事 ( 2 ) 各業務請書等 、

TFHCO寺キャンプサマーワ訪問調導体日 ) 、 業支隊長等キャンプスミッティ肪固制連 ( 7日 ) 、 明日以

降の素事支援要請間違 , QDG Adminlestration Ofice関連 、 サマーワ宿営地ジェネレーター整備調達 、 Y新聞記者取材調達等 ( 3 ) 各種ミーティング事

英来军作战金继华如 ( 1 ) 情報要求対応事 ( 2 ) 各種業務調整等 ( 3 ) 各一ティング等 明日の射撃訓練

|

* | | a 本日の業務

4 明日の予定

5 その他 ( 備考 )


バグダッド日誌 ( 2006年6月3日 )

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「 バグダッド 日 誌 ( 6月3日 )

○炎天下の停電

昨日 、 今日と真昼間に小一時間停電となった 。 日本隊コンテナの室温は一気に上がり息苦しささえ感じられた 。 50℃を超える気温に加え 、 直射日光に熱せられた鋼鉄製コンテナは目玉焼きができるのではないかと思えるほど 熱くなっている 。 また鋼鉄製扉の取っ手を掴む時は注意しないと火傷してしまうほどに熱い 。 「 停電の中 、 発電機により電灯と衛星電話の電力だけでも確保しようかとも考えたが 、 暑さのため 、 とても作業する気 になれなかった 。 日本隊の隣のコンテナで事務をしている米軍人達はパレス ( 多国籍軍司令部 ) にも事務室があるよ うで 、 あきらめ顔でパレスの方へ涼みに行ったようだ 。 バグダッド市内の通電状況は日常的に厳しく 、 朝の指揮官報告 ( BUA ) では長い時で1日8時間 、 短い時は1日2時 間の通電しか確保されていないと報告している 。 もっとも停電が常態となっているため 、 各家ごと発電機を備え付けて いるそうだが 、 発電機の燃料を十分に確保できる家庭は少ないそうである 。

我々であれば食堂に行けば不自由なく食事ができるが 、 バグダッド市民は冷蔵庫に食料を保管するのも難しく 、 大 変な苦労を強いられていることは想像に難くない 。 たった1時間程度の停電であったが 、 うだるように暑いコンテナの中 、 バグダッド市民の苦労と一日も早い復興を祈 る気持ちの一端を感じている 。


バスラ日誌 ( 2006年6月3日 )

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バスラ日誌 ( 6月3日 )

1 MNC - I副司令官

のバスラ来訪にあわせて 、 昨日夕 、 各国LOが集められて懇談の場 が設けられた 。

「 は 、 1人1人の兵士がこの作戦を支えていることを強調され 、 各国の部隊 と同様にそれを構成する1人1人を大切にしたいとおっしゃった 。 また 、 コアリッションの協調が重要で あって 、 何か問題があれば直接自分に電話でも 、 メールでもいいから連絡してくれと言われた 。 直接副司 令官に問題点をあげていたら大変なことになるのではないかと思ったが 、 そのくらいの意気込みで取り組 もうとされているのだと解釈した 。 各国LOからは現在特に問題はないという答えが多かったが 、 バスラ パレス国連警護中隊のルーマニアLOから 、 早速ハンビイが8両あればありがたいという要望があった 。 日本隊については 、 特に問題はなく 、 サマワでは皆が 、 少将の訪問をお待ちしておりますと答えておいた 。

2 英軍高官のバイオ ( 経歴表 ) を見ていると 、 階級氏名の横に3文字の意味不明な英語が記述されている 。

疑問に思い調べてみると 、 Order of the British Empire ( 大英帝国勲章 ) のランクを示す頭文字である ことが分かった 。 受勲された人は 、 名前の後ろにランクの頭文字を付けることができるそうだ 。 さらに大英帝国勲章について詳しく調べたので 、 その内容を紹介したい 。

大英帝国勲章は1917年にイギリス国王ジョージ5世が創設した勲章で 、 最も新しく 、 最も受勲者の 多いイギリスの勲章である 。 創設する前の勲章は 、 政治家 、 軍人 、 役人などが主な対象で 、 通常の市民に 与えられることが少なかったため 、 功績の対象を経済人 、 芸能人 、 スポーツ選手や社会奉仕活動等広範囲 にした勲章を新たに創設したものである ( ビル ・ ゲイツやポール ・ マッカートニーなども受勲 ) 。 勲章には 、 上位からナイト ・ グランドクロス ( GBE ) 、 ナイト ・ コマンダー ( KBE ) 、 コマンダー ( CBE ) 、 オフィサー ( OBE ) 及びメンバー ( MBE ) の5つのランクがある 。 ナイトが付くものが 、 ナイト爵に相当し 、 Sir ( サー ) の敬称が 付けられる 。 ちなみに 、 師団長 のクーパー少将は MBEを 、 第20機甲旅団長の

はCBEを 、 幕僚長の

OBEを受勲されている 。 3 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。

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バグダッド日誌 ( 2006年6月4日 )

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バグダッド 日 誌 ( 6月4日 )

○服務指導は万国共通

各国の先任連絡宮部は 、 コアリション ・ オペレーション事務室にコンピュータと机が与えられ 、 基本的にそこで勤務し 各国との連絡 ・ 調整がいつでも出来るようになっている 。 またコアリション ・ オペレーション事務室の向かいに位置する 建物にはCa ( CIMIC ) の事務所があり 、

( 多国雑軍のCIMIC 幕僚 ) が勤務している 。 c9に勤務する各国のLOとは事務所が近いこともあり大変仲良くしていたが 、 現在部隊交代の真っ最中で知らない 顔が増えている 。 先日このC9に着任したばかりと思われる若い米軍人が 、 上級管長に悩みを聞いてもらっている 。 日 本でもよく見かける服務指導の光景だなと思いながら眺めていると 、 若い米軍人は泣いているようであり 、 強面の上 級曹長が優しく励している 。 「 着任したばかりで仕事に慣れないのか ? 本国の家族が心配なのか ? イジメにでも あっているのか ? 」 と勝手な想像しながら見ていたが 、 ふと自分達の事も心配になった 。 「 バグダッド薬絡理は 、 皆が元気発刺で勤務しているように見えるが 、 それぞれが定期的に家族と連絡をとっている かを確認しようと思う 。

バスラLO日々業務報告 ( 6月4日1900 )

バスラ空港

1 警戒態勢

( 警戒態勢 ) :

( 警戒態勢 ) :

es

2

特記事項 ・

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3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応

SSR ( ISFの戦力化の状況 ) , MND ( SE ) の将来計画 、 ED及びFIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ 夕会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議 ( 4 ) 訪問者 ( 業支隊長 ・ 政策アドバイザー等 ) 対応

4 明日の予定

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会議出席 ( 3 ) 訪問者 ( 業支隊長 ・ 政策アドバイザー等 ) 対応 | ( 4 ) 空路輸送調整

5 その他 ( 備考 )


バスラ日誌 ( 2006年6月4日 )

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MND - SE管内の状況 解

バスラ日誌 ( 6月4日 )

1 本日 、 業支隊長小瀬1佐 、 新POEAD 企画管 、 法務官鈴木2佐をバスラにお迎えした 。 到着初日 日曜日ではあるが 、 早速 、 第20旅団長への表敬を終えて 、 この後幕僚長との懇談を予定している 。

明日も 、 師団長 、 副師団長 、 J7部長 、 JHF司令官 、 及びBAS司令官等への表敬 、 懇談等を予定し ており 、 隊長以下5名の方々にはゆっくりしていただく時間もあまりないが 、 訪問の目的を十分に達成さ れるよう努力したいと考えている 。 ・

「 以下通信班 ( 兼ねてタリルLO ) の方々は 、 無事サマワに帰ることができた 。 彼らがタリ 「 ルにいる間に 、 すでに1度衛星通信システムがダウンしてしまったことは 、 サマワ到着時にかけてくれた

電話で話をした 。 これから酷暑の時期を迎え 、 さらに電力事情 ・ 気象条件等悪化すると思われるので 、 ま た迷惑をおかけすると思うが 、 その時はよろしくお願いしたい 。 その他にも 、 タリルLQが必要な時等に は 、 どんどんご指名がかかるのではないかと思う 。 ご活躍を祈る 。 ( 成せば成る 。 )

3 5月31日マリキ新イラク首相により非常事態宣言が発令されたバスラ市で昨日VBIEDによりイラ 「 ク市民27名が死亡した 。 本案発生場所は 、 買い物客でにぎわうマーケットであり 、 無事の市民が多数殺

害されたことになる 。 このような大惨事は 、 昨年8月31日以降のことだそうで 、 この事案が飛び火とな り治安がさらに悪化しないかが今後の焦点であろう 。 人が多数集合する場所でVB1EDを使用するのは スンニ派の常套手段とのことで 、 スンニ過激派が実施したとの分析もある 。 もしそうだとしたら宗派間対 立が激化することは必至である 。 いずれにせよ 、 ムサンナ県にこの影響が及ばないことと新生イラクの治 安回復を目標としてきたMND ( SE ) 管内の全将兵の努力が水泡に帰さないことを願うのみである 。

4 本日快晴 。 バスラ9名 、 極めて健康 。


バグダッド日誌 ( 2006年6月5日 )

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| バグダッド 日 誌 ( 6月5日 ) |

の充実した毎日 多国籍軍司令部で勤務は 、 毎日が小さな喜びの積み重ねであり 、 充実した毎日を送っている 。 まず 、 朝から通りで出会う多国籍軍の仲間と大きな声で挨拶して 、 小さな幸せを感じる 。 そして朝の指揮官報告 ( BU A ) で前日よりも良く英語が聞き取れたことに幸せを感じ 、 なかなか言えなかった英語のブルーズが 「 言えて ・ 通じて 」 満 足感を覚えている 。 「 小さな充実はこれだけに留まらない 。 今日は腕立て800回の目標をたて 、 これを達成して喜び 、 腹が減り塁食に何 を食べようか思案して楽しみ 、 なかなか見つけられなかった調整先を見つけ 、 調整がうまくいって充実感を覚え , 家族 からメールが届いては 、 いちいち喜んでいる 。 一日の中で沢山の喜び ・ 楽しみを見つけ充実した毎日である 。 勿論 、 「 楽しいこと 、 良いこと 」 ばかりではなく時には腹立たしく思ったり 、 ストレスを感じたりしながら 、 疲れてぐっすり 眠り 、 また翌朝には爽快な気分で小さな充実を積み薫ねている 。 「 日本を出国して丁度150日が過ぎた 。 毎日が充実し 、 あっという間の事に思える 。 帰国まであと何日あるかは分か らないが一日一日を大切にぬかりなく演堪っていきたい 。

バスラLO日々業務報告 ( 6月5日1900 )

1 警戒態勢

( 警戒態勢 ) :

2 特記事項

| | 3

本日の業務

情報要求对

SSR ( ISFの戦力化の状況 ) , MND ( SE ) の将来計画 、 ED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ 夕会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議 ( 4 ) 訪問者 ( 業支隊長 ・ 政策アドバイザー等 ) 対応 ( 5 ) 空路輸送調整

' ( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会雄出席

3 ) 訪問者 ( 業支隊長 ・ 政策アドバイザー等 ) 対応 ( 4 ) 空路輸送調整

4 明日の予定

5 その他 ( 備考 )


バスラ日誌 ( 2006年6月5日 )

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MND - SE管内の状況 開 」

バスラ日誌 ( 6月5日 )

1幕僚長の

は 、 2度目のMND ( SE ) 幕僚長勤務であることは 、 既に述べた 。 着任早々多く の重大事案が発生し 、 心痛もいかばかりかと察するものがある 。 毎日精力的に働く姿は 、 前任者のベイビ イストック大佐と同じで 、 朝早くから夜遅くまで忙しそうである 。 外見や話し方などは 、 紳士的でどちら かというと研究者タイプのような印象を受けるが 、 先日 が紹介していたようにOBE ( 勲章 ) も 受賞されており 、 燃える情熱を内に秘めた熱血指揮官タイプであるのかもしれない 。 イラク勤務は3度目 ということで 、 対イラク戦争時には連隊長として 、 部隊を指揮されたそうである 。 一昨日のVBIEDと いい 、 英軍殉職者の増加といい 、 心が安まる時はないのかもしれないが 、 師団の取り纏め役として頑張っ ていただきたいと思う 。 小海隊長 、 企画官との懇談も業務の合間を縫って 、 昨日夜2000から実施 していただいた 。

本日の予定も順調に進み 、 昨日と併せて10カ所の表敬を終えて隊長以下お疲れと思うが 、 明日の移動 を一部変更せざるを得ず 、 サマワへの帰還は明後日以降となった 。 申し訳ない 。

2 昼休みに売店に行ってみると 、 店内がワールドカップバージョンに模様替えされていた 。 イングランド の国旗 、 帽子 、 ユニフォームやマグカップ等イングランドに関するグッズが 、 所狭しと陳列されている 。 やはり 、 イギリスの人達はサッカーに目が無いということを知ってか 、 売店側が気を使って模様替えをし たのだろう 。 そういえば 、 師団司令部J3の片隅の掲示板にもワールドカップの対戦表が掲示されている 。 その対戦表は司令部で勤務している人がいる国はしっかりと色づけされている 。 ( 日本はなぜか水色で着 色されている 。 ) また 、 居住区においてもヘスコの上やコンテナとコンテナの間の通路に小さなイングラ ンドの国旗を掲揚しているのが目立つようになってきた 。 遠く離れたイラクの地からイングランドを応援 している姿はすさまじいものを感じる 。 私達は業務に専念するため ( テレビが壊れているため ? ) 生中継 で日本戦を観戦することはできないが 、 イラクの地から愛国心を旺盛にして応援したい 。

3 本日快晴 。 バスラ9名 、 極めて健康 。


バグダッド日誌 ( 2006年6月6日 )

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JAM Update : 06 June

バグダッド 日 誌 ( 6月6日 )

-

Ic 財布を亡して真っ青に . .

一昨日の夕方 、 財布のないことに実益気づき 、 バグダッド運術異全員で日本コンテナレンタカーの中事 を購無く探したが見つからなかった 。 本人は 、 朝洗濯物を出してそのチケットを財布に入れたごとまでは覚えているが 、 | その費は財布を触っていないとのことであった 。 そこでKBR ( 米軍支援を一事に引き受けている民間会社 ) 洗濯業者 | に補足してみたが 、 財布は洗濯物に異ざっておらず 、 また落札物としても届けられてもいないとのことであった 。

庫分と探しまわったが結局財布を見つけることはできなかったため 、 は許白午前中に財布に入っていたル ジチ ・ カードの二夫順けするため日本に電話した 。 亡失した財布には2枚のクレジット ・ カードが入っており 、 1枚目の カードの亡失肩けを焦Tし 、 2枚目の亡失置けをしようとした著にその時 、 日本コンテナのインター ・ フォンがなった 。 米陸軍少尉がの財布を尾けてくれたのである 。 指した場所はやり 、 KBR洗長付の建物のすぐ近くであ り はじめ 、 日本戦全員でお礼を言った 。 ・ 「 財布には現金200ドルほど入っていたが全く異状はなく 、 このような場所で譲ってくるのは新講的であったと駆う 。

本当に良い人に治ってもらい事な会を得た 。 「 い最中で 、 どうしても注業力が散暴になりがちであるが 、 今一度気を引き締め 、 ABCD ( A : 「 当たり前のこと # 」 、 B 「 ポ一つとせず 」 、 C 「 ちゃんとする 。 J . D 『 できるだけ実で 」 ) の本に立ち選り 、 心にゆるみなく生活することを覚で まった 。 ・ ・


バスラ日誌 ( 2006年6月6日 )

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バスラ日誌 ( 6月6日 )

長小第1佐以下5名の方がバスジを訪問され 、 MND ( SE ) 防団以下10名の方々へ の表取 、 規事を実解して頂いた 。 今回 、 特に属しかったのは 、 いつもお世話になっているJHF , ( ヘ可能 ) 及び BAS ( C - 130輸の指揮官によって頂いたことである 。 私達LOが有札 を100回申し上げるより隊長に訪問して頂く方がどれだけ価値のあることか 。 酵長には 、 暑い中 厳しいスケジュールをこなしていたが 、 訪間の目的は十分以上に達成されたのではないかと趣う 。 ( 我々の希望も入れていただき心から感謝している ) 本日は 、 末域において通信4名同神 、 情 平統き等を越して頂いていることだろう , & EITにやっていただくことはないが 、 一 応有技者として今回5名の新たな要真が理場された 。 とっていたら 、 タリルからの体に空席があ す きんサマリに剣で至た 。 ラッキー 2 ヘリコプターが 、 気が高くなると飛べないというのは今回初めて知った 。 シーキングは47度 、 メルリンは52度以上になると飛べないと言っていた 。 本日も基13時以降17時頃まで 、 赤線が 引っ張ってあり 、 飛行不舗だと言われていた 。 隊長以下の方々には 、 130の飛行予定に合わせ 、 てどうしても基球のへりを予防せざるを得ず 、 今日の移動は無理だと言われていた 。 スミッティ行 耐空輸送産経営の経営者たる坂中日 2Mに群があっただけでもだったが 、 サマワで足を伸ばして頂いて良かったと原う :

からこの情報を刻表とてもんでいたそ うだ 。 ダブル ・ ラッキー

今回 、 氏がバスを訪問されるのにあわせて 、 車の民間割 ( ランドローパー ) を借用する 「 ように計した 。 当初 、 DMcC ( 飾団地前で車両を3日間1台貸して下さいとまする と 、 車を借りるには軍の無免症が返だということが分かった 。 理長に報告すると 、 私と

9章の転免産を取得するように指導を受けた 。 軍の運転免許証を取得するには 、 ECシーチームですの資術にする規定 ( 03ページくらいの大文書 ) を読し ( 亀と

は5分でながら終わり 、 大隊にま転してま ( 地内の外国道を1回るだ のな技だが ) に合格しなければならない 。 私と 「 正道査に落ちたら 、 みんなに業 われるという圧をはねのけ 、 料金持した ( 左ハンドルのため 、 方向指示を間違えてワイバー を動かしたが ) , これからは 、 アスラで保有する高線はもちろん 、 ハンドルの車でも 、 安全

宝に気をつけ 行していきたい 。

| : | 4 本日快晴 , バスラ4名 、 有めて健康 。

「 スミッティLO日々業界

報告 ( 6月6日 )

区 分 | | | | 2 特記事項

化なし 」

Threat Level

特にL

( 1 ) 情報要求対応 " " | サマーワ市内等の治安情勢 、 デモ情報 、 共産軍の情勢判所事 ( 2 ) 根本事等

42期連 、 朝日舞の軍支援業時Nは 、 事 ・ 業実輸入政策アドバイザー等キャンプスミディ A 蓮7日 ) , TFNCIMGサマーワ衛基地跡調H直7日 ) 、 MND ( SE ) M師団長サマーワ南営地鉄鋼製識 。

| | | 本日の業務

| 4 明日の予定

( 3 ) 型ティング事 | 産業作業士雄参加 ( 1 ) 横求対応等 ( 2 ) 6提業務調理事 。 ( 3 ) 各種一チング率 明日の結果離 RANGE1 : 英軍の攻撃 ) 0800 ~ 1200 .

その他 ( 備考 )

19


バグダッド日誌 ( 2006年6月7日 )

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| バグダッド 日 誌 ( 6月7日 ) |

0多国籍軍C - 9 ・ 多国籍軍と日本の間の連絡調整は 、 ナショナルLO

) で実施しており 、 各国の先任連絡官幹部は ( パ レス ( 多国籍軍司令部 ) から約50m程離れたコアリション ・ オペレーション ・ オフィスに席が設けられ 、 そこで勤務して いる 。 コアリション ・ オペレーション ・ オフィスの正面に多国籍軍C - 9 ( 軍民作戦 ) のオフィスがあり 、 事務所がご近所で あることもあり 、 親しくしている 。 このC - 9には 、 数名のアメリカに亡命したイラク人が勤務しており 、 私を日本人と認識して 、 しきりに声をかけてくれ る 。 ある方は 、 サダム ・ フセイン時代の空軍少将で旧ソ連の空軍大学に留学した経験もあるそうだ 。 私にアラビアン ・ コーヒーを飲ませながら 、 昔話に花を咲かせるので 、 私もニコニコしながら彼の自慢話に付き合ってあげている 。 また 、 ある方はバグダッドの丸紅支店を立ち上げた方で 、 日本にも沢山の友人がおり 、 我々日本隊の相談によくのってくれ る 。 大変な親日家で 、 古いイラク人の友人からイラクのお菓子を入手しては 、 我々にも食べさせてくれる 。 この方は 、 カ ナダに亡命して 、 その後アメリカ国籍を取得したそうである 。

キャンプ ・ ヴィクトリーという多国籍軍により管理された敷地内での勤務であるが 、 C - 9の方々を通じてバグダッド 市民の生活やイラクの風俗 ・ 文化の一部を垣間見ることができる 。

バスラL0日々業務報告 ( 6月7日1900 )

バスラ空港

警戒態勢

( 警戒態勢 ) :

| 2 特記事項

| ( 2 )

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応

SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 TED及びDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ 夕会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議 ・

14 明日の予定

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ・ ( c ) 定例会議出席 ( 3 ) カウンターTED研究会 ( 於シャイバ基地 ) ・

5 その他 ( 備考 )


バスラ日誌 ( 2006年6月7日 )

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| MAND - SE管内の状況

|

バスラ日誌 ( 6月7日 )

11 喫煙者に対する風当たりは 、 近年とみに増してきて 、 いずこでも肩身の狭い線

思いをしている 。 先日紹介したMND ( SE ) 司令部の喫煙所も 、 厳しい暑さ と 、 コーヒーの飲み残し攻撃に晒される過酷な場所であった 。 ・

『 ウソだろ ? 』 我が目を疑った 。 まるで 、 リゾート地の公園のように 、 真新 しいベンチが12コも設置されているではないか 。 喜んでいいのだろうか ? も しかしたら 、 ここからも喫煙者は追い出されるのではないか ? そんなにいい話 があるわけがない 。 そう言えば 、 先日 張り紙がだされ 、 「 吸い殻を煙缶に捨て なさい 。 さもないとあなた方はこの場所を失う 。 」 なんて書かれていたし 。 「 でも 、 今のところ喫煙禁止ではなさそうだ 。 これまで炎天下 、 立ったままで 汗を拭き吹き煙草を吸っていた仲間達は 、 今ゆったりと腰をおろし会話を楽し離 んでいる 。 でも 、 5分以上座っていると汗だくになるため 、 ウルトラマンみた いに 、 3分くらいでカラータイマーが鳴り出す 。 どこのどなたか知らないが 、 恵まれない喫煙者に愛の手を差し伸べてくれた方に感謝し 、 引き続き情報収集 を兼ねて喫煙所通いを続けようと思う 。 2 司令部と宿舎地区の移動には 、 高機動車かバスを使っている 。 時々バスを待っている間あるいはバスの 中で 、 面識のない他国軍人と話をすることがある 。 目的地に着くまでの間 、 無言で過ごすのも気まずいの で 、 私は必ず天気の話 ( すごく暑い ) をして 、 こちらに来てどれくらい経つのかを聞くようにしている 。 この前 、 2人の英国軍人と話をした時 、 いつものようにすごく暑いねと言った後 、 ここにどれくらいいる のか聞いてみると 、 一人は6ヶ月と2週間で明日帰国 、 一人は12日だった 。 明日帰る人には 、 おめでと う ( Congratulations ! ) と言い 、 もう一人には 、 ようこそ ( Welcome ) と声をかけた 。 今まで様々な人と話をし たが 、 英国軍人ではイラクが2回目 、 3回目という人がほとんどで 、 初めてという人の方が少なかったよ ! うに思う 。 英国はアフガニスタンにも多くの兵力を展開しており 、 それ以外にもドイツやフォークランド 、 コソボ等に部隊が駐屯しているそうだ 。 我が自衛隊は 、 今回初めて大規模に部隊を海外へ展開することに なったが 、 今の英国軍人の姿を見て 、 我々の将来を想像せずにはいられなかった 。 3 本日快晴 。 パスラ4名 、 極めて健康 。


バグダッド日誌 ( 2006年6月8日 )

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バグダッド 日 誌 ( 6月8日 )

Oザルカウィ容疑者 、 死亡発表

本日イラク時間正午に 、 イラクのマリキ首相は 、 武装集団 「 イラク聖戦アルカイダ組織 」 を率いて 、 イラクの各地にお いて大規模な無差別テロや攻撃を繰り返してきたとされるヨルダン人 , アブムサブ ・ ザルカウィ容疑者が死亡したと発 表した 。 マリキ首相の隣には 、 毎朝の指揮官報告で見ることができるケーシー大将が控えており 、 非常に感慨深いも のがあった 。

多国籍軍で勤務するものにとって象徴的出来事であると思い 、 パレス ( 多国籍軍司令部 ) の統合作戦センター ( JOC ) の様子を確認しに行った 。 JOC内にある大きなテレビ ・ スクリーンにはザルカウイ容疑者死亡のCNNニュース を放映していたが 、 いつもと同じように淡々と勤務しており意外な感じであった 。 昼食時であったので 、 そのまま食堂にいくと 、 多国籍軍将兵がCNNを食い入るように見ており 、 「 サプライズイング 」 という声が聞こえたり 「 ハイタッチしている兵士たちもいた 。 恐らく一部の人のみがこの事実を知っていたのであろう 。 多国籍軍はザルカウィ容疑者にさんざん煮え湯を飲まされてきたという印象が強いだけに 、 イラク国民にとっても多 国籍軍にとっても非常に 「 ポジティブ 」 なニュースであった 。

今思い返してみると 、 今朝の指揮官報告 ( BUA ) はケーシー大将は不在であり 、 またテレビ会議の画面に映し出さ れているインターナショナル ・ ゾーンの米大使館の出席者が非常に少なかったのを思い出し 、 この発表の準備等が あったのかと個人的に想像していた 。


バスラ日誌 ( 2006年6月8日 )

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バスラ日誌 ( 6月8日 ) ・

1 昨日 1800から英軍殉職者2名の本国送還式が実施された 。 5月以降だけで3回目 、 我々がこちらに

来てから5回目である 。 昨日は 、 キャンプ ・ メチカでも伊軍殉職者の葬儀が行われており 、 実感として 、 MND ( SE ) 管内の多国籍軍の被害は増えている 。 また 、 テロによるイラク人の犠牲者も毎日のように 報告されており 、 治安の悪化が懸念されるところであるが 、 師団としても逮捕 ・ 掃討作戦を継続しており 、

今が我慢のしどころということだろうか 。 2師団管内の治安悪化の原因には様々な要因があるとは思うが 、 根本的な原因ではないとしても 、 そのう

ちの1つとして 、 米軍のあまりにも安易な武器使用があるのではないだろうか 。 例をあげると 、 サマワ近

傍において 、 自分が走行車線を間違えて走っていたにも拘わらず 、 正面から走ってきた対向車 ( 民間人 ) * に対して射撃して重傷者を出したり 、 タリルにおいて 、 ゲート付近ではなく 、 普通の道路を走ってきたト ラックが制止の指示を聞かなかったといって直ちにドライバーに危害射撃を加えたり 、 状況報告書を読ん でいると何ということを 、 というものが時々見られる 。 米兵が過剰に反応したくなる気持ちに理解できる 。 部分もあるが 、 報告が非常に遅れたり 、 報告内容が正確でないことに苛立っているムサンナ県英軍POLAD のコメント等もある 。 先日の朝会議においても 、 米軍サージャント ・ メジャーが代行して参加していたの だが 、 師団長が最近のTED等被害の増加に対策をとるよう指示していると 、 「 先に撃つ 」 と言葉を挟み 、 醤避をかっていた 。 因みに彼が 、 着任教育で 「 シュート 」 を連発していた方である 。 彼はジョークのつも りだったのだろうが 、 師団管内に所在する米軍警備部隊等の武器使用基準の甘さに 、 少々困っている英軍 関係者にとっては 、 笑えないジョークであった 。

報道では 、 3件以上の文民虐殺事案について調査が始まっていると聞く 。 いかに高い理想を追求しよう 。 と多くの人が頑張っていても 、 一部に低いモラルが混在すれば 、 全体が悪いと見られる 。 10万人以上念司 ・

派遣している米軍にとって 、 軍紀の維持ということも困難な課題なのだろう 。 ls 米軍の攻撃でザルカウィ容疑者が死亡したというニュース速報が流れている 。 影響は ・ ・ ・ 本日快晴 。

カウンター | ED研究会参加のためシャイバ 。 まもなく帰隊予定 。 バスラ4名 、 極めて健康 。

スミッティLO日々業務報告 ( 6月8日 )

区 分 ・ | 1 警戒態勢等

内 Threat Level

変化なし 」

2

特記事項

サマーワ市内等の治安情勢に関して重点的に情報収集を実施

3 本日の業務

( 1 ) 、 情報要求対応等

サマーワ市内等の治安情勢 、 デモ情報 、 英森軍の情勢判断 ( 2 ) 各種業務調整等

THREAT ZONE MAP関連 、 明日以降の家事支援要請関連 、 MND ( SE ) 副師団長等サマーワ宿営地 ・

訪問関連 、 家軍要望事項関連 、 サマーワ宿営地ジェネレーター整備関連等 ( 3 ) 各種ミーティング等 | | 英豪軍作戦会議参加

( 1 ) 情報要求対応等 | ( 2 ) 各種業務調整等 、 ( 3 ) 各種ミーティング等

14 明日の予定

5

その他 ( 備考 )

明日の射撃訓練 「 RANGE3 : 英軍 ( 小火器 ) 0800 ~ 1400


バグダッド日誌 ( 2006年6月9日 )

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CURRENT SITUATION

バグダッド 日 誌 ( 6月9日 ) |

OヨルダンLO 、 暑さのためダウン 」 コアリション ・ オペレーション部では 、 1週間おきの火曜日にLNOミーティング ( 各国先任連絡官会議 ) が実施される 。 」 各国の活動状況及び各連絡官が定期的に相互調整を実施する場として活用されている 。 この会捕の記席はアルファベット開になっているため 、 日本JAPAN ) の欄はヨルダン ( JORDAN ) で毎回会議の際 に開あわせている 。 このためヨルダンLOと何とはなしに仲良なり 、 「 H , " J " カントリー 」 とお互いに挨拶を交わして いる 。

このヨルダンの先任連絡官 、 連日の無料のため会うたびに 「 暑い暑い 」 と連鳴をあげていた 。 日本人の感覚で はイラクとヨルダンは開国なので気核も似たり寄ったりだろうと思っていたが 、 当人曰く 「 ヨルダンはイラクの北の方に 国境を接している 。 イラクも北の方は京しいんだ 。 」 と説している 。 最近 、 朝の指揮官報告 ( BUA ) に顔を出していなかったが 、 本日久しぶ対に会うことができた 。 「 国にでも撮っていた の ? 」 と回くと 「 この紙にやられて 、 体調を胸し米軍医務室に入院していた 。 そうだ 。 本当に最近の暑さがこたえて いたようだ 。

武憲第団 「 イラク記税アルカイダ粗熱 」 を率いたヨルダン人アプムサブ ・ ザルカウィ容疑者が死亡したことについて の話題になり 、 ヨルダンLO白く 、 「 彼はヨルダンで何度も刑務所に入っていたテロリスト 、 今までの行動の天命が下っ たのだ 。 」 と力説していた 。 「 見た目には褐色の肌で恰幅の良い体型は 、 ほとんどイラク軍人と見える 。 実際にこのヨルダンLOは 、 時折自分で運

してキャンプの外に買い物に出かけている 。 アジア人 、 欧米人がバグダッド市内に出れば間違いなくテロリストのター ゲットとなってしまうが 、 そこはアラブの民で普通にキャンプの外に出ても 「 問題はない 。 」 と言っている 。 「 暑さもそうだが市内に出る時は 「 お大事に . . 」 と声をかけると苦笑いしている 。 なかなか愛想の良い 「 とっつあん 」 で Hある 。


バスラ日誌 ( 2006年6月9日 )

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バスラ日誌 ( 6月9日 )

1 昨日 、 CGSの合格者発表があり 、 第4次業務支援隊 」

バスヲLOとして勤務していた けが合格し たと聞いた 。 彼とはこちらにきて申し受けをしている時に初めて会ったのだが 、 懇切丁寧に申し送りをし てくれて大変助かった 。 ( 第4次業務支援隊バスラLOの全員がとても細やかな心遣いをしてくれたし 、 克度な申し送りをしてくれた 。 ) LO動務の経験も活かして 、 充薬した学生生活を送って欲しいと思う 。 ということで 、

にも業務の合間にしっかり勉強するように言っている 。 業務を真剣に 実施すること自体が良い経験であり 、 勉強であるが 、 教範を読む時間ぐらいあるだろうと言っているとこ ろである 。 教範を枕に寝ている睡眠学習派もいるようだが 、 英語教育でお世話になったも 合格 。

昨日 、 校関係3閣僚も決定されたことで 、 見通しは明るくなってきた 。 その他の準備も色々と始めて いるがピッチをあげなければならない 。 最終局面では任務に専念しなければばらないから 。 2 実り多しシャイバ基地C - LED研究会

班長のはからいで 、 シャイパで開催されたC - TED研究会に参加することができた 。 本研究会は 、 最 近IEDによる英軍等兵士死亡事案が続発していることを受けて師団長の肝いりで実施されたもので 、 師 団の各隷下部隊から将校が100名近く参加した 。 内容については 、 毎月 、 師団司令部で開催されている C - TED会議の内容を師団隷下各部隊の主要事僚に普及徹底するといった感じで 、 特に目新しいものは 無かったが 、 各部隊指揮官の取り組みに関するブリーフィングを聞いたところ 、 師団が推奨する施策を実 行している部隊は 、 被害が少ないように感じた 。 バスラシティーBGは 、

とのことであった 。 もちろんこれらは | | いままでのC - TED会謝で紹介された施策であることは言うまでもない 。 その他 、 TED調査 ・ 処理支 援ロボット 、 家宅捜索時の資料 , IED捜索犬等が会開場前の駐車場に展示されていた 。 展示説明風の戦 | | 種を聞いたところみんな工兵だった 。 性持も控えめな感じで 、 地味で目立たないが秘めた情熱を持ってい そうなところは 、 日本の工夫 ( 施設料 ) と同じだと思った 。

スミッティLO日々業務報告 ( 6月9日 ) ]

分 | | 警戒態勢締

・ 内 Threat Level .

| 変化なし 。

| 2

配事項

特になし TT ) 前田要求対応 )

サマーワ市婦の治安物時 、 デモ情報 、 英軍の情勢判断等 3 本日の業務 ( 2 ) 各種業務調整等

明日以降の軍支出要詞関連 、 サマーワ宿営地ジェャーター2階関連 、 産軍要望事項関連等 | ( 3 ) 各種ミーティング等 ・

第本軍朝構参加 -

( 1 ) 情報要求対応等 明日の予定 ( 2 ) 各種業務調整等

( 3 ) 各種ミーティング等

| 明日の射撃訓練 5 その他 ( 備考 ) 「 し し

.


バグダッド日誌 ( 2006年6月10日 )

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CURRENT SITUATION :

. | バグダッド 日 誌 ( 6月10日 )

Oワールド ・ カップ ・ サッカー開幕 ! !

昨日サッカー ・ ワールド ・ カップが開催した 。 日本隊コンテナに設置してあるテレビはJSTVという衛星放送と契約し ており 、 日本の番組を見ることができる 。 しかしながら 、 残念なことに放映権の関係でサッカー ・ ワールド ・ カップを見る ことはかけない 。 バグダッドで勤務してから大きなスポーツの祭典が実施された 。 トリノ五輪 、 ワールド ・ ベースボール ・ クラッシック ( WBC ) が実施され 、 これらのいずれも映像で見ることはできなかった 。 インター ・ ネットで女子フィギアのゴールド ・ メダ リスト荒川静香選手が得意とするイナバウアーという技を写真で見ることはできるが 、 映像では未だ見ることはかなわ | | . ず 「 そっくり返って 」 滑るのか ? と想像を巡らせている 。 トリノ五輪 ・ WBCの時には 、 JSTVのスポーツ ・ ニュースが放映されると 、 テレビ画面がコピー ・ ライトの関係で映像 をお送りできません 。 」 と哀示され 、 音声だけ聞こえてくる 。 まさに 「 蛇の生殺し 」 状題であった 。 今回のサッカー ・ ワー ルド ・ カップの約1ヶ月間も同線にストレスの溜まる放送になると感じている 。 ところでMNDISE ) 英軍LOに 、 「 サッカー ・ ワールド ・ カップが観られなくて大変だね 。 」 と話しかけると 、 本国から衛星 放送レコーダーを急速取り寄せ観戦できる態勢を整えたそうで 、 さすがフットボール発祥の地であり 、 これを見逃す訳 にはいかないようだ 。 我々は日本に帰ってから結果の分かったビデオ映像を安心して楽しみたいと 、 その日を心待ちにしている 。 なにはともあれ 、 バグダッドの地から 「 サムライ ・ ブルー 」 の活量を祈念している 。 「 頑張れ ! ニッポン ! 」


バスラ日誌 ( 2006年6月10日 )

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バスラ日誌 ( 6月10日 )

夕方の電話会議を聞いている方には 、 ここ数日会議を仕切る

の僅かしい声が聞こ えていることと思う 。 事僚長が留守の間 、 幕僚長の代行を務めているということだが 、 最近の事案 多発の質任を問われて幕僚長更迭かなどと心配していたところだった 。 一昨日 、 ザルカウイ容疑者が死亡 したニュースが大きく取り上げられたため 、 やや陰が薄れてしまったが 、 治安関係3閣僚の指名及び議会 承認が済み 、 名実ともに正式政府が発足した 。 我が国にとってはこちらの方がビッグニュースであったと 思う 。 アブダル ・ アルカディール ・ ジャシム ( Abdul Al - aadir Jassim ) 新国防相は 、 スンニ派で政党には 属さず 、 バスラ県のスンニ派に影響力を行使できるとしてバスラ県の治安改善にも期待がかかっている 。 バスラの治安悪化対応策は 、 既にマリ首相の非常事態宣言に基づき 、 イラク警察による警備強化等の対 策がとられている 。 また 、 南部4県で最も信頼性が低いと言われる質感力を補完するため 、 イラク第10 前面は他県3個旅団から1個中隊ずつを抽出して 、 第1旅団を増援し 、 第1旅団の2個大隊と併せて3個 大常の勢力で任務にあたっている 。 早速その効果が現れているのかどうかはわからないが 、 ここ数日バス ラ果は比較的平種である 。 バスラ基地に対する攻撃も18日間なく 、 静かな日々を送っている 。 ( こうい うことを書くとすぐ攻撃されるので 、 敵もLO報告を読んでいるのかもしれないが ・ ・ ・ ) 2 先日 、 小義隊長に訪問していただいたJHF指揮官

は 、 本日で任務を終え後任者と交代 するそうである 。 昨日のうちに日本隊としての支援要望等について説明し 、 担当者からは概略の同率を得 ていたので上 ・ 下番指揮官の申し送りに併せて情報を提供でき 、 隊長の妨間を含めてベストタイミングで あったと思う 。 VHFは先月から27模のヘリを15機まで計画的に ( 1機は損耗 ) 前城しており 、 その 状況は隊長も直接ブリーフィングを聞かれて了解していている 。 本日朝 、 次のJHF指揮官には紹介し ていただき 、 御挨拶もさせて頂いた 。 名前は 、 ちょっと早口であったことと 、 基本的に外国の方の名前を 覚えることが苦手であるため 、 正には把握できていない 。 後日 、 名度が変更されたならば確認して報告

La一本日快H ,

SLる 。 近めで世話

スミッティLO日々業務報告 ( 6月10日 )

内 Threat Leval

変化なし 」

2 特記事項

オー2車尊西夜 ( 線路西道沿い ) に於いて発見された不審物に関して重点的に情報収集を実施 ( 1 ) 情報整求対応等

サマーワ市街西方 ( 線路西武沿い ) に於いて発見された不審物情報 、 サマーワ市内等の治安情勢 、 デモ

la 本日の業務

情報 、 英軍の情勢判断等 | ( 2 ) 各種業務調整等

9組路変更関連 、 明日以降の派軍支援要請関連 , COOPERATIVE ZONE MAP関違妻軍委記事 項関連

業支隊長 ・ 政策アドバイザー等キャンプスミッティ訪問関連隊 L ( 3 ) 各種ミ ティング等 ( 1 ) 開練度貯金華参加 ( 2 ) 各種業務問接客 ( 3 ) 各種ミ一行ング等

4 明日の予定

明日の射撃訓群

5

その他 ( 備考 ) |


バグダッド日誌 ( 2006年6月11日 )

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| バグダッド 日 誌 ( 6月11日 )

OMNF - 最先任曹長

サマーワ訪問 「 MNF - 1 |

一行がサマーワを訪問した 。

は 、 以前在日米陸軍の最先任曹長を努めたことがあり 、 大変な知日 ・ 親日家である 。 サージャ | | - ン ・ メイジャー ・ ミーティング ( 部隊最先任曹長会議 ) がジャパン ・ ブリーフィングを実施してからは 、 特に日本隊 に色々と支援してくれており 、 日本隊一同いつも感謝している 。

は昨年の11月頃にサマーワを既に防問したことがあるのだが 、 その時の日本隊キャンプのイ メージがあまりにも良かったため 、 他の下士官にも是非見せたいと 、 に随分と前からサマーワ訪問を打診して いた 。 MNF - I最先任曹長ともなるとさすがに待遇も 「 格 」 が違っており 、 バレス ( 多国籍軍司令部 ) 内の 司令官 務室の隣に立派な執務室があり 、 宿泊場所も 司令官と変わらないぐらい大きな 「 一軒家 」 が与えられている 。 今回の訪岡にあたって頻繁に

と直接即撃して 、 益々太い人間関係のバイブが出来た と感じている 。 昨日夕方遅くバグダッドに戻り 、 日本隊の素晴らしい秋持に感謝するとともに 、 訪問するたびに着実に ・ 進歩する日本障の質の高さに大変感心していた 。 今回の訪問を通じて更に沢山の日本A風の米軍下士官が増え 、 日米相互理解の一助にとなれば幸いである 。

実際にこちらバグダッドでは益々日本隊の株があがり 、 バグダッド運格好は鼻高々です 。 サマーワの皆様本当に有 り難うございました 。

「 バスラLO日々業務報告 ( 6月11日1900 )

:

バスラ空港

「 背戒態勢

( 『 状態勢 ) ;

( 1 )

2 特記事項

| |

13 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応 | SSR ( SFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SSの将来計御 、 ED及びDF関情報 、 デモ既理情報解 ( 2 ) 主樹情報収集 : 3定例会関への出席 : 司令部朝 ・ 夕会議 、 J2 ・ J3 ・ J9郎歳状一会環

{ 1 } 情報要求対応 、 定例情報収票 4 明日の予定 | ( 2 ) 定例会議出席

・ | CME念歳代理出席 5 その他 ( 備考 )

. .

. .

.


バスラ日誌 ( 2006年6月11日 )

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ND - SE管内の状況

バスラ日誌 ( 6月11日 )

1 サッカーのワールドカップも始まり 、 司令部でもサッカー好きの皆さんは 、 かなり真剣に試合の行方に

注目しているようだ 。 こちらにも豪軍の方がたくさんいらっしゃるが 、 日本隊LOにもかなり挑錯的な言 験で対抗意識を網やしている 。 夜間 、 J3の大型テレビ画面に試合の様子が音声なしで映し出されると 、 日本隊LOの机の横あたりが特等席となるため 、 椅子を持って人が集まってくる 。 英軍の方が 「 僕は日本 を応援するよ 。 」 と言ってくれるので 、 大変うれしいが 、 そばにいた素軍将校は渋い表情で 「 オーストラ リアが闘う 。 」 と食って譲らない 。 星取表を作って 、 日本が3勝 、 森岡が2勝1敗 、 ブラジルが1勝2敗 、 クロアチアが3敗で 、 日産2回で決勝トーナメントに行くことができればいいではないかとなだめると 、 毒国を3期に書き換えて 「 これならいい 。 」 と言うので 、 Firs OKI 』 と答えておいた 。 明日はいよいよ 日吉決戦 、 日頃お世話になっている衆国ではあるが 、 勝負の世界は厳しいし 、 サッカーチームの皆さんで 日本盛が幸運に警護してもらっていることを知っている人はいないだろうから 、 勝たせていただこうかと

思っている , 当たり障りなく “ 引き分けの方が今後のためにはいいかもしれないが 。 2 サッカーのワールドカップの応援のため 、 あちらこちらで優越や応援旗がなびいて いる , 日本の対戦相手となるオーストラリアは 、 カンガルーがサッカーボールを蹴っ ている黄色い応提炭を 、 高軍の民間車両にまで取り付けている 。 私は応援旗を見るた * * びに 、 オーストラリアには負けられないと ( 選手ではないが ) 開志を燃やしている 。

また 、 J3部長もデンマークの国旗をリュックサックに2本もさしている . 師団司 令部においてもいよいよワールドカップの応援に熱が入ってきた 。 と思っていたら 、 どうもデンマークはワールドカップに出場しないということが分かった師団司令部 派遣国の中でデンマーク ・ ルーマニア ・ リトアニアがワールドカップに出場していな い ) 」 出場していない国の人藩はかやの外でかわいそうだなと感じるとともに 、 日本

AUSTRALJAG が出場していてラッキーだと感じた 。

一本

パスラ4名 、 極めで健康一


バグダッド日誌 ( 2006年6月12日 )

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バグダッド 日 誌 ( 6月12日 )

の治安権限移譲の着実な歩みを実感 パレス ( 多国籍軍司令部 ) 前の駐車場には 、 キャンプ ・ ヴィクトリー外細を警備する米軍が出発前のミッション ・ リー フィングを実施している光景をよく見かける 。 昨日見慣れない戦闘服の兵士が米軍とともにミッション ・ ブリーフィング 、 を受けているのを見かけ 、 注意して確認してみるとイラク陸軍兵がその輪に加わっていた 。 イラク陸軍の使用する車 両は米軍と全く同じ高機動車 ( ハムビー ) であるがガナー位置には誇らしげにイラク国旗が標記されていた 。

朝の指揮官報告 ( BUA ) では 、 米軍 ・ イラク軍協同の警備 、 更にはイラク軍主導の整備状況が報告され 、 イラク軍の 充実と治安権限が委譲されている状況が報告されている 。 | 身近なキャンプ ・ ヴィクトリーの警備が協同で実施されるのを目の当たりにして治安権限委譲の確実な歩みを実感

することができる 。 今後近い将来には , イラク軍単独で警備を担当する日が来て 、 多国籍軍の支援なしにイラクが自 立できることを祈っている 。

* パスラLO日々業務報告 ( 6月12日1900 )

パスラ空港

1 警戒態勢

( 警戒態勢 ) :

28

2 特記事項

3 本日の業務 . .

小情報要求对 1 SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 IED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ タ会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認談統一会議 ( 4 ) CME会議代理出席

( 1 ) 情要求对 、 定例情報收集 ( 2 ) 定例会議出席

4 明日の予定

5 その他 ( 備考 )


バスラ日誌 ( 2006年6月12日 )

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| MND - SE管内の状況 「 源 」

TH

バスラ日誌 ( 6月12日 )

1 日本では 、 自動販売機があちこちにあり 、 コンビニも何でこんなに近くに何件もあるのかと思うくらい たくさんあって 、 必要なものは夜中でも大体手に入る便利な生活を送っていたので 、 そんな生活がどれ程 ありがたいことか気付かなかった 。 電気も水も供給されるのが当たり前で 、 不景気だといっても 、 物価は 安定し 、 さほど困ることもなかった 。 信じられないような犯罪が増え 、 自殺者が年間3万人を超えるよう な国にはなってしまったが 、 毎日テロが起こり 、 爆弾や銃撃によって何人もの人が日々殺されるイラクに 比べれば何と幸せな国であることか 。 こちらに来て 、 石油産油国であるにも拘わらず 、 国民が石油を入手 することもままならず 、 電気も1日数時間の供給しかなくて 、 子供達が安全で綺麗な水を飲むことも難し い状況を知ると 、 少しでも早く政治が安定し 、 治安を回復して平和を取り戻し 、 国民が豊かさを享受でき る国になって欲しいと願う 。 同時に 、 我が国にこのような不幸が2度と起こらないように 、 私たちの子供 達が安心して暮らせる国であり続けられるように 、 こちらは祈るだけではなく 、 我々が努力していかなけ ればならないのだと思う 。

3 10日に18日間攻撃無しと書いた 。 11日夜早速 DF 。 至近200m 、 屋根に破片が当たる音が聞 こえた 。 15回目 ( 30発 ) 。 バスラ4名 、 極めて健康 。


バグダッド日誌 ( 2006年6月13日 )

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| バグダッド 日 誌 ( 6月13日 )

○日本代表として

キャンプ ・ ヴィクトリーには20数カ国からの将兵が勤務している 。 そのほとんどの方が尊敬に値し 、 ともにイラクの復 興という同じ志を持つに値する人ばかりなのだが 、 沢山の人がいれば中にはそうでもない方もいる 。 . 「 帽子を被らず 、 くわえタバコで歩く 」 「 ピック ・ アップ ・ トラックの荷台に乗って移動する 。 」 「 勤務時間になっても集合で きない 」 「 アイスクリームを食べながら外を歩く 」 、 食堂では 「 列に待っている間につまみ食いをする 」 「 ジュースを飲み ながら歩く 」 等々 、 各国の国旗をつけた戦闘服を着てよくも恥ずかしくもないと 、 つい眉をひそめてしまう 。 バグダッド連絡延は 、 一人一人が 「 日本代表 」 、 「 日の丸を背負う気擁 」 をもって勤務している 。

サマーワ訪問 「 本日 、 がMNC - 1副司令官

視察に同してサマーワを訪問している 。 二人が不 在となるとなかなか残っている方は大変なのだが 、 折角の機会であるのでよくサマーワを見てきて欲しいと思っている 。 バグダッド掃隊後の感想が楽しみである 。

バスラLO日々業務報告 ( 6月13日1900 )

バスラ空港

1 警戒態勢

( 警戒態勢 ) :

| | 2 特記事項

十一

3 本日の業務

|

| ( 1 ) 情報要求対応 | SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 ED及びDF関連情報 、 デモ関連情報 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ 夕会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認滅統一会議 ( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会議出席

4 明日の予定

5 その他 ( 備考 )


バスラ日誌 ( 2006年6月13日 )

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MND - SE管内の状況 「 線

バスラ日誌 ( 6月13日 ) - 第140号 ( 思えば遠くへ来たものだ ) -

1 昨日の日豪決戦は 、 豪軍から日頃警護して頂いていることもあり 、 よい結果であったと前向きに考えよ う 。 サマワでも日豪合同観戦されたそうで 、 気持ちよく帰って頂けたのではないだろうか 。 こちらでは 、 先日ラグビーで豪国チームが英国チームに勝った恨みもあるのか 、 英国軍人の殆どは日本側応援団 、 デン マークも日本側で 、 ホーム戦のようだった 。 ( 司令部の情報収集用画面で見たので 、 音声なしであり 、 応 援と言っても地味なものだが 。 ) アウェイの義国将校の皆さんは不服そうだったが 、 勝負には勝って最後 は御機嫌だった 。 「 おめでとう 」 と言って握手をし 、 日本武士道の潔さを示したところ 、 敵もさるもので 、 日本チームにはすばらしい選手がたくさんいる 、 負けるかと思ったと言ってくれた 。 その後も 、 色々な方 から 、 「 残念だったね 。 」 「 最後はどうしてしまったんだ 。 」 などと声をかけて頂き 、 傷口に塩を塗られ るようではあったが 、 とてもありがたかった 。 答えは 、 『 今日は残念だったが 、 我々はブラジルとクロア チアを倒すから大丈夫だ 。 』 である 。 「 ブレイブマン 」 と言われた 。 文字通り 、 勇敢だと認識すればよい のだろうか ? それともちょっと無理だろうという意味だろうか ?

世界一のチームに勝って 、 決勝トーナメントに行ければいいのだが 。 2 一昨日未明に発生したメイサン県アマラにおけるメイサンバトルグループC中隊 ( 英軍 ) と武装組織と の衝突は0931人員及び全ての装備品を回収して収束した 。 オペレーションダリアス ( 速捕掃討作戦 ) 実施中の英軍部隊は 、 0220から0323にかけて断続的に小火器射撃を受け 、 0403以降RPGを 含む攻撃に対して応戦した 。 0655重傷者を出したが 、 0657ヘリ ・ リンクスで救助し 、 0710に はIRT ( 事案対処チーム ) に申し送り 、 直ちにシャイバに搬送 、 リンクスはトップカバーに復帰した 。 0715CAN ( キャンプ ・ アブナジ ) のIRTに代わって 、 SLB ( シャイバ ) ! RTが要請を受け 、 0755 、 現地に到着している 。 一時はバグダッドからF - 15が2機飛来する等 、 かなリ緊迫した状況 に陥ったようだが 、 0728もうお馴染みになった情報統制作戦オペレーションミニマイズも発令され 、 じ後車両回収を含む重要装備品 ( ECM等 ) の回収及び兵員の離脱を実施してO931事態は収束した 。 武装組織の損耗は 、 8名以上が死傷 、 英軍は重傷1である 。 本日朝会議において 、 師団長は一昨日の作戦 を評価し 、 良い作戦であったと褒められた 。 事態への対応 ・ 処置に満足されたのだろうか 。 バスラ4名 、 極めて健康 。


バグダッド日誌 ( 2006年6月14日 )

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バグダッドLO日々業務報告 ( 6月14日1830 )

)

( 1 ) サマークに重沿影響を試す脅威情報

III ・ 警戒態観常

( 2 ) ラグ金融に係る各成レベル

サマーワ及びバスラ ト バグダッド及びモスルは

ラマディは

2 特記事項

3 本日の素務

情報収集及び連続調整

4

日の予定

( 1 ) 情税収集及び連結開設 ( 2 ) SNR報告及びCOA相告 ( 3 ) 大使広直送迎に伴う臨線傍受支援

5 その他 ( 備

バグダッド 日 誌 ( 6月14日 )

●ナンバーワン ホスピタリティ

サマーワ ・ スミティ訪問同行雑感 ) 「 先ず初めに 、 昨日サマーワからの提障時 、

及副宜

( 伊 ) から 「 大変良かった 。 日本 の接遇は1番だ ! 」 との言茶を頂いたこと 、 更に本日朝1番 「 傑出して素晴らしく心地よい招待に大変感銘を受けた 。 ( outstatuding excellent and warm hosplalty ) 」 とのメールを頂いたことを 、 この場を借りて紹介させていただきます 。 バグダッド連絡幹部2名は 、 同行という名目でサマーワ及びスミティの訪問をさせていただきしたが 、 群長 、 隊長か ら 「 数少ないサマーワ訪問機会を有意籍に過ごして欲しい 。 副司令の接遇はサマーワ担当者に任せて買ってかまわ ない 。 」 との特別な計らいをしていただき 、 入及び食事という特別コースを設定して頂きました 。 まさにイタリア将校と 同感で 、 燃出して素晴らしい招待に大変感銘を受け 、 サマーワの方々の心遣いに恐縮至極でした 。

初のサマーワ訪問と言うこともあり 、 期待に胸を躍らせての訪問でした 。 サマーワへ行く途中で燃料給油のため立ち 寄ったMND ( cs ) 司令部 ( ポーランド ) のあるディワーニャと雰囲気は完全に異なり 、 サマーワ宿営地は整然と区画 整理された建造物 、 鮮やかな日の丸構足が結露に整列した駐車車両 , 吹き流しとキビキビと動く誘導隊員 、 出迎えや 横供のために整列する自衛隊員には一種の速快感と安堵感を感じました 。 柳配真により使わせて頂いた露天風呂の心地よさに時が経つのを忘れて 、 残余時間は約1時間弱となってしまい 、 駆け足での関係部署回りとなりました 。 何処の部署も忙しそうに勤務されており声を掛けるのも調しましたが 、 皆さ ん邪魔者扱いするどころか 、 大救迎で迎えてくれました 。 労いの言葉と日本食等の差し入れ 、 群の記念品等を持ちき れないほど頂き 、 サマーワの皆さんがバグダッドのことを気に掛けて下っていることを身に染みて感じました 。 スコッ ティにおいても連絡幹部が業務多忙の中 、 私どもにつき合っていただき施設等案内していただきました 。 各部署担当 者との会話から察するに 、 これほどの人間関係を構築するのには 、 同じ目標に向かい大変な努力をしているからこそ 、 信頼関係ができているのだろうと感じました 。 ・ サマーワ ・ スミティの方々の仕事ぶり 、 多忙な中での習様の一所懸命さと前向きさを直に拝見させていただき 、 バグ ダッドにおける勤務意欲の更なる向上につながりました 。 群長 、 隊長を初めとする関係者各位の御心遣いに対し二の 場を借りて深く感謝申し上げます 。


バスラ日誌 ( 2006年6月14日 )

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バスラ日誌 ( 6月14日 ) - 第141号

1 富士学校特科部教官のは 、 現在クウェート大使館LOとして優雅な … ではなくて忙しい毎日 を過ごしていることだと思う 。 準備訓練間越締IBグループでスミッティ とともにパスラLO 4名と行動をともにした 。 同期生や近い先輩 ・ 後輩が多く学校教官グループでもあることから話題も合い

団結も固かったと思う 。 ( 1人10期遣いの名は寂しかった 。 スニッティ日態とクウェート日誌も書いて くれないし 。 ) 今 、 特科部からの特命を要備し 、 いかにして情報収集しようかと困っている話を聞けば 、

我々も盛ってはいられない 。 一肌も二肌も脱ぎたいと思っている 。 まずは英軍砲兵戦国の人を探すことか ら始めることにした 。 そこから情報を封書式に引っ張り出し 、 彼の情報要求に応えたいと思う 。 良い情報 が得られたならば 、 クウェード日誌と引替えにお越ししよう 。 園張らなくては ! 2 純報 。 昨日上記の情報要求を承知し 、 直ちに 、 日本隊のじ後の行動計画を説明するふりして ( 実際に

説明もしたが 。 ) 幕僚長窟に潜入 幕僚長はイラク戦争時 、 砲兵連隊長を勤められたと聞きましたが 。 「 然り 。 ( 懇談録報告属 ) 」 今 、 日本でも肉民学校で00関連のデータを必要としています 。 どなたに 昭けば良いかわからないのですが ? 」 「 それであれば 、 BASIにエキスパートがいる 。 明日0800に運 れて来てあげるよ 。 有り難うございます 。 J瞬時に解決した 。 あとは 、 エキスパートに質問するだけ だ 。 … 本日ogoo

を紹介して頂いた 。 あとは当たって砕けろ ! 3 J3朝ミーティングで 、 J3部長 ( デンマーク軍 ) が今日は 「 ヴァルデマーズデー 」 だとみんなに紹介 した 。 ヴァルデマーズデーはデンマークの記念日で 、 1210年6月15日デンマーク国王ヴァルデー マーズがエストニアと変態し 、 勝利を収めたことに由来する 。 その戦いでは空から越 ( 現在のデンマーク 国郎 ) が降ってきたと同時に 、 「 その旗を掲げるとデンマークは敵に打ち勝つことができる 。 」 という 神の声により開利が導かれたという伝説がある 。 このため 、 デンマークの人々は 、 旧国王や国旗を制に

思い 、 記念日を祝って過ごすようだ 。 14 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。

スミッティLO日々業務報告 ( 6月14日 )

区 分 成形勢

| |

内容 ・ Threat Lovel

1

変化ない

2 特記事項 | 「 竹にし

1 ) 旧税製球対応

サマーワ館内等の治安値勢 、 デモ情報 。 英豪軍の付勢判断等 ( 2 ) 業務以座等

| 日豪共同練限速 、 明日以降の春草支展要請関連 、 黒支隊長 ・ 政策アドバイザー等キャンプスミッティ 3 和の諸務 訪問関連

( 15日 ) 、 TFMCIMICチームサマーワ宿営地訪問関連

空請関連特 ( 3 ) 各種ミーティング等

英术中作出非加

( 1 ) 市税要求対応等 4 明日の予定 ( 2 ) 谷根実務調査等

( 3 ) 各一ティング特

明日の射撃訓韓 . 5 その他 ( 備考 )

なし

|

.


バスラ日誌 ( 2006年6月15日 )

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バスラ日誌 ( 6月15日 ) - 142号一

1 バスラLO趣4名は 、 J2に1名 、 J3に2名 、 J9に1名という基本任務は細リ分けているが 、 努めて縦割りにならぬようにして 、 離でも代わりが勤まるように業務要領の普及をし 、 情報交換を 新繁に実施している 。 サマワからの連絡についても離でも対応できるようにして 、 誰かがいないか 」 ら調整できないという事はないよう努力してきたつもりである 。 それでも , 申し送りが漏れていた リして 、 調整をしばらく待ってもらったり 、 逆務受領済みの内容を再度確認したりといった事が あったことも事実である 。 また , J9 ・ 17関係の情報と長期的計画に関わる車項について専門的 に見てきたや 、 情報を担当し 、 定点監視を続けてきて 、 かなり門的知識を身につけた J2の いないと 、 たまに代行する私や ( J3グループ ) には難しい事項もあ る 。 各々がより詳しい知識を持ち 、 より高度な調整を実施できるよう努力しながら 、 相互の業務に ついても連携を深め 、 先行性 ・ 継続性 ・ 適時性に富んだLO業務を実施していきたいと思う 。 特に これから抱える大仕事に館僧をきたすことがないようにしたい 。 我々は 、 1つのチームとして仕事

をしている 。 2 一昨日から探りを入れ始めた砲兵関連情報については 、 英陸軍全体で3個中隊しか保有していな 「 い砲兵情報中隊の中でもイラク戦争時唯一イラクに展開していたK中隊が 、 現在MND ( SE ) 作戦地域に展画しているという幸運にも恵まれて , その中隊長である

から直接 、 大変興味深い情報を把関することができた 。 明日もう一度お邪対して 、 イラク戦争時の教訓事項等 も教えてもらうことになっているので 、 それを付け加えれば結捕りっばな資料になるのではないか と思っている 。 表紙には 『 バスラLO斑一 ・ クウェート日誌と交換 」 という表題を付し 、 情報要求に 全て回答した資料を明後日までには送れそうなので , クウェートLOにおかれましては 、 原稿を準 備してお待ち頂きたい 。 鑑定に出せば 、 恐らく日誌3日分くらいの価値はあると判定して頂けるの ではないか思う 。 3 本日快晴 。 バスラ4名 、 留めて健康 。

スミッティLO日々業務報告 ( 6月15日 ) ] ●

… .

ar +

… … … …

:

分 」

1

皮肉動等

2 特記事項

a 本日の業務

Threat Level ( 1 ) AMTG3CO ・ ★POLAD等がサマーワ自営地を訪問 、 群長 ・ 薬支隊長 ・ 恵策アドバイザー等と食設を実施 ( 2 ) 亀支隊長 ・ 政策アドバイザー等がキャンプスニッ庁を訪問 、 TFMCO ・ 英POLAD等と会開を実施 ( 1 ) 情報要求対応等 | サマーワ市内等の治安情勢 , デモ情報 、 英転車の情勢判断等 ( 2 ) 各理業務飼壁等

JX関連 ( リ時間調整 ) 、 AMTG3Co ・ 善POLAD等サマーワ宿営地訪問関連 、 東支隊長 ・ 及葉アドバイ

ザー等キャンプス足シティ訪問出題 , TFMCIMICチームサマーワ宿営地訪問関連 ( 19日 ) 、 明日以降の事 * 軍支担要底関連

進 、 家軍との共同要領関連 、 英率 ( IP ) 依頼事項関連等 ( 3 ) 各種一ティング等

英法军作社会科参加 ( 1 ) 电要求的店等 ( 2 ) 各種業務動態等 ( 3 ) , 客一ティング等 ( 1 ) 業支カウンセラ がキャンプスミッテを訪問 、 カウンリングを探歯 ( 2 ) 明日の射撃陣

| | 4

明日の予定


バグダッド日誌 ( 2006年6月16日 )

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バグダッド 日 誌 ( 6月16日 )

○サマーワあってのバグダッドを実感 6月13日 、 MNC - 副司令官 「 のサマーワ視察に

が同行した 。 この訪問の調整の 段階から群長が直接バグダッドに電話して下さり 、 バグダッドで不足して困っているものがないかを確認してくれた 。 群長は各国の連絡幹部を統括するコアリション ・ オペレーション前部長

が帰国される際 、 フェアウェ ル ・ パーティーの贈り物で我々が困ったことをすでに承知されており 、 VIP用の記念品やコアリションLOへ任務終了時 に渡すためのメダル等を沢山持たせてくれ 、 本当に有り難く思っております 。

またサマーワから 、 煎餅 ・ 赤飯 ・ サンマの缶詰 ・ スルメ等絶対ここでは手に入らない日本食を段ボール一杯に準備し てくれた 。 マルタイの即席生ラーメンまで入っており 、 何か良いことがあった時に皆で食べようと今から楽しみにしてい る 。 更に6月12日に実施されたワールド ・ カップ ・ サッカーの日豪戦のビデオをサマーワ広報が準備してくれ 、 昨日皆 でビデオ観戦し 、 当日の興奮を味わうことが出来た 。 特に国歌斉唱のシーンは目頭が熱くなるほど感動した 。 さて 、 肝心のサマーワ訪問は 、 大成功で

が直々に私を呼び感謝の言葉をかけてくださった 。 はイラクにあるすべてのキャンプを視察し 、 サマーワが最後の訪問地であった 。 少将曰く 「 お世辞ぬきに 、 サ マーワの訪問は最高であった 。 サマーワ宿営地の施設 ・ 装備等も素晴らしかったが 、 なにより日本人のホスピタリティ に最も感動した 。 」 と両手で私の手を握り 、 くれぐれも群長に宜しく伝えて欲しいと言っておられた 。 この場をお借りして 紹介いたします 。 多国籍軍司令部内でのサマーワ宿営地の評判はすこぶる良く 、 あまり顔をよく知らない将官 ・ 大佐から 「 次はいつサ マーワ訪問があるの ? 」 と唐突に聞かれることがある 。 どうも便乗してサマーワを訪問してみたいようだ 。 ともあれ

の訪問 ( 6月9日 ) に引き続く多国籍軍からの訪問で 、 サマーワの皆様には準備等大 変であったと思います 。 本当にどうも有り難うございました 。 サマーワの良い噂で 、 またまた我々バグダッド連絡班は 鼻高々です 。


バスラ日誌 ( 2006年6月16日 )

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バスラ日誌 ( 6月16日 ) - 143号 - -

1 こちらに来た当初 、 「 日本隊の撤収はいつだ ? 」 攻撃に晒され 、 『 I ' m Sorry . We don ' t Know yet . 』 を

り返していた 。 月1回のMJLC ( 兵站会議 ) に参加する度 、 長期計画担当J5の説明プレゼンの画面か らキャンプ ・ サマワが消え 、 「 3月一杯でサマワとスミッティは閉鎖する予定 」 などという説明を聞いて は 『 マジ ? 』 、 「 6月一杯でサマワとスミッティは閉鎖する予定 」 と聞いては 『 いや 、 まだそんな ? 』 と いう顔をしている私に 、 「 あくまでもコンディション ・ ベースだから心配しないで 。 日本隊の撤収まで英 ・ 豪軍は必ず支援するから 。 」 とこれまた毎回説明を挟んでくれていた

「 も帰国した 。 4月 の中旬頃からはイタリアの情勢が流動的となり 、 日本隊の早期撤収に対する諦めムードも加わって 、 質問 攻撃は殆ど無くなった 。 伊軍LOの 」

はその分忙しくなったようだが 、 申し訳ないが少しホッと していたのも事実である 。 6月14日に伊軍サッサーリ旅団からガリバルディ旅団への指揮転移も無事終 了し 、 彼も20日には帰国の途につく 。 MND ( SE ) としてイラク派遣英軍の主体をなしてきた 、 ドイ ツ駐屯第1機甲師団もまもなく交代すると聞いている 。 知っている顔が少しずつ代わっていくのも寂しい が 、 大規模な部隊交代によってごっそり人が入れ替わるのはさらに寂しさを増幅させる 。 我々も5ヶ月余 の月日をここで過ごし 、 少々愛着が湧いてきたのかもしれない 。 ( 日本に帰りたいという気持ちはそれを 上回っているけれども 。 ) ここ数日 、 また日本隊の動向に注目が向きだしてきた 。 今回は 、 「 いつ ? 」 と 受動的に聞かれるのではなく 、 「 このように考えているが 、 可能か ? 」 とかなり具体的で能動的である 。 話が現実味を帯びてきた ・ ・ ・ 。

2 クウェートからの日誌は楽しく読ませて頂いたが 、 まさか防大時代の関係を使って後輩に書かせるなん

て 。 まあ 、 1人で大変だろうし 、 毎日書くためには協力も必要だろうから 、 仕方がない 。 毎日書こうとい 「 う意欲が感じられる 、 と前向きに考えよう 。 昨日 、 情報は日誌3日分くらいの価値があると書いてしまっ たが 「 正したいと思う 。 毎日楽しみにしてるから 。

3 本日も快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。


バグダッド日誌 ( 2006年6月17日 )

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バグダッド 日 誌 ( 6月17日 )

●イラク陸軍司令部 、 NATOオフィスのあるビルディング ・ ゼロ パレス ( 多国籍軍司令部 ) のメイン ・ ゲートと駐車場を挟んだ正面に 、 イラク陸軍最高司令部とNATO事務所が所在す るビルディング ・ ゼロがある 。 ( ちなみにコアリション ・ オペレーション事務所はビルディング35 )

我々が到着した当初の2006年1月頃までは 、 気軽にこの建物内に入り 、 イラク陸軍司令部の様子を見ることができた 。 ( イラクの高級幹部がゆったりと勤務しているというイメージであった 。 ) ところが2月の終わり頃からセキュリティーが厳しくなり 、 物見遊山でこのオフィスには入ることはできなくなった 。 先日 、

が興味本位で中に入った瞬間に米軍勤務者数名に囲まれてしまい 、 どこに行きたいのか確認され 、 そのまま体 よく追い出されてしまった 。

昨日 、 親しくしていたルーマニアLOのフェアウエル ・ パーティーがあり 、 NATOのフェアウエルと合同で実施すると言う ことで 、 このビルディング ・ ゼロでパーティーが開かれた 。 ビルディング ・ ゼロに入った瞬間に米軍中佐が 「 May I help you ? 」 とすかさず近寄ってきた 。 ルーマニアLOのフェアウエルに来たことを伝えると 、 丁寧だが有無を言わさぬ態度で 中庭に案内された 。 中庭は外からは完全に隔離されており 、 木製のベンチや日よけのシートがあってとても雰囲気は良 かったが 、 結局建物内は廊下しか確認できなかった 。 ルーマニアLOは 、 NATOとコアリションの両方で勤務している 。 6ヶ月の勤務期間を終了し本国に帰ることとなった 。 任 務完遂を祝福し 、 無事の帰国を祈念した 。 コアリションの仲間達と勤務間の思い出話に花を咲かせていたが 、 少しだけ 違和感を感じた 。 どうもこの違和感は 、 すでにNATOの一員となっている国とNATOに加入するための実績作りのため にイラク ・ オペレーションに参加している国の間にあるような感じがした 。 またNATO加入を目指す国々はビルディング ・ ゼロに是非とも勤務したいと見ているようであった 。 NATOは現在ハンガリーの陸軍大佐がチーフとしてルーマニア 、 チェ 口等の国が勤務している 。 勿論米軍のスタッフがお目付役でサポートしている 。 ところで 、 フェアウエルにも 連れて行ったが 、 彼の好奇心はこの中庭では満足できず 、 トイレのついでにイラク 陸軍司令部を覗いたため米軍スタッフに注意されてしまった 。 の好奇心は留まるところを知らない 。


バスラ日誌 ( 2006年6月17日 )

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バスラ日誌 ( 6月17日 ) - 144号 -

1 国際捕鯨委員会 ( IWC ) 第58回総会が16日夜 ( 日本時間 ) 開幕した 。 カリブ海の島国セントクリ ストファー ・ ネビスにおいて5日間の日程で実施されるそうだ 。 イラクに来てまで日本の捕鯨問題が影響 するとは思わなかった 。 J3の無音声大画面に日本の捕鯨船が鯨を仕留める場面が映し出され 、 海面が血 で赤く染まっている 。 航空輸送調整担当

のブーイングに始まり 、 いつも親しく話しかけてく れる

も 「 鯨を捕るのは良くない 。 」 と言っている 。 『 日本人には 、 昔から鯨を食べる 習慣がある 。 野蛮だと思う ? 』 「 思う 。 」 『 でも 、 日本人も150年前までは 、 牛を食べるのは野蛮だと 思っていた 。 」 「 今は食べるだろ 。 」 『 150年前に西洋文明が入ってきてからだ 。 』 「 豚も食べなかっ たの ? 」 「 4本足の動物は食べなかった 。 魚と鳥だけだ 。 』 「 宗教的な理由か ? 」 『 仏教の影響かもしれ ない 。 日本人はみんなベジタリアンだった 。 』 「 でも敵はね 。 そんなにたくさん食べるのか ? 」 『 私は 、 もう何年も鯨を食べたことはない 。 殆どの日本人もめったに食べられない 。 』 「 特別の料理なんだね 。 」 ( 違 ~ う 。 私が小さい頃は庶民の料理だった 。 いつも鯨でイヤになったくらいだ 。 肉が高くて買えない とき 、 魚や鳥 、 鯨でタンパク質を摂っていたんだ 。 反捕鯨国がとらせてくれないから庶民には手が届かな くなってしまった ・ ・ ・ と言いたかった 。 ) もっとしゃべれたらちゃんと説明するのだが 、 英語に直せる 範囲で答えているので 、 かなり適当な説明だった 。 でも良かったかもしれない 。 英国が反捕鯨国の親分と は知らなかった 。 あまり余計なことを言って 、 ヘリ支援を減らされたら困るから 。 2 バスラエアーステーションの食堂には 、 食堂に対する意見を書くノートが置いてある 。 このノートに 、 「 改善を求める意見を書くと 、 食堂の対応が迅速ですぐに改善される 。 例えば 、 今までなかったテーブルク ロスを設置したり 、 サラダドレッシングの種類 ( マヨネーズとマスタードが増加 ) を増やしたり 、 そして 料理の味をかえたりと急速に改善される 。 さすが民間会社 ( KBR ) と思うとともに 、 私も業務において 改善できる点はすぐに改善しなければならないと感じさせられた 。 3 遅くなりましたが 、 クウェート分遣班 お誕生日おめでとうございます 。 こちらでも昨日

の誕生日でした 。 本日快晴 、 ここ数日 、 朝晩涼しく過ごし安し 。 バスラ4名 、 極めて健康 。 因みにエリザベス女王もお誕生日 。 80歳とのこと 。


バグダッド日誌 ( 2006年6月18日 )

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「 バグダッド 日 誌 ( 6月18日 )

Oコアリション副部長 | ファアウエル ・ パーティー 昨日コアリション ・ オペレーション部副部長 のフェアウエル ・ パーティーが実施された 。 「

は は 多変な親日 ・ 知日家で時計はセイコー 、 ジョギング ・ シューズはミズノ 、 アメリカの自宅の乗用車はト日タ 、 ボートのエン ジンはヤマハ等々とにかく日本の製品を愛している 。 好きなのは日本製品ばかりではない 。 横田で勤務したことがあ り 、 日本人の礼儀正しさや元帳面さから 「 日本 」 を大変信用してくれている 。 他のコアリションLOがいない時は 「 Most | favorite coalition country , Japan ! 」 と言って 、 大佐のオフィスに私を招待し 、 日本に勤務していた当時の思い出話に 花を咲かせていた 。 大佐は日米同盟の重要性を強調してくれる心強い理解者である 。

は私が調整で困っている時など何度も骨を折ってくれた 。 特にバグダッド到着当初に調整が上手くいか なくて意気消沈していた私を心配して 、 わざわざ日本隊コンテナまで励ましに来てくれたこともあった 。 また私が実施し た調整に誤解が生じて 、 コアリション内で大変な思いをしたことがあったが 、 この時も

は 、 「 俺はもう定年 退官を迎える 。 この誤解の責任は俺がとるから心配するな 。 」 と私を守ってくれる親分肌の頼もしい上司であった 。 今 思い返しても語り尽くせない思い出が蘇ってくる 。 「 エイプリル ・ フール 」 で騙されたり 、 オフィス内でアメフト ・ ボールで キャッチ ・ ボールをしていてプリンターを壊してしまったのも

との良い思い出である 。 は 、 今回の任務が終了後所属部隊のドイツに一旦戻り 、 その後アメリカに帰国し定年退官を迎えると 自分では言っている 。 ( 私は是非将官に昇任して勤務を続けて欲しいと思っている 。 ) イラク任務終了後もお互いに連絡を取り合い 、 アメリカ ・ 日本を訪問した際は必ず遊びに行くことを約束した 。 私がア メリカを訪問した際は 「 トヨタのピック ・ アップ ・ トラックで海に行き 、 ヤマハのプレジャー ・ ボートで釣りをして 、 寿司を食 べよう 。 」 と嬉しいことを言ってくれる 。 ここでの付き合いは一生ものだと 、 つくづく有り難く感じている 。 また今回のフェアウエル ・ パーティーでは 、 サマーワから送って頂いた記念品を渡すことができ 、

も大変 感動していた 。 いつもながらサマーワには感謝している 。


バスラ日誌 ( 2006年6月18日 )

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バスラ日誌 ( 6月18日 ) - 145号一

1 群馬県草津町中沢町長がサマワに 「 湯ノ花 」 を贈呈するとのことで 、 温泉もいいなと思っている 。 どち らかというと 「 鳥の行水 」 派で家族で温泉に行くと 、 いつもまだ上がってこないのかなと外で待つことが

多かったけれど 、 帰ったら1日中温泉につかりに行きたいと思う 。 暑い日には ( いつも暑いけど ) 、 手軽 に利用できるシャワーの方が便利だが 、 たまにはゆっくり湯船につかりたいと思うのは日本人だから仕方 がない 。 バスラLOの合言葉は 、 『 頑張ろうバスラ 、 苦しい時は笑顔で ! 』 であったが 、 『 帰ったら温泉 に行くぞ1 』 に変更しようと思う 。 2 「 MJLC ( 兵站会議 ) をサマワで開催したい 。 」 という要望を受け 、 第4科長を通じて調整してきた 。 ・ 今のところ実行可能という返事をJ1 / 4には伝えてある 。 昨日もその調整をしようとしたところ 、 先方 から 「 状況が変わり 、 日本隊は多忙な時期を迎えるだろう 。 そのような状況下においてMSLCの受入を お願いするには忍びない 。 現在バスラに開催地を変更することを検討している 。 」 と言われた 。 師団司令 部の日本隊への心遣いには大変感謝している 。 日本隊の撤収を成功させることが師団にとっても重要な鍵 となることから 、 航空機 ( 英軍ヘリ 、 米軍ヘリ及び英軍C130を含む 。 ) の輸送調整にも応じてくれる ということは既に報告済みである 。 また 、 他の部署の方々からも可能な限りの支援を実施する旨お言葉を

頂いている 。 『 MJLC受入については 、 今のところ受入態勢を縮小して実施できないか調整中 』 である ことを申し上げておいた 。 最悪受入をお断りすることになっても問題は生じないと思う 。 ただ 、 師団兵站

部門の長J1 / 4部長以下が訪問することは 、 最終的な調整のためにも良いかもしれない 。 3 英国エリザベス女王の誕生日に伴い 、 英国の叙勲者が発表された 。 イラクで勤務している英国軍の中に も今回叙勲された方がいたようで 、 師団司令部の掲示板に掲示された ( OBEが2名 、 MBEが3名 ) 。 残念ながら 、 MND ( SE ) 師団司令部の中にはいないようだが 、 受勲者には心から 「 おめでとうござい ます 。 」 と言いたい 。 .

4 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。

スミッティLO日々業務報告 ( 6月18日 )

区 分 1 警戒態勢等

2 特記事項

内 容 変化なし 。

Threat Level 本日未明 ( 0341頃 ) に発生したキャンプスミッティに対するIDF攻撃と考えられる事案に関して重点的に 情報収集を実施 | ( 1 ) 情報要求対応等

キャンプスミッティに対するIDF攻撃と考えられる事案に関する情報 、 サマーワ市内における爆発音発生

事案に関する情報 、 サマーワ市内等の治安情勢 、 デモ情報 、 英豪軍の情勢判断等 ( 2 ) 各種業務調整等 ・ J2 ( 時間変更等 ) 関連 、 業支隊長 ・ 政策アドバイザー等キャンプスミッティ訪問関連 ( 21日 ) 、 TFMCIMICチームサマーワ宿営地訪問関連 ( 19日 ) 、 明日以降の森軍支援要請関連 、 「 計画

関連 、 素寧依頼 ( 質問 ) 事項関連等 ( 3 ) 各種ミーティング等

英素軍作戦会議参加

3 本日の業務

4 明日の予定

( 1 ) 情報要求対応等 ( 2 ) 各種業務調整等 ( 3 ) 各種ミーティング等

明日の射撃訓練

5

その他 ( 備考 )

なし

ーーー


バグダッド日誌 ( 2006年6月19日 )

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バグダッド 日 誌 ( 6月19日 )

Oマリキ首相 、 ムサンナ県治安権限の移譲を発表

がロイターが発表したのをいち早くインターネットで見つけ 、 報告してくれた 。 早速日本コンテナのテレビを日 BCに変えたが確認できず 、 日本時間の夜7時のNHKニュースで初めて確認できた 。 バグダッド連絡班一同気を引き 締めてニュースを見ながら 、 今まで以上に気を引き締め 、 抜かりのないように業しようと皆で誓い合った 。

Oコインを眺めながら . . | 米軍将兵は自分の所属部隊のコインを常に携行し 、 バーなどの盛り場で挨拶する際には所属部隊のコインをテー ブルの上に出して己紹介代わりにするそうである 。 この時にコインを忘れた人は 、 無粋だとして全ての勘定を支払 わされるそうだ 。 「 バグダ州においても少なからずコインを貰ったり 、 渡したりする機会がある 。 コインを渡す時には基本的なルールが

あり 、 「 親友関係 」 になった時や 「 本当にお世話になった時 」 に初めて渡す 。 つまり 、 初対面の方に挨拶代わりに渡すと いうのではなく 、 「 親友となり 、 お前は自分の部隊の同僚と変わらず気が置けない 。 」 または 、 「 お世話になった 。 お前 | は俺達の仲間だ 。 」 と認識して渡すものである 。 ・ 日本からサマーワへ高官が訪問する際 、 色々な部署にお世話になる 。 高官の訪問が滞りなく終わってから 、 「 日本 、 からの高官訪問を 、 あなたのお陰で無事終了できました 。 有り難う 。 」 とコインを渡すと 、 渡された方も 『 自分の仕事が 役にたった 。 」 と認識して本当に喜んでくれる 。 また任務終了を間近に控えたコアリションの親友に 「 お前は俺の一生 の友人だ ! 」 とコインを渡すと 、 渡された方も 「 日本隊の友人 」 となれたことを誇りに思ってくれる 。 これらコインは出国 前に業務支援隊1料が準備してくださり 、 そのお陰で業務が円滑に実施できている 。 また2次群 、 10次群のコインも 追加で送っていただき 、 お世話になった方々に不電理とならないで居られ 、 感謝している 。 . .

我々バグダッド連絡班も 「 仕事 」 、 「 人間関係 」 を通じて少なからずコインを貰うことが出来た 。 一個一個に思い出が 、 あり 、 コインを眺めながら 「 今までしてきた仕事 」 や 「 友人 」 の顔を思い出し 、 また誇りに思うことができる 。 残された期間 、 「 コイン 」 を渡したり 、 買ったりできる 「 友人 」 をつくり 、 感謝される 「 仕事 」 を引き続き実施していきたい 。

バスラLO日々業務報告 ( 6月19日1900 )

|

バスラ空港

.

| 1 警戒態勢

( 警戒態勢 ) :

12 特記事項

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応

SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 ED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ 夕会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議 ・ ( 4 ) 航空輸送調整等

4

明日の予定

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 | ( 2 ) 定例会議出席 ( 3 ) 航空輸送調整等

5 その他 ( 備考 )

-


バグダッド日誌 ( 2006年6月19日 )

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| バグダッド 日 誌 ( 6月18日 )

Oコアリション副部長 1ファアウエル ・ パーティー 昨日コアリション ・ オペレーション部副部長

のフェアウエル ・ パーティーが実施された 。 多変な親日 ・ 知日家で時計はセイコー 、 ジョギング ・ シューズはミズノ 、 アメリカの自宅の乗用車はトヨタ 、 ポートのエン ジンはヤマハ等々とにかく日本の製品を愛している 。 好きなのは日本製品ばかりではない 。 横田で勤務したことがあ り 、 日本人の礼儀正しさや八帳面さから 「 日本 」 を大変信用してくれている 。 他のコアリションLOがいない時は 「 Most favorite coalition country , Japan ! 」 と言って 、 大佐のオフィスに私を招待し 、 日本に勤務していた当時の思い出話に 花を咲かせていた 。 大佐は日米同盟の重要性を強調してくれる心強い理解者である 。

は私が調整で困っている時など何度も骨を折ってくれた 。 特にバグダッド到着当初に調整が上手くいか . . なくて意気消沈していた私を心配して 、 わざわざ日本隊コンテナまで励ましに来てくれたこともあった 。 また私が実施し た調整に誤解が生じて 、 コアリション内で大変な思いをしたことがあったが 、 この時も

は 、 「 俺はもう定年 退官を迎える 。 この誤解の責任は俺がとるから心配するな 。 」 と私を守ってくれる親分肌の頼もしい上司であった 。 今 思い返しても語り尽くせない思い出が蘇ってくる 。 「 エイプリル ・ フール 」 で騙されたり 、 オフィス内でアメフト ・ ボールで キャッチ ・ ボールをしていてプリンターを壊してしまったのも

との良い思い出である 。 ・ は 、 今回の任務が終了後所属部隊のドイツに一旦戻り 、 その後アメリカに帰国し定年退官を迎えると : 自分では言っている 。 ( 私は是非将官に昇任して勤務を続けて欲しいと思っている 。 ) 「 イラク任務終了後もお互いに連絡を取り合い 、 アメリカ ・ 日本を訪問した際は必ず遊びに行くことを約束した 。 私がア メリカを訪問した際は 「 トヨタのピック ・ アップ ・ トラックで海に行き 、 ヤマハのプレジャー ・ ボートで釣りをして 、 夢司を食 ・ べよう 。 」 と嬉しいことを言ってくれる 。 ここでの付き合いは一生ものだと 、 つくづく有り難く感じている 。 また今回のフェアウエル ・ パーティーでは 、 サマーワから送って頂いた記念品を渡すことができ 、

も大変 感動していた 。 いつもながらサマーワには感謝している 。


バスラ日誌 ( 2006年6月19日 )

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バスラ日誌 ( 6月18日 ) - 145号

1 群馬県草津町中沢町長がサマワに 「 湯ノ花 」 を贈呈するとのことで 、 温泉もいいなと思っている 。 どち らかというと 「 鳥の行水 」 派で家族で温泉に行くと 、 いつもまだ上がってこないのかなと外で待つことが 多かったけれど 、 帰ったら1日中温泉につかりに行きたいと思う 。 暑い日には ( いつも暑いけど ) 、 手軽 に利用できるシャワーの方が便利だが 、 たまにはゆっくり湯船につかりたいと思うのは日本人だから仕方 がない 。 バスラLOの合言葉は 、 『 頑張ろうバスラ 、 苦しい時は笑顔で ! 』 であったが 、 『 帰ったら温泉 に行くぞ ! 』 に変更しようと思う 。 2 「 MJLC ( 兵站会議 ) をサマワで開催したい 。 」 という要望を受け 、 第4科長を通じて調整してきた 。

今のところ実行可能という返事をJ1 / 4には伝えてある 。 昨日もその調整をしようとしたところ 、 先方 がら 「 状況が変わり 、 日本隊は多忙な時期を迎えるだろう 。 そのような状況下においてMJLCの受入を お願いするには忍びない 。 現在バスラに開催地を変更することを検討している 。 」 と言われた 。 師団司令 部の日本隊への心遣いには大変感謝している 。 日本隊の撤収を成功させることが師団にとっても重要な鍵 となることから 、 航空機 ( 英軍ヘリ 、 米軍ヘリ及び英軍C130を含む 。 ) の輸送調整にも応じてくれる ということは既に報告済みである 。 また 、 他の部署の方々からも可能な限りの支援を実施する旨お言葉を

頂いている 。 『 MJLC受入については 、 今のところ受入態勢を縮小して実施できないか調整中 』 である ことを申し上げておいた 。 最悪受入をお断りすることになっても問題は生じないと思う 。 ただ 、 師団兵站

部門の長J1 / 4部長以下が訪問することは 、 最終的な調整のためにも良いかもしれない 。 3 英国エリザベス女王の誕生日に伴い 、 英国の叙勲者が発表された 。 イラクで勤務している英国軍の中に も今回叙勲された方がいたようで 、 師団司令部の掲示板に掲示された ( OBEが2名 、 MBEが3名 ) 。 残念ながら 、 MND ( SE ) 師団司令部の中にはいないようだが 、 受勲者には心から 「 おめでとうござい ます 。 」 と言いたい 。

| 4 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。

「 スミッテLO日々業務報告 ( 6月18日 )

区 分 |

容 i 警戒態勢等 | 変化なし :

Threat Level 本日未明 ( 0341頃 ) に発生したキャンプスミッティに対するIDP攻撃と考えられる事案に関して重点的に 」 2 特記事項 *

情報収集を実施 ( 1 ) 情報要求対応等

キャンプスミッティに対するDF攻撃と考えられる事案に関する情報 、 サマーワ市内における爆発音発生

事案に関する情報 、 サマーワ市内等の治安情勢 、 デモ情報 、 英豪軍の情勢判断等

( 2 ) 各種業務調整等 13 本日の業務

J2 ( 時間変更等 ) 関連 、 業支隊長 ・ 政策アドバイザー等キャンプスミッティ訪問関連 ( 21日 ) 、 TFMCMICチームサマーワ宿営地訪問関連 ( 19日 ) 、 明日以降の豪軍支援要請関連 、 「 計画 」

関連 、 豪軍依頼 ( 質問 ) 事項関連事 ( 3 ) 各種ミーティング等

英豪軍作戦会議参加

( 1 ) 情報要求対応等 14 明日の予定 | ( 2 ) 各種業務調整等

( 3 ) 各種ミーティング等

明日の射撃訓練 5 その他 ( 備考 )

なし


バグダッド日誌 ( 2006年6月19日 )

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「 バグダッド 日 誌 ( 6月19日 )

Oマリキ首相 、 ムサンナ県治安権限の移譲を発表

がロイターが発表したのをいち早くインターネットで見つけ 、 報告してくれた 。 早速日本コンテナのテレビを組 | | BCに変えたが確認できず 、 日本時間の夜7時のNHKニュースで初めて確認できた 。 バグダッド連絡班一同気を引き 締めてニュースを見ながら 、 今まで以上に気を引き締め 、 抜かりのないように業務しようと皆で誓い合った 。 ・

Oコインを眺めながら . . 「 米軍将兵は自分の所属部隊のコインを常に携行し 、 バーなどの盛り場で挨拶する際には所属部隊のコインをテー ブルの上に出して自己紹介代わりにするそうである 。 この時にコインを忘れた人は 、 無料だとして全ての勘定を支払 ・

わされるそうだ 。 「 バグダッドにおいても少なからずコインを貰ったり 、 蔑したりする機会がある 。 コインを渡す時には基本的なルールが

あり 、 「 親友関係 」 になった時や 「 本当にお世話になった時 」 に初めて渡す 。 つまり 、 初対面の方に挨拶代わりに渡すと いうのではなく 、 「 親友となり 、 お前は自分の部隊の同僚と変わらず気が置けない 。 」 または 、 「 お世話になった 。 お前 、 は俺達の仲間だ 。 」 と認識して選すものである 。 ・

日本からサマーワへ高官が訪問する際 、 色々な部署にお世話になる 。 高官の訪問が滞りなく終わってから 、 「 日本 からの高官訪問を 、 あなたのお陰で無事終了できした 。 有り難う 。 」 とコインを渡すと 、 渡された方も 『 自分の仕事が 」 役にたった 。 」 と認識して本当に喜んでくれる 。 また任務終了を間近に控えたコアリションの親友に 「 お前は俺の一生 の友人だ ! 」 とコインを渡すと 、 渡された方も 「 日本隊の友人 」 となれたことを誇りに思ってくれる 。 これらコインは出国 前に業務支援隊1科が準備してくださり 、 そのお陰で業務が円滑に実施できている 。 また2次群 、 10次群のコインも 追加で送っていただき 、 お世話になった方々に不義理とならないで居られ 、 感謝している 。 「 我々バグダッド連絡延も 「 仕事 」 、 「 人間関係 」 を通じて少なからずコインを貰うことが出来た 。 一個一個に思い出が あり 、 コインを眺めながら 「 今までしてきた仕事 」 や 「 友人 」 の顔を思い出し 、 また誇りに思うことができる 。 残された期間 、 「 コイン 」 を渡したり 、 貰ったりできる 「 友人 」 をつくり 、 感謝される仕事を引き続き実施していきたい 。

バスラLO日々業務報告 ( 6月19日1900 )

区 、

バスラ空港

华液態勢

( 警戒態勢 ) ;

2

特記事項

Eg : 1

3 本日の業務

6 . 2 88m 2 の

情報要求对灾 ・ SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 IED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ 夕会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議 ( 4 ) 航空輸送調整等

|

| 4 明日の予定

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 | ( 2 ) 定例会議出席 ( 3 ) 航空輸送調整等

5 その他 ( 備考 )


バグダッド日誌 ( 2006年6月20日 )

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| バグダッド 日 誌 ( 6月20日 )

O陸自撤収発表後の反応 ・ t陸自のイラク撤収発表のニュースをコアリション各国が認識しはじめたのはパグダッドの午後のことで確認の電話が

相次いだ 。 朝の指揮官報告 ( RUA ) で度々陸自撤収に関する報道を紹介しており 、 その度にコアリション各国LOからの事実確 認に対して 「 正式な発表は何らなされていない 。 」 と回答してきただけに 、 今回の反応は 、 「 日本のプライム ・ ミニスター が発表したとの報道があるが今度こそ本当か ? 」 というものであった 。 米 ・ 英 ・ 豪以外のコアリションの国々から午後に

なって頻繁に事実確認の電話があり 、 日本の動向に対する関心の高さを実感した 。 「 コアリション各国LOの印象は一様に 「 日本が徴収すると聞いて残念に思う 。 」 というものであったが 、 「 空自は引き続 きイラク支援を実施する 。 」 ことを伝えると 「 それは良いニュースだ 。 」 と非常にポジティブな反応が返ってくるのが印象

的であった 。 「 日本隊と多国籍軍の間の連絡調整を任務とするナショナルLo4

の上司 MNF - 1コアリション ・ オペ レーション部長

( 伊 ) に対して小泉首相の発表を確認してから事実を報告すると 、 開口一番 「 バグダッド のLOも撤収するのか ? 」 と心配された 。 私が 「 引き続きパグダッドLOは派遣される予定です 。 」 と答えると 「 Good . News ! 」 と大変喜んでくれていた 。 蛇足ながら陸自の微収報道をいち早く確認してきたのは であり 、 日本に対する関心の高さはいつもながら 感心している 。 ともあれ 「 立つ鳥跡を濁さず 」 の諺どおり 、 引き続き平常心で正確かつ精度の高い仕事ができるよう努れていきた

い 。

バスラLO日々業務報告 ( 6月20日1900 )

|

・ 分

バスラ空港

「 警戒態勢

( 警戒態勢 ) :

eg

2 特記事項

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応

SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MNDISE ) の将来計画 、 ED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ 夕会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会識 、 ( 4 ) 航空輸送調整等

4

明日の予定

( 1 ) 情報要求对本 、 定例情報收集

( 2 ) 定例会議出席 | | ( 3 ) 航空輸送調整等

5 その他 ( 備考 )


バスラ日誌 ( 2006年6月20日 )

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[ MND - SE管内の状況

バスラ日誌 ( 6月20日 ) - 147号

1 昨日マリキ首相がムサンナ県の治安権限移譲について発表したことを受けて 、 日本政府は撤収を 、 正式に決定し 、 防衛庁長官から撤収命令が出た 。 この日が何時になるのか 、 あるいはまだまだ時間

を要するのか 、 つい最近まで勢の中であったが 、 2週間程前から少しずつ話が具体化してきたと 思っていたら 、 あっという間に決着してしまった 。 いよいよ最終局面に入るわけであるが 、 これま で以上に英 ・ 豪軍現地部隊及び師団司令部等との緊密な調整を要する作戦であることから 、 本隊の 最後の1人がクウェートに到達する迄 、 全力を尽くして任務に邁進したい 。

新聞報道等によると本日イラク時間午前中にも小泉首相が我々の撤収を発表する予定であるとい うことは 、 師団の主要な方々には伝達済みであった 。 また 、 師団会議において 、 日本隊の撤収を首 相が発表したこと 、 日本隊の撤収計画については今後調整していくこと 、 これまでの支援に対し心 から感謝申し上げるとともに 、 今後の作戦に対するご支援をよろしくお願いしたいということを述 べ 、 詳細は 、 隊長がバスラに来て説明する予定であることを伝えた 。 団長は 、 日本隊の活動を評 価するとともに今後必要な支援を提供する用意があることを述べられた後 、 日本語で 「 ありがと う 。 」 と言われた 。 2 吉田兼好の徒然草第109段に 「 高名の木登り 」 という話がある 。 木登りの名人が人を木に登ら

せて 、 高いところに登っているときは何も言わないでおいて 、 「 軒たけばかりになりて 、 あやまち すな 、 心して降りよ 。 」 と言葉をかけた 。 これを見ていた人が 、 なぜ飛び降りることもできる高さ になって注意するのかと聞いたところ 、 「 目くるめき桜危うきほどは 、 己が恐れ侍れば申さず 。 あ やまちは 、 安き所になりて必ず仕る事に候 」 と言ったという話である 。 小学校か中学校の時に教科 書に載っていたので知っている人も多いと思う 。 2年半の活動を通じて 、 常に緊張感をもって業務 に精励されてきた諸先輩の努力を引き継ぎ 、 最後の局面に立ったときに 、 撤収作戦を 「 安き所 」 と 思う人はいないけれども 、 本隊が最後まで無事に任務を完遂できるように 、 4人で力を合わせ 、 少 しでもお役に立てるよう努力したい 。

3 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。


バグダッド日誌 ( 2006年6月21日 )

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OUTLOOK :

| バグダッド 日 誌 ( 6月21日 )

Oロス五輪柔道選手 米陸軍

安慶名 : 沖縄によくある名前 ) 昨日食堂 ( DFAC ) で 、 ある日系の米陸軍大佐が私と に話しかけてきた 。 「 私は防団50期一般課程を卒業し した 。 」 と完璧な日本語である 。 この

は北部方面総監部で米軍連絡官も努めた経験があり 、 自衛官がバ 、 グダッドで勤務しているのを見て 、 多少驚いた様子で 、 また懐かしそうに語りかけてきた 。 「 一緒に食堂の席に着き食事をはじめたが 、 まず私の耳が潰れているのに気づいて 、 「 新道か 、 ラグビーをしていたの ですか ? 」 と質問された 。 「 柔道です 。 」 と答えると一気にうち解けた 。

はロス ・ アンジェルス ・ オリンピックで楽 道65Kg以下級の米国代表で出場しており 、 国民栄誉賞の柔道 ・ 山下氏 ( ロス五輪金メダリスト ) とも知り合いだそうだ 。 柔道選手現役当時は名門東海大学 、 明治大学や警視庁に何度も練習に行ったという 。 また防衛大学の柔道部OBに ついても何人も知っていた 。 特に北部方面総監部勤務当時の名前は忘れてしまったけれども 、 素晴らしい柔道家と良 い酒飲み仲間だったという 。 恐らく師団長になっているはずだと言われ 、 思いつく名前を言ってみてくれという 。 先輩 ? 」 といってみたが 「 違う 」 と言われ 、 「 頭は 、 バーコードだ ! 」 ( 本人のコメントのまま ) すかさず 」 先輩 」 す みません ) と答えると 「 その通りだ ! 」 と言う 。 また次群長の小野寺1佐とも米国ヤキマ演習場の調整をして良く知っていると言う 。 世界は本当に狭いものである 。

はキャンプ ・ ヴィクトリーから東15kmに位置するインターナショナル ・ ゾーンで勤務されている 。 昨日 は会議参加のため偶然ここに来ていたそうだ 。 MNSTC ( Multi - National Secury Transition Corp ) というイラク警察を 育成する部署で勤務しており 、 バグダッドに到着して1ヶ月前が過ぎたという 。 派遣期間は1年だそうだ 。 今年の12月ま でにイラク警察が責任を果たせるまでに育成できないと 「 切腹 」 ものなのだと言っている 。 その仕草がまた堂に入ってい て面白い 。 お互いにすっかり意気投合し 、 時が経つのを忘れて話していると 、 食堂を管理している米陸軍軍苗が申し訳 なさそうに 「 そろそろ食堂を閉める時間なのですが . . 」 と指導されてしまった 。 ともあれ人の緑の深さにつくづくと感動し 、 また日本隊の素晴らしい理解者を得て勇気百倍である 。

この


バスラ日誌 ( 2006年6月21日 )

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バスラ日誌 ( 6月21日 ) - 148号 - |

1 J2 AEC 伍長 ・ 兵長の職務について

私が知をもらって勤務しているJ2ASCには 、 伍長 ・ 兵長が男女併せて約6名ほどいる 。 彼らは 、 普段ウオッチキーパー ( 当直 ) として勤務したり 、 建築度のあまり高くないレポート ( 分析 、 評価資料 ) を作成している 。 彼らの職務をみて違和感を感じていなかったが 、 ふと自衛隊の陸士の職務内容を細って みるに 、 自衛隊の陸士と比観て彼らが高度な隣務を遂行していることに気付いた 。 ( もちろん自衛隊の

陸士も戦闘員として高度な露能 、 技術を有しているが … 。 ) まず 、 司令部要員として特に情報正面にお いて陸士が勤務していることは 、 ほとんど聞いたことが無いし 。 部隊においても 、 24 、 2体に陸士を配

置してそれなりに責任のある仕事を持たせているということは春闘であろう 。 おそらく 、 英軍が伍長 ・ 民 長にもある程度高度な職務を付しているのも 、 情報離種として必要な人材を育成にするには 、 時間を要 するからであろう 。 また 、 それは情報という職種の特性によるものかもしれない 。 J2担当のLOとして 、 情報の処理には携わっていないが 、 情報資料を情報に転換しうる情報処理能力のある人材を育成するに は 、 それ相応のノウハウと時間がかかることと情報が重要な戦力の一つであることとをJ2に在籍して感じ ている 。 軍曹になることが彼らの目下の悩みであるのは 、 自衛隊と同じであるが … 。

| - 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。

ミッティLO日々業務報告 ( 6月21日 ) ・

内 Threat Level

|

警戒態勢等

変化し 、

2 特記事項

3 本日の業務

業支2科長等がキャンプスマッティを訪問 、 MTG332 ・ 1GDGS2等と懇談を実施 「 ( 1 ) 情報要求対応等

R8沿いの不要物図書情報 、 キャンプスミッティに対するDF攻撃卒業関連情税 , サマーワ市内等の治安 1 情勢 「 デモ情報 、 英泰寧の情勢判断等 ( 2 ) 各授業務調整等

J2関連 、 JA関連 、 明日以降の深軍支援要請図速 、 日豪親善行事関連 , CME関連 , PDCC関違常 ( 3 ) 各一ティング等

ー 英築年年戦会議参加 。 ( 1 ) 情報要求対応等 ( 2 ) 各種業務調整等 ( 3 ) 各種ミーティング等 明日の射撃隊 RANGE3 : 英軍 ( 小火器 ) 0700 ~ 1700

4 明日の予定

5 その他 ( 備考 )

24

)


バグダッド日誌 ( 2006年6月22日 )

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「 JAM Update : 22 June

・ 「 Assessment

バグダッド 日 誌 ( 6月22日 ) |

O日本からの追送品最終便 ? 到着

昨日 、 日本からの5回目の追送品が到着した 。 バグダッドに到着して以来 、 不足 ・ 不便を感じると即座に対応して頂 、 きいつも恐縮している 。 「 今回 、 家族からの追送品の他に 、 掃除機 、 洗器セットを送って頂いた 。 最近は雨こそ降らないので半長靴に泥が付 き 、 それを部屋に持ち込み 「 尾だらけ 」 、 乾くと 「 砂だらけ 」 になることはなくなったが 、 砂望等で細かい砂が知らない間 にコンテナに入ってきて 、 皆がアレルギー性鼻炎のようになってしまい困っていた 。 これまでに米軍PXで数台 ・ 数種類 の掃除機を購入して使ってみたが 、 フィルターがあっという間に詰まってしまい 、 掃除機の電源を入れると返って掃除 機から砂埃が出てくる 。 砂は吸ってくれない 、 あげくの果てには壊れてしまい 、 結局ほうきで掃いたり 、 濡れタオルで拭 いたりしていた 。 最近は塔が鼻炎のため一日一箱ペースでティッシュ ・ ペーパーを消費していたほどだったが 、 送って

頂いた掃除機が早速効果を無揮し 、 昨晩はいつもより鼻づまりに悩まされなかったように感じた 。 「 茶器セットは 、 今まで多国籍軍から訪問者 ・ 調整相手が日本コンテナに来てくれた時 、 マグカップで日本茶 ・ 青茶等 を出しており 、 日本人的感覚からは何となく 「 しっくり 」 としなかった 。 時には大 ・ 将官クラスもくるのだが 、 これからは 送って頂いた茶器セットで 、 日本茶でのお持てなしを 「 しっくり 」 とでき 、 益々連絡調整素務が円滑にできると喜んでい

派遣元部隊 ・ 部署から沢山の日本食 ・ 雑誌等を送って頂き 、 更にワールド ・ カップ ・ サッカーの熱狂から完全に取り残 されている我々を気遣って 、 市ヶ谷留守業務センターからワールド ・ カップ ・ サッカーDVDを送付して貰った 。 我々のイ ラクでの勤務が沢山の方々に見守られ 、 支えられて実施できていることにつくづく感謝している 。 この感覚は 、 サッ カー日本代表が日本から12人目代表選手 「 サポーター 」 に後押しされ 、 頑張っているのと同じものだと勇気が涌いて くる 。

重ね重ね 、 日本からのご支援に対し 、 連絡致一同感謝申し上げます 。 最後まで油断することなく頑張ります 。 グダッド連絡致一同 )


バスラ日誌 ( 2006年6月22日 )

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バスラ日誌 ( 6月22日 ) - 149号 -

19日から21日にかけての3日間は 、 慌ただしく過ぎていった 。 早かったと思えば早かった のだが 、 たった3日間だったのだろうかという気もしないではない 。 色々な事が起こり 、 色々な ことを考え 、 色々なことを調整してきたので 、 3日前だがかなり前のことのような感じがする 。 本日 以下5名の方をバスラにお迎えして 、 明日師団司令部の主要な方々等との懇談を予 定している 。

2 今日 、 サッカー ・ ワールドカップの日本対ブラジル戦 。 できれば日本が3点以上の差で勝ち 、 クロアチアがオーストラリアに1点差で勝てば 、 2位で決勝に残れるのではなどと素人 & 希望的 観測で期待している 。 そんなに世の中うまくいくわけはないが 、 0 . 1 % の可能性でも期待して 応援したいと思っている 。 可能性でいけば 、 現在調整している色々な事項について 、 それぞれ努めて早急に目に見える形 で 、 実行の可能度について報告しなければならないと考えている 。 現在までのところ 、 ブラジル に挑む日本代表ほどは追いつめられてはいないが 、 なかなかの基題も抱えている 。 先走ってはい けないだろうし 、 かといって 、 時期を失すればできることもできなくなる 。 サマワ被の指示を 受けながら 、 本隊と師団との緊密な連携図り 、 聖者と目的を達成できるよう努めたい 。

|

|

本日快晴 。 バスラ9名 、 極めて健康 。

スミッティLO日々業務報告 ( 6月22日 )

|

' 区 分 . 1 警戒態勢等

| Threat Level

変化なし 。

2 特記事項

特になし

13 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応等

列ルAB付近におけるED音感情報 サマーワ市内等の治安情勢 、 デモ情報 、 英量車の情勢判断等 ( 2 ) 各種業務調整等

J9関連 、 明日以降の接軍支援要請関連 、 CME関連 、 PDCC関連 、 12日玉訪問関連 、 通信器材 「 磁収関連等 ( 3 ) 各種ミーティング等

英産軍作戦会議参加 ・ ( 1 ) 情報要求対応等 ( 2 ) 各種業務調整等 ( 3 ) 各種宏一ティング等 明日の射撃訓練 RANGE : CRG ( 小火器 ) 0730 ~ 1209 RANGE3 ・ 4 : 衛軍 ( 小火器 ) 0800 ~ 1409

| 4 明日の予定

その他 ( 備考 )


バグダッド日誌 ( 2006年6月23日 )

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「 バグダッド 日 誌 ( 6月23日 ) |

○ 陸自の活動に感謝するバグダッド ・ モスキートの声

昨日 、 インターナショナルゾーンで 、 多国籍軍情報部が定期的に 「 街の噂 」 を収集するモスキート ・ ミーティングに参 加した 。 本ミーティング 、 モスキート編集室の引越し作業があったためしばらく中断しており 、 今回が久しぶりの再開と なっていた 。 「 ミーティングが始まると 、 いつものようにシーア 、 スンニ 、 クルド等様々な “ モスキート ” たちが街でささやかれている噂 を順に報告 、 その後は 、 特定のテーマについての意見収集へと移った 。 今回のテーマは 、 先週米軍3名が犠牲となっ た襲撃事件 、 ザルカウイの後継者関連 、 街の治安状況等であった 。 これらに関する活発な意見を聞いていると 、 このと ころ撤収関連でなんとなく区切りのようなものを感じていた私には 、 変わることのないバグダッドの厳しい現状を再認識 させられることとなった 。 「 さて 、 ミーティングの最後に多国籍軍参会者からの質問時間となった 。 そこで私の方から 、 多少場違いかと思ったが 「 治安権限委譲に伴い陸上自衛隊が撤収するが 、 2年半に及ぶ活動の評価について聞きたい 」 とストレートに投げかけ た 。 すると 、 これまで3時間に亘るミーティングで多少疲れ気味であった彼らが 、 堰を切ったように一斉に大声で意見を 述べ始めた 。 その勢いは大変なもので 、 一斉に話すことから何やら聞き取れない 。 チーフもたまらず “ 1人ずつにしてく れ ! ” と叫ぶほどである 。 よく聞くと 「 日本は良くやってくれている 」 「 莫大な資金を投じて大きな発電所を作ってくれたと 聞いている 」 「 戦争に来たのではなく 、 技術者が沢山来てくれていると聞いている 」 等々 。 そして全員がロ々に陸自の活 動に感謝の言葉を述べている 。 ようやく 、 場が落ち着いたところで 、 1人の女性が締めくくるように 「 私達は本当に深く感 謝しています 。 イラクの国民は全員 、 日本人が大好きです 」 と意見を述べてくれた 。 私は 、 イラクの各層の人々全員から ポジティブな意見を 、 直接聴くことができ 、 胸を熱くするとともに 、 サマーワから遠く離れたバグダッドの片隅で 、 これま で一隅を照らす思いで勤務してきたことが報われた気がした 。 「 ミーティングが終了し 、 帰路につく彼らを見送っていると 、 一人の男性が 「 日本にはもっともっと長くいてほしい 」 と声を かけてきた 。 「 陸自による活動は終了するが 、 日本はこれからも引き続き様々な支援を行っていく 」 と伝えると 、 とても喜 んでくれていた 。 こうして 、 モスキートたちは再び自分達の街へと帰っていった 。 今頃 、 バグダッドの街角では 「 日本は 引き続き支援してくれるそうだ 」 との噂が 、 モスキート達の口から口へと噂されていることと思う 。


バスラ日誌 ( 2006年6月23日 )

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バスラ 日 誌 ( 6月23日 ) - 150号 - ( 光陰矢のごとし )

思えば遠くへ来たものだと書いた第140号から 、 もう10日も経った 。 本日 、 第150号 、 2 ~ 3回休刊日をもらったので 、 第4次業務支援隊から引き継いで153日目位だろうか 。 バス ラに来て163日目 、 出国してから167日目である 。 光陰矢のごとし 。 残された時間は非常に少 なく 、 やるべきことはそれに比してたくさんある 。 少々不安に思っているのは 、 現在 、 師団司令部 の主要な役職者を含めて交代の時期にきている人が多く 、 今調整している人と 、 7月の緊要な時期 、 調整を実行に移す段階の時にいる人が異なるという点である 。 これまで 、 第6次業務支援隊バスラ連絡班要員の 以下4名の方とは頻繁に連絡をとり 、 交 代する場合にはスムーズに申し送れるように準備していただいていた 。 我々が最後まで安心して勤 務できたのは 、 第6次業務支援隊要員のみなさんが 、 不透明な状況の中 、 真剣に準備していて下 さったからである 。

からは 、 我々が無事に帰国することを祈る 、 との最後のメールを頂い た 。 心から感謝している 。

( 前田2佐 )

2 バスラ日誌で以前 、 会話のネタがなかったら 、 イラクに来てどれくらい経つのかを聞くことに

していると紹介したが 、 その会話の続きは必ず 「 で 、 あとどれくらいここにいるの ? 」 である 。 今 まで我々はその質問に答えることができなかった 。 「 まだ 、 決まってないんだよ 。 」 『 どうし て ? 』 「 政府が撤退を考えているから 」 『 撤退するまでいるの ? 』 「 長くなれば 、 交代要員が来る し 、 短ければ我々が最後の日本隊になる 。 」 『 帰国する日がわからないなんて 、 家族は大変だ ね 。 』 等々 、 このような会話が続くのが常だった 。 しかし 、 今では日本隊の撤退が決定し 、 我々の 帰る日も見えてきた 。 みんなに 『 良かったね 』 、 日本人がいなくなって 、 寂しくなるよ 。 』 等の声 を掛けられるたびに 、 我々の任務が最終段階に来ていることを再認識する 。 軍事作戦で最も困難と いわれる撤退作戦を 、 バスラからしっかり支えていけるよう 、 最後まで気を引き締めて勤務してい こうと思う 。

3 本日快晴 。 バスラ9名 、 極めて健康 。


バグダッド日誌 ( 2006年6月24日 )

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「 バグダッド 日 誌 ( 6月23日 ) |

○ 陸自の活動に感謝するバグダッド ・ モスキートの声

昨日 、 インターナショナルゾーンで 、 多国籍軍情報部が定期的に 「 街の噂 」 を収集するモスキート ・ ミーティングに参 加した 。 本ミーティング 、 モスキート編集室の引越し作業があったためしばらく中断しており 、 今回が久しぶりの再開と なっていた 。 「 ミーティングが始まると 、 いつものようにシーア 、 スンニ 、 クルド等様々な “ モスキート ” たちが街でささやかれている噂 を順に報告 、 その後は 、 特定のテーマについての意見収集へと移った 。 今回のテーマは 、 先週米軍3名が犠牲となっ た襲撃事件 、 ザルカウイの後継者関連 、 街の治安状況等であった 。 これらに関する活発な意見を聞いていると 、 このと ころ撤収関連でなんとなく区切りのようなものを感じていた私には 、 変わることのないバグダッドの厳しい現状を再認識 させられることとなった 。 「 さて 、 ミーティングの最後に多国籍軍参会者からの質問時間となった 。 そこで私の方から 、 多少場違いかと思ったが 「 治安権限委譲に伴い陸上自衛隊が撤収するが 、 2年半に及ぶ活動の評価について聞きたい 」 とストレートに投げかけ た 。 すると 、 これまで3時間に亘るミーティングで多少疲れ気味であった彼らが 、 堰を切ったように一斉に大声で意見を 述べ始めた 。 その勢いは大変なもので 、 一斉に話すことから何やら聞き取れない 。 チーフもたまらず “ 1人ずつにしてく れ ! ” と叫ぶほどである 。 よく聞くと 「 日本は良くやってくれている 」 「 莫大な資金を投じて大きな発電所を作ってくれたと 聞いている 」 「 戦争に来たのではなく 、 技術者が沢山来てくれていると聞いている 」 等々 。 そして全員がロ々に陸自の活 動に感謝の言葉を述べている 。 ようやく 、 場が落ち着いたところで 、 1人の女性が締めくくるように 「 私達は本当に深く感 謝しています 。 イラクの国民は全員 、 日本人が大好きです 」 と意見を述べてくれた 。 私は 、 イラクの各層の人々全員から ポジティブな意見を 、 直接聴くことができ 、 胸を熱くするとともに 、 サマーワから遠く離れたバグダッドの片隅で 、 これま で一隅を照らす思いで勤務してきたことが報われた気がした 。 「 ミーティングが終了し 、 帰路につく彼らを見送っていると 、 一人の男性が 「 日本にはもっともっと長くいてほしい 」 と声を かけてきた 。 「 陸自による活動は終了するが 、 日本はこれからも引き続き様々な支援を行っていく 」 と伝えると 、 とても喜 んでくれていた 。 こうして 、 モスキートたちは再び自分達の街へと帰っていった 。 今頃 、 バグダッドの街角では 「 日本は 引き続き支援してくれるそうだ 」 との噂が 、 モスキート達の口から口へと噂されていることと思う 。


バスラ日誌 ( 2006年6月24日 )

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バスラ 日 誌 ( 6月23日 ) - 150号 - ( 光陰矢のごとし )

思えば遠くへ来たものだと書いた第140号から 、 もう10日も経った 。 本日 、 第150号 、 2 ~ 3回休刊日をもらったので 、 第4次業務支援隊から引き継いで153日目位だろうか 。 バス ラに来て163日目 、 出国してから167日目である 。 光陰矢のごとし 。 残された時間は非常に少 なく 、 やるべきことはそれに比してたくさんある 。 少々不安に思っているのは 、 現在 、 師団司令部 の主要な役職者を含めて交代の時期にきている人が多く 、 今調整している人と 、 7月の緊要な時期 、 調整を実行に移す段階の時にいる人が異なるという点である 。 これまで 、 第6次業務支援隊バスラ連絡班要員の 以下4名の方とは頻繁に連絡をとり 、 交 代する場合にはスムーズに申し送れるように準備していただいていた 。 我々が最後まで安心して勤 務できたのは 、 第6次業務支援隊要員のみなさんが 、 不透明な状況の中 、 真剣に準備していて下 さったからである 。

からは 、 我々が無事に帰国することを祈る 、 との最後のメールを頂い た 。 心から感謝している 。

( 前田2佐 )

2 バスラ日誌で以前 、 会話のネタがなかったら 、 イラクに来てどれくらい経つのかを聞くことに

していると紹介したが 、 その会話の続きは必ず 「 で 、 あとどれくらいここにいるの ? 」 である 。 今 まで我々はその質問に答えることができなかった 。 「 まだ 、 決まってないんだよ 。 」 『 どうし て ? 』 「 政府が撤退を考えているから 」 『 撤退するまでいるの ? 』 「 長くなれば 、 交代要員が来る し 、 短ければ我々が最後の日本隊になる 。 」 『 帰国する日がわからないなんて 、 家族は大変だ ね 。 』 等々 、 このような会話が続くのが常だった 。 しかし 、 今では日本隊の撤退が決定し 、 我々の 帰る日も見えてきた 。 みんなに 『 良かったね 』 、 日本人がいなくなって 、 寂しくなるよ 。 』 等の声 を掛けられるたびに 、 我々の任務が最終段階に来ていることを再認識する 。 軍事作戦で最も困難と いわれる撤退作戦を 、 バスラからしっかり支えていけるよう 、 最後まで気を引き締めて勤務してい こうと思う 。

3 本日快晴 。 バスラ9名 、 極めて健康 。


バグダッド日誌 ( 2006年6月24日 )

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バグダッド 日 誌 ( 6月24日 )

Oワールド ・ カップ ・ サッカー 「 サッカー ・ ワールド ・ カップは 、 日本国民の微かな望みも空しくブラジル戦に敗退し 、 決勝トーナメント進出はならなかっ た 。 ここバグダッドではライブで日本戦を応援することはできなかったが 、 サマーワや市ヶ谷からのお心遣いによりオース トラリア戦を観戦でき有り難く思っている 。

キャンプ ・ ヴィクトリーにLOが所在する国の中でワールド ・ カップに参加している国は日本をはじめ米 ・ 英 ・ 豪 ・ 伊 、 ポー ランド 、 韓国 、 ウクライナ 、 チェコの9カ国であり 、 ワールド ・ カップに出場しているだけでも優越感の様なものを感じること ができる 。 「 ところで 、 このワールド ・ カップの関心は米国以外では高く 、 特にコアリションの中でワールド ・ カップに参加している国の L0の間ではワールド ・ カップの話題で朝の挨拶が始まる 。 特に朝の指揮官報告 ( BUA ) でいつも近くに席をとっている

英 ・ 豪軍LOとは毎朝サッカーの話しで盛り上がっている 。 また 、 トルコやエル ・ サルバドルは日本の試合結果をよく知って いて朝の話題に事欠かない 。

米軍に関しては 、 アメリカ ・ チームが決勝トーナメント進出できず 、 もともと低い関心が更に低くなっている 。 食堂 ( DFA C ) のテレビはスポーツを中心に放映しているが 、 サッカーは申し訳程度にCNNニュースとして放映されるのみである 。 先日まではNBA ( バスケット ・ ボール ) の優勝決定戦を実施していたためバスケット放送中心 、 通常はメジャー ・ リーグ 、 更にはアメリカのカレッジ ・ ベースボールを放映しても 、 ワールド ・ カップ ・ サッカーはほとんど放映していない状況だ 。 文化の違いと言えばそれまでだが 、 英軍LOは 「 アメリカン ・ フットボール ・ スーパー ・ ボールの時は朝の指揮官報告を中 止させるぐらい熱狂していたのに ! アメリカ人ってやつは ! ! 」 とそっと私に聞こえるように悪態をついている 。 私は 、 個人的に傍目でコアリションの価値観の違いを感じながら各国の反応を楽しんでいる 。


バスラ日誌 ( 2006年6月24日 )

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バスラ日誌 ( 6月24日 ) - 151号

1 本朝 、 小瀬隊長以下5名の方々は英軍ヘリ ( メルリン ) でサマワに帰隊された 。 0652離陸 、 8時過

ぎには到着されたと聞いている 。 予定では 、 C130でタリルへ飛び 、 スミッティから迎えに来てもらう IRT待機ヘリ ( シーキング ) で昼頃着く予定であったから 、 大変ラッキーな変更であった 。 昨日 、 昼の 空輸調整会議において 、 スミッティ行きのヘリが丁度あり 、 余席もあったために

がわざわざ 乗るかと聞いてくれたものである 。 現在その

と撤収時の米軍ヘリ要請の件も調整しているの だが 、 今のところ可能性ありと言ってくれており 、 英軍ヘリと米軍ヘリの輸送可能人員の確認を実施して くれている 。 今回の空輸調整については 、 要請人数が多いためにかなり難しい調整になると思っているが 、

を通じ師団として日本隊空輸支援を多国籍軍団と調整していただくことになっている 。 実現 するかどうかはわからないが 、 攻撃ヘリによる援護についても調整すると言ってくれている 。 師団は既に 動き出しており 、 日本隊の計画を確定し 、 信念をもって実行しなければ調整は困難となる 。 師団は 、 全て の作戦努力をムサンナ県の治安権限移譲という一大イベントに集中し 、 かつ調和させようとしている 。 そ のための調整に使える時間はもうあまりない 。

「 最近 、 CCN ( コンボイ ・ クレジット ・ ナンバー ) を取得するため 、 J4 ( 兵站担当部署 ) へ行く機会 が多くなった 。

J4の部屋に行くと 、 家族みたいに暖かく受け 入れてくれる 。 これから 、 さらに支援を受ける機会が増えてくると思うが 、 いつも感謝の気持ちを忘れず に調整していこうと思う 。

3 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。


バグダッド日誌 ( 2006年6月25日 )

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バグダッド 日 誌 ( 6月25日 )

,

Oボスニア ・ ヘルツェゴビナLO 「 ボスニア ・ ヘルツェゴビナLOは 、 1年間のコンゴにおけるPKOミッションを終了し 、 2週間母国で休暇をとった後 、 イ ラクに派遣されている 。 こちらに到着して約1ヶ月経つのだが 、 大変礼儀正しくすっかりボスニア ・ ヘルツェゴビナという 国にも親近感 ・ 専敬を感じている 。 ボスニア ・ ヘルツェゴビナは

このように世界の修羅場をくぐってきた将校との交流を通じて 、 つくづく 「 あたりまえ 」 の状態の有りがたさを痛感でい | る 。

バスラLO日々業務報告 ( 6月25日1900 )

バスラ空港

1 警戒態勢

( 警戒態勢 ) :

2 特記事項

( 2 )

|

|

本日の業務

( 1 ) 情報要求対応 ・

SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 IED及びDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ 夕会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議 ( 4 ) 航空輸送調整

4 明日の予定

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会議出席 ( 3 ) 航空輸送調整

5 その他 ( 備考 )


バスラ日誌 ( 2006年6月25日 )

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2

|

MND - SE管内の状況

バスラ日誌 ( 6月25日 ) - 152号 -

1 今日は掲示物について書こうと思う 。 人が集まるような所の壁などに掲示物をして 、 何かを伝えようと ・ | するのは 、 ずっと昔から行われている情報伝達の手段であるが 、 ここバスラでも重要な役割を果たしてい るように思う 。 司令部においては 、 各部付近の壁に師団の行っている作戦の状況を撮影した写真が張って あったり 、 正面玄関ホールには 、 「 0のキャンペーン用ポスターや様々なメディアから情報が掲示して あったり 、 司令部内の掲示物だけで 、 今ここで何が行われているかを知ることができる 。 しかし 、 私が特 に興味を持ったのは 、 居住区のトイレ及びシャワー室にある掲示物である 。 それは 「 節水 」 、 「 手洗い 」 及び 「 落書き防止 」 の3つを呼びかけているが 、 3つの掲示物に共通するのが 「 脅し 」 である 。 節水を呼 びかける掲示物は 、 コンバット ・ シャワー ( 守や泡を流す時だけ 、 約15秒シャワーを浴びるやり方 ) に より 、 節水を推進しようとしているが 、 最後に一言 、 「 守らないとペットボトルでシャワーを浴びること になるぞ 。 」 と書いてある ( が 、 以前のバスラ日誌で記載済み ) 。 手洗いの掲示物は 、 手洗いの 基準を金 、 銀 、 銅メダルになぞらえて 、 アルコール消毒は銅メダル 、 石けんを使って手を洗うのは銀メダ ・ | | ル 、 石けんを使って洗った後に 、 アルコール消毒するのが金メダルだと書いてある 。 そして 、 手洗いをし 「 ないことが 「 下痢 」 や 「 嘔吐 」 の原因となり 、 「 下痢や嘔吐は戦場では命に関わるぞ 」 と結んでいる 。 最

後に 、 落書き防止の掲示物では 、 「 トイレの壁の落書きをすることをやめさせるのは難しいことだ 」 と一 種達観したような雰囲気から始まるが 、 「 しかし 、 君たちは規律ある軍人である 。 」 と言い放ち 、 結論は 「 今後 、 一切の落書きを許さない 。 落書きを見つけたら 、 このトイレは閉鎖し 、 野外トイレを使用させ る 。 」 である 。 以上 、 3つの掲示物の 「 脅し 」 について書いたが 、 ここにいる人達はあまり気にしていな いように見える 。 勿論 、 厳密にコンバット ・ シャワーを守っている人はいるし ( 私もそう ) 、 手洗いは金 メダルの人 ( 私は金か銀 ) もたくさんいる 。 ただ 、 全ての人に全てのことを守らせるのは 、 我々と一緒で なかなか難しいことなのだろう 。 ここでの生活もあと僅かとなったが 、 「 脅し 」 を受けているからでは なく 、 自主的に居住区の掲示板に書かれていることをやっていこうと思う 。 それが 、 ここのルールだから 。

| 2 司令部の裏に焼が生息する池 ( 水溜まり ) があり華らしき植物も生い茂っていたが 、 蛙の鳴き声も聞こ

えなくなり植物も枯れてきた 。 本日そこに ( 司令部南側150m ) 「 DF攻撃2発 。 攻撃20回目 。 36 ・ 発目 。 葉が心配 。 本日快晴 、 バスラ4名 、 極めて健康 。


バグダッド日誌 ( 2006年6月26日 )

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バグダッド 日 誌 ( 6月26日 )

C九十九里を半ばとす 。 12旅団長のサマーワ訪問が天候にも恵まれ滞りなく実施できた 。 バグダッド連絡班では日本からの訪問者の米軍 | ヘリによる移動調整と 、 当日のヘリ移動をウオッチしている 。 多国籍軍司令部の高官対応を担当するSCUS ( Secretary Chief of Joint Stafoという部署ともすっかり顔馴染みとなり 、 こちらから確認するまでもなく 、 先方からへ リの状況を逐一知らせてくれるまでに人間関係を築き 、 円滑な調整ができた 。 「 また日本からの訪問者のBIO ( 経歴表 ) を要請され 、 多国籍軍司令部に提出しているのだが 、 SCUSの方から 「 メイ | ジャー ・ ジェネラルは 、 米国に留学経験があるはずだ 。 」 とBIOの確認 ・ 訂正をもとめられる程 、 今回の訪問に対する 多国籍軍側の注目度が高かった 。 私個人にとっても 「 防大柔道部の大先輩 」 である旅団長の訪問であり 、 また同行 していた旅団防衛班長は私が防大指導教官していた時の 「 教え子 」 であることもあり 、 今回の訪問が円滑に実施でき たことを安堵し 、 また人の縁の深さを感じている 。

バグダッドでの勤務も160日を超えて業務にもすっかり慣れ 、 多国籍軍司令部との人間関係も完全にできている 。 ・ 「 どこを突くと上手く業務ができるか ? 」 も体得できた 。 撤収の重要な時期を迎え 、 「 百里を行く者は九十里を半ばと | す 。 」 の気持ちで今まで築いてきた 「 業務のコツ 」 と 「 人間関係 」 を活用して 、 サマーウが異状なく撤収できるように努 カしたい 。

昨日 、 サマーワが撤収の多忙な中 、 業務支援隊長から激励の電話を頂き 、 バグダッド連絡班5人を気遣って頂い た 。 バグダッド連絡班は益々士気高揚して 、 最後の大仕事に気力 ・ 体力を充実させ取り組んでいる 。

バスラLO日々業務報告 ( 6月26日1900 )

バスラ空港

1 警戒態勢

( 警戒態勢 ) :

トー

m

2 特記事項

2

. .

.

la 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応

SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( S ) の将来計画 、 ED及びDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ 夕会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会識 ( 4 ) 航空輸送等調整等

4

明日の予定

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会議出席 3 ) 航空輸送等調整等

5

その他 ( 備考 )


バスラ日誌 ( 2006年6月26日 )

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.

. あのお題

( MND - SE管内の状況露

-

バスラ日誌 ( 6月26日 ) - 153号一

日本隊の資材 ・ 車両等の後送が始まったというニュースが流れ 、 こちらでも多くの方から 「 いよいよ始 まったね 。 」 という言葉をかけて頂いている 。 前から運んでいたよとは言えないので 『 ありがとう 。 やっ と帰国の日をカウントダウンできます 。 』 と答えている 。 師団が 、 日本隊の撤収を支援するために多くの ことを実施してくれていることに対し 、 感謝の気持ちを伝えることが我々LOの任務の1つと思っている 。 また 、 師団が日本隊のためにどのような支援をしてくれたか 、 これからどのような支援をしてくれるの

団の雰囲気 、 師団が何を求めているかを伝えることもLOの責任と考えている 。 ここに書くことができるスレスレの情報をこれまでも紹介してきたし 、 これからも伝えねばならぬと思って いる 。

日本隊撤収時の空輸支援は 、 最低限の要請数 ( 英軍ヘリのみによる移動 ) についてはクリアしている 。 また 、 本日 、 日本隊の後送民間契約コンボイの輸送計画を師団に報告すれば 、 アイスター ( 1ntelligence , Surveillance , Target - Acquisition and Reconnaissance ) の情報収集対象として 、 移動状況を監視してく れるという申し出も受けた 。 キャンプ ・ サマワの行く末についても 、 師団はこれ以上ない後押しをしてくれ ている 。

2 昨日のバスラ基地に対するIDF攻撃に関する情報は訂正された 。 弾種不明3発 。 弾着地点修正 、 司令 部北側300m 、 南側1Km及び1 . 5Km 。 昨日は久しぶりに砲弾が頭上を通過する時の飛翔音 、 ふざ けた笛の音に似たピューという音を聞いた 。 駐の生息地には着弾していなかった 。

3 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。


バグダッド日誌 ( 2006年6月27日 )

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| バグダッド 日 誌 ( 6月27日 )

○安全祈願 ・ . バグダッド連絡球の日本障コンテナには神棚を設け 、 出国前に職場の皆で参拝して頂いてきた強国神社の安全 祈願の御札を祀っている 。 毎日の忙しさの中にも各自それぞれが御礼に手お合わせ一日の事の任務完遂を祈っている 。 ・ 私の日課は 、 毎朝御札に水をお供えし 、 イラク ・ クウェートでの日本隊の無事をお祈りすることから始まる 。 いまま ではプラスチック製のコップでお供えしていたが 、 前回の追送品で統幕から茶器セットを送って頂いたので 、 今は胸 器の器で水をお供えし 、 「 しっくり 」 している 。 毎朝 、 御礼に手を合わせる時間は非常に心安らぐ気持ちなり 、 一日の活力が静かに流れてくる 。 今は全員が無事に帰国し 、 別居の折には 、 この御札を踏超神社にお納めできる日を心待ちにしている 。


バスラ日誌 ( 2006年6月27日 )

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バスラ日誌 ( 6月27日 ) - 154号

1 本日MJLC ( 兵站会議 ) が実施された 。 今回が最後のMJLC参加となる 。 サマワでの開催について 要請を受けていたが 、 日本隊の撤収が決まったため受入困難となりバスラにて実施された 。 今回も 、 代理 参加となったが止むを得ないと思っている 。 発表資料については第4科多忙中につき 、 こちらで作成し 、 機収計画の概要を説明した 。 MJLC会議の前日はこれまでもいろいろな事が起き 、 また何も起こらない と喜んでいたら冷房に悩まされて 、 寒くて寝られない ( シャイン ) 等 、 本当に起が悪いと思っていた 。 昨日も発表資料の準備を始めていたところ 、 事案発生の第1報が入り 、 こちらでもメディヴァック発動の 準備は整い 、 いつでも対応できる状況にあったが 、 現地素軍からタリルRTに対し支援要請がなされて 負傷者の救出救送が実施された 。 タリルベースが近かったこともあり 、 迅速に対応されたので有り難かっ たと思う 。 負傷された方々の状況は通報を受けて逐次承知し 、 節団にも報告した 。 当初 、 師団が把握して いた状況は 、 常識不明2名 、 賃61名であったことから 、 皆さんに心配して頂いた 。 師団長不在につき 、 副師団長からお見舞いの言葉を頂くと共に 、 群長に直接電話でお見舞いを申し上げたいと言われた 。 .

本日朝の師団会議において 、 3名の隊員の怪我の状況とその後の処置及び全員常識があり命には別状が ないことを報告した 。 骨折等重傷を負われたようだが 、 高速走行中の横転率故であり不幸中の幸いと思う 。

症状が悪化することなく 、 早期快癒されることを祈る 。 2 本日EOD会議が開催された , EOD会議は

細部については事録が発刊されし

だい報告する 。 3 本日快晴 。 バスラ4名 、 核めて健康 。

スミッティLO日々業務報告 ( 6月27日 )

区 分 1 警戒転特

内 Threat Level

|

変化し 、

2 特記事項

13 本日の業務

| ( 1 ) 情報要求対応等 ・ サマーワ市南方において発生したED事案関速情報 、 サマーワ市内等の治安情勢 、 デモ情報 。

英素軍の情勢判断等 ( 2 ) 各実務問接等

リルAB付近で発生したLAV横転事室関連業支隊長 ・ 政策アドバイザー等キャンプスミッティ訪問

関連 、 明日以降の森軍支援要請関連 、 PDCC関連等 ・ ( 3 ) 各種ミーティング等

英某軍作组会曲多加

ーーーー

4 明日の予定

( 1 ) 情報要求対応等 ( 2 ) 各種業務問整等 ( 3 ) 各種ミーティング等 朝日の射幸訓練

5 その他 ( 備考 )

なし 。


バグダッド日誌 ( 2006年6月28日 )

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| バグダッド 日 誌 ( 6月28日 )

の不覚 ! !

キャンプ ・ ビクトリーに所在する各国の先任連絡官はコアリション ・ オペレーション ・ オフィスに机を与えられ 、 基本的 にはそこで勤務しており 、 各国間の連絡が円滑に調整できるようなっている 。 オフィスでは運軽官1人に2台のコン ・ ・ ピューターが与えられ 、 2種類の米軍コンピューター ・ ネットワークが使用できるようになっている 。 電子メール機能も 充しており米軍ネットワーク内で面白い写真を見つけるとお互いに送信しあったして楽しんでいた 。 先日はアルメ ニア大佐が居眠りしているところをデジタル ・ カメラで撮られてしまい 、 それを仲間うちにメール送信され苦笑いしてい

た 。

連絡管の交代により 、 私もコアリション ・ オフィス内ではウクライナに次いで2番目の古株となった 。 各国の新しく到着 した連絡官の相談にのってあげたりして 、 先輩面して存在感を示している 。 ここ2日ほど忙しくほぼ総夜であった 。 移動のためのヘリ調整を米軍担当者としている時はよかったのだが 、 椅子に 座るとすぐさま睡魔に襲われていた 。 「 午後になってメールを確認すると 「 Yellow Card ! 」 のメッセージがホスニア ・ ヘルツェゴビナLOから送られている 。 メールを開いてみると私が 「 居眠り 」 しているショットが貼付されている 。 「 しまった ! 」 と思ったが後の祭りである 。 メー ルを開いた私を見て 、 部屋の中間がさも 「 満足 」 そうに 「 ハイ ・ タッチ 」 したりして 、 私を冷やかしてくる 。 コアリションに結核にも 「 笑いネタ 」 を提供してしまった 。 全くの不覚であり 、 海より深く反省している 。 ・

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バスラLO日々業務報告 ( 6月28日1900 )

容 :

バスヲ空港

( 警戒態勢 ) :

Sさ

|

| | 2 特記事項

3 本日の業務

| | | |

( 1 ) 情報要求対応 ・

SSR QSFの戦力化の状況 ) , MND [ S ] の将来計画 、 ED及びDF関連情報 、 デモ関連情報等 | ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会談への出席 : 司令部朝 ・ 夕会験 、 J2 ・ J3 ・ J9選総統一会第 ( 4 ) 航空输送钢整容

14 明日の予定

( 1 ) 情貌要求对内 、 定例情報收集 ( 2 ) 定例会論出席 ( 3 ) 航空輸送網整等

5 その他 ( 備考 )

S


バスラ日誌 ( 2006年6月28日 )

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HND - SE管内の状況 隠

バスラ日誌 ( 6月28日 ) - 155号

1 本日

( 愛称CS ) が任期満了につき国の途に着いた 。 本国に帰ってから ( ドイツ 駐屯師団であるのでドイツに帰るそうだが 、 休暇を取った後 、 少佐に昇任し第7旅団の基僚として勤務 するとのことである 。 2人の男の子の父親で 、 机上には常にその子達の写真が飾ってあった 。 ハンサムで とても若く見えるのだが 、 勤続24年のベテランで 、 16歳で入隊したと聞いていた 。 陸自で言えば少年 工科学校のようなシステムがあるのだろう 。 居住区コンテナが近く 、 我々がバスラに来たときから 、 どこ で会っても 、 元気に親しみを込めて挨拶してくれる方であった 。 着任当初 、 周りには外国の軍人ばかりで ( 当たり前だが 、 ) 、 顔見知りの人がいるわけでもなく 、 とにかく挨拶から始めようと思って 、 すれ違う 全ての人に挨拶し 、 そのほとんどの人から無視されていたときに 、 彼の存在がどれほど勇気を与えてくれ たことか 。 2人のお子さんに鶴を折ってくれと頼まれた時 、 彼の子供達が怪我などせず 、 すくすくと幸せ に成長することを祈って心を込めて折った 。 今日 、 後任者を連れて挨拶をしに来てくれた時 、 あの想には 神様がいて 、 あなたの子供達を守ってくれるようお願いしてあると説明した 。 とても喜んでくれて 、 鶴は もう家に届いており 、 下の子が壊さないように網の上に飾ってあると教えてくれた 。 また 、 母い期間を共 に過ごした友人が去っていった 。 J3では 、 我々より古いのはあと2人である 。 今でも 、 来た時の気持ち のまま 、 すれ違う全ての人に挨拶しているが 、 殆どの方から挨拶を返していただき 、 無視する人は 、 ほぼ いなくなった 。 2 朝礼時の群長訓辞を読んだ 。 「 任務完遂のため 、 前向きに胸を張って最後まで全力を尽くす 。 」 という 気持ちに迷いはない 。 炎天下の撤収作業は 、 国難を極めると思うが 、 安全に留意されて準備を進めて頂き たい 。 遠くバスラより 、 本隊の安全に寄与する情報収集 、 本隊の撤収計画が少しでもスムーズに進むよう にするための調整 、 及び本隊が 、 少しでも安全に離脱できるようにするための調整に全力を尽くし 、 詳長 の企図に応えたいと思う 。 『 バスラにて陰で支えし復興支援 、 替わり良ければすべて良し 』 幹部学校戦略 教官室長 から頂いた歌である 。 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。

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「 18


バグダッド日誌 ( 2006年6月29日 )

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| バグダッド 日 誌 ( 6月29日 )

Oイラク ・ オペレーションの名将 ! MNC -

1司令官 MNC - 1司令官

は 、 職事職種で2004年3月から1年間イラクにおける師団長として勤しており 、 今 回の派遣は2006年1月から2回目のイラク勤務に就いておられ , 間違いなくイラク ・ オペレーションの名将の一人であ

.

る 。

朝の指揮官報告 ( BUA ) ではケーシー司令官の質問に対して 、 ほぼ 「 自ら回答しており 、 いつもその掌握 力に驚きを感じている 。 指揮官報告のためJOC ( Joint Operation Center : BUA報告会場 ) へ入る際 、 ほぼ司令官と同じ時間帯に入って おり 、 私を見かけては気軽に声をかけてくれる 。 「 昨日 、 がBUA報告席に着いた時は 、 JOCにある大スクリーンには2分割でニュースやスポーツが放映さ れていた 。 その1画面でシアトル ・ マリナーズの試合中継をライブで放映しており 、 突然 、

「 世界一のベース ボールプレイヤーがでている 。 注目しよう ! 」 と大きな声で言った 。 スクリーンに目をやるとイチロー選手の打席が放映 されており 、 JOC内幕僚皆が固唾を飲んで見守った 。 結果は残念ながら 「 セカンド ・ ゴゴロ 」 、 大きなため息が130名以上 の勤務するJOC内に響いた 。 そして

が私の方を振り返って 、 残念とばかり 、 のけ反りながら私にウインクを 送ってきた 。 朝の指揮官報告出席者の視線が

と私の方に集中し 、 大変恐縮してしまった 。 「 飾らない人柄の 「 は 、 毎朝パレスに入る際には 、 蓄術の兵士一人一人に握手して炎天下で勤務する隊員 を労っている 。 また先日の米兵2名が行方不明となった時には 、 指揮官報告後にJOC内にいた会議参加者全員に対し て 、 この件に関する一切の他言 ・ メール等をしないよう 、 また行方不明隊員の家族の立場になって行動するように厳しく 指示していたのが印象的であった 。 はシアトル出身でイチロー選手の大ファンなのだそうだ 。 私は 「 仕事ぶり 」 と 「 人柄 」 から

の大

ファンである 。

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バスラLO日々業務報告 ( 6月29日1900 )

内 - -

バスラ空港

1

警戒態勢

警戒態勢 ) ;

2 特記事項

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応

SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 ED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ 夕会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会 ・ ( 4 ) 航空輸送調整等

4

明日の予定 、

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会議出席 ・ ( 3 ) 航空輸送調整等

5 その他 ( 備考 ) -


バスラ日誌 ( 2006年6月29日 )

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| MND - SE管内の状況

バスラ日誌 ( 6月29日 ) - 156号一

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2 先日 、 タリル米陸軍司令 、 及び米空軍基地司令に対する表故の調整を遠隔操作で実施した 。 その時は 、

サマワからの調整要員の移動を努めて避け 、 併せて英軍ヘリによる移動申請を努めて減らすためにこちら で実施することを申し出て 、 米軍LOを通じて電話番号を調べてもらったり 、 資料提供を求めたり 、 資料 を提供したりした 。 必要があれば 、 情報を収集することが我々の任務であるから何でもやるが 、 その状況 を少し紹介して 、 何でもすぐにわかるわけではないことをご理解して頂きたいと思う 。 まず 、 バスラ米軍 LOは 、 軍団のLOであって 、 我々の下働きをするためにいるわけではなく 、 彼らも業務遂行中のところ をお願いして確認してもらっている 。 日本のようにピシッと電話番号表が整備されているわけではなく 、 彼らも相手を探すのにかなり苦労している 。 また 、 彼らに頼むのも申し訳ないような内容の情報収集では 、

を借りて 、 自分で電話をするのだが 、 まず誰に聞けばいいかわからず 、 タリルの 知っている電話番号にかけて状況を説明し 、 そこで関係ありそうな所の電話番号を聞き 、 さらに電話して 少しずつ目標に近づくという具合である 。 患者搬送時 、 キャンプ ・ アリフジャンの海軍病院の電話番号を 調べて欲しいという要請の時は 、 緊急の連絡かと思い 、 関係ないタリルのオペレーションに電話して 、 用 件を説明し確認した 。 結局連絡網図を作るためだったと聞いて少々こけたが 。 弾薬輸送調整 、 謝意伝達先 確認等 、 タリルがらみの情報要求が増えているが 、 ある程度のリードタイムが必要である 。 3 本日1550 、 バスラ基地にIDF攻撃1発 。 司令部南東1 . 5Km 。 攻撃21回目 。 38発目 。 | 快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。


バグダッド日誌 ( 2006年6月30日 )

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バグダッド 日 誌 ( 6月30日 )

○ピーマン親爺 「 キャンプ ・ ヴィクトリーの食堂 ( DFAC ) にはサンドイッチ ・ コーナーがあり 、 オーダーにより色々な食材を入れたサンド ! イッチを作って貰える 。 パンだけでも4種類 、 ハム ・ ローストビーフ等の肉類や沢山の野菜を自由にオーダーでき 、 暑さ が厳しい近頃はこのサンド ・ イッチをよく食べている 。 「 このサンドイッチ ・ コーナーで給仕してくれるフィリピン人は 、 日本隊に親切で 、 愛想が良い 。 私がイラクに着いたば かりの頃に 、 このサンドイッチ ・ コーナーでピーマンを指さしながら 、 「 ピーマンって英語だよな ? 」 と思いつつ 「 ピーマ ン ・ プリーズ 」 と自信満々にオーダーした 。 すると 、 このフィリピン人の給仕はにっこり笑い 「 ピーマン 、 ピーマン 」 と嬉し そうに連呼して 、 オーダーに応えている 。 それ以来 、 このフィリピン人給仕は 、 私がサンドイッチコーナーを利用する時 は 「 サー ・ ハウ ・ アバウト ・ ピーマン ? 」 とやたらにピーマンを盛りつけたがる 。 「 先日 、

が 「 サンドイッチ ・ コーナーの親爺がやたらとピーマンを食べさせたがるんですよ 。 」 と私に漏らした 。 私がいきさつを話すと 、 バグダッド連絡班で大爆笑した 。 「 それ以来 、 このフィリピン人の給仕をバグダッド連絡班内では 「 ピーマン親爺 」 と呼んでいる 。 しかしながら 、 ふと考え てみると 、 フィリピン人給仕達の間では 、 私のことを逆に 「 ピーマン親爺 」 と呼んでいるかも知れないと 、 想像しながら 苦笑いしている 。 因みにピーマンは英語で 「 ペッパー 」 又は 「 スウィート ・ ペッパー 」 と米軍人はオーダーしている 。 最近は 、 ピーマン親父にサンドイッチを作ってもらえる日が何日残っているかを 、 考えると名残惜しく感じている 。

バスラLO日々業務報告 ( 6月30日1900 )

区分

バスラ空港

警戒態勢

( 警戒態勢 ) :

2 特記事項

ES ・

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応

SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 IED及びDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ 夕会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議 ( 4 ) 航空輸送調整等

14 明日の予定

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会議出席 ( 3 ) 航空輸送調整等

5

その他 ( 備考 )


バスラ日誌 ( 2006年6月30日 )

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MND - SE管内の状況

バスラ日誌 ( 6月30日 ) - 157号

1 今日は 、 6月30日 。 明日からいよいよ7月である 。 昨日今月7回目の 「 DF攻撃があり 、 我々 | がここに来てからだけでも21回目 、 38発目であった 。 これまでの 「 DF攻撃の至近弾は 、 約2

00mの地点に4回程度着弾したが 、 爆発音で一番すごかったのは 、 2月11日夜 、 同日2回目 の攻撃で 、 確か4発を撃ち込まれた時であった 。 すぐ近くで爆発しているだろうと思われた 。 ( 実

際には600m ~ 800m程離れていたが 。 ) こちらに来て初めて受けた攻撃であったので 、 皆 の無事を確認する手段を確立しておらず 、 離れた部屋の間を砲弾が落ちている間に2往復ほどして 、 最後の4発目は

部屋のドアの外で聞き 、 「 今のは妻かったね 。 』 と話したことを覚えて いる 。 その時の の感想は 「 誰かが屋根の上に乗ったかと思った 。 」 であった 。 それからは 、 無用の動きを避けるため 、 全員モトローラーを携行し 、 警報発令時等事案発生時にはスイッチを入 れることにして 、 すぐに連絡がとれるようにした 。 売店に寄ったためにタイミングがあってしまっ た車両移動間に受けた近弾は 、 音も激しかったが 、 弾着時の煙を確認して 、

と 『 今のは近 かったね 。 』 と話した 。 司令部はコンクリートの建物だが 、 居住区は耐弾化されておらず 、 あとは 運次第と思って過ごしてきた 。 日本では考えられない生活だったけれども 、 住めば都で楽しく過ご せた 。 あと数週間 、 誰も怪我をしないように 、 また 、 我々の撤収後も誰にも被害がでないようにと 願っている 。

2 日本隊の撤収状況 、 撤収に関わる様々な業務の進捗状況等については 、 逐次師団の関係部署に通

報し 、 要すれば 、 直接幕僚長あるいは師団長 ( MA経由 ) にも報告している 。 もちろん師団から も日本隊が必要とする情報について 、 情報の提供を受けサマワに通報している 。 面白いことに 、 1 週間前までは 、 師団から日本隊への情報提供が重要性を持っていたように思うが 、 逐次現地の直接 交渉が重要になると 、 日本隊からの情報を師団が待つ状況も生起してきた 。 これまで多くの情報を 「 頂いてきた師団に対し 、 少しでも恩返しができるように 、 迅速に 、 正確に伝えたいと思っている 。

師団への情報提供についてもお忘れ無く 。

3 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。