2006年3月

バグダッド日誌 ( 2006年3月2日 )

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OUTLOOK :

Assessment :

バグダッド 日 誌 ( 3月2日 )

のメリッサ少将の3度目の正直 」 昨日 、 MNC - I 副司令官 ( 行政担当 )

( 伊 ) のサマーワ宿営地 ・ キャンプ ・ スミッティの視察に同行した 。 は 、 過去に2回サマーワ宿営地訪問を試みたが1回目は天候不良でヘリがキャンセルとなり 、 2回目は途中 まで行ったもののサマーワ周辺が砂嵐のため引き返し視察ができなかった 。 「 日本隊のサマーワ宿営地の評判は 、 ここキャンプ ・ ヴィトリー内では有名であり 、 沢山の将官が希望している 。 前回コ アリション ・ オペレーション部長チィケッティ准将 ( 伊 ) が日本隊を訪問し 、 その際の日本隊視察の話をメリッサ少将は直接

聞いており 、 ずっと楽しみにしていた 。 「 昨日は天候に恵まれ素晴らしい視察ができた 。 移動は米軍ヘリで実施したがオペレーション重視のため 、 しばしば時 間が変更となる 。 昨日も30分程度早くバグダッド出発となり 、 20分程早くサマーワに到着した 。 少将は少し早く着きす ぎたのでは ? 」 と心配しておられたが 、 日本隊の準備は万全でまさに 「 立て板に水が流れる 」 如く視察が実施された 。 到 着直後の栄誉礼ではイタリア国歌 、 日本国歌が吹奏されたことに感動された は 、 その後も感動の連続で あった 。 洗練された小瀬隊長によるブリーフィング 、 衛生隊長による医療施設説明 、 群2科長による説明 ・ 展示等 すっかり満足されていた 。 仕上げは着物姿の女性自衛官による 「 茶道 」 が実施され 「 日本文化 」 「 もてなしの心 」 「 きめの 細やかさ 」 を十分に堪能していた 。 日頃は無口な は 、 よほど日本隊の視察に感動したのか珍しく多弁で 、 こ 機嫌で我々日本LOに話しかけてくれた 。 帰路の際に 「 日本は 、 素晴らしい 。 特に敬礼が素晴らしい 。 宿営地の視察の 移動間すべての隊員が美しい敬礼をしていた 。 日本隊の強さが良く分かった 。 」 と大変なお褒めの言葉を頂いた 。

サマーワの皆様の素晴らしい受け入れにより 、 日本隊の良き理解者がまたひとり増えました 。 また我々連絡官はキャ ンプ ・ ヴィクトリーで胸を張って勤務できます 。 本当に有り難うございました 。 ○サマーワ視察雑感 「 サマーワの施設は 、 2年前に第1次群の警備幹部として勤務した当時とは比べものにならないほど充実し 、 展開当時 に缶詰の空き缶をお玉にしてみそ汁を配膳していた時とは隔世の感があった 。 しかながら変わらない日本精神が嬉し かった 。 「 車両は水平 ・ 直角 ・ 一直線を3cm以内の誤差で整額 」 されており 、 無言の内に日本隊の精強さを誇示していた 。 「 また今回の視察にあわせて 、 我々バグダッド連絡班がなかなかサマーワに行く機会がないため 、 日本食 、 業 、 電話 ・ F AXの予備等をもって帰れるようにしてもらい 、 そ の受け入れだけでも大変な中 、 我々にまで気を遣って頂き本 当に感謝しております 。 バグダッド連絡班一同 、 サマーワのために頑張ろうと新たな活力がわいております 。

16


バグダッド日誌 ( 2006年3月3日 )

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バグダッドLO日々業務報告 ( 3月3日1830 )

区分

( 1 ) サマーワに直接影響を及ぼす各屋情報

1 警戒態勢等

( 2 ) イラク査段に係る脅威レベル

サマーワ及びパスラに

バグダッド及びモスルは

ラマディは

2 特記事項

情報収集及び連絡調整

3 本日の業務

情報収集及び連絡調整

4 明日の予定

5

その他 ( 備考 )

| バグダッド 日 誌 ( 3月2日 )

0 “ Baghdad Mosquito "

MNC - 1では 、 毎日 、 アラビア語の新聞 、 TV 、 ラジオ 、 Webサイト等モニターし主要な記事を英語に翻訳し 、 配信して いる 。 題して “ Baghdad Mosquito " 。 この編集作業 、 現地の人を雇い 、 バグダッド市内のとある1軒家で 、 ひっそり と行っている 。 さらにここでは 、 定期的に 、 シーア 、 スンニ 、 クルド等様々な層の人々何人かを一同に集め 「 いま 、 街で

何が噂されているか 」 を収集している 。 男女もほぼ均等に参加していた 。 識字率が50 % といわれるイラクでは 、 この “ 噂 ” が意外に重要な意味を持っており 、 B . Mによれば 、 フセイン政権では 、 情報局が様々な尊の流布に尽力してい たとのことである 。 実はこの会合 、 毎回C2部からも参加しており 、 昨日は息間1尉が参加した 。 ( 私は既に参加済み ) 。

会議場所へは 、 キャンプ内からヘリで5分 、 その後バスに乗り換えて15分ほどで到着する 。 事務所は塀で囲まれた 閑静な住宅街にある 。 会議自体はとても和やかな雰囲気の中 、 参加者がそれぞれ収集してきた街の噂を報告してい く 。 次に 、 いくつかの項目について 、 街の人がどのように考えているか 、 彼ら自身はどのように考えるかの意見交換を する 。 それも結構活発な議論になる 。 ある女性なんかは 、 どんな質問に対しても終始積極的に発言し 、 進行役が 「 そこ まで ! 」 ととめても 、 止めようとしない 。 周りは圧倒されっ放しであった 。 こうして 、 白熱した意見交換は3時間余り行わ れ 、 終了後直ちに編集 、 翌日にはB , MIに載せて配信されるのである 。 ちなみに 、 私が参加したときは聖廟爆破事件 の直後でもあり 、 それに関しての意見交換が多く行われていた 。 さて 、 日頃のC2部の作業は 、 毎日同じ事務室で 、 配信されるてくる膨大なメールをひたすら読み 、 あわせて隔週で 与えられる課題をまとめるという 、 言わば単純作業である 。 そのため 、 キャンプの外に出る本会合への参加はとても 刺激的であった 。 また 、 この会合での議論がMNC - Iの関心事項にヒットすることが多く 、 情勢判断の費となっている ことが実感できる 。 決して花形ではない情報部が充実感を味わうことのできる瞬間の1つである 。


バグダッド日誌 ( 2006年3月8日 )

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UNCLASIIFOUO

Honoring a Patriot

الشهيد الوطن تقدیر

MG Mubdar Hatim Hazya Al - Duleimi

حاتم مبدر الركن اللواء

الدليمي

Commanding General 6th Iraqi Army Division

الفرقة السادسة قائد

العراقي للجيش

UNCLASI / FOUO

バグダッド 日 誌 ( 3月8日 )

Oバグダッド連絡班のABCD

キャンプ ・ ヴィクトリーの上空にはJLENS ( Joint Land - attack cruise missile defense Elevated Netted Sensor ) という真っ白い飛行船が2つ ( バグダッド全体で3つ ) ポッカリ浮かん でおり 、 キャンプ ・ ビトリー及びインターナショナル ・ ゾーンに対する迫撃砲 ・ ミサイル攻撃を 防ぐため24時間監視している 。 ここキャンプ ・ ヴィクトリーでは銃声 ・ 爆発音等がかなりの頻度で聞こえる 。 「 これは近くに弾 着があった ! 」 と思ってヴィクトリーに対する攻撃状況を調べても何も報告が載っていなかっ たり 、 先日は日本コンテナ内にいて誰も気づかなかったが翌日の報告では 、 日本コンテナか ら300m位のところに迫撃砲攻撃があったことが報告されていたりという具合である 。

弾着音らしき音がした際は 、 日本隊は素早く道路の脇に身を潜め 、 次の弾が弾着しても大 丈夫なように警戒したりするが 、 米軍人はそのままボーッ 」 としていて我々の俊敏な行動を 冷ややかに見ている 。 しかしながら我々はこの習慣はいつまでも持ち続けることが重要であ ると思っている 。 まさに 「 ABC ( A : 当たり前のことを 、 B : ボーッとせずに 、 C : ちゃんとやる 。 」 で ある 。 「 我々に言わせれば 「 米軍人等が変に慣れてしまっている 。 」 ように思う 。 特に我々が気をつ けているのは 、 「 食堂等に行く際は道路の側溝沿いを歩き 、 どこに身を隠すか確認しながら 歩く 。 」 「 必要以外は 、 キャンプ ・ リバティーのPXには行かない 。 ( 著名な丘の麓にあり 、 よく弾 着がある 。 ) 」 「 夜は 、 トイレ以外は外に出ない 」 等の当たり前のことをちゃんと実施している 。 そして更にABCに付け加えて 、 第1次群で番匠群長が言っておられた 「 D : できるだけ笑顔 」 を心がけで元気に勤務している 。 「 班長 、 Americanは 、 Baghdadlにて 、 Carelessで 、 Dangerってことですか ? 」 「 じ後 、 に対する英語の特訓を実施する 。 」 (


バグダッド日誌 ( 2006年3月9日 )

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バグダッド 日 誌 ( 3月 日 )

0 バグダッドの取

戦国時代には 、 「 草 」 という忍びがいたという 。 村人になりすまし世論の実情を主人に報告する者達だ 。 ここバグ ダッドにもいる 。 彼らこそバグダッド ・ モスキートー ( BM ) と呼ばれる人たちだ 。 先日パグダッド中心部にあるIZ ( イン ターナショナルゾーン ) で実施されるBM報告に参加した 。 彼らは全員がバグダッド市民であり 、 学校の先生 、 会社員 、 学生 、 主婦等様々な階層から選ばれている 。 歌はあるもののきれいな英語を話し 、 今バグダッド市内で 、 一般市民は どう考え 、 どのような流言が広まっているのか 、 米国に対してどう考えているのか等を報告する 。 私は会議の写真を 撮ろうとして断られた 。 それはそうであろう 。 彼らは米軍に協力していると反乱分子に知られたら 、 命を狙われるので ある 。 うかつだった 。 彼らの意見発表は非常に活発で 、 自分の意見を交えて実に堂々と発表する 。 その構成は12 名で 、 そのうち8名が女性であった 。 千夜一夜物語に出てくる女性は 、 きっとこのような人たちだろうと想像させるよう な美しい人たちばかりだ 。 私はサプライズィング ・ アッタクを受け 、 思わず見とれて 、 訂正 、 聴き入ってしまった 。 休題 時間に 、 小平学校で鍛えたアラビア語で 「 アッサラームアライクン 、 アニ イス | 今日は 。 私はといいま す 。 ) 」 と話しかけてみた 。 イラクの方言などを言ったら大人気になって 、 バグダッド市民の美しい方々と友達になってし まった 。 彼女らが持参した手料理のイラク郷土料理もご馳走になり文化交流にもなったと同時に 、 アラビア語を勉強し ようというモチベーションが高まった 。 次のBM会合にも一般市民の意見を聞くために 、 諸手を挙げて参加希望し

たい 。

0 バグダッド夜景の感想

IZでのBM会合が1500で終了した後 、 ヘリポートに前進したところヘリが飛ばなくなった 。 近傍でのIED及びSAF 複合攻撃による影響でフライトできたのが2300になってしまった 。 しかしそのおかげで上空からバグダッド市街の夜 景を見ることができた 。 完全無灯火のヘリでパイロットは暗視ゴーグルを使用して飛行している 。 パイロット前面の計 器類も全て無灯火であり 、 機内の我々もフラッシュ撮影は論外で 、 腕時計の確認灯すら禁止されてのフライトだ 。 上空 から見るバグダッド市街の明かりは 、 予想に反して実にきれいだった 。 政情不安定でありもっと暗いと思ったのだが 、 一般庶民は力強く生活していると感じた 。 しかし管制灯火されたキャンプ ・ ビクトリーに近づくにつれて 、 まるでブラック ホールのように真っ暗なキャンプを上空から見て現実を認識した思いだった 。

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バグダッド日誌 ( 2006年3月12日 )

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バグダッド 日 誌 ( 3月12日 )

OFace to face

日本からの視察者がある場合は 、 CENTCOM ( シバ ) を通して手続きをし 、 必要な輸送支援も同時に要請している 。 どこの国でも同じようなことがあるが 、 現地レベルで要請しても受けることができない支援も上級部隊を通すと要請を受 けてくれることが多い 。 しかしながら 、 今回の日本からの視察における輸送支援は 、 タンパレベルでも 「 ヘリの交代時 期 」 との理由で支援は難しいと断られていた 。 毎朝の指揮官報告 ( BUA ) においてコアリションの視察者等を報告しており 、 その報告の中で 「 富士学校長 」 を 「 方面 総監 」 と間違って報告していたので 、 担当部署に訂正に行った 。 担当は先日1師団長が視察された時にヘリの調整を手 伝ってくれたの であり 、 彼は前回の1師団長視察の際 、 ヘリの調整で私に付き合ってC - 3AIRのヘリ担当に 口角球を飛ばして調整してくれた仲である 。 彼とは不思議と戦友意識のようなものがあり 、 指揮官報告のスライドを 「 方 面総監から富士学校長 」 に訂正してから世間話をしていた 。 「 今回の視察は 、 タンパからもヘリの輸送支援はできない と言われているんだ 。 」 と私が言うと 、 ウインクをして 「 なんとかしてみるよ ! 」

が 言ってくれる 。 しばらくす ると電話がかかってきて 、 「 God News ! 富士学校長のヘリがとれた 。 」 とのこと 。 この時期は砂嵐が発生しやすい時期で 、 航空機の運航が天候に影響を受けやすい 。 今回は 、 2日間砂風の影響を受 け移動ができなかった 。 空自のC - 130が飛べないと分かると 、 その時点で新たなオーダーをだして日本隊の輸送支 援を維持して運航してもらった 。 多国籍軍司令部となると視察者も多く調整も大変なようだが 、 日本隊はかなり優遇して もらっているようである 。 今更ながら 、 面と向かって実施する調整の強さを感じている 。

バスラLO日々業務報告 ( 3月12日1900 )

バスラ空港

1 警戒態勢

( 警戒態勢 ) :

2 特記事項

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応

| SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 IED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 | ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 師団朝 ・ 夕会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議 ( 4 ) 副師団長サマワ訪問 ( 23日 ) 、 J1 / 4部長サマワ訪問 ( 21日窯 ) 等調整

4 明日の予定

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会議 ( 3 ) 輸送調整 ( CCN取得 )

5 その他 ( 備考 )

*

R & R


バグダッド日誌 ( 2006年3月13日 )

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バグダッド 日 誌 ( 3月13日 )

○一言

今朝 、 群長から電話があり 、 富士学校長サマーワ視察の際のヘリ調整について労いのお言葉を頂いた 。 バグダッドからサマーワは地理的距離以上に遠い 。 定期的な輸送手段はなく 、 多国籍軍司令部からの高官がサマーワ 訪問に同行する以外にサマーワを訪れる機会はない 。 心はいつも 「 サマーワのため 」 と思っていても電話でサマーワ担当と調整していると 、 時には群長 ・ 隊長の意図を分かり かね 「 何故 ? 」 ということもある 。 それでも多忙を極めるサマーワ担当に比べればと 、 多国籍軍司令部の担当を探しあて 、 日本人のようにはいかない大雑把な相手にしつこく調整して 、 サマーワの期待に添えるよう努力している 。

そのような我々の気持ちを見透かしたかのようなタイミングで群長 ・ 業務支援隊長から激励の言葉を頂いている 。 ほん の5分程度 、 なんでもない 「 一言 」 が我々を勇気づけ 、 新たな活力をもらっている 。

今週末には多国籍軍司令部で2ヶ月に1回実施される各国代表者会議が実施される 。 この会議に1年ぶりにサマーワ から群長が参加されるということで連絡斑一致団結して準備していた 。 しかしながら 、 バグダッドーサマーワ間の輸送ス ケジュールが悪く今回は難しそうである 。 群長の是非のお越しをお待ちしています 。

O Twinkle twinkle little star

ここバグダッドも 、 サマワに負けず星が美しい 。 東京で見るより星の数が遥かに多いし 、 空気が澄んでいる分 、 またたき も違って見える 。 「 が星座について色々教えてくれる 。 冬の星座と夏の星座が一晩で見える 、 とか 、 冬の大三角 形 、 とか 、 身体を鍛えるだけでなく 、 そのようなセンシティブな面もある には脱帽の限りである 。 東京では無駄だ と思って見なかった夜の空も 、 バグダッドに来てから一晩に1回は必ず空を見上げる習慣がついた 。 北極星 、 オリオン座 、 カシオペア座 、 北斗七星等々 、 あまり星に詳しくない私でも知っている数々の星座が 、 遥か数万 ・ 数十万年光年の彼方 から 、 その光を世界各国平等に降り注いでいる 。 しかし東京は 、 その光を無惨にも遮っている 。 歌舞伎町 、 渋谷 、 池袋 、 銀座等 、 一晩中光り輝いているネオンを少し消すだけで 、 星に加えて省エネというダブルの効果が期待できるはずなの だが … 。 「 奥様 、 愛しております 。 留守を任せて申し訳ありません 。 この空の下なら 、 普段言えない言葉も素直に言えるような 気がする 。 東京を代表する日本各地の都市も 、 このような言葉を素直に言えるような空を取り戻していただきたいもので ある 。


バグダッド日誌 ( 2006年3月14日 )

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の概要 ( 仮訳 )

評価 :

バグダッド 日 誌 ( 3月14日 )

○ハードターゲットとハードタッチ 「 テロリスト等反多国籍軍勢力からの攻撃を受けないため 、 如何に 「 自分たちが精鋭部隊であるか ( テロリストにとって ハード ・ ターゲットであるか ) 」 を示し 、 テロリスト等に偉容を見せつけ攻撃しようとする意志を未然に予防している 。 ま たその偉容を示す手段として 、 何かあればすぐに反撃する動作をとり続ける方法 ( ハード ・ タッチ ) を米軍はとり続けて いる 。 「 パレス ( 多国籍軍司令部 ) 前の駐車場で 、 キャンプ周辺を警備するコンボイがよく出発前のミッション ・ ブリーフィンを 実施している 。 地図で任務を確認し合い 、 キャリバー50の動作点検 ・ 通信機 ・ 水 ・ スペアタイヤ等を確認して 、 整斉と 準備している 。 これらの洗練された一連の動作は 、 テロリスト等をしてハード ・ ターゲットと思わせるに十分だと感じる 。 日本隊も一連の動作は決して引けを取らず 、 更に整頓 ・ 服装 ・ 態度等は日本隊の方が一枚上手のようにも感じる 。 「 ハード ・ タッチ 」 の象徴としてコンボイの最後尾車両には 、 「 Danger ! Stay back ! 」 と書かれた看板が英語 ・ アラビア 語で大きく表示して 、 コンボイの後ろに近づいた車両に 「 今にも射撃しますよ 。 」 と言わんばかりの態度を示している 。 コンボイによっては 「 300m以内の後方に近づくな ! 」 ( 見えないと思うが . . ) と表示している 。 先日BIAP ( バグダッドイ ンターナショナル ・ エア ・ ポート ・ キャンプヴィクトリーに隣接 ) へ経由者の支援に行った時 、 偶然米軍警備コンボイに遺 遇した 。 クラクションを鳴らし 、 コンボイの中に巻き込まれようものなら 「 撃たれるのではないか ? 」 との恐怖心さえ抱い た 。 仲間の我々から見ても少しやりすぎのようにも感じるが 、 「 任務 ・ 場所 ・ 敵の脅威度 」 により仕方のないことだとも感 じる 。 「 日本隊の実施しているSU方式 ( スパー ・ ウグイス嬢 : 市民に左手を振りながらも 、 右手はいつでも対応できるように 準備 ) による 「 ソフト ・ タッチ 」 とは大きな違いである 。 「 ハード ・ ターゲット 」 と認識させるには色々な考え方がある 。 1 % のテロリストを対象に 「 ハード ・ タッチ 」 を優先させる のか 、 99 % の善良な市民を対象に 「 ソフト ・ タッチ 」 を優先させるかは 、 その 「 国柄 ・ 任務 ・ 考え方 」 に大きく左右されて いる 。


バグダッド日誌 ( 2006年3月15日 )

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バグダッド 日 誌 ( 3月15日 )

OBIAP ( バグダッド ・ インターナショナル ・ エア ・ ポート )

空幕の情報要求に基づき 、 BIAPの軍 ・ 民のターミナル警備状況を確認に行った 。 軍用ターミナルはコアリションの交 代要員の送迎のためよく訪れる機会があるが 、 民間ターミナルは着任以来2回目であった 。 空港全体は 、 軍 ・ 民とも キャンプ ・ ビクトリーに隣接しており軍の敷地内にある 。 軍 ・ 民それぞれが滑走路をもっており 、 民間ターミナルは軍用 の滑走路を挟んで軍用ターミナルの正面の位置にあり直線距離では1km 、 道路距離では滑走路を迂回する経路とな るので約10Km離れている 。

当然の事ながら軍用ターミナルは軍の警備が 、 民間ターミナルはイラクの民間警備員が警備している 。 民間空港の セキュリティーは前回訪問した時と比べものにならないほど厳しく 、 民間空港のゲート 、 ターミナル入り口 、 駐車場入り 口の3ヶ所で厳重なチェックがなされた 。 我々のように戦闘服及び多国籍軍のIDを持っていれば 、 2 ~ 3分程度の チェックだが 、 民間人は車両点検等で10分以上かかっている 。 出発ロビーの警備状況を知りたかったのだが 、 搭乗券 がないとDeparture Gateには 、 入れず Arrival Gatelに行くしかなかった 。 到着ロビーに入る際もボディ ・ チェックを厳 重にされ 、 更に空港立入専用のIDがないのでロビー内に入れないという 。 ねばり強く事情を説明して 、 ようやくロビーの 中に入ることができた 。 写真撮影禁止のサインがないことを確認し 、 警備の状況を撮影しようとした瞬間に 、 5人の空港警備員 ( 全員イラク 人 ) に囲まれてしまい 、 アラビア語で何やら怒鳴っている 。 こちらも別に悪いことをしているわけでもないので 「 アー ニー ・ ヤバーニー ( 俺は日本人だ ! ) 」 というと 、 怒鳴っているトーンが落ちて 、 親しみのトーンへと変わ 「 ヤバーン ( 日 本 ) 、 サマーワ 、 Good 」 の単語が断片的に聞き取れる 。 現在警備強化中で写真を撮らないで欲しいと言うことを言われ ( たと思う 。 ) なんとか解放された 。 BLAPのセキュリティ ・ レベルはグリーン ( 安全 ) ではあったが 、 厳重な警備がなされていた 。 またロビー内で爆発音と 振動を感じ反射的に身をかがめる瞬間もあったが 、 周りにいるイラク人や国連職員と思われる欧米人は何事もなかっ たようにしている 。 ( バグダッド空港に対する攻撃情報にも載っていなかった 。 )

出発ロビーで5人の空港警備員に囲まれた時は多少驚いたが 、 ほんの少し 「 アラビア語が分かったこと 」 「 日本人だっ たこと 」 で救われた気がした 。 サマーワの日本隊の活躍により何事もなかったと感謝している 。

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バスラLO日々業務報告 ( 3月15日1900 )

バスラ空港

1 警戒態勢

( 警戒態勢 ) :

2 特記事項

( 1 ) 情報要求対応

SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 ED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ 夕会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議

3

本日の業務

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会議 、 指揮官会議参加

4 明日の予定

5 その他 ( 備考 )

*

R

& R

36


バグダッド日誌 ( 2006年3月16日 )

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OUTLOOK :

Assessment

バグダッド 日 誌 ( 3月16日 )

○頼られる日本隊スタッフL0

MNC - 「 情報部の幕僚として勤務している ( ナイトシフト ) と ( デイシフト ) は 、 交代で24時間勤務し 、 休日なく勤務している 。 デイ ・ ナイトを1ヶ月交代で実施しているが 、 ナイト ・ シフトは昼 ・ 夜が完全に逆転してしまうので慣れるまでは大変そうである 。

スタッフLOは 、 情報部分析チーフ ( 米陸軍少佐 ) のもと2週間の研究期間を与えられ研究結果を報告 している 。

は 、 研究命題のチーム ・ リーダー ( 各国からの幕僚5人でチームを編成 ) に既に3回 指名され 、 勤務期間のほとんどをリーダーの重役を担っている 。 「 勤務を開始する1ヶ月以上も 前に着任して 、 未だ一度もチーム ・ リーダーを実施していない将校もいるにも拘わらずである 。 情報本部 から派遣された専門家であるため 、 頼られるのは仕方ないとしても 、 すこし頼りすぎではないかと私は感 じている 。 「 今西3佐もただ一人の海軍マークでありながら 、 最近はすっかり勤務に慣れセントリクスス検索のエキス パートと化している 。 また も現在ナイト ・ シフトのチームリーダーを実施し 、 多忙な毎日を送っ ている 。 月 ・ 月 ・ 火 ・ 水 ・ 木 ・ 金 ・ 金は海軍で慣れているのであろうが 、 日本人特有のまじめさでシフト 間は討議中心で実施し 、 シフト時間を終わってから意見を集約 ( 勿論英語で ) して翌日の討議を実施して いる 。 最近の睡眠時間は2 ~ 3時間であろうと思われ 、 あまり無理をしないように注意している 。

おそらく 、 日本の二人がいないと情報部は機能しないのではないかというのが私の見立てである 。 昨日 の研究発表があり 、 見学にいったが発表後の質疑応答の方が発表時間より長いぐらいに 「 鋭く ・ 視点の良い発表 」 でチーフも日本隊に最大の敬意を払ってくれた 。 私は分析チーフに各国の将校 にもチームリーダーの機会を均等に与えて欲しい旨を伝えておいた 。 しかし日本隊スタッフLOの二人は 「 頼られるうちが花 」 と気にもしていない様子である 。


バグダッド日誌 ( 2006年3月17日 )

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バグダッド 日 誌 ( 3月17日 ) |

まもなく任務終了 3月1日にサマーワの日本隊を視察し 、 その素晴らしさに大変感動されていたMNC - 1副司令官 ( 行政担当 )

がバグダッドでの6ヶ月の勤務を終え2週間後に帰国されるそうである 。 少将曰く 、 「 6ヶ月間のバグダッドでの 勤務間にイラクに展開するほとんどのキャンプを視察して来たが 、 日本が一番だった 。 」 と話しておられた 。 日本隊の サマーワ宿営地の評判はイタリアの将官 ( もう一人コアリション ・ オペレーション部長は

がおり 、 この かたもサマーワを訪問している 。 ) から噂が広がっており 、 バグダッドの将官がどんどんサマーワ訪問を希望しそうな 勢いである 。 SNR会議で小野寺群長にお会いするのを楽しみにしていたようだが 、 今回は航空機の都合で来れなく なった旨を伝えると大変残念に思っておられた 。

は 「 次に来るのは俺の様な大男ではなく 、 少し小さいのが来るが 、 日本隊を是非視察するように申し 送るよ 。 」 とにこやかに話したおられた 。 ( 野崎 )

○散髪 バグダッド連絡班で私以外は器用に自ら散髪しているが 、 私は前回自らバリカンで散髪しようとして 、 「 虎刈り 」 なら ぬ 「 パイナップル ・ ヘアー 」 となってしまったことを反省し 、 キャンプ内にある散髪屋に行くことにした 。 「 散 愛しますよ 。 」 と言ってくれるが 、 いつも遅くまで仕事をしてくれており 、 なるべく負担をかけたくなかった 。 キャンプ内に はバーバー ・ ショップとビューティー ・ ショップがあり 、 バーバー ・ ショップは3ドルだがいつも混んでいて 、 何も言わなけ れば丸坊主にされてしまう 。 ビューティー ・ ショップは一応女性兵士用らしく客の要望を聞いてくれる 。 時間のない男

性兵士も流れて来ていて 、 値段は5ドルで少し高めである 。 ( とはいえ日本の1000円散髪より安い 。 ) 散髪ぐらいで 1時間も待たされるのはつらいのでビューティー ・ ショップで散髪してもらった 。 「 サイド ・ イズ ・ ベリー ・ ショート 」 「 トップ ・ イズ ・ ジャスト ・ トリム 」 と要望すると 、 ほぼ日本人が想像するスポーツ刈りとなった 。 これからは散髪に悩むこともない と 「 ほっ 」 としている 。 ちなみにこの散髪屋は 、 KBR ( ケロッグ ・ ブラウン ・ ルーツ ) という米軍を支援する民間会社が運 営しており 、 理容師はインド人が中心である 。 お勘定の際は 、 散髪の基本料金に加えてカットしてくれた理容師に1 ~ 2ドル程度のチップをあげるのがスマートなようである 。

バスラLO日々業務報告 ( 3月17日1900 )

バスラ空港

「 警戒態勢

( 警戒態勢 ) :

s3

2 特記事項

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応

SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 ED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ タ会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議 ( 4 ) 臨時情報要求 ・ 調整対応 、 MND ( SE ) 司令部からのサマワ訪問予定関連調整

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会議参加

4 明日の予定

5 その他 ( 備考 )


バグダッド日誌 ( 2006年3月18日 )

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バグダッド 日 誌 ( 3月18日 )

OSNRカンファレンス ・ アイス ・ ブレーカー

昨日タ 、 SNR ・ カンファレンス ( シニア ・ ナショナル ・ レプリゼンタティブ ・ カンファレンス : 各国代 表者会議 ) に先だって実施されたアイス ・ ブレーカー ( 懇親会 ) に 、 群長の代理として参加した 。 コアリ ) ションから沢山の将官が参加しており 、 豪華絢爛な懇親会であった 。 「 MND ( CS ) ポーランドの師団長と挨拶していた際に 、 丁度

が来られた 。 師団長は 、 に 「 こちらに移動するため離陸した途端 、 RPGの攻撃を受けました 。 これを避けるためにヘリが 相当揺れました 。 」 と 、 こともなげに報告していた 。 さすがの

も大変驚かれ 、 無事の到着を心 から喜んでおられた 。 ( 野崎 ) ○大工の棟梁

「 日本隊が居住するコンテナからシャワー ・ トイレまで片道約500m弱ある 。 雨が降ると田んぼのように ドロドロになり 、 シャワーに行く気が起こらないほどだった 。

最近 、 この道に木製の通路を設置するため 、 日本隊コンテナの真ん前で10人ほどが大工仕事をしている 。 この大工の棟梁と親しくなり世間話の花を咲かせている 。 この棟梁は 、 米陸軍を退役してKBR ( ケロッグ ・ ブ ラウン ・ ルーツという米軍を支援する民間会社 ) に入り 、 KBRの木工職員として2度目のイラク勤務だそ うだ 。 1度目は2004年で半年間 、 今回はもうすぐ1年になり 、 まもなく帰国するという 。 「 私がいつも棟梁と呼んでいると 「 トウリョウ 」 って何だと聞くので 「 Chief Of Carpent er 」 だと答えると満足している 。 いろいろ話しを聞いてみると 「 馬鹿息子の大学進学のためここで頑張っ ているんだ 。 1年間で8万ドル持って帰れる 。 でも馬鹿息子の野郎ライフ ・ セーバー ( 女性にもてる職業ら しい ) になりたいと言ってやがる 。 俺は 、 息子に弁護士になって欲しいと思っているんだ 。 もし大学に落ち たらケツを蹴っ飛ばしてやる 。 」 と息巻いている 。 でも分かれ際 、 優しい父親の顔になり 「 息子が弁護士に なるために 、 もう一回ここで働くつもりだ 。 」 と言っていた 。 「 アメリカも日本も大学受験を控えた子供を抱える家庭は大変だと感じるとともに 、 「 親の心 、 子不知 」 な のだなと感じた 。

バスラLO日々業務報告 ( 3月18日1900 )

バスラ空港

「 警戒態勢

( 警戒態勢 ) :

Es

2 特記事項

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応

SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 IED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ 夕会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議 ( 4 ) 臨時情報要求対応 、 訪問調整 ( 4件 ) 等

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会議 、 指揮官会議参加

4 明日の予定

5 その他 ( 備考 )


バグダッド日誌 ( 2006年3月19日 )

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OUTLOOK :

Assessment :

バグダッド 日 誌 ( 3月19日 )

OSNR ( 各国代表者 ) 会議

昨日 、 SNR会議がキャンプ ・ ビクトリー内の多国籍軍司令部 ( パレス ) で実施された 。 イラクに展開す る28カ国中 、 オランダのみ本会議に参加できなかったが 、 その他27カ国が参加した 。 ポルトガルは 、 軍 ではなく警察官が2名のみ展開しているが 、 堂々と国旗をかざし 、 「 ショー ・ ザ ・ フラッグ 」 のプレゼンス を示していた 。

司令官自らによる1時間のブリーフィングの後 、 各国代表が今後の活動について 司令官 に報告した 。 アルファベット順に各国が淡々と発表を実施する中 、 報告の後の 「 質疑応答 」 において 、 唯一 日本のみが 、 イラク陸軍先任連結面

から 「 日本は 、 サマーワで地元住民から大変尊敬され 、 素 晴らしい活動をしている 。 是非今後も活動を継続してもらいたい 。 」 とのコメントをもらった 。 この後実施 された米軍のイラク治安部隊の育成状況に関するブリーフィングで

は 、 営に衣着せぬ物言いで 「 アメリカは現状を分かっていない 。 」 と酒々とイラク治安部隊の現状についてコメントしたので 、 期せず して日本の貢献が際立っているような印象を受ける会議となった 。 会議は和やかな中にも整斉と実施され 、 コアリションの深い絆を確認しあうことができたと思う 。

Oパープル ・ ガーディアン ( 統合ではたらくもの ) 「 昨日 、 空自派遣輸送隊から がバグダッドへ調整に訪れた 。 派遣輸送隊からの初めてのバグダッド来訪 であり 、 バグダッド連結斑一同手抜かりのないように 、 準備の万全を期した 。 派遣輸送隊も我々に気遣った のか 、 クウェートから 、 我々には大変貴重なみそ汁や煎餅を箱いっぱい持ってきてくれた 。

あいにく私はSNR会議に参加しなければならなかったので 、 計にアテンドを命じたが 、 それまで にバグダッド連結班で調べていたことは全て情報提供したつもりである 。 日本人相手には大変気の利く

は 、 日帰りの調整で慌ただしい空自派遣輸送隊の方々が 、 安心して調整ができるようにいろいろ気を 配っていた 。 帰りの米軍C - 130が故障のため 、 4時間ほどクウェート帰来時間が遅れたが 、

は 、 私の 「 飛行機がバグダッドを離陸するまで見送れ 。 」 と言った言葉をよく守り 、 無事に調整が終わるのを見 届けた 。 業務支援隊としてサマーワを支えるのは当然だが 、 今回はじめて統幕の立場から空自の支援ができ たように思う 。 米軍では統合司令部等で働く者を 「 バープル ・ ガーディアン 」 と呼ぶそうである 。 すこし 「 紫 」 らしい仕事をすることができたと感じている 。

18


バグダッド日誌 ( 2006年3月20日 )

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バグダッド 日 誌 ( 3月20日 )

O Japan Briefing 「 部隊最先任曹長ミーティングで日本隊の紹介をできる機会はありますか ? 」 、 議長である

上級曹長に訪ねてみたのは 、 2 月中旬のことだった 。 私がわからないこと 、 知りたいことを相談する人は 、 いつも 」

上級曹長である 。 本ミーティングでは 、 ここ 2ヶ月 、 各部署のブリーフィングを実施していた 。 日本隊のことも紹介したい 。 目立ちたがり屋の性格が 、 そう質問させていた 。 「 丁度 、 3月 20日にコアリッションのブリーフィングがあるので 、 そこで実施したらどうだ 。 」 という回答に 、 「 ありがとう頑張ります 。 」 と 、 返事をしたとた ん 、 私は 、 今までブリーフィングというものを 、 日本でもした経験がないことに気付いた 。 ブリーフィング資料は作成したことがあるものの 、 自分で実際に人前に立って説明したことはない 。 しかしながら 、 今さら後には引けず 、 早速資料作りを始めた 。 インターネットから資料を 引き出し 、 日本の紹介 、 自衛隊の紹介 、 そして 、 イラク復興支援群の紹介資料を作成した 。 班長に確認してもらい 、 シナリオを完成した時 、 発表日は翌日に迫っていた 。

部隊最先任曹長会議は 、 本日実施された 。 議事終了後 、 部隊紹介のセッションに移行した 。 始まりはバグダッド国際空港に隣接するセ イサー ・ エアベースの上級曹長のブリーフィングである 。 しかし普段でも完全には理解できていない英語の会議であり 、 ましてや次は自分 の番となれば 、 他人の言など全く頭に入らない 。 かといって 、 リハーサルができるわけでもなく 、 「 最初が肝心 」 と自分に言い聞かせ 、 その 時が来るのを待った 。 不思議と緊張感はない 。 「 Next Japan ! 」 という

上 上級曹長の声で 、 「 いざ出陣 ! 」 と勢いよく立ち上がった 。 「 OHAYOU GOZAIMASU ! 」 と何人

級曹長の声で 、 「 い かの曹長から声がかかり 「 おはようございます 。 」 と返事をし 、 演壇の前に立って一息ついた 。 「 Hooah ! 」 ( ちょっと元気なかったかな ? )

です 。 日本から来ました 。 ブリーフィングを始める前に 、 私の聞き取りにくい英語を皆さんに聞かせなければならないことを謝らな ければなりません 。 しばらく辛抱して下さい 。 」 と言った瞬間 、 会場から笑いが起こった 。 ( つかみはOK ! ) 内容はどうあれ 、 まず態度か ら入らなければと 、 なるべくボディランゲージを心がけ 、 周りを見て話そうと思いながらブリーフィングを進めた 。 まず 、 「 日本はここから約 8000km東にある 。 」 とか 、 「 自衛隊は陸 ・ 海 ・ 空で 、 海兵隊はない 。 」 等の説明を終え 、 私の一番のポイントとしていたイラク復興支援群 の話題に進んだ 。 「 任務は人道復興支援で 、 サマワに駐屯し 、 600名の隊員がいる 。 医療 ・ 給水 ・ 施設の整備を3本柱として 、 整斉と業 務を実施している 。 特に注目する事項は 、 自衛隊が自ら行うのではなく 、 現地人の指導に当たっている 。 」 と説明し 、 約10分間のブリー フィングを終えた 。 会場からは拍手が湧き 、 この上もない達成感とともに演壇を降りた 。 席に帰る途中 、 手を差し出してくる曹長がいたの で握手をすると 、 その曹長がMNC - 1の先任曹長の上級曹長であることに 、 その時初めて気が付いた 。 思いがけず 上級曹 長の前で 、 また 、 キャンプを代表する曹長連の面前でのブリーフィングという 、 私にしては無謀かと思える機会を与えてくれだ ス上級曹長に 、 改めて感謝するとともに 、 キャンプを支えている曹長の方々に敬意を表し 、 私の一大イベントは幕を閉じた 。

バスラLO日々業務報告 ( 3月20日1900 )

バスラ空港

1 警戒態勢

( 警戒態勢 ) :

2 特記事項

( 1 ) 情報要求対応

SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 IED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ タ会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議 ( 4 ) 副師団長 ( 23日 ) サマワ訪問等調整

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会議 、 指揮官会議参加

4 明日の予定

5 その他 ( 備考 ) |

*

R & R


バグダッド日誌 ( 2006年3月21日 )

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「 バグダッド 日 誌 ( 3月21日 )

○ジャパン ・ ブリーフィングの反響

毎週月曜日にサージャント ・ メイジャー ・ ミーティング ( 部隊最先任曹長 ) が実施され 、 キャンプ ・ ヴィクトリー及びこれ に隣接する部隊の最先任軍曹約40名が一同に会し 、 服務 ・ 規律に関する事項等 、 部隊が円滑に運営できるように広範多岐に 亘る内容が討議されている 。 日本隊も が参加している 。 米軍以外の参加は日本と豪だけであり 、 ここでの調整内容は各 部隊に徹底され 、 また抜群の影響力を持っている 。

昨日 、 このサージャント ・ メイジャー ・ ミーティングにおいてが日本の紹介を実施した 。 日本がどのような活動を実 施しているか理解してもらう上で大変効果があったようで 、 私がパレス ( 多国籍軍司令部 ) で調整していると 、 各部署の最先 任曹長が昨日のジャパン ・ ブリーフィングは素晴らしかったとしきりに声をかけてくれる 。 「 日本は600人もイラクに展開 させているのか ? 」 とか 「 イラク人自らの手で自分の国を復興させるやり方は素晴らしい ! 」 等々調整に行った先々で声がか かる 。 この抜群に影響力のある会議における日本隊の紹介は 、 バグダッドにおける日本のプレゼンスを示す最も良い機会で あったと感じている 。 ワールド ・ ベースボール ・ クラッシックは 、 米軍人の関心が高く 、 昨日の日本チーム優勝に対する祝福の言葉を沢山の米軍 人からもらったが 、 それ以上に 、 ここキャンプ ・ ヴィクトリーではジャパン ・ ブリーフィングに関する話題が多かった 。 並み 居る海千山千の部隊最先任曹長の前で 、 英語のブリーフィングを実施するのは大変な苦労と緊張があったと思う 。 苦労さまでした 。

○2回目の家族からの追送品到着

昨日 、 2回目の家族からの追送品が到着した 。 前回同様に宅配便業者が日本コンテナ前まで運んでくれた 。 VBIEDの危 険があるメインゲートに荷物を取りに行く必要のないように 、 宅配便業者を選定してくれている担当の心遣いに毎回 、 感謝し ている 。

毎週土曜日の 「 銀シャリ ・ デイ 」 にはインスタントみそ汁を同時に食していたので 、 みそ汁が底をつく所であった 。 今回の 追送品に職場から沢山のみそ汁を激励品として送って頂き 、 皆で歓声をあげた 。 また 、 こちらでは貴重な 「 煎餅 」 も送って頂 き 、 連絡班5人で均等に 「 配給 」 した 。 更に冬季オリンピック ・ 荒川選手金メダルを獲得した時の新聞もあり 、 皆で食い入るよ うに読んでいる 。 いつも 、 暖かいお心遣いを頂き有り難うございます 。 みそ汁 ・ 煎餅 ・ 愛国心パワーを得て引き続き頑張ります 。

( バグダッド連絡班一同 )

30

バスラLO日々業務報告 ( 3月21日1900 )

分 こっ

バスラ空港

1 警戒態勢

【 警戒態勢 ) :

es

2 特記事項

( 1 ) 情報要求対応

SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 IED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ 夕会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会議参加

4

明日の予定

5 その他 ( 備考 )

*

R & R


バグダッド日誌 ( 2006年3月22日 )

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OUTLOOK :

Assessment :

| バグダッド 日 誌 ( 3月22日 )

O対D部隊の見学

が3月20日にサジャント ・ メイジャー ・ ミーティング ( 部隊最先任曹長会議 ) で実施したジャバ ン ・ ブリーフィングがきっかけで 、 すっかり日本語員となった対IED専門部隊の最先任曹長が 、 日本隊を 部隊研修に招待してくれた 。 気楽な感じのお誘いであったため 、 特に何も準備せずに対IED専門部隊のオ フィスを訪問した 。 「 ところがブリーフィング ・ ルームには 、 対IED専門部隊長の陸軍大佐以下主要幕僚が控えており 、 S3 の中佐がブリーフィングを実施してくれた 。 主要幕僚の列に 、 我々を呼んでくれたサージャン ・ メイジャー が満面の笑顔で座っている 。 「 30分ほどのブリーフィングが 、 我々日本隊だけのために準備してあり 、 その後大佐以下主要幕僚と懇談 を実施した 。 日本隊の活動を大変評価してもらい 、 「 ED関係で困ったことがあればいつでも尋ねてきて欲 しいと大佐から直々に言って頂いた 。 懇談の後 「 ステッカーと身分証明書用のストラップ 」 をお土産にもら い恐縮至極であった 。 我々を招待してくれた最先任曹長も上機嫌で我々の訪問に大満足している 。

「 サージャン ・ メイジャー恐るべし 」 「 ジャパン ・ ブリーフィングの影響恐るべし 」 と感じた部隊訪問で あった 。

OR & R ( レスト ・ アンド ・ リフレシュメント )

本日からバグダッド連絡班のレスト ・ アンド ・ リフレシュメントが1人づつ実施される 。 バグダッド連絡 班の先頭を切って が本日バグダッド空港からクウェートに移動した 。 ドバイで5泊6日の休暇をも らい 、 来週金曜日にバグダッドに戻ってくる 。 キャンプ ・ ヴィクトリーでは 、 一日も整備日をもうけること ができなかったので 、 知らない間にストレスがたまっていると思う 。 十分に体と心の整備をしてもらいたい 。 ちなみに私とはドバイで家族と会う約束をしている 。 最近R & Rを想い 、 皆そわそわし始めている 。

16


バグダッド日誌 ( 2006年3月23日 )

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「 バグダッド 日 誌 ( 3月23日 )

0 WBCで涙 ?

日本では 、 WBCの試合を見て感動の涙を流している人も多いと思う 。 ここバグダッドでは 、 「 Congra tulation ( おめでとう ) ! 」 と 、 道行く人から声をかけられる 。 中には 、 食事をしているところにまでわざ ! わざやってきて 、 祝福してくれる人もいる 。 我々が試合をしたわけではないが 、 さすがに気分が良い 。 「 Thank You ! 」 と笑顔で返しながらも 、 心の奥では納得のいかない自分がいた 。 何故なら 、 日本コ ンテナにあるテレビでは 、 試合を見ることができないのだ 。 また 、 連日連夜 、 定期的にあるニュースに もWBCの話題ばかりなのだが 、 肝心の試合の場面や 、 選手の喜ぶ場面 、 シャンパンファイトの場面 など 、 日本では試合を見て 、 感動して 、 ニュースを見て 、 また感動して 、 余韻に浸って 、 また感動して 、 翌日新聞を見て 、 また感動して … というプロセスを踏むはずなのだが 、 その場面になると 、 「 放送横の 都合で映像をお見せできません 。 」 のテロップとともに 、 腹が立つほどの青空と草原の画面と 、 その場 面の音声だけが流れてくる 。 トリノオリンピックの時も同様で 、 時には親切に写真を出してくれる時もあ るが 、 それで満足できるはずもなく 、 フラストレーションがたまるばかりだ 。 感動も半分以下になってし 「 まっている 。 特にスポーツ観戦の好きな私は 、 ニュースを見ながら 、 その放送権の都合の映像に悔し

涙を流しているのである 。 試合が見たい 。 動く場面が見たい 。 日本のテレビ局の絶叫したアナウンス が聞きたい … 。 しかしながら 、 そんな中でも 、 ニュースで流れる日本の人達の興考や感動を見ると 、 その人達と同じ気持になり 、 私まで同じ日本の地にいるような気がする 。 その人達の感動がこちらに まで伝わってきて 、 本当に嬉しい 。 それを見ると 、 肝心な場面が見られないという嫌な気分も一掃して しまう 。 また 、 この話題があるおかげで 、 話の導入がスムーズになり 、 難しい仕事も容易になることも 想像できる 。 王JAPANの世界一に野崎JAPANも世界一でありたいと思うバグダッドでの一日であっ た 。 我々に感動をくれた選手の皆さん 。 ありがとうございます 。 本当におめでとうございます 。

* バスラLO日々業務報告 ( 3月23日1900 )

|

i警戒態勢

バスラ空溝

警戒態勢 ) : ( 1 ) ANDISE ) 管内の状況 ( 3月23日0500現在 ) ( 別紙参照 ) | ( 2 ) パトロール件数 ( 3月22日 ) : MNF単独 / SFと合同 [ AND ( SE ) SECURITY REPORT ] | ムサンナ : 6 / 7 ディッカー : 38 / 6 メイサン : 12 / 11 パスラ : 62 / 9 ・

2

2 特記事項

|

3 本日の業務

1 ) 情報要求対応

SSR ( ISFの戦力化の状況 ) , MND ( SE ) の将来計画 、 ED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ・ | ( 2 ) 定例情報収落 :

3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ 夕会魂 , J2 ・ J3 ・ J9窓階駐一会遠 ( 4 ) 副部長サマーワ訪問 1 ( 5 ) 外務省田選週連南壁 」 } { 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 、 | ( 2 ) 定例会講 、 指揮官会議参加 ( 3 ) 空路輸送調整

| | 4 明日の予定

5 その他 ( 備考 )

| *

R & R


バグダッド日誌 ( 2006年3月24日 )

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バグダッドLO日々業務報告 ( 3月24日1830 )

( 1 ) サマーワに直接影響を及ぼす脅威情報

| 1 警戒態勢等

( 2 ) イラク全域に係る脅威レベル

サマーワ及びバスラは

バグダッド及びモスルは

ラマディは

2 特記事項

情報収集及び連絡調整 ・

3 本日の業務

( 1 ) 情報収集及び連絡調整 ( 2 ) 在バグダッド日本大使館員交代に伴う無線傍受支援

4 明日の予定

5 その他 ( 備

: 戦力回復 ( 3 22 ~ 3 / 31 )

| バグダッド 日 誌 ( 3月24日 ) |

Oインターナショナル ・ ゾーン 「 昨日 、 我々が所在するキャンプ ・ ビクトリーの東約15kmに位置するインターナショナル ・ ゾーン ( 12 ) に 、 米中央軍高官

受入れのための調整に行ってきた 。 「 このインターナショナル ・ ゾーンは 、 チグリスのほとりにあり東西約5km 、 南北約3kmの米軍が管轄する地域である 。 日本で言うところの食ヶ関のようなところで 、 バグダッド市内のど真ん中にあり 、

「 この地域には

が主に所在しており 、

■に 、 ほとんどの がある 。 またイラク内務省やイラク国防相などイラクの行政組織 、 UNAMI等の国連施設等多数あり 、 多国籍軍 の政治面を主に が担当し 、 キャンプ ・ ビクトリーは

を担当しているといえる 。

「 警備員は 、 が大多数であり 、 大変親日である 。

入り口も 、 この1 の警備員により警備されている 。 気軽に声をかけてくれるが 、 誤解を恐れず個人的な印象を述べさせてもらうと 、 言 葉は悪いが 「 血なまぐさい傭兵 」 と言う感じがする 。 キャンプ ・ ビクトリーの警備を

実施しているのとはかなり 違った印象をうける 。

調整が予想外に早く終了したため 、 インターナショナル ・ ゾーンにある無名戦士の碑や開兵場等の名所を案内しても らった 。 大変規模が大きくイラクの本来持つ国力を見る思いであった 。 しかしながら 、 サダム ・ フセインが観劇したであろう 閲兵場のスタンドは爆撃等の影響で傷みが激しく 、 また米軍によるものと思われる落書きがされており 「 強者どもが夢の 跡 」 は無惨な状況であった 。 インターナショナル ・ ゾーンからキャンプ ・ ヴィクトリーにもどるためのヘリが故障したため 、 ヘリ ・ パッドで約10時間待た され帰営が午前1時となってしまい大変長い一日であった 。 しかしながらヘリから見たバグダッドの夜景は美しく 、 復興が 着実な歩みを遂げていることを実感した 。


バグダッド日誌 ( 2006年3月25日 )

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CURRENT SITUATION

| バグダッド 日 誌 ( 3月25日 )

○米陸軍はすごい ? ? 23日にインターナショナル ・ ゾーン ( キャンプ ・ ヴィクトリーから約15km東にある多国籍軍司令部の一部 ) で調整を 終え 、 キャンプヴィクトリーに戻るためヘリパッドで待っていたところ 、 ヘリの故障のため10時間待たされてしまった 。

「 はヘリの待合室で各軍の装備研究に余念がない 。 オーストラリア軍のガード ・ フォースが機関銃と 拳銃のダブル装備をしており 、 機関銃にはシュア ・ ファイアー ( スペシャル ・ フォース御用達のライト ) が装着されていた 。 オーストリアのガードは 、 エアポーン出身でCQB ( Close Quarter Batte : 建物内の掃討教育も受けているとのことで あり 、 興味のあることは英語ができなくてもコミュニケーションとって情報を入手していた 。 ヘリの修理に時間を要し10時間も待たされたため 、 待っている米陸軍の4人のパーティが 「 キレ 」 てしまい大の字に なって地面の上に寝はじめた 。 海兵隊はさすがにトレーニングされており 、 国連職員等のノン ・ ミリタリーの方に席を譲 り 、 その後も立ったまま本を読んでいた 。 本軍は 、 ガードを担当していた2人は機関銃をもったまま 、 アマーも脱がず 涼しい顔で待っている 。 この光景を見ながら 、 米陸軍は人が多いため中にはあまり訓練されていないのもいるのかと 感じたが 、 海上自衛隊の の 感想は違っていた 。 「 米陸軍はすごいですね 。 どこでも寝れるんですね 。 」 であっ た 。 確かに 「 視点が変われば 、 そうなのか ? 」 とも感じた 。 ( 野崎 ) O夏の訪れ 最近のバグダッドの気候は日中は30℃近くまで気温が上がるが 、 乾燥しているため心地よい 。 バグダッドに到着し たばかりの頃は5時半にはもう真っ暗であったが 、 日も長くなってきており6時半頃まで明るくなっている 。

燕が一羽矢のようにパレス ( 多国籍軍司令部 ) の方に飛んでいくのを見送り 、 もうすぐ夏が近いと感じている 。 雨季 が終わり 、 いよいよ夏になる 。 今年の雨季は雨が少なかったそうだ 。 砂嵐そして内熱の夏の訪れはもうすぐである 。


バグダッド日誌 ( 2006年3月26日 )

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バグダッドLO日々業務報告 ( 3月26日1830 )

・ 内 | ( 1 ) サマーワに直接影響を及ぼす脅威情報

な > イラク全域に係る脅威レベル

サマーワ及びパスラは バグダッド及びモスルは

i警戒態勢等

ラマディは 、

「 なし

2 特記事項

|

| 情報集及び連絡調整

| 3 本日の業務

4 明日の予定

( 1 ) 情報収集及び連絡調整 ( 2 ) 大使館員送迎に伴う無線傍受支援 ( 3 ) 基地群首長ミーティング

戦力回復 ( 3 / 22 ~ 3 / 31 )

5 その他 ( 備考 )

| バグダッド 日 誌 ( 3月26日 )

○統合運用開始

金曜日夕方 、 日本はすでに夜10時頃 、 統幕から電話があった 。 運用2班長が週末の遅い時間にも拘わらず電話を 下さった 。 「 いよいよ来週から統合幕僚監部として統合運用を開始する 。 運用2班は解散となり 、 運用部第2部 国際

協力室で勤務せよ 。 」 と言われ 、 いよいよ統合運用が開始されることを実感した 。 「 統合運用の現地調整機関としての自覚を持ち 、 益々 「 ぬかりの無きよう 」 努力したい 。 先日 、 派遣輸送航空隊がバグ | ダッドの空港調査に来たが 、 今後 、 このような場面が増えると思う 。 陸 ・ 空を的確にサポートできるよう 、 精度の高い仕l : 事ができるようバ 、 グダッド連絡班一同力を合わせて頑張りたい 。

( 野崎 ) ・ Oフラストレーション * 本日アビザイド中央軍司令官がサマーワを視察された 。 今回のサマーワ視察の調整についてはフラストレーション | が溜まることばかりであった 。

今回の米軍側調整担当者は相当な 「 怠け者 」 で私からいくら顔を出しても全く心が通わない 。 また先方からの要請 ( 群長のBOの提供等 ) にはすぐに返事をしているが 、 日本側からの質問には全く答えてこない 。 今回は米軍側が支 「 援を受ける立場であるはずなのに 、 支援を受けるのが当たり前だと思っている態度だ 。 「 今回の訪問に先立ち米軍調整チームがサマーワを偵察したいとの申し出があった 。 このためリルからサマーワの 輸送支援及び宿泊支援を調整したが 、 私が顔を出さなければ調整が進まない状況が続いた 。 また米軍調整チームの タリルへの移動が 、 突然の予定変更で移動当日にキャンセルとなり 、 一日遅れる事となった 。 このスケジュール変更 についてメールのみで知らせてきたため 、 サマーワからの出迎え部隊が無駄足を踏んでしまった 。 急なことであった 。 ため 、 「 メールと同時に電話を入れてくれたなら日本隊に無駄足を済ませる事もなかったのに . . 」 と思うと私も冷静で はいられなくなった 。 強い口調で注意したが糠に釘という感じである 。 この部署はVIP等の視察の調整をしており 、 日本からの高官が来る時はいつもお世話になっている 。 このため 、 お返しに何とか力になってあげたいと思っていた

が . .

毎日顔を出すたびに 、 「 怠け者 」 の隣に座っている日本隊に協力的な

日本からの高官が来る時は一 「 肌も二肌も脱いでくれる 。 ) が 、 私の口調の強さに気づきハラハラしている 。 「 今回はサマーワ部隊に本当にご迷惑をお掛けし申し訳ありませんでした 。 また業務支援隊3科長にはいろいろ愚痴 を聞いもらい助かりました 。 いずれにせよ 、 アビザイド大将のサマーワ視察が無事終了し安堵しています 。


バグダッド日誌 ( 2006年3月27日 )

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2委員を代 、

( % ) 中国 > 2 2発 バグダッドLO日々業務報告 ( 3月27日1830 )

区分

( 1 ) サマーワに直接影響を及ぼす脅威情報

なし ( 2 ) イラク全域に係る脅威レベル

サマーワ及びバスラは バグダッド及びモスルは

1 警戒態勢等

ラマディは

2 特記事項

( 1 ) 情報集及び連絡調整 ( 2 ) 大使館員送迎に伴う無線傍受支援 ( 3 ) 基地群曹長ミーティング

3 本日の業務

情報集及び連絡調整

4

明日の予定

5 その他 ( 備

: 戦力回復 ( 3 / 22 ~ 3 / 31 )

考 )

ママらう 2659隆寺を

| バグダッド 日 誌 ( 3月27日 ) |

○装備の創意工夫 「 キャンプ周辺の巡察部隊がパレス ( 多国籍軍司令部 ) 前の駐車場に集合し 、 ミッション ・ ブリーフィング及び装備の点 検をしているのをよく見かける 。 巡察部隊は4両の装甲板を取り付けた高機動車 ( HMMWV ) で編成されている 。 時 折ガナー ( 射手 ) 席の銃座を防弾ガラスで覆った高機動車もある 。 話しを聞いてみると 、 装備面の改善要望を出すと 試作品が配備され 、 更に部隊から実際に使用した際の改善要望をだしているそうである 。 試作品が届くのは2ヶ月程 度だそうだが米本土に比べれば格段の早さなのだそうだ 。 米軍も安全を確保するため必死である 。

防弾ガラスで銃座を覆う高機動車

○家族用ビデオ ・ メッセージ

サマーワから家族用ビデオ ・ メッセージ作成の要望があり 、 昨日撮影を実施した 。 がR & R ( レスト ・ アンド ・ リフレッシュ ) のため不在のため4名分を作成した 。 「 ストーリーのあるビデオメッセージ 」 にしようと がまず漫画でコンテを作くり 、 各人に対する演技指導が始 まった 。 撮影を開始すると 、 皆の士気が高揚してきた 。 パレス前で撮影していると日本隊があまりにも楽しそうなので コアリションの仲間が横目で見ている 。 コアリション ・ オペレーションのオフィスでは我々の撮影に

( コアリ ション ・ オペレーション部副部長 ) 等がコメントをいれてくれ 、 皆で 「 コアリション ! 」 と連呼している 。 ビデオ ・ レター割り当て時間が40秒なのに対し 、 撮影時間が40分ほどになってしまった 。 現在 、 が必死に編 集を実施している 。 なかなか愉快な時間であった 。


バグダッド日誌 ( 2006年3月30日 )

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| バグダッド 日 誌 ( 3月30日 )

○健康管理

キャンプ ・ ヴィクトリー内に米軍の運営する医務室があるものの 、 幸いにも日本隊からは未だ誰も受診することなく 全員元気に勤務している 。 「 クウェート入国そしてバグダッド到着してから食事が美味しく感じられ 、 ステーキ ・ ハンバーガー ・ ピサ ・ ホットドッグを 食べ続け 、 水のかわりにコーラを飲んでいた 。 その結果 、 バグダッド到着1週間後には 、 日本での体重より4 ~ 5キロ 増加しており 、 業務支援隊医務官から食べ過ぎによる糖尿病に気をつけるように指示をもらってしまった 。 それ以降 、 食生活を野菜中心にするよう心がけ 、 日本コンテナにある体重計で朝 ・ 晩2回体重を量り健康維持の目 安としている 。 1月終わり頃は体重がなかなか減らず 「 フル ・ ヌード 」 になって体重を量ったこともあったが 、 「 食生活の 改善 」 と 「 緊張した中での勤務 」 が相まって 、 現在は一番体重のあった時より10kg ( 日本での体重より5kg ) 体重が落

ちた 。

気候が暑くなるにつれ食欲も落ちてきており 、 現在は体重維持に重点おいている 。 ( この体重を維持すれば 、 今年 の全国自衛隊柔道大会には1階級下の体重別クラスに参加して上位入賞を狙えるのではと内心思っている 。 )

また外から建物内に入ると何となく体全体が埃っぽく感じられるため 、 身近なところから 「 うがい ・ 手洗い 」 を励行して いる 。 夜は日本コンテナ内で腕立て ・ 腹筋 ・ スクワットを皆で実施して運動不足を解消し 、 夜は疲れてぐっすり眠れて いる 。 ここでは 、 全員健康でいることが任務達成の基本と認識し日々健康管理に留意している 。

バスラLO日々業務報告 ( 3月30日1900 )

分 、

バスラ空港

1 警戒態勢

( 警戒態勢 ) :

Eg

2 特記事項

( 1 ) 情報要求対応

SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 IED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ タ会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議

3 本日の業務

4 明日の予定

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会議 ( 3 ) 兵站報告提出

5 その他 ( 備考 )