2006年7月

バグダッド日誌 ( 2006年7月1日 )

Responsive image

バグダッド 日 誌 ( 7月1日 )

Oケーシー司令官R & R ( リスト ・ アンド ・ リフレッシュメント ) ? 6月17日からMNF - X 司令官 ケーシー大将は朝の指揮官報告 ( BUA ) に参加されず 、 MNP一幕僚長

が代行されていた 。 イラク国外で開催される会議に参加したとしても2日連続してBUAを不在にされたことがな 1 . かったため 、 余計なお世話ではあるが 、 何があったのか気になっていた 。 高官のスケジュール管理をする部署にそ 1

れとなく聞いても詳しいことは教えてもらえなかったが 、 6月22 ・ 23日のBBC放送でケーシー司令官がペンタゴンで の会議に出席し 、 ブッシュ大統領にイラクの現状について報告しているニュースをBBCで確認して合点がいった 。 「 ケーシー司令官は2004年7月からMNP - 1司令官として勤務し 、 ほぼ2年経過しているが 、 この間家族に会うこと もなく過ごしてこられたのであろう 。 BUAでいつもジョークを交えたコメントを述べられていたが 、 今日のジョークには

更に 「 キレ 」 が感じられたところを見ると 、 今回の帰国にあわせてご家族とお会いできたのであろうと勝手な想像をし ていた 。 1 . たった半年の勤務でも多少 「 疲れ 」 を感じている我々とはモノが違うことは重々承知しているが 、 2年間も司令官と ! lいう重職を担い 、 着実にイラク復興に導いている姿は 「 イラク ・ オペレーションの神様 」 のようにも思える 。 「 14日ぶりに朝の指揮官報告 ( BUA ) で報告を受けたケーシー大将は 、 報告を受けた後に 「 Thank you Everyon 9 . Good to come back ! 」 ( 皆ありがとう 。 戻ってきてよかったよ 。 ) とコメントをされ 、 会場からも安堵の混じった 歓声があがった 。 いよいよイラクにおける治安権限が多国籍軍からイラク軍への移認が開始され 、 重要な局面を迎えている 。 この局 面を上手く脱取りして行けるのは 、 米軍広しといえども 、 イラク ・ オペレーションの全て理解しているケーシー司令官以 外考えられないであろう 。

バスラLO日々業務報告 ( 7月1日1900 ) :

|

バスラ空港

警戒態勢

( 警戒態勢 ) :

2 特記事項

68 .

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応

SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 IED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ・ ( 2 ) 定例情報収集 ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ 夕会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議 ( 4 ) 航空輸送調整等

4 明日の予定

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集

( 2 ) 定例会議出席 ・ ( 3 ) 航空輸送調整等

15 その他 ( 備考 )


バスラ日誌 ( 2006年7月1日 )

Responsive image

| MND - SE管内の状況

バスラ日誌 ( 7月1日 ) - 158号 - |

ラにおいて指揮官会議が実施される 。 業務多忙のため 、 残念ながら群長のバスラ来訪は 叶わぬこととなり 、 代理出席させていただく 。 会議資料の提出締切は 、 本日0800と指定されていたの で 、 できれば昨夜中には入手したいと思っていた 。 残念ながら本日0800を過ぎてデータを入手したの で 、 遅れたことを詫びて提出したが 「 日本隊が1番早かったよ 。 問題ないから 。 」 と言われた 。 会議資料 の準備に手間がかかることは十分理解できるし 、 毎回各部隊等のプレゼンテーション ・ データが出揃うの が締切を大幅に過ぎることも承知していたが 、 時間内に提出することが望ましいのはもちろんであるから 、 サマワには 『 早く出して下さい 。 』 と催促していた 。 資料作成にあたられた皆様に感謝する 。 また 、 師団長表彰の上申についても同じく時間厳守をお願いし 、 昨日夜受領して群長と隊長のサインを

「 と分担して代筆し ( すみません 。 表彰状にはもちろん使われませんので大丈夫です 。 ) 本日朝 、 予定通り提出した 。 今のところ表彰式の予定は報告したとおりであるが 、 師団長も超多忙につき 、 実現で きれば幸いである 。 師団長がサマワに行けない時は伝達のみ実施していただく予定である 。 (

真面目にやっとるか 」 という副長の声をしばらく聞いていなかったので 、 「 副長は生きてい るのだろうか ? 」 と日誌のネタにしようと 、 昨日の夜 、 本当に 、 と話していたところだった 。 「 だけど 。 」 という電話の声を聞いてびっくりした 。 うわさ話をしていると 、 その人が部屋に入って 来ることもままあるが 、 剣道部の先輩に対して 、 「 生きてるかなあ ? 」 なんて言ったのがいけなかったか もしれない 。 びっくりした 。 ( 体調を心配しておりました 。 陰口ではありません 。 ) 3 現在 、 英軍コンボイに自衛隊の契約した民間コンボイを加入させ 、 クウェートからバスラへ 、 バスラか 「 らクウェートへ物品を輸送しようと計画している 。 これが実現すると 、 民間の警備会社を雇うことなく 、 バスラからクウェート間の物品輸送が可能となる 。 その反面 、 英軍のMT ( モータチーム ) をはじめ 、 業 支隊の各部署に調整や支援の労を執って頂くことになる 。 今回初めての試みで 、 至らぬ点が多々あると思

うが 、 バスラへの物品輸送支援をよろしくお願いしたい 。 ( 引続き 、 調整お願いします 。 ) | 4 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。

21


バグダッド日誌 ( 2006年7月2日 )

Responsive image

別紙第3

バグダッド 日 誌 ( 7月2日 )

○食べ物のうらみは恐ろしい ? . 「 バグダッドでの楽しみの一つは食事であり 、 日本やサマーワから送って頂いた日本食は我々の心の支えなっている 。

ところが最近 、 日本食のストックが底をつき寂しい思いをしている 。 カップ ・ ラーメンを消費しつくし 、 サマーワから送っ て頂いた缶詰等も底をつき始めている 。 レンジで温めるだけで食べることのできるご飯は 、 あっという間になくなった 。 ところが消費しつくしたと思ったにも拘わらず 、 ゴミ袋に 「 シーフード ・ ヌードル 」 のカップが捨ててあったのを確認する と 、 「 誰かがストックしているな ? 」 と言葉では表せない 「 微妙な緊張感 」 が漂っている 。 「 このような微妙な緊張感から 「 沢山あったゼリーはどこ行った ? 」 「 パック赤飯は一個もたべていない ! 」 「 イカの缶詰 はもうないの ? 」 等々の声も聞こえてくる 。 先日素麺を5人で一気に24人前を消費したが 、 あと一回分は十分にあると 思われた素麺つゆが自然消滅 ? してきて 、 思わず 「 素麺つゆを隠せ ! と指示を出してしまう自分が情けない 。 日本 食等をすべて配給制にして管理する程でもないし 、 そこは班員が5人しかいないこともあって自由に食べている 。

昨日は 、 残りの素麺つゆを使用して 、 バグダッド連絡班全員で腹一杯素麺を味わった 。 今回も20人前を軽く超える 素麺を一気に食べ 、 腹一杯になり食べ物のストックに対する緊張感も霧散してしまった 。 皆 、 かなり単純である 。

食べ物ぐらいで我々バグダッド連絡班の 「 鉄の団結 」 にヒビが入ることはないが 、 「 食べ物の恨み ( 執着 ? ) は恐ろし い 。 」 ことも事実である 。

-

-


バスラ日誌 ( 2006年7月2日 )

Responsive image

「 バスラ日誌 ( 7月2日 ) - 159号

1 『 クウェート日誌終わっちゃったね 。

書いてくれなかったし 。 』 「 エッ 、 書いてましたよ 。 」 『 エッ 、 ウソッ ? 全部見てたつもりだけど 。 「 最終号の前の日に書いてましたよ 。 見落としていた 。 毎回読んでいたつもりだったのに 、 その日だけ 。 あった 、 あった 、 6月22日のLO報告に 、 クウェート 日誌第8号が 。 10日遅れで読ませて頂いた 。 報告内容にもご満足いただいたようで 、 ホッとしている 。 イラク戦争中の教訓については出したくないのかと思っていたが 、 先日砲兵中隊の1

「 少佐 に会い 、 『 お陰様で砲兵学校にはいい報告ができました 。 と御礼を申し上げたところ 、 今 、 教訓を各学 校に纏めさせているのでもう暫く待って欲しいと言われた 。 ( 英国の各階級等の学校に問い合わせている と言っていた 。 将校教育 、 下士官教育等を受け持つ学校に問い合わせているらしい 。 ) 手に入れば 、 かな り役立ちそうだが 、 離脱までに間に合うかどうかが心配である 。 クウェート日誌は 「 次回感動の最終回 ! か ? 」 と書いて 、 本当に終わってしまうところが心憎い 。 流石である 。 バスラ日誌 、 次回感動の最終回 ! | . か ? :

2 MND ( SE ) の

師 団長は 、 7月中旬に交代する予定である 。 それに併せて師団の主要な幕僚 「 もにこバスラを去っていく 。 それを過ぎれば 、 我々がここにやってきた時にいた人達は 、 ( 米軍を除き )

誰もいなくなってしまう 。 その内の一人で 、 いつも私に日本茶の催促していた は 、 一昨日戦力 回復から帰ってきたが 、 7月9日には英国へと帰国する 。 帰国直前の戦力回復は 、 J9部内の人員配置の やりくりから 、 仕方なくこうなってしまったようだ 。 彼は戦力回復から帰ってくると 、 「 驚かせる物があ るから 」 といって 、 30cm四方の箱を持ってきた 。 開けてみるとなんと 、 でっかいイングリッシュ ・ ティー ・ ポットが入っていた 。 私はいつも急須 ( といってもブラスティックと真鍮製だが ) で日本茶を飲 ませてあげていたが 、 紅茶はティーバッグしかなかったため 、 本物のイングリッシュ ・ ティー ・ ポットを 見せたかったようだ 。 彼はミセス サン ( 注 : 私の名前 ) に本物のポットでティーを飲 ませてあげてほしい 」 といい 、 わざわざ私のために買ってきてくれたのだった 。 思わぬプレゼントに感謝 したのだが 、 このでっかいティー ・ ポットをどうやって日本まで持って帰るかが 、 現在の悩みの種である 。

3 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。

「 スミッティLO日々業務報告 ( 7月2日 )

分 ・

:

1 警戒態勢等

変化なし 」

Threat Level

2

特記事項 . |

サマーワ市内で発生したデモに関し重点的に情報収集を実施 ・

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応等

| サマーワ市内等の治安情勢 、 デモ情報 、 英素軍の情勢判断等 、 ( 2 ) 各種業務調整等

J2関連 、 明日以降の豪軍支援要請関連 、 通信器材等撤収関連 、 ( 3 ) 各種ミーティング等

英 ・ 豪軍作戦会議参加

整備関連等

4 明日の予定

( 1 ) 情報要求対応等 ( 2 ) 各種業務調整等 ( 3 ) 各種ミーティング等

5

その他 ( 備考 )

明日の射撃訓練 なし


バグダッド日誌 ( 2006年7月3日 )

Responsive image

バグダッド 日 誌 ( 7月3日 )

○多国籍師団担任国の思惑

イラクにおいて多国籍師団を担任しているのは米 ( 3コ師団 ) 、 英 、 韓 、 ポーランドの4カ国である 。 この4カ国の思惑 を 「 指揮 」 「 国益 」 「 脅威 」 の3つの観点で個人的に見ている 。 先ず 「 指揮 」 の面で考えると米 ・ 英 ・ ポーランドは担当師団内で 「 Multi - lateral Command 」 で師団地域に自国以外の 部隊を率いているが 、 韓国のみ 「 Uni - lateral Command 」 で担当地域には韓国軍しかいない 。 このため韓国は 、 担 任地域の広さの割に多くの人員を派遣しなければならないが 、 反面多国間の調整の煩わしさを回避しているとも言 える 。 またポーランドのようにMultiの能力を持つことにより 、 派遣規模を縮小している面もある 。 イタリアは現時点で ポーランド以上に人員を派遣しているにも拘わらず 、 英軍の指揮下に入り 、 師団担当を回避 ? している 。 「 国益 」 の観点では米が 「 北部のキルクーク油田 」 ・ 英が 「 南部のバスラ油田 」 を押さえ 、 権益確保の思惑が伺える 。

ポーランド 、 韓国は 、 右油ではなく国際社会に対する 「 貢献 」 という形で国益を確保しているように感じる 。 「 脅威 」 の観点では 、 スンニ ・ トライアングル等の最も危険な地域を米国が担当し 、 英国もスンニ ・ トライアングルほどで

はないが脅威の高い 「 バスラ 」 地区で脅威を負い 、 米軍に次ぐ犠牲を払っている 。 この観点では韓国軍は安全を第 ・ 一に考えた地域を担任し 、 師団を担当しながら未だ一人の怪我人もだしておらず 、 また任務で一発の射撃もしていな いそうだ 。 ポーランドは 、 石油等の出ない地域であるが 、 脅威のある地域の担当であり割に合わない地域である 。

総括した私の見立ては 、 「 米 」 は高い指揮能力をもち 、 リスクを背負って犠牲を覚悟しながら唯一の超大国としての責任を全うしている 。 その中 「 でも石油等の権益をきっちり押さえている 。 「 英 」 は 、 卓越した指揮能力を発揮して 、 したたかに 「 石油 」 の権益を確保している 。 権益に付随する脅威 ・ 犠牲もアリ カに比して非常に小さく抑えている 。 ・ 「 韓 」 は 、 安全を第一に高い動員能力をもって貢献し 、 国際社会における地位向上を図っている 。 「 ポーランド 」 は高い指揮能力を活用して 、 数的にすくない人的負担であるが犠牲のリスクを負い 、 世界の中でのポー ランドの地位向上を図っている 。 イラク ・ オペレーションに参加しているコアリションの中で師団を担当する主要4カ国を見たが 、 コアリションは 「 有志連

合 」 といわれる文書協定のない 、 各国の 「 志 」 により作戦に参加しており 、 現在参加しているコアリション29カ国が自 「 国の特性に応じて 、 進んで貢献できることを提供してこの作戦にあたっている 。

バスラLO日々業務報告 ( 7月3日1900 )

区分

パスラ空港

1 警戒態勢

( 警戒態勢 ) . : .

2 特記事項

la 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応 | SSR ( IsFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 IED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ 夕会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議 ( 4 ) 航空輸送調整 、 師団長表彰調整 、 英軍回線撤収調整等

さま | S68

4 明日の予定

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会議出席

航空輸送調整等

5 その他 ( 備考 )


バスラ日誌 ( 2006年7月3日 )

Responsive image

1 MND - SE管内の状況 、 IT

バスラ日誌 ( 7月3日 ) - 160号 ( ネ快式会チ ) -

14日 、 0900をもって

を遮断する 。 いよいよ先発及び主力の移動が目前に迫ってきた 。 これまで 、 師団がどう考えているか 、 司令部の雰囲気は 、 あるいは我々の近況は 、 さらにはサマワに対す

る感謝 、 または意見具申等 、 様々なことを伝え 、 喜んで頂いたり 、 お叱りを頂いたりしてきたが 、 本日を 「 もって最終号とし 、 残る詰めの業務に専念したいと思う 。 最後のお1人が 、 無事クウェートに到達するま 「 で 、 全力を尽くして我々に与えられた任務を完遂したいと思う 。 『 皆さん 、 クウェートで会いしょう ! 』 2 バスラは 、 距離及び脅威のため移動の制約があり 、 電話とEメールという限られた連絡手段のみによっ て意思疎通を図らねばならず 、 サマワの関係者の皆さんには色々とご迷惑をおかけしたかもしれない 。 し かし 、 我々バスLOは 、 を中心に日本隊の任務達成のために最善を尽くしてきたと自負してい る 。 相手が何を必要としているか 、 相手が何をしてもらえば任務を完遂できるのかを常に考える 、 相手の

視点にたった思いやりの姿勢で最後まで勤務していきたい 。 9 バスラLO情報担当として 、 「 緊急情報の即時報告 」 、 「 使用者が利用しやすい情報資料の提供 」 を心掛 けて勤務してきたつもりであるが 、 至らない点もあり皆様にご迷惑をお掛けしたかもしれない 。 ほとんど の他国軍軍人は 、 我々LOが日本人と接する初めての機会であったと思われるが 、 班長を筆頭に 「 勤勉な 日本人 」 の印象を持ったのではないかと密かに思っている 。 戦後 、 日本は奇跡の復興を果たした 。 その理

由が 「 勤勉さ 」 にあると他国軍軍人は 、 感じているようである 。 4 バスラで勤務して 、 多国籍師団の作戦を目の当たりにすることができた 。 今思うと 、 状況は常に変化し 、

また様々な出来事があり 、 あっという間に時が流れていったような感じだ 。 その間 、 多国籍師団とサマー * ワとの架け橋として勤務できたことに幸せを感じている 。 また 、 多国籍師団から受けた数多くの支援や日

本 、 サマーワ等からの激励には感謝の気持ちで一杯である 。 勤務を振り返ってみたが 、 まだ終わったわけ ではないので 、 最後まで任務が全うできるように気を引き締めていきたい 。 6 バスラ4名 、 最後まで極めて健康 英軍病院受診回数っ ! サマワから送ってもらったO虫の薬のみ !


バグダッド日誌 ( 2006年7月4日 )

Responsive image

バグダッド 日 誌 ( 7月4日 )

Oバグダッド連絡班の微妙な緊張感解消 ! ( 食べ物のうらみは恐ろしい ? 後日談 )

日本やサマーワから送って頂いた日本食の残りが少なくなり 、 微妙な緊張感がバグダッド連絡班内に生じ始めてい ることを先日紹介した 。 ところが思ってもみない朗報がからもたらされた 。 「 日本隊のコンテナがあるキャンプ ・ ヴィクトリーに隣接するキャンプ ・ リバティーのPXに日本のカップ麺 ( カップ ・ ラーメ ンのラベルも日本語 ) が販売されているのを発見してきた 。

種類は日本でもおなじみのチキン ・ ラーメンやどん兵衛など5 ~ 6種類あり 、 値段も1 . 5 ~ 2ドルぐらいで値段も日本 で購入するのとさほど変わらない 。 アメリカ製のあまり美味しくないカップ類は30 ~ 50セントで販売しているのに比べ ると割高感はあるが 、 米兵の間でも人気で飛ぶように売れていると が興奮気味に報告する 。

たかがカップ類ぐらいのことで騒ぐ必要はないのだが 、 今まで生じていた緊張感は 、 単にバグダッド連絡班が食いし ん坊で 、 やや食べ物に固執してしまう特性から生じていたものと思われる 。 これで我々バグダッド連絡班内の日本食 に対する緊張感が一気に解消し 「 鉄の団結 」 も盤石である 。


バグダッド日誌 ( 2006年7月5日 )

Responsive image

OUTLOOK

Assessment .

バグダッド 日 誌 ( 7月5日 )

○米国独立記念日 いつもは朝の指揮官報告 ( BUA ) にギリギリ間に合うように起床する が 、 昨日は5時起きで 、 早くも仕事を 開始している 。 「 何かあったのか ? 」 と尋ねると 、 「 今日は独立記念日ですから ! 」 が元気よく答えた 。

昨日7月4日はアメリカ最大の祝日 「 独立記念日 」 ( インディペンデンス ・ デイ ) であり 、 別名 「 The Forth of . Juy 」 と呼 ばれ 、 アメリカ全土で盛大なパレード ・ 花火 ・ 催し物が行われる1年で最大のお祭りなのだそうだ 。 ここバグダッドでも キャンプ ・ ヴィクトリーの食堂 ( DFAC ) が 、 スターズ ・ アンド ・ ストライプをテーマに赤青白を基調としてデコレーションさ れ 、 テーブルは星条旗柄のテーブル ・ クロスに変わっていた 。 「 この日はアメリカ本土では 、 隅田川の花火大会なみに大々的に花火を打ち上げるのだそうだが 、 ここバグダッドで は 「 照明弾やヘリのフルアーがいつもより多く炊かれるのではないか ? 」 と冗談を言っていたが 、 昨晩は本当に激しく ルアーが炊かれていた 。 この米国独立記念日 、 アメリカがイギリスから独立したわけであるが 、 同じコアリションの仲間としてお祝いするにも 何かと気を使うだろうと感じていた 。 しかしながら日本人的な心配をよそに 、 米軍人は 「 脳天気 」 に独立記念日を祝っ ており 、 英軍人が冷ややかに眺めているのが印象的であった 。 ところで 、 が何故朝早く起床していたかが未だに理由が分からない 。 彼は一体何からの 「 独立 」 を祝ってい るのかバグダッド連絡班内の 「 謎 」 となっている 。


バグダッド日誌 ( 2006年7月6日 )

Responsive image

バグダッド 日 誌 ( 7月6日 ) | |

○ショー ・ ザ ・ フラッグ

本日の朝の指揮官報告 ( BUA ) において各コアリション ・ フォースの人員数が報告されたが 、 このなかで日本の人員 数が5名となっており早速訂正に行ってきた 。 報告の際にもケーシー大将がすぐ数字に間違いがあると感じたらしく 、 コアリション ・ オペレーション部長 「 に調べ直すように指示していた 。

MNF - 1として数える勢力は 、 イラクに所在する人数のみで 、 クウェートに所在する人数は計上されない 。 このためイ ラク復興支援群撤収後は 、 本日のBUAで報告されたように 、 バグダッド連絡班の5名のみがコアリション ・ フォースと して計上されることになる 。

日本の撤収が正式に決定された時 、

がすかさず 「 日本のバグダッド連絡班は残るのか ? 」 と聞かれた 理由が分かった気がする 。 もし日本からバグダッドに連絡班が派遣されない時はMNF - 1から旗が一つ消えることを 意味するからである 。 今後もバグダッド連絡班が 「 ブーツ ・ オン ・ ザ ・ グラウンドし続ける限り 、 MNF - 1の一員として 「 ショー ・ ザ ・ フラッグ 」 できる存在感を改めて認識している 。

バスラLO日々業務報告 ( 7月6日1900 )

「 区分

一容 |

バスラ空港

| 警戒態勢

( 警戒態勢 ) :

m

2 特記事項

2

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応 | SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 ED及びDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ タ会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認験統一会議 ( 4 ) 航空輸送調整等

14 明日の予定

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会議出席 [ 3 ] 航空輸送調整等

5 その他 ( 備考 )


バグダッド日誌 ( 2006年7月7日 )

Responsive image

JAM Update : 07 July

「 Assessment

バグダッド 日 誌 ( 7月7日 )

○受け入れ準備完了 ! 「 昨日ウェートに次期バグダッド連絡班がアリ ・ アル ・ サレムに異状なく到着した 。 クウェートからバグダッドへ移動す るための英軍C - 130で予約が 、 搭乗優先順位の関係でウエイティング ・ リストに入ってしまい 、 最終的には希望日に移 動ができななってしまった 。 現在血率で次の移動便の予約 ・ 確認を実施している 。 * 次期バグダッド連絡班はキャンプ ・ ヴァージニアではなく 、 空自アリ ・ アル ・ サレムにお世話になっている 。 クウェート は 、 ここバグダッドより暑く大変だとは思うが 、 体に気をつけられバグダッドに到着れるのを心待ちにしている 。 昨日 ・ 本日と次期バグダッド連略班の皆さんと電話で話すことができたが 、 空自の宿泊施設は大変快適であるそうで 、 時差 ぼけ等の疲れもなく体調は万全だそうだ 。 このことを聞き我々としても安心しているが 、 半年前に我々が感じていたよ うな不安を少しでも軽減できるよを受け入れに準備を期している 。

○暖かい激励に感謝

群長 ・ 薬務支援隊長から節目 ・ 節目で暖かい激励の言葉をかけて頂き 、 バグダッド達料班一同感謝している 。 また最近は 、 交通事故対応等で空自派遣輸送航空隊司令を始めアリ ・ アル ・ サレムからも色々とお心遣いを頂き 、 ようやく紫色 ( ) の仕率が出来ているような気になっている 。

( バグダッド連絡班一同 )

6 ・


バグダッド日誌 ( 2006年7月8日 )

Responsive image

JAM Update : 08 July

, ,

Assessment

バグダッド 日 誌 ( 7月8日 )

○早朝の電話

ここ4日ほど連続して朝3時頃に電話がかかってきた 。 しかも呼び出し音の鳴っている回数が5 ~ 6回ぐらいしかなく 、 受話器を取ろうとした瞬間に電話が切れ 、 誰が掛けてきたのか分からない 。 派遣間 ・ 無休 ・ 24時間対応を自負してい | | るバグダッド連務班にとって 、 電話にでられないことは痛恨の極みである 。 ところで東京から掛かってくる電話は 、 緊急を要するものでないかぎり 、 我々が起床する朝6時以降 ( 日本の朝11時 以降 ) にしか掛けないように気を遣ってくれている 。 従って朝3時頃の電話は 、 緊急事態がサマーワで発生したものと 感じ緊張して構えてしまう 。 と私は 、 全ての通信機のある日本コンテナで座起きしているため 、 電話が鳴る たびに狭床からゼンマイ仕掛けの人形のように飛び起きて 、 競争するように受話器に向かう 。 電話をとろうとした瞬間 に切れてしまい 、 受話器を恨めしそうに眺めてから 、 二人で顔を見合わせている 。 その後は緊急の電話が掛かってく るのではと興奮して眠れず 、 神経をとがらせている 。 ・ この朝3時の電話の掛け主は 、 せめて10回呼び出し音を弱らずまで 、 待って欲しいと願っている 。


バグダッド日誌 ( 2006年7月9日 )

Responsive image

バグダッド 日 誌 ( 7月9日 ) ・

O1次空自バグダッド連料理 ( 6次バグダッド蓮務班 ? ) 到着

昨日1次空自バグダッド連怒班が到着した 。 英車C - 130から米軍C - 130に飛行便が変更となり 、 色々と苦労もあっ たが 、 なんとか予定通り受け入れることができた 。 非常に暑い中での移動で大変であったと思うが 、 以下5名 と無事お会いでき大変嬉しく思った 。 今思い返すと 、 我々が到着した6ヶ月前のことを走馬のように思い出すことが出来る 。 我々が到着した1月は案く 、 また大雨の降った後であった 。 バグダッド空港に到着した夕刻 、 手違いのため日本隊の 出迎えに会えず 、 約1時間とても心細い思いをして 、 すでに暗くなった軍用ターミナル内を探し回った 。 またキャンプ ・ ヴィクトリー再編中で宿泊が天幕であったため 、 寒さの中 、 泥の上での生活であった 。 更に天幕は帰国待ちの米陸軍 大佐一行と同じ部屋であり 、 当初ナイト ・ シフト勤務の は 日中 、 眠るに眠れず 、 今思うと申し受け期間が一番 つらかったと述懐している 。 また1Dの発行等に時間を要したため 、 KBR ( 米軍の支援をする民間会社 ) の洗濯サービ

スを使用できず 、 約10日間の申し送り期間中 、 下着を替えることもままならず 「 着た切り雀 」 で苦労したことを思い出し | | た 。 「 今回受け入れにあたり 、 我々が苦労したことをなるべく改善しようと 、 宿泊コンテナを確保し , またIDもすぐに発行で

きるようにタンパL0 には多大なご支援を頂いた 。 1次空自バグダッド連絡既は 、 クウェートでの慣熟期間がほとんどなく 、 灼熱の炎天下心細く思っていると思う 。 1次 空自バグダッド連絡班が良いスタートを切ることができるよう 、 バグダッド連絡産一致団結して努力している 。

バスラL0日々業務報告 ( 7月9日 1900 )

|

バスラ空港

| | | 警戒装勢

( 善戒態勢 ) :

|

2 特記事項

| 本日の業務

| 隋貌要求对应

「 SSR ( ISFの戦力化の状況 ) , MNDISE ) の将来計画 、 ED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 :

9 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ 夕会課 、 J2 ・ J3 ・ J9頭識統一会 ( 4 ) 航空輸送調整等

4 朝日の予定

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収黒 ( 2 ) 定例会議出席 「 航空箱送用性等 。

5 その他 ( 備考 )


バグダッド日誌 ( 2006年7月10日 )

Responsive image

「 JAM Update : 10 July

I Assessment

| バグダッド 日 誌 ( 7月10日 )

○金さんの次 ? ? 英語で苦労していた の調整能力は最緒段階を迎え益々 「 冴え 」 を見せている 。 交通事故対応の際 、 イラク 国内における米軍病院の医療レベル ( レベル4が最も難しい医療を提供でき 、 数字が下がるほど質が落ちる 。 ) を入 手してきたり 、 会議準備をさせれば 、 場所の手配からプレゼンの準備まで 「 そつ 」 なく実施する 。 またサマーワに関係 する安全情報を入手した際 、 日本語訳を実施させているが 、 バグダッドに来た当初に比べればその精度は雲泥の差 。 であり 、 最近では 、 ほとんど私が修正しなくともよい程度に開訳するようになっている 。

先日 、 1次空自バグダッド連絡葬受入れの際 、 コンテナ等の荷物を運ぶためコアリション ・ オペレーション部からピッ クアップ ・ トラックを借用する予約をしていた 。 ところが当日になって 、 コアリションの誰かが無断使用していたため費 用できなかった 。 破れている1次空自連絡族の方々に申し訳ないが 、 折り返し輸送をする必要があると思いながら軍 用バグダッド空港に出迎えに行った 。 すると ポ ンコツ ・ ビック ・ アップ ・ トラックをどこからか調達してきてパグ ダッド空港までやってきた 。 入手先を聞いてみると 、 3軒となりの米軍コンテナで事務仕事をしている米陸軍伍長 ( ほと んど面識はない ) からこのポンコツ車を借用してきたとのこと 。 お陰で折り返し輸送することなく円滑に出迎えができて

の株価は急上昇していた ( 過去形 ) 。

帰国を間近に控え 、 多国籍軍のC - 1からBO ( 経歴 ) 提出の抜額があり 、 そのフォーマットが送られてきた 。 とこ ろが 、 それを確認しながら 、 なにやら不機嫌そうにブツブツ文句を言っている 。 何があったのかを尋ねると 、 「 C - 1の 、 野郎ども私を韓国人と勘違いしていて “ 金さんの次 ” だなんて言っているんですよ 。 」 とくちばしを尖らせている 。 よく見 ると 「 Next of an 」 ( 配偶者 ・ 最近親者 ) を記入する欄に文句をつけているようだ 。 辞書を調べるように言うと 、 ようやく 合点がいったようで 、 恥ずかしかったのか苦笑いしている 。 まだまだ修行不足であった 。


バグダッド日誌 ( 2006年7月11日 )

Responsive image

JAM Update : 11 July

Assessment

. .

.

[ . .

,

W .

.

・ ・

. … …

.

* . . . . . .

.

:

* :

.

.

:

.

D

E

. .

. : .

: .

:

. :

.

: . : :

:

| バグダッド 日 誌 ( 7月11日 )

○申し送り ・ 申し受けに奮闘中 !

タンパLO の多大な協力により 、 1次空自バグダッド連絡官 ( 6次バグダッド連絡官 ) に対する多国籍軍司 令部用 「 身分証 」 の発行や米軍ネットワーク 」 の申請が予想以上に順調に進んでいる 。 受け入れ側としても 、 申し送 りの時間を確保でき安堵している 。 身分証を入手できたことで早速 、 昨日MNC - I副司令官

のところへ上 ・ 下番の挨拶に行くと 、 開口 | 一番 、 日本隊が撤収する前にサマーワを訪問できたことを大変喜んでおられ 、 またサマーワの 「 ホスピタリティ 」 の素

晴らしさを改めて褒めておられた 。 ・ 「 ところで多国籍軍司令部 ( パレス ) の建物の中は 、 天井が8つの太い柱に支えられたドーム状になっており 、 油断を すると方向感覚を失いやすい 。 パレス内を案内する際は 、 「 エントランスを12時 」 として1Fの 「 2時の方向に 司令官の執務室 」 、 「 6時の方向にJoc ( Joint Operation center : 朝の指揮官報告実施会場 」 、 2Fの 「 3時の方向が 執務室 」 、 「 5時の方向が

執務室 」 等々 、 陸上自衛隊式地点指示よろしく説明している 。 し かしながら説肌ている先から私自身が12時の方向を失いそうになり 、 受ける方は大変である 。 また先住連絡官

にとって 、 20数カ国のコアリションLOや 、 米軍スタッフ等々との自己紹介は 、 「 聞き慣れない名前 」 「 見たこと もない国旗 」 「 癖のある英語 」 の波状攻撃に大変であろうと想像に難くない 。 MNF - 1司令官 MNC - 1司令官

への交代挨拶のためのアポイントも完了し 、 申し送り もいよいよ本格化してきている 。 1次空自バグダッド連絡班の皆さんの 、 業務に対する並々ならぬ真剣さに感化され 、 5次バグダッド連絡班の申し送りにも益々熱が入っている 。


バグダッド日誌 ( 2006年7月12日 )

Responsive image

バグダッド 日 誌 ( 7月12日 )

pアジア共通の価値観 ? ( 韓国軍バグダッド連絡班 ) ・ 韓国先任連絡官 統幕運用部2課長 と米国防大学のクラスメートであり 、 そのよしみで何かと日本隊に協し 、 親切にしてくれる 。 また 、 韓国連料理は日本隊の行動に非常に関心を持っており , イラクにおける日本の行動がニュースに流れると 、 韓国連 絡幹部から真っ先に問い合わせがあり 、 隣人である日本が気になって仕方ないようである 。 日本側としても 、 韓国に無関心でいるのも失礼かと思い 、 韓国軍連絡官を少し気に掛けて観察してみると 、 ハンドブック のようなものを持っていることに気づいた 。 このハンドブックはイラク派遣の隊員用のもので 、 日本隊のハンドブック同様に 現地情勢 ・ 国際法 ・ 装備 ・ 会話集に至るキメの細やかな内容で 、 さすがはアジアの勤勉さが一目で見てとれた 。 「 日本と韓国共通点はこれだけではない 。 現在MND ( NE ) を担任する韓国は 、 イラク派遣当初は日本と同じくAND ( SE ) のナシリアに展開していたが 、 安全に関する嗅覚鋭く , イラクの北部にあるクルド自治区に移動した 。 イルビルもサマーウ と同様に人を介しての情報網が発達しており 、 「 隣の家で羊が生まれると 、 その数まで近所の人が知っている 。 型の呼社 会なのだそうで 、 テロリスト等のよそ者が入ると瞬時に導で分かるそうだ 。 このような尊社会においては 、 地元の人々との 信頼関係は欠かせない 。 韓国軍も日本隊同様にクルド民族を尊敬し 、 対等の視線で付き合っている 。 復興支援のコンセプ トも 「 イラクの復興はイラク国民の手で ! 」 をスローガンに 「 復興の手助け 」 に激している 。 ・

先日 、 日本隊と仲がよかった が 、 帰国を前に韓国のイラク復興支援Tシャツをプレゼントしてくれた 。 そのデザイ ンは韓国国旗とイラク国旗から手が出て 、 握手しているものである . . . 。 そうそれは 、 「 ヒゲの隊長 佐藤1佐 」 の1次業務支 援隊の当時から日本が復興支援のシンボルに使用しているデザインの韓国国旗バージョンである 。 これを見ながら 、 「 同 じアジアの思考過程だから ? 」 「 単なる偶然 ? 」 それとも 「 コピー ・ ライト違反 ? 」 と思いを巡らせている 。

バスラLO日々業務報告 ( 7月12日1900 )

|

| バスラ空港

1 警戒態勢

( 壁戒馬券 ) :

Es

2 特記事項

・ 13 本日の業務

( 1 ] 情報要求対応 )

SSR ( SFの戦力化の状況 ) 、 MNDISE ) の将来計画 、 ED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 | ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ タ会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識壮一会論 ( 4 ) CME会菌代理出席 ( 5 ) 航空輸送調度等 ( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会衆出席 ( 3 ) 航空輸送調整等

5 その他 ( 備考 )

a


バグダッド日誌 ( 2006年7月15日 )

Responsive image

ながら

Otsuo )

18 . 7 . 15 「 イラク復興支援群

o治安情勢 : 別途 「 イラク復興支援群活動報告 」 第3項 「 現地の治安状況等 」 確認 0 警備態勢 ! 0 群長指導事項 一保全上の点検 ・ 整理整頓を実施せよ 。 実施できるのは今日が最後であり 、 明日以降はそういうことができないので 、 しっかりと留意をして点検せよ 。

治総会開の

0 治安情勢 : 別途 「 イラク復興支援群活動報告 」 第3項 「 現地の治安状況等 」 確認 ・ 0 警備態勢 : ○ 群長指導事項 一要望事項について ・ 立つ鳥跡を濁さず 保全に関するものを残さず 、 後から来るIAに対し感謝されるよう 、 できる限り誠意を持って整理整頓を せよ 。 最後まで 、 笑顔 ・ 真心 ・ 感謝の気持ちを持って各所掌で実施せよ 。 ・ 統制のある行動 明日以降の行動についてやり残したことがないようにやるべきことを徹底せよ 。 最終波で注目を浴びるた め 、 最後まで服装 ・ 態度等 、 統制のある行動をせよ 。 .

| バグダッド 日 誌 ( 7月15日 ) | |

の多国籍軍団司令部情報部

今年の正月明け 、 まだお屠蘇気分も抜け切らぬ真冬の日本からバグダッドに来てから早7ヶ月目に入った 。 私の職場である多国籍軍団情報部 でもすでに最古参である 。 新しく来た他国の軍人に 、 いつも間にか 勤務要領 を指導したりする立場になっていた 。 半年前は右も左も分からず 、 不安しかなかった自分を思い浮かべ 、 新人にして はホスピタリティーを持って接している 。 彼らもこれから様々の経験を積んでいくのだろう 。 ここでの勤務は本当に人生の勉強になった 。 同僚の各国の軍人達との討議における意見の相違して文化の違いか ら来る様々な軋轢もあった 。 アゼルバイジャン 、 ラトビア 、 エストニア 、 マケドニア 、 トアニア 、 アルバニア 、 スロバキア 、

韓国等から来ている彼らと 、 敵の可能行動について夜を徹して討議した日々も今では全て良き思い出になった 。 我々の 【 結論に対して3から賞賛された時は 、 リーダーとして彼らをまとめた苦渋の時間も今は報いられた気がする 。

ここでの勤務は演習ではない 。 全てが本番だった 。 我々の見積が 、 多国籍軍兵士の命にかかわる問題になり緊張の 連続だ 。 しかし私がここで勤務できるのも 、 それを支援してくださる多くの人達がいるからこそであったことを決して忘れ ることはない 。

残りの日々を最後の最後まで気合で頑張りたい 。

明るい未来を思わせるバグダッドの夜明け


バグダッド日誌 ( 2006年7月16日 )

Responsive image

留 国領型 = D慮

置の森

群主力

後送葉跡隊

クウェート分選択

・ 府脱第5波のCVへの移動 ・ 器国第1取クールダウン ・ 後送車両の輸送 ( タリル発 28 )

・ 10次群装備品回収 ・ 10次群検営 ・ 検置支援 * * CV受入支度 ・ CFLCC均整

| ・ 後送車両受入 ( 28湾 )

倉庫におけるコンテナの開槽 ( 6本 )

倉庫におけるコンテナ詰め ( 6本 ) ・ PWC洗浄施設における後送車両の点検及び洗車

( 1次洗浄6両 、 2次洗浄3両 ) ・ ナビスタ国現通過支優 ・ 照規席5位の出迎え ・ 10次群被験 ・ 技量丈爆 ・ 帰国第1致CA研防支援

バグダッド 日 誌 ( 7月16日その1 )

o バグダッド勤務をふりかえって 私の勤務も最終局面を迎え 、 本来業務に加え1次空自連絡班への引継業務が加わり忙しく走り回る日々が続いている 「 チェーンとギアに油を差せば速く走れるようになるよ ! 」 と まんがまじないをかけてくれた愛車 ( 自転車 ) の黒いス ポーツカーに跨り 、 黒いヘルメットを被ってキャンプヴィクトリーのメインストリートを激走する 。 ドライヤーのような熱風を 受けつつがむしゃらにペダルを漕ぐと 、 MPが設置している自動速度取締装置は12マイル / hを記録する 。 時には後続 車にクラクションをならされ 、 粗悪な道路にタイヤをとられることもある 。 しかし 、 各国の兵士が爽やかに挨拶に答えてくれ て爽快な気分である 。 調子に乗って高級将校に対しても 「 ハーイ ! 」 と声を掛け 、 慌てて 「 サー 」 を付け加える 。 そうこうす るうちに 「 あ 、 着弾音 ! 」 と退避施設に身を隠す 。 まさに 、 こんな6カ月間だった 。 ・ 何の不自由なく業務に専念できる最高の装具と安全な施設を与えて頂き 、 がむしゃらに職務に専念した 。 しかし 、 調整 はそれだけでは上手くいかず 、 様々な状況は灼熱の向い風となって 、 つまずくことも壁に当たることもあった 。 時には ( 度々 ) 班長から愛情のこもった指導もいただいた 。 しかし 、 コアリションのメンバーや高級将校の方々は大変紳士的で友 好的に接していただいたと感じている 。 不意急襲的に襲ってくる砲弾に多少悩まされたものの 、 大変有意義で充実した6 カ月間であった 。 ここイラクでの6ヶ月は何にも代え難い良い経験をさせていただき大変感謝している 。 現状では能力不 足のために班長の右腕になるどころか足手まといになったことが多々あり 、 迷惑をお掛けたしたものの 、 私にとっては理 長と寝食を共にしたこの6ヶ月は自衛官として人間として非常に勉強になった 。 今後 、 この経験を活かせるよう努力精進 したいと思いう 。 この場を借りて 、 派遣の機会を与えていただいた部隊の方々 、 能力不足の私に丁寧に対応していただ いた調整担当者の方々 、 そして親身に指導してくれた班長に深く御礼申し上げます 。

lo 御購読有り難うございました 。 ・ 友達になったイラクの将軍は最後までフレンドリーで自分のデスクへ御招待 ! 「 君の今後の活躍を期待しているよ ! 」 - KBR ( 宿舎担当 ) のマダムは 「 英語上手になったわよ ! 帰るなんて寂しいわ ! 」 と抱擁 ! ・ 国旗掲揚塔には申し送りのため新品の国旗に交換 。 更に大きな日の丸に ! ・ 簡易便所は更に室温を上昇させ 、 温度計では計測不能 ! 青い液体が蒸発中 ! | - バーバー バグタッド店 、 一身上の都合により閉店 ! ご愛好有り難うございました 。


バグダッド日誌 ( 2006年7月16日 )

Responsive image

バグダッド 日 誌 ( 7月16日その2 )

Army Commendation Medal受章 ! ! ! 昨日パレス ( 多国籍軍司令部 ) ホールにおいて多国籍軍団勤務者に対するメダル授与式が実施され 、 がMNC 「 からArmy Commendation Medalを授与された 。 の両名はMNC - 1

( 以下スタッフLOという 。 ) として 、 米軍をはじめとする ニアリション各国将校に伍して勤務しており 、 日本隊スタッフLOの二人でデイ ・ ナイト2交代 ・ 24時間の勤務をしている 。 日頃からスタッフLOが所属する

が日本隊スタッフLOの仕事ぶりを大変評価して くれていた 。 2週間毎に研究命題を与えられ7 ~ 8名の他国のスタッフLOとチームを組んで発表するのだが , この研究命 題のプレゼンを含んだ総括を実施するチーム ・ リーダーに 、

が頻繁に指名 ( 時には立候補したこと もあったが . . ) され 、 他国のスタッフの2 ~ 3倍の割合で研究発表を実施していた 。 文化 ・ 習慣の違う多国籍からなる意見 をまとめるのは大変で 、 スタッフLOの二人は常に寝不足気味であった 。 このため 、

にチー ム ・ リーダーの回数を各国同等にするよう掛け合おうとしたが 、 本人達は 「 仕事を貰っているうちが華 」 と百家争鳴する意 見交換を楽しんでいるようでもあった 。 スタッフLOの二人は 、 「 日本で勤務しているのと変わらず普通に勤務していただけだ 。 」 と言っているが 、 をはじめとして 、 研究命題にともに取り組んだ他国の将校も日本のスタッフLOを信頼し 、 尊敬していることが 、 私がスタッ PLOのオフィスに行くたびに感じることができた 。 「 スタッフLOの受章した勲章は本人達の名誉であると同時に 、 我々バグダッド連絡班の名誉であり 、 多国籍軍の日本隊 に対する評価であると誇りに思っている 。

おめでとう ! ! ! !


バグダッド日誌 ( 2006年7月17日 )

Responsive image

別紙第1

「 RSU差動状況 ( 7月17日 )

30 %

Term ,

群離脱第5波のアリアルサレム基地での出迎え

本日で終了したナビスタ通過支援

.

では 、

大使公邸夕食会

キャンプバージニアにおける報道対応

バグダッド 日 誌 ( 7月17日 )

[ 01 / 600 ~ ~ 海の日に寄せて ~ ~ ・ 「 今次派遣に際し 、 海上自衛官だからと多くの方に心配していただいた 。 確かに陸軍キャンプでの生活は初めであっ たが 、 これでも自衛官の端くれ 、 さほど苦になるものではなかった 。 ただ 、 言葉については日本語の知識不足が影響 し 、 終始苦労した 。 連隊 、 大隊 、 といわれても相場観がない 。 そのためRegimentげだBattalionだと言われてもイメージ | がわかず 、 なかなか覚えられないのである 。 地方隊や航空群について陸自隊員がイメージし辛いのと同様であろうか 。 恥ずかしい話 、 砲と迫の違いもよくわからず 、 迫撃砲は砲なのか迫なのかと悩んでいた 。 ここまでくると 、 語学の素養 とは別次元である 。 自衛官として猛省させられた次第である 。

他方 、 海上自衛官でよかったと思うこともあった 。 というのもバグダッドで話しかけてくる米軍人の多くは 日本に勤務したことがあるという 。 陸軍ならば沖縄 、 座間 、 海軍は横須賀 、 厚木 、 空軍は三沢 、 海兵隊は沖 縄 、 岩国といずれもこれまでの勤務地あるいはその近傍である 。 そのため 、 いわゆるローカルな話で親近感 が増し 、 会話が弾むことも多かった 。 私自身 、 遠洋航海は勿論 、 月並みではあるがこれまで護衛艦で1回 、 航空隊で1回 、 計2回の派米訓練に参加し 、 ハワイ 、 サンディエゴへの寄港や 、 ウィッビーアイランド基地 やカネオへ海兵隊基地に滞在させてもらった 。 日米候補生交換行事では呉から横須賀まで米艦艇に乗艦し操 艦訓練等をさせてもらったり 、 沖縄勤務の時には2週間に亘って原子力潜水艦に乗艦し 、 対潜訓練を研修さ せてもらったりもした 。 日米共同使用の厚木基地で2年間 、 渉外幕僚として勤務もした 。 特にこの勤務は9 . 11テロを経験し 、 それまでの自衛隊の整備に関する考えが一転 、 基地運用が全て対テロのフィルターを通 して行われるようになったことを目の当たりにした 。 今 、 こうしてバグダッドに立っていると 、 このときに 経験が 、 今に繋がる大きな時代の流れの中にあったのだと考えている 。 このように 、 私の勤務歴において学 生期間を除いては常に米軍と隣り合わせで勤務し 、 沢山の経験をさせてもらった 。 こうした廻り合わせは海 上自衛官の方が多いのではと考えている 。 そして 、 これらの貴重な経験に感謝している 。

さて 、 今次派遣では陸自部隊の一員として勤務した 。 これによって 、 これまで漠然と捉えていた陸上自衛 隊がより身近に 、 具体的な組織として私の意識に映るように ってきた 。 残念ながら同じサマーワの釜の飯

べることはできなかったが 、 600分の1の末席を汚す 許され感謝している 。 そして自分なりに は仲間意識も芽生えている 。 時あたかも 、 自衛隊は統合運用態 移行し 、 より機動的 、 効率的に部隊運用 がなされるようになった 。 今後は 、 陸海空が協同して任務を遂行することが当然となった 。 その際 、 親しく 話し掛けてくる米軍人に代わり 、 今度は私が “ イラクに派遣されたことがある ” と陸自隊員に話し掛ける番 であると考えている 。 勿論 、 “ 自分は○次群だった ” という答えが返ってくることを楽しみにしている 。


バグダッド日誌 ( 2006年7月18日 )

Responsive image

バグダッド 日 誌 ( 7月18日 )

○平和の尊さ ( 5次バグダッド連絡理日誌 最終回 )

まもなく 、 ここバグダッドを離れクウェートに移動する 。 今の心境は 「 与えられた任務をできるだけ高い精度で達成できる よう 、 編成が解組される一瞬まで追い求め 、 イラク復興支援群全員で隊旗を無事に返還したい 。 」 その一心である 。 そし て今回の任務を大過なく達成することができたなら 、 心静かに国防任務のための精進に努れたい 。 | 半年もの長い間 、 統幕 ・ 陸幕 ・ 情報本部から支えられ 、 サマーワ ・ クウェート ・ 空自そしてコアリションの仲間に助けても らい 、 何一つ不安に思うことはなかった 。 家族には 、 私の好きな仕事にのみに集中させてもらい 、 派遣間に日本を全く心 配することなく勤務させてもらった 。 特に妻には 、 寝たきりの母の介護で大変であったろうにも拘わらず 、 逆にイラクのこと ばかり心配してくれたことを心から感謝している 。

またバグダッド連絡班のすばらしい仲間に恵まれたことは 、 私にとって何ものにも代え難い幸運であった 。 私を調子に乗せ 、 調子に乗りすぎた私を 速め 、 が笑いをとって和ませ 、 が最後の砦となって連 絡班の子守をしてくれた 。 もし叶うなら年に一度くらい 、 このメンバーでバグダッドでの勤務を酒のつまみに杯を交わすこ とが出来れば望外の幸せであろう 。 「 今回の勤務を通して改めて感じることは 、 今回の派遣で新たに得られた教訓以上に 、 今まで自衛隊が努力してきたこ とが正しかったことを強調することができる 。 世界最強の名を欲しいままにしている米軍に決して引けをとらない高い団 結 ・ 規律 ・ 士気を保ちながら 、 視線は常にイラク国民と同じで 、 イラクの復興を心から願う純粋な 「 真心 」 がある 。 米軍の広 報担当が 「 サマーワの日本隊は 、 何故ローカル ・ ピープルからこんなにも支持されているのか ? 同じデモでも外国の軍 隊に残って欲しいと陳情する自発的なデモなんて聞いたことがない 。 」 と逆に日本隊の活動に学ぼうとしていることは 、 自 衛隊が 「 心 ・ 技 ・ 体 」 の充実した一流の武装組織である証左であり 、 誇りに感じて良いと実感している 。

未だ完全な復興には道半ばの首都バグダッドでの勤務を通して 、 祖国日本の平和の尊さを噛みしめ 、 今後も日本がこ の平和を享受できるよう 、 一自衛官として努力していきたい 。 派遣間のご支援どうも有り難うございました 。

.