バスラ日誌 (2006年6月23日)

Responsive image

バスラ 日 誌 ( 6月23日 ) - 150号 - ( 光陰矢のごとし )

思えば遠くへ来たものだと書いた第140号から 、 もう10日も経った 。 本日 、 第150号 、 2 ~ 3回休刊日をもらったので 、 第4次業務支援隊から引き継いで153日目位だろうか 。 バス ラに来て163日目 、 出国してから167日目である 。 光陰矢のごとし 。 残された時間は非常に少 なく 、 やるべきことはそれに比してたくさんある 。 少々不安に思っているのは 、 現在 、 師団司令部 の主要な役職者を含めて交代の時期にきている人が多く 、 今調整している人と 、 7月の緊要な時期 、 調整を実行に移す段階の時にいる人が異なるという点である 。 これまで 、 第6次業務支援隊バスラ連絡班要員の 以下4名の方とは頻繁に連絡をとり 、 交 代する場合にはスムーズに申し送れるように準備していただいていた 。 我々が最後まで安心して勤 務できたのは 、 第6次業務支援隊要員のみなさんが 、 不透明な状況の中 、 真剣に準備していて下 さったからである 。

からは 、 我々が無事に帰国することを祈る 、 との最後のメールを頂い た 。 心から感謝している 。

( 前田2佐 )

2 バスラ日誌で以前 、 会話のネタがなかったら 、 イラクに来てどれくらい経つのかを聞くことに

していると紹介したが 、 その会話の続きは必ず 「 で 、 あとどれくらいここにいるの ? 」 である 。 今 まで我々はその質問に答えることができなかった 。 「 まだ 、 決まってないんだよ 。 」 『 どうし て ? 』 「 政府が撤退を考えているから 」 『 撤退するまでいるの ? 』 「 長くなれば 、 交代要員が来る し 、 短ければ我々が最後の日本隊になる 。 」 『 帰国する日がわからないなんて 、 家族は大変だ ね 。 』 等々 、 このような会話が続くのが常だった 。 しかし 、 今では日本隊の撤退が決定し 、 我々の 帰る日も見えてきた 。 みんなに 『 良かったね 』 、 日本人がいなくなって 、 寂しくなるよ 。 』 等の声 を掛けられるたびに 、 我々の任務が最終段階に来ていることを再認識する 。 軍事作戦で最も困難と いわれる撤退作戦を 、 バスラからしっかり支えていけるよう 、 最後まで気を引き締めて勤務してい こうと思う 。

3 本日快晴 。 バスラ9名 、 極めて健康 。