バスラ日誌 (2006年6月16日)

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バスラ日誌 ( 6月16日 ) - 143号 - -

1 こちらに来た当初 、 「 日本隊の撤収はいつだ ? 」 攻撃に晒され 、 『 I ' m Sorry . We don ' t Know yet . 』 を

り返していた 。 月1回のMJLC ( 兵站会議 ) に参加する度 、 長期計画担当J5の説明プレゼンの画面か らキャンプ ・ サマワが消え 、 「 3月一杯でサマワとスミッティは閉鎖する予定 」 などという説明を聞いて は 『 マジ ? 』 、 「 6月一杯でサマワとスミッティは閉鎖する予定 」 と聞いては 『 いや 、 まだそんな ? 』 と いう顔をしている私に 、 「 あくまでもコンディション ・ ベースだから心配しないで 。 日本隊の撤収まで英 ・ 豪軍は必ず支援するから 。 」 とこれまた毎回説明を挟んでくれていた

「 も帰国した 。 4月 の中旬頃からはイタリアの情勢が流動的となり 、 日本隊の早期撤収に対する諦めムードも加わって 、 質問 攻撃は殆ど無くなった 。 伊軍LOの 」

はその分忙しくなったようだが 、 申し訳ないが少しホッと していたのも事実である 。 6月14日に伊軍サッサーリ旅団からガリバルディ旅団への指揮転移も無事終 了し 、 彼も20日には帰国の途につく 。 MND ( SE ) としてイラク派遣英軍の主体をなしてきた 、 ドイ ツ駐屯第1機甲師団もまもなく交代すると聞いている 。 知っている顔が少しずつ代わっていくのも寂しい が 、 大規模な部隊交代によってごっそり人が入れ替わるのはさらに寂しさを増幅させる 。 我々も5ヶ月余 の月日をここで過ごし 、 少々愛着が湧いてきたのかもしれない 。 ( 日本に帰りたいという気持ちはそれを 上回っているけれども 。 ) ここ数日 、 また日本隊の動向に注目が向きだしてきた 。 今回は 、 「 いつ ? 」 と 受動的に聞かれるのではなく 、 「 このように考えているが 、 可能か ? 」 とかなり具体的で能動的である 。 話が現実味を帯びてきた ・ ・ ・ 。

2 クウェートからの日誌は楽しく読ませて頂いたが 、 まさか防大時代の関係を使って後輩に書かせるなん

て 。 まあ 、 1人で大変だろうし 、 毎日書くためには協力も必要だろうから 、 仕方がない 。 毎日書こうとい 「 う意欲が感じられる 、 と前向きに考えよう 。 昨日 、 情報は日誌3日分くらいの価値があると書いてしまっ たが 「 正したいと思う 。 毎日楽しみにしてるから 。

3 本日も快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。