2006年5月

バグダッド日誌 ( 2006年5月1日 )

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バグダッド 日 誌 ( 5月1日 )

Oコアリション ・ パーティ ( 懇親会 )

昨日1400 ~ 1700までコアリション ・ パーティーが実施された 。 パーティーといっても 、 バグダッドに所在するコアリ ション連絡幹部が一同に集まり 、 バレー ・ ボールをした後 、 バーベキューを楽しむという企画であった 。 我々日本隊も5 人全員で参加して各国連絡幹部との懇親を深めてきた 。 この企画はルーマニアの

が企画してくれた 。 企画と言っても日本で実施するような綿密なものではなく 、 時間と場所を知らせ 、 皆でバーベキューの食材を持って来て 、 焼いて食べるという 、 ただそれだけなのだが . . . バレー ・ ボールは何となくチームをつくり 、 何となくゲームを楽しんだ 。 誰が仕切るでもなく 、 それこそ 「 なんとなく 」 とい う雰囲気である 。 この 「 何となく 」 というのがいかにも 「 コアリション 」 らしい 。 それぞれが自分の力量に応じて楽しみ 、 強 制されることなく 、 だからといって決して後ろ向きな人間がいない 。 またバレーボールが好きでなければ 、 バーベ キューの肉焼きに専念して 、 それはそれで楽しそうにしている 。 バレー ・ ボールにはコアリション ・ オペレーション部長 チケッティ准将も参詞して盛り上がった 。 ただし 、 将軍閣下と 言えども容赦なくアタックを打ち込まれていたが . . 。 楽しい時間はあっという間に過ぎお開きとなった 。

日本隊には 、 あまり球技の上手いのはいないのだが 、 積極的にイベントを盛り上げ 、 そして自分たちも楽しんだ 。 こ れも何となくコアリションの中の 「 日本 」 らしい存在感である 。

バスラLO日々業務報告 ( 5月1日1900 )

内 )

バスラ空港

1 警戒態勢

( 警戒態勢 ) :

s3

2 特記事項

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応

SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 IED及びDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ 夕会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議 ( 4 ) 空路輸送等調整 ( 5 ) POLAD会議参加者等対応 ( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会議出席 ( 3 ) 空路輸送等調整 ( 4 ) POLAD会議参加者等対応 ( 5 ) CME会議調整

4 明日の予定

5

その他 ( 備考 )


バスラ日誌 ( 2006年5月1日 )

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MND - SE管内の状況 |

バスラ日誌 ( 5月1日 )

1

私の不在間に幕僚長が交代されて 、

にご挨拶できなかった事は大変残念に思う 。 ( 控えめに言って ) ちょっと太り気味だが 、 いつも元気で疲れた顔を見せず 、 ( ほとんどわからなかった が ) ユーモアたっぷりに会議を取り仕切り 、 J7 ・ J9部長とは息の合った掛け合いを交えて明るい師団 司令部の雰囲気を作り出していた 。 以前日誌にも書いたが 、 群長 ・ 政策アドバイザー等との会談の際 、 そ れ以上寄りかかったらソファから落ちるんじゃないかと思うくらいの姿勢で応対してくれるものだから 、 こちらの方が冷や冷やして後から群長 、 室長にはお詫びしたりしたものだが 、 何となく愛嬌のある楽しい 幕僚長であった 。 幕僚長が交代するまでには 、 何であんな座り方をするのか絶対聞いてみようと思ってい たが 、 残念ながらそれも叶わなかった 。 毎日夕方の電話会議終了後に引き続き実施されるミーティングで は 、 LOの順番がくると必ず日本隊 ( 私 ) にまで確認されるので 、 何もないときは無視していただいた方 がありがたいのにと思っていたが 、 多国籍軍幕僚長に相応しく 、 他国軍人にも細やかな心遣いをしてくれ る方であった 。 嘘だろうと思うが 、 もうしばらくしたら工兵部長として 、 またバスラに来るらしいという 話も聞いている 。 ( 幕僚長から工兵部長では 、 格下げになると思うのだが )

は 、 いつ申し受けを受けたのかわからないくらい素早い交代であったが 、 早速師団 司令部の業務を仕切って 、 既にやり方をいくつか変えられた 。 今のところ業務要領の小さな変更だけであ るが 、 司令部の雰囲気も少し変わったような気がする 。 雰囲気が良くなるのか 、 悪くなるのかまだわから ない部分もあるが 、 これからどのように舵取りをしていくのかを見させていただき 、 前幕僚長と比較する ことでもいい勉強ができそうだ 。

2 本日快晴 。 バスラ11名 、 極めて健康 。


バグダッド日誌 ( 2006年5月2日 )

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JAM Update : 02 May

Assessment :

バグダッド 日 誌 ( 5月2日 )

○不覚の腹痛

昨日 、 一日中腹痛でひどい目にあった 。 どうもコアリション ・ パーティーのバーベキューが悪かったらしい 。 上品にはバーベキューをしているときに 、 あまりにもハエがいたため 、 すっかり食欲を失っていたが 、 普通科 の私とは は 「 富士の砲兵森もこれぐらいハエがいるよ 。 ハエなんか気にしていたら兵隊をやっていけないよ 。 」 と 偉そうなことを言っていたが 、 腹痛となったのは私1人だった 。 いつもなら強気の調整をしていたが 、 昨日は全くダメ 。 あぶら汗を流しながら 、 言いたいことを伝えるのが精一杯で あった 。 また業務の合間に横になっていたが 、 体がだるく 、 だんだんと心細くなってくる 。 衛生科隊員 に食あたりの薬を処方してもらい 、 なんとか回復して本日は全快である 。 いつもは 、 スペシャ ル ・ フォースのイメージの強い もこの時ばかりは 、 白衣の天使に見えた 。 日頃は体力にまかせて仕事をしていたが 、 無理をすることなく健康第一で勤務するのが大切であると再認識した 。 特に 、 ここバグダッドは米軍の医務室はあるものの 、 言葉の壁等でなかなか敷居は高い 。 一人が欠けてもフォローす るのに皆に迷惑がかかる 。 また私を心配して 、 連絡班の雰囲気まで暗くしてしまった 。 反省することしきりである 。 今日は朝から元気一杯 、 健康のありがたさに感謝して勤務している 。


バスラ日誌 ( 2006年5月2日 )

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バスラ日誌 ( 5月2日 )

1 昨日から 、 POLAD会議参加のため 室長 、 情報収集で副長及び法務官 、 バスラ現地物品掌握のた めに第4科長及び通信係長 、 カウンセリングで

室長警護の と7名の方がバスラを訪問 されている 。 それぞれの目的を十分に達成していただくために我々も精一杯のおもてなしをしようと思っ ているが 、 サマワの

していることから恒常業務もいつもより煩雑であり 、 少々不自由な 思いをさせているのではないかと申し訳なく思っている 。 また 、 私が27日に帰ってきてからの調整とな ってしまったこと 、 CME会議が急深日程変更され 、 一部重なってしまったことなどから 、 本来の業務を 犠牲にしながら対応せざるを得ず 、 このような時に情報の見落としなどがなければ良いと願っている 。

我々がサマワ本隊の状況を十分に業握することが大事なように 、 バスラの状況を本隊の方によく見て頂 くことも大変重要なことであると思う 。 ただ 、 できる限り常時 、 サマワからの通報を受けることができる ように 、 また 、 本隊の安全に直接かかわる情報を見落とさないようにと努力していることから 、 今後は 、 訪問者の来訪目的が複数に及ばないように調整していきたいと考えている 。

2 このところ日毎に暑さが厳しくなってきているように感じる 。 居住区に食堂があるために 、 食事をとる ためには必ず外を歩かなければならず 、 食事から戻ってくるだけで汗びっしょりになってしまう 。 水分の 取りすぎに注意してできるだけ食事をとり 、 健康管理に留意するよう他の3人共々気を付けたいと思う 。

第4次業支隊の皆さんは 、 4人全員が7ヶ月間全く受診しなかったそうなので 、 これを見習って 、 業務 に精励したいと思う 。 外国軍の医務室にはできるだけ行きたくないというのも本音の部分にはある 。 風邪 で受診して盲腸かなんかを取られたらたまったものではないから 。 ( 久しぶりの受け狙いであるが 、 喜ん

でいただけただろうか ? 説明入りではだめかな ? ) 13 本日快晴 。 バスラ11名 、 極めて健康 。

「 スミッティLO日々業務報告 ( 5月2日 )

区 分 1 警戒態勢等

変化なし 。

Threat Level

2 特記事項

サマーワ市内のデモに関して重点的に情報収集を実施

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応等

サマーワの治安情勢 、 デモ関連情報 、 英素軍の情勢判断等 ( 2 ) 各種業務調整等

明日以降の豪軍支援要請関連 、 修理関連 、 業支隊長スミッティ訪問関連 ( 5 / 3 ) ( 3 ) 各種ミーティング等

英豪軍作戦会議参加

4 明日の予定

情報要求对等 ( 2 ) 各種業務調整等 ( 3 ) 各種ミーティング等

明日の射撃訓練 RANGE1 : 豪軍 ( 小火器 ) 0700 ~ 1300

5

その他 ( 備考 ) - |


バスラ日誌 ( 2006年5月3日 )

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| MND - SE管内の状況

バスラ日誌 ( 5月3日 )

1 本日7名の方がサマワへ帰ったそのヘリでCME会議参加のため

がバスラを訪問され ている 。 対外調整係長 は 、 体調不良のため残念ながら不参加となってしまった 。 早く良くなって欲しいと思う 。

2 昨日バスラにおいて 、 室長 、 副長 、 法務官には 、 副師団長 、 幕僚長 、 正 ・ 副POLAD 、 MTTインフラ担当

に表敬等を実施していただき 、 副長にはその他に 、 J2部長 、 J3部長 、 J9部長にも会って頂いた 。 また 、 第4科長には14部長との懇談を実施してもらった他 、 通信係長とともに物品の現況について把握して頂 いた 。 これと並行して 、 室長には 、 今回訪問の主目的POLAD会議に参加して頂き 、 これらの合間を縫って 全員がカウンセラーのカウンセリングを受けた 。 3日間の日程であったが 、 夜の会合を含めてバスLO4名で 精一杯お迎えしたつもりである 。 本日引き続き 、

をお迎えしているが 、 2人にも 、 明日のCM E会議参加を含めて 、 バスラをよく見て頂きたいと思っている 。

3 本日師団朝会議に米海軍LO

が前任者に代わって初めて参加した 。 会議が始まる前 、 隣の伊 軍LOとしきりに 『 英語がわからない 』 と英語で話している 。 「 今朝のJ3ミーティングでもさっぱり聞き取れなかっ たし 、 申し受け中に参加した朝会議でも 、 特にJ2は何を言っているのかさっぱりわからない 。 」 とのこと 。 伊軍し Oも一緒になって 、 ちゃんとした英語で話して欲しいと言いながら笑っていた 。 アメリカ人にもわからない英語だ から 、 我々が苦労するのも当たり前だと少し安心し 、 心の中で勝手に納得した 。 ( 自己弁護的昇華 ? )

4 本日曇り後晴 。 バスラ6名 、 極めて健康 。


バスラ日誌 ( 2006年5月4日 )

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バスラ日誌 ( 5月4日 )

1 バスラの物品を輸送するための方法を色々考えているところであるが 、 もしタリルで空自便と連携でき

るのであれば 、 パスラ ~ タリル間の英軍C130便は有効に使えると思う 。 こちらで調整して荷物を積載 し 、 1名同行させて現地で積み替えれば良いので 、 かなり大きな荷物も運べると思う 。 ヘリの場合には 、 調整が難しいことと 、 荷物の運搬を我々の人力に頼るため 、 荷物を運ぶのには適していない 。 現在 、 バグ ダッド経由クウェート便で運ぶことも検討しているが 、 クウェートで分遣班に受け取って頂く場合 、 タリ ル便で空自機に積み替える方が 、 手数をかけない ( バージニアに近い ) し 、 我々としても安心である 。 これが実現するならば 、 その際にクウェートからの追送品を受領することもできるため 、 一石二鳥かなと 思っている 。 ただ 、 バスラータリル便は 、 木曜日午後と土曜日午前の2便しかないこともあり 、 天候等で 予定が変わった場合に困るかもしれない 。 それを考えると積み替えのないバグダッド経由便の方が安心か 、 などなど頭がいたい問題である 。 空自がバスラに飛んでくれれば全然問題ないのだが 。

2 最近 、 水不足の影響かシャワーの水が出なくなることが頻繁にある 。 もともと 、 水が少なくコンバット シャワー ( 身体を濡らすのに30秒 、 身体を洗ったのを流すのに30秒だけ水を使用するシャワー ) が義 務づけられていたが 、 いよいよ深刻になったようだ 。 やはり 、 ここイラクでは水というものは貴重なもの だというのを身をもって感じさせられる 。 また 、 私がバスラに来た当初は 、 1週間で温泉に行きたいと感 じたが 、 今となっては家の狭いお風呂でもいいから入りたいと思うようになった 。 日本では 、 当たり前の ようにお風呂に入っていたが 、 それもここでは非常に有り難い行動だと実感することができる 。 今 、 現在 「 日本は非常に裕福であるが 、 戦後の日本も現在のイラクと同様にインフラが整っていなかったと考えるこ とができる 。 そう考えると 、 一日でも早くイラクも戦後復興し裕福になれるように 、 ここイラクで少しで も役立つように微力ながら一生懸命業務に取り組んでいこうと改めて実感した 。 3 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。

スミッティLO日々業務報告 ( 5月4日 )

区分 警戒態勢等

変化なし

Threat Level

2 特記事項

特になし

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応等

サマーワの治安情勢 ・ 道路情報 、 デモ関連情報 、 英豪軍の情勢判断等 ( 2 ) 各種業務調整等 明日以降の豪軍支援要請関連 、 MND ( SE )

サマーワ訪問関連 ( 5日 ) 等 ( 3 ) 各種ミーティング等

英豪軍作戦会議参加

4 明日の予定

( 1 ) 情報要求対応等 ( 2 ) 各種業務調整等 ( 3 ) 各種ミーティング等

明日の射撃訓練 RANGE1 : IPA ( 小火器 ) 0700 ~ 1200

5 その他 ( 備考 )


バグダッド日誌 ( 2006年5月5日 )

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バグダッド 日 誌 ( 5月5日 )

○外務省から初 、 キャンプ ・ ヴィクトリー訪問

在イラク日本大使館から足木公使が 、 我々バグダッド連絡斑を激励のためキャンプ ・ ヴィクトリーを訪問してくださっ た 。 日本大使館はインターナショナル ・ ゾーン ( 米軍管理地域 ・ 米国大使館 、 多国籍軍司令部戦略部門が所在 ) から 南へ約3km程離れたバグダッド中心街 ( 各国の大使館が多数所在している地域だが 、 米軍の管理地域の外 ) にあり 、 バグダッド連絡班が所在するキャンプ ・ ヴィクトリーまでは 、 約15kmほど離れている 。 ( 別紙参照 ) 15kmという距離は近いように感じるが 、 日本大使館からキャンプ ・ ヴィトリーへの地上移動は危険が伴うため米 軍のヘリを利用しなければならない 。 ヘリのチェック ・ インを離陸1時間前までに実施しなければならないため 、 日本大 使館からキャンプ ・ ヴィクトリーに移動するために 、 なんだかんだで片道約2時間を要する 。 また 、 日本大使館からイン ターナショナル ・ ゾーンまで約3kmとはいえバグダッド市街を移動しなければならない 。 ( 陸上移動は 、 外務省が雇用 しているイラク ・ セキュリティー会社の要員が警護 ) 「 このように時間 ・ 治安面に障害がある中 、 今回の訪問が実現したのは 1等書記官の働きかけが大きかったようだ 。

1等書記官は防衛庁 ( 空幕防衛部 ) を昨年定年退官され 、 現在外務省で勤務している 。 1等書記官と我々が密に 連絡を取り合っているうち 、 バグダッド連絡班の活動を宣伝をしてくれ今回の公使訪問が実現した 。 公使は大変気さくな人柄で 、 我々の普段の生活を見たいと希望されていた 。 そこで日本隊の勤務場所 、 宿泊場所を 紹介したが 、 更に美味しくもないキャンプ ・ ヴィクトリーの食堂での喫食まで希望され 、 我々の生の生活の一部を体験 して頂いくことができた 。

日本大使館の勤務状況もなかなか大変なようで 、 半日足らずの短い訪問であったが一気にお互いの親近感が湧き 、 戦友意識を共有することができた 。 ( 公使には甚だ失礼であるが … ) 大使館員は基本的に大使館から一歩も外に出る ことはなく 、 今回の訪問のお陰で公使と 書記官は久しぶりに10m以上の空間を見ることができたそうだ 。 また補給 品も不足しているようで米軍PXで食材 、 タオル 、 ペーパー ・ バックの本等を購入されていたのが印象的であった 。 日 本大使館の方が治安面では厳しい状況ではないかと想像するのだが 、 公使は我々の安全確保について心配され 、 バグダッド連絡斑全員に激励の言葉をかけてくださった 。 今後益々外務省と協力しあいサマーワのため日本のため努力したい 。


バスラ日誌 ( 2006年5月5日 )

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| MND - SE管内の状況

バスラ日誌 ( 5月5日 ) 1 本身端午の節句 、 子供の日 ( 男の子の節句 ) である 。 家にも男の子が1人いるが 、 男の子だけで また 、 我が家だけでなく 、 子供達には 、 寂しい毎日であると思う 。 先日 、 テレビ電話で家族と話が

できた 方々は少しの間子供達の顔もみることができたと思うし 、 子供さんもお父さん 、 お母さんの顔を見

て安心 したことと思う 。 残念ながら私は 、 当日不在にしていたためテレビ電話での面会はできなかったが 、

我が 家の子供達も 、 家族説明会に参加してビデオと写真でお父さんの顔を見て喜んでいたと聞いた 。 こ

んな私 でも顔を見て喜んでくれる存在があることはとても励みになる 。 できるだけこまめにメールを送り 、

子供 達にも話しかけてあげたいと思う 。 お父さんお父さんと言ってくれるのも今のうちだけだろう

4月下旬から昨日まで 、 指揮官会議代理参加の隊長を始め 、 たくさんの方にバスラを訪問して頂 ちらの様子も確認して頂いた 。 我々は 、 サマワ本隊のために活動しており 、 こちらに来て実際に見

て頂く ことは幸せなことである 。 今回も5月の2回の訪問で 、 段ボール箱大小7箱分の補給を受け 、 我々

の糧林 備蓄量も数ヶ月分にまで回復し 、 大変感謝している 。 受入にあたっては万全を期したいので 、 会議

開催時 等 、 多国籍軍関係者も集まる時に併せての別件の訪問は 、 宿舎の確保も困難となり 、 対応も十分に

できな いことから避けたいと言う考えは 、 今回の訪問調整時にも申し上げておいた通りである 。 今回法務

官以下 5名の方にはTDA ( テント地区 ) に宿泊して頂かざるを得ず大変申し訳なかったと思っている 。

話題座


バグダッド日誌 ( 2006年5月6日 )

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JAM Update : 06 May

Assessment :

バグダッド 日 誌 ( 5月6日 )

Farewell Party コアリション ・ オペレーション部長

( コアリションにおける私の直接の上司 ) は 、 5月12日帰国予定で 、 帰国後はイタリア空軍エアー ・ オペレーション ・ コマンドの幕僚長として赴任されるそうである 。

は 、 大変日本最員でイラク派遣間にサマーワも訪問されている 。 我々日本隊に対して 、 日頃から気さ くに声をかけてくださり 、 准将の執務室でよくイタリアン ・ コーヒーをご馳走してくれた 。 挨拶は私から 「 ボンジョルノー 、 サー 」 と挨拶すると 「 オハヨー 、 ジャパニーズ ・ フレンド 」 と答えてくれ 、 時折私を 「 ボンジョルノー ・ ボーイ 」 と呼んだりする 。 先日の日本大使館 足木公使がキャンプ ・ ヴィクトリー訪問した際も 、 直接コアリション ・ オペレーション部の幕僚にア レンジメントを指示し 、 また 「 日頃の日本隊の活躍に対して御礼を言いたい 。 」 とのことで 、 懇談できる時間を設けて欲 しいと指示された 。 このように准将にはお世話になりっぱなしだった 。 昨日

の Farewell Partyが実施され26カ国の連絡幹部が集まり 、 将軍の任務完遂を祝福し 、 別れを 惜しんだ 。 パーティーには 、 ワインの変わりにグレープ ・ ジュース 、 シャンパンの変わりにシードル 、 ビールではなくノン アルコール ・ ビールでの宴だが 、 まるでアルコールが入ったように盛り上がった 。

Farewell Gitでは 、 各国いろいろな記念品を準備しており 、 米 ・ 英国 ・ 豪等多数の国はプラーク ( 盾 ) 、 韓国はMND ( NE ) 師団長からツー ・ スターのエンブレムのついたコーヒー ・ カップ 、 最も目を引いたのはヨルダンが 「 アラビアン模擬 刀 」 を贈っていた 。 各国がかなり趣向を凝らした贈り物を準備しており 、 我ながら自らの準備不足を痛感した 。 日本隊 は派遣部隊の記念コインを 「 気は心だ 。 」 と堂々とお渡しし 、 喜んで頂いたが 、 今後は何か工夫しようと思う 。

「 の後任には 、 イタリア陸軍准将が赴任されるそうである 。 また新たな体制で 「 日日に新たなり 」 の気持 ちで頑張りたい 。


バグダッド日誌 ( 2006年5月7日 )

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バグダッド 日 誌 ( 5月7日 )

Oローテーション MNF - 1幕僚長

が帰国する 。 少将は米海兵隊で身長が190cmぐらいあり大変貴禄がある 。 一見す ると非常に怖そうな風貌だが 、 日本隊を見かけるたびに気軽に声をかけてくれる 。 5月は米海兵隊の部隊交代が実 施されるため 、 日本贔屓の米海兵隊が多く帰国してしまう 。 沢山の仲間が食堂等で 、 日本隊に帰国の挨拶に来てくれ

る 。

オーストラリア軍POLAD は 、 5月9日に帰国するそうで 、 オーストラリアに来る機会があったら是非キャン ベラに寄って欲しいと再会を誓い合った 。 韓国海軍の も2週間後に帰国するそうである 。 はMNC - I情報部で日本のスタッフLod

) とともに勤務しており 、 大変紳士的で日本隊と仲良くしていたが 、 間もなくの帰国で寂しい限りである 。 「 MNF - 1コアリション ・ オペレーション部でMND ( SE ) を担当してくれた米海軍

「 は 、 本日バグダッドを 発ち帰国する 。 交代で米空軍 が 我々の様々な調整にのってくれる 。 昨日紹介したコアリション ・ オペレーション部長 で

も まもなく帰国であり 、 最近ローテーションが激しい 。 今まで親しくしていた仲間の帰国を見送りながら 、 我が身を思っている 。

帰国に際しての感想は様々である 。 やっと家に帰れるという仲間もいれば 、 ここで日本隊とともに勤務したいと行っ てくれるのもいる 。 我々バグダッド連絡班は 、 あと1年でもこちらで勤務できるぐらい体力 ・ 気力とも充実している 。

バスラLO日々業務報告 ( 5月7日1900 )

バスラ空港

警戒態勢

( 警戒態勢 ) :

Es

2 特記事項

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応

SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 IED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ タ会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会議出席

4 明日の予定

5 その他 ( 備考 )


バスラ日誌 ( 2006年5月7日 )

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MND - SE管内の状況

バスラ日誌 ( 5月7日 )

14日の

師団長のスミッティ訪問では 、 ムサンナ県の治安権限移譲を含む師団の 計画について前向きの良い議論がなされたと聞いた 。 この話し合いに県知事が同席していたかどうかにつ いては 、 県知事と話し合ったと言ったような気がするが 、 英語力の不足から確定はできない 。 聞き直せば よかったが 、 ついつい話を流してしまった 。 ( タバ友の副POLADY

との雑談による聞き 取り情報 ) 彼曰く 、 ムサンナ県の撤収計画は順調に進みそうなので 、 日本隊の条件さえ整えば 、 これまで メディア情報でも伝えられた7月末という話も実現できるのではないか 、 と言っていた 。 日本隊の撤収に どれくらいの時間を要するのかについては 、 これまでに各方面で聞いた話をもとに彼なりに計算している のだと思う 。 一応 『 それでは 、 我々も7月には帰れるかもしれませんね 。 そうだといいけど 。 』 と答えて おいた 。 ( 5日配信された 、 師団長とマリキ首相の電話会談の内容には 、

が 、 ムサンナ県の 知事と県評議会議長に 「 ポジティブな訪問 」 をしたと書かれており 、 その他情報からも同席を確認 。 )

2 昨日の朝会議においては 、 ブレア内閣の内閣改造についての報告もあった 。 デス ・ ブラウン財務担当閣

内相が国防大臣になったが 、 軍事に関する経験はないとのこと 。 軍事関連の経験はないが 、 人格的には良 い人だとPOLADが報告したものだから 、 一同くすくす笑い 、 大笑い 、 苦笑いを交えて 、 やや心配そう な雰囲気が漂った 。 政治に関わる人は 、 軍歴はなくても結構だが 、 軍事あるいは安全保障に関する 、 ある 程度の専門知識を持つ必要があるのだろう 。 ブラウン国防相がどのような手腕を見せるのか 、 未知数との ことだが 、 経験がないから知識もないとは言えないから 、 興味を持って見ていこうと思う 。 因みに 、 前の リード国防相は 、 以前日誌にも書いたが 、 バスラを訪問され 、 握手をして言葉も交わしていただいたので 。 別に関係はないが 、 ちょっと残念な気もしている 。 内相として閣内には残ったようだが 。


バグダッド日誌 ( 2006年5月8日 )

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バグダッド 日 誌 ( 5月8日 )

OẠI Faw Palace

多国籍軍司令部が所在するパレスは 、 正式にはAI Faw Palaceという名の宮殿で 、 チグリス川から水を引いた 湖の真ん中に荘厳と建っている 。 この宮殿は 、 イラン ・ イラク戦争における要衝AI Faw正面における会戦での凱旋記念で建立されたそうだ 。 本日 は 、 AI Faw Palacelについて紹介したい 。 「 AI Faw 」 という地域はバスラの南東に位置しイラン ・ イラク戦争間にイランが最も重視した地域であり 、 1986年2 月についにイランの手に落ちた 。

AI Faw地域は下図にあるとおり 、 イラクにとって唯一ペルシャ湾に面する地域である 。 またイランがここを占領す ることによりクウェートに対して直接イランの影響が及び 、 更にはサウジ ・ アラビアにまで脅威が及ぶということもあっ て 、 米国が 「 AI Faw 」 地域を奪回するためイラクを支援をしたそうである 。 サダム ・ フセインはあらゆる犠牲を払ってでもAI Faw地域を奪回すると宣言し1988年にようやく奪回に成功した 。 AI Faw Palaceはイランからの解放を祝して建てられたものであり 、 イラクでの最も大きな宮殿の一つである 。 中 に入ると大きな吹き抜けのホールには目も眩む様なシャンデリアを見ることができ 、 またホール内にはサダム ・ フセイ ンが使用していた椅子が飾られており 、 とても豪華な作りになっている 。 「 この由緒ある宮殿で勤務できることに感謝し 、 日々努力を重ねている 。

イラク

イラン

バスラ

クウェート

| AI Faw


バスラ日誌 ( 2006年5月8日 )

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バスラ日誌 ( 5月8日 )

1 5月6日1353の英軍ヘリ墜落事案ではいろいろなことを考えさせられた 。 部隊交代に伴う指揮転移 が5月1日に実施されたばかりであったが 、

は迅速に対応し 、 ニュース映像で見る限り 、 装甲車は整斉と現場に進入した 。 その後集まった民衆が 、 一時暴徒化したが 、 火炎瓶による火災への対応 等も含めて被害局限と暴徒制圧の処置は見事であったと思う 。 撃墜の可能性が報告されていたにも拘わら ず 、 トップ ・ カバーのために 、 別のヘリが上空監視にあたった 。 イラク治安部隊も機能していたと聞く 。 迅速に張った警戒線内に砲撃を受け 、 7名の負傷者 ( 軽傷 : 7名とも英軍兵士 ) を出したが 、 7日9時過 ぎには墜落ヘリの機体を回収し 、 事態は収束した 。 事故直後から 、 他のヘリ ・ 航空機は何事もなかったか のように任務につき 、 各々の任務を遂行している 。 軍隊とはこういうものなのだ 。 司令部も 、 J3におい て一時特別の態勢がしかれたが 、 3時間後には通常の態勢に戻り 、 じ後淡々と業務を進めている 。 冷たい わけではない 。 深い悲しみを胸に秘めて 、 責任を果たしているのだ 。 我々も 、 事に臨んでは危険を顧みず 、 身を以て責務を完遂すると宣誓しているが 、 いざという時に淡々と任務を遂行することができるだろうか 。 地上部隊の安全を確保するため 、 直ちにトップ ・ カバーを飛ばせるだろうか 。 軍隊の状況判断 、 指揮とは 厳しいものだと思った 。 犠牲者の中には2日後 ( 今日 ) 、 本国に帰る予定だった方もおられたそうである 。

2 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。

スミッティLO日々業務報告 ( 5月8日 )

1 警戒態勢等

変化なし :

Threat Level

2 特記事項

特になし

3

本日の業務

( 1 ) 情報要求対応等

サマーワ市内の治安情勢 、 デモ関連情報 、 英豪軍の情勢判断等 ( 2 ) 各種業務調整等

明日以降の豪軍支援要請関連 、 CIMIC関連 、 業支隊長 ・ POLADキャンプスミッティ訪問関連 、 IPA関連 、 豪POLADサマーワ宿営地訪問関連 、 Inet修理関連 、 TFMMP関連

計画変更関連等 ( 3 ) 各種ミーティング等

英豪軍作戦会議参加

4 明日の予定

( 1 ) 情報要求対応等 ( 2 ) 各種業務調整等 ( 3 ) 各種ミーティング等

明日の射撃訓練 なし

5

その他 ( 備考 )


バグダッド日誌 ( 2006年5月9日 )

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「 バグダッド 日 誌 ( 5月9日 )

OIED対処装置 パレス ( 多国籍軍司令部 ) 前の駐車場には 、 キャンプ ・ ヴィクトリー外柵を整備するため警備要員が集合している

このような創意工夫資材は 、 隊員の声を直接聞き 、 装備化しており 、 「 日本もどうだ ? 」 と売り込まれてしまった 。 どの 国も安全確保 ・ 犠牲者をださないため必死である 。 説明してくれた 。 もトヨタで有名な 「 カイゼン 」 だと 、 胸を張っ ていた 。

バスラLO日々業務報告 ( 5月9日1900 )

バスラ空港

1 警戒態勢

( 警戒態勢 ) :

2 特記事項

62 - 888

( 1 ) 情報要求対応

SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 IED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ タ会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会議出席 ( 3 ) 師団長表彰式同行

|

| 4 明日の予定

5

その他 ( 備考 )


バスラ日誌 ( 2006年5月9日 )

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MND - SE管内の状況 「 際 」

バスラ日誌 ( 5月9日 )

「 常日頃 、 英軍の人達がテレビを見て 、 一喜一憂しているクリケットについて 、 英軍の人に聞いたりイン ターネットで調べたりした内容を紹介したい 。 クリケットはイギリスで発祥した野球に似たスポーツで 、 サッカーに次いで2番目に競技人口が多いスポーツである ( 競技人口が多いのは人口 バウンダリ 大国のインドで人気があるのが影響している ) 。 ゲームは11人で構成されるチ ームが攻撃側と守備側に分かれて対戦する 。 守備側はボールを投げるボウラー フィルダー それを受けるウィケットキーパー 、 その他の9人はフィールダーとしてフィ ールドの各所に配置する 。 攻撃側は 、 ウィケットの手前に一人ずつ 、 バッ

OK ツマンとして配置につき 、 残りは成り行きを見守る 。 ボウラーは片側から ウィケット目掛けてボールをワンバウンドで投球する 。 ウィケットが倒さ

ボウラー

ウィケット れるとバッツマンはアウト ( アウトになるのは 、 投球がウィケットを倒し

バッツマン た場合 、 打球をノーバウンドで捕球された場合 、 バッツマンが走っている 間にボールがウィケットに戻ってきてウィケットを倒された場合等 ) になる てしまうので 、 それを阻止すべくバットを用いてそれをブロックする 。 そ れと同時に 、 ボールを遠くまで打ち ( 野球のようにファールゾーンはないの

ウィケットキーパー で 、 打者の左右後ろに打ってもよい ) 、 ボールがピッチから離れている間に 二人いるそれぞれのバッツマンが相方の側のウィケットの所まで走り 、 双方 160m×140mの芝生のグランド が到達すると1得点 ( ラン ) が入る 。 余裕があるならば 、 1往復 、 1往復以上してもよい 。 なお 、 走ら なくてもバウンドしてバウンダリーを越えると4ラン 、 飛球で越えると6ラン点数が入る 。 また 、 走って もアウトになると判断した場合は走らなくても良い 。 アウトになったバッツマンはチームの別の人と交代 する 。 攻撃側が10人アウトになった時点で攻撃が終了し 、 攻守が入れ替わる 。 攻撃と守備をそれぞれ2 回終了した時点で獲得したランの数が多い方が勝ちとなる 。 通常1試合に3 ~ 5日要する気の長いスポー ツである 。

ALISピッチ

2 本日快晴 。 バスラ

、 極めて健康 。


バグダッド日誌 ( 2006年5月10日 )

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OUTLOOK :

「 Assessmentt

「 バグダッド 日 誌 ( 5月10日 )

○業務支援隊長バグダッド訪問 5月8日 ~ 9日にかけて業務支援隊長 、 政策アドバイザー 、 カウンセラー等にバグダッドを訪問して頂いた 。 我々が バグダッドで業務を開始して以来 、 サマーワから初めての訪問であり 、 バグダッド連絡駄全員で 「 まごころを合い言葉 に受け入れ準備を実施した 。 訪問当日は 、

ことと 、 ローテーションの真っ最中のため表敬先を確保できずに苦労 した 。 ねばり強く交渉した結果4ヶ所の表敬先を確保できた 。 日本の将来作戦は 、 多国籍軍司令部では注目の的であ り 、 非常に内容のある懇談ができたものと感じた 。 今回訪問受け入れにあたり 、 表敬先と同時に宿泊 ・ 移動について 、 なかなかに苦労した 。 宿泊については 、 現在バグダッド所在する基地改編に伴い 、 宿泊施設が不足しておりキャンプ ・ ヴィクトリーでは新 たに着任した多国籍軍の尉官クラスは 、 宿泊コンテナ待ちで約2ヶ月ほど天揮で待たなければならない状況である 。 まさか隊長に天幕に宿して頂くわけにもいかず 、 我々の勤務する日本隊コンテナを空けようとも考えた 。 私たちが 困っているのを察してくれたコアリション ・ オペレーション部副部長

の鶴の一声で通常将官訪問の対応を している部署が宿泊場所を確してくれた 。

移動については 、 サマーワから来訪者に来て頂くには 、 まずクウェートに移動して 、 それから英軍C - 130でバグ ダッドへ移動するという 、 非常に非効率的な移動手段しかない 。 サマーワからバグダッドまで直線距離で250Km程 度だが 、 移動距離は800kmにもなる 。 また

であり 、 もの すごく時間距離が必要となる 。 サマーワでの業務多忙中にも拘わらず 、 バグダッドまで足を運び 、 我々を激励して頂 いたことに本当に感謝している 。

さまざまな不便はありますが 、 訪問者大歓迎であり 、 どんどんバグダッドを見に来て頂きたいと思います 。


バスラ日誌 ( 2006年5月10日 )

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バスラ日誌 ( 5月10日 )

1 本日 、 MND ( SE ) 師団長 「 から 、 第9次群8名の方に対する表彰が実施された 。 受賞さ れた皆様には 、 心からのお祝いを申し上げたい 。 また 、 これまで3ヶ月間厳しい暑さの中 、 駐屯地内にお いて 、 あるいは駐屯地の外に出てイラクの復興のため活動してこられた第9次群全員に対するMND ( S E ) 団長からの表彰とも思う 。 これから部隊交代の時期を迎え 、 平常時とは違う状況の中で任務を継続 しながら準備を進めていかれることと思うが 、 最後まで細心の注意を払い 、 無事に任務を完遂されるよう お祈り申し上げる 。 私たちも皆様の後に続き 、 笑顔で帰国できる日を楽しみに 、 時にサマワに意見を言い 、 」

時に余計なことを言うなと怒られながら 、 頑張り続けたいと思う 。 2 MND ( SE ) の策章について

今回師団長表彰により賞状と盾が受賞隊員に渡されていると思うが 、 横に印されているペガサスのような 紋章の由来について説明したいと思う 。 師団のホームページから引用した説明分を下記に示す 。

「 師団の章は 、 青色が背景の 「 ゴールド ラマス ( The Lammasu ) 」 です 。

このシンボルは 、 1940年 ~ 1947年の間 、 英第10軍で使用されていました 。 第10軍は 、 PI AC ( Persla and Iraq Cormand ) を構成していた軍です 。 10軍は 、 英軍を主体にオーストラリア軍 、 ニュージーランド軍 、 アメリカ軍 、 自由フランス軍 、 ポーランド軍 、 インド軍 、 西アフリカ軍及び南アフ リカ軍の派遣部隊から編成されていました 。 第10軍の任務は 、 油田をコーカサスを越えて攻撃してくる ドイツ軍から防識することと治安維持でした 。 「 The Lammasuは 、 古代中東が起源の伝説の状です 。 体は牛 、 鷲の羽を持ち 、 人の頭を持つ状です 。 善を守り感を 払う高貴な生き物だとされています 。

3 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。

「 スミッティLO日々業務報告 ( 5月10日 )

区 分 1 普戒族势等

内 Threat Level

変化なし

2 特記事項

サマーワ市内のデモに関して難点的に情報収集を実施

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応等 | サマーワ市内の治安情勢 、 デモ関連情報 、 英泰軍の情勢判断 、 ムサンナ県訪問関連情報等 ( 2 ) 各種業務調整等

明日以降の豪軍支援要請関連 、 PDCC会鑑証期関連 、 業支隊長 ・ 政策アドバイザー等キャンプスミッティ 訪問関連 ( 11日 ) 、 棄POLADサマーワ宿営地訪問関連 ( 13日 ) 、

サマーワ宿営地訪問関連 net修理関連等 3 各種ミーティング等

英童軍作收会战参加 ( 1 ) 情報要求対応等 ( 2 ) 各種業務調整等 ( 3 ) 各種ミーティング等

4 明日の予定

5

その他 ( 備考 )

明日の射撃訓練 RANGE1 : 英軍 ( 小火器 ) 0800 ~ 1800 RANGE3 : 森軍 ( B4mmRR , 66mmロケット 、 40mm拠弾 、 指向性散弾 ) 0700 ~ 1800


バグダッド日誌 ( 2006年5月11日 )

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POLITICAL UPDATE

バグダッド 日 誌 ( 5月11日 )

0業務支援隊長バグダッド訪問 ( その2 )

5月8日 ~ 10日の間 、 業務支援隊長にバグダッドを訪問して頂いた 。 今回の訪問に際して 、 我々バグダッド連絡 延に対して沢山の心遣いをして頂いた 。

が3月に部隊最先任曹長会議において自衛隊の活動を効果的に紹介したことに対して 、 陸上幕僚長から菱 賞されたことを隊長から直接伝達して頂いた 。 このジャパン ・ ブリーフィングの準備に 大 変な努力をしていたこ とをよく知っていたので 、 連絡斑全員で喜びを分かちあった 。 またサマーヴの仲間達も今回の表賞受賞を祝福してく れ 、 遠く離れていても部隊の一体感を強く感じることができた 。

また我々がストレスを溜めているであろうと想像して 、 カウンセラーを連れて来てくれた 。 各人が30分以上のカウン セリングを受けた 。

は1時間以上もカウンセリングをしてもらい 、 何やらすっきりした顔をしている 。 カウンセ ラーの はこの日誌を良く研究していて 、 我々が欲しているであろうものをサマーワから沢山もって来てくれた 。 まるで我々の心を見透かしているようであり 、 さすがカウンセラーだと感じた 。 更に先日チケッティ准将のFarewall P artyの際に贈り物に困ったことを察知して 、 すぐにVIP用の記念品を持ってきてもらっている 。

今回のバグダッド訪問では我々の普段の生活を等身大で見て頂いた 。 電話口 、 文章報告では伝わらないことを 、 バ グダッドの地で 「 ブーツ ・ オン ・ ザ ・ グラウンド 」 で感じとっていただいた事を大変感謝している 。 バグダッドへ移動に際して 、 「 空自c - 130の故障によるリルでの宿泊待機 」 、 「 バグダッド到着直前に砂嵐が吹き 荒れたため上空で2時間待機 」 「 砂嵐によるクウェートでの宿泊待機 」 等の移動に関するトラブルが多々発生した 。

隊長一行は5月7日にバグダッド視察のため出発して 、 未だサマーワに到着されていないそうだ 。 改めてサマーワと バグダッドの遠さを感じている 。 今度はバグダッドから泊まりがけで 、 是非サマーワへ行ってみたいと感じている 。


バスラ日誌 ( 2006年5月11日 )

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バスラ日誌 ( 5月11日 )

1 5月1日に第7旅団から第20旅団へと指揮転移して既に10日が経過した 。 第20旅団の部隊章は 、

なぜだか知らないが拳 ( こぶし ) マークである 。 デザイン化されているので 、 ロボットの手のようだが 、 黒地の背景に白で挙が描いてある 。 居住区は 、 我々のアレンビー ・ ラインの隣にあるウォータールー ・ ラ インであるが 、 その衛門にはこの挙マークの旗が翻っている 。 第7旅団の赤地に白いカンガルーよりは強 そうに見えるが ( 第7旅団の人には極秘 ) 、 装備面でも少しずつ改善されているようである 。 「 OSPREYと言ったら何のことか思い出されるだろうか ?

3月の初旬に紹介した英軍の新しいアーマーである 。 これを着用している人がチラホラと見られるよう になってきた 。 現有アーマーについては 、 あまり羨ましくはないが 、 新アーマーは軽そう ( 9 . 8Kg ) で 、 強度もあり 、 砂漠仕様の色にもマッチしていて格好がいい 。

OSPREY ( 鳥 : ミサゴ ) KESTRELが 、 戦闘用としては動作がしにくく 、 状況 ( 脅威の度等 ) によって変化をつけることができなかったため 、 襟及び袖の部分が取り外 しできるようにした 。 また 、 覆う部分の大きさも 、 完全タイプと半分の大 きさのものの2種類がある 。 表面には 、 フックをかけることができるよう 工夫され 、 背面に水バックも装着できる 。 また 、 プレートは 、 脅威に応じ て 、 大型と旧タイプの心康部分のみの小型を使い分けることができる 。

2 サマワにいる英軍LOの

は 、 これもなぜだか知らないが 、 けん玉がすごくうまい 。 私も 子供の頃やっていたイメージで 、 「 私は日本人だから 、 けん玉はうまいですよ 。 」 とやってみたが 、 全く 乗せることができず屈辱の時を過ごした 。 この時 、 居住区が同じで顔見知りの

( JB ) も 調整のためサマワにいたが 、 私が下手くそなのを見て 「 ガッカリしたと言われてしまった 。 」 雪辱を果た したかったが 、

は 、 明日には帰るそうだ 。 残念 。 でもご苦労様でした 。 3 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。

スミッティL0日々業務報告 ( 5月11日 )

区分 1 警戒態勢等

内 Threat Level

変化なし

2 特記事項

PJOCにおける銃撃事案 、 ヒドル付近における民間コンボイ損傷事案等に関して重点的に情報収集を実施

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応等

サマーワ市内の治安情勢 、 デモ関連情報 、 英豪軍の情勢判断 、 PJOCにおける銃撃事案関連情報 ヒドル付近における民間コンボイ損傷事案関連情報等 ( 2 ) 各種業務調整等

明日以降の薬軍支援要請関連 、 業支隊長 ・ POLAD等キャンプスミッティ訪問関連 、 豪POLADサマーワ

宿営地訪問関連 、 UAV飛行計画変更関連等 ( 3 ) 各種ミーティング等

英豪軍作戦会議参加

4 明日の予定

( 1 ) 情報要求対応等 ( 2 ) 各種業務調整等 ( 3 ) 各種ミーティング等

明日の射撃訓練 RANGE4 : 英軍 ( ヘリからの小火器射撃 ) 1000 ~ 1200

5 その他 ( 備考 )

21


バグダッド日誌 ( 2006年5月12日 )

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CURRENT SITUATION

「 バグダッド 日 誌 ( 5月12日 )

0褒章ありがとうございました 。 5月8日 、 業務支援隊長の搭乗している英軍C - 130がバグダッドに到着する時間が近づいたとき 、 うだるような暑 さから一転 、 ほんの1 ~ 2分ほどの間に砂嵐が吹き荒れた 。 地上の視界は約30m 、 送迎のためBIAPに着いた時は 、 空港が閉鎖されていた 。 バグダッド上空を2時間近く旋回し続け 、 最後のトライでようやく着陸した英軍機から降りてき た隊長以下バグダッド訪問のメンバーは 、 さすがに疲れた様子だった 。 おまけに 、 BIAPから日本コンテナまでは車で 30分 、 狭い車での移動でなおさら疲れがたまる 。 日本だと 、 「 まず 、 風呂に入ってゆっくりして下さい 。 」 というところだ が 、 ここではそうすることもできない 。 そのお疲れの中 、 「 ここに来る目的の一つは 、 に渡す褒賞状を持ってくる ことだった 。 」 と隊長に言われ 、 改めて感激した 。

その伝達式は翌日 、 日本コンテナの中で行われた 。 手渡された賞状を拝見すると 、 第12号である 。 陸幕長の褒章と いうのはどのような人がどのような時にいただくのか 、 この12号というのは 、 陸幕が始まってから12号なのか 、 それ

とも年度か 、 または 、 陸幕長就任からの数なのか … 。 いずれにせよ 、 とても希有なものであることに違いなく 、 数多 い陸上自衛官の中でも 、 これを手にすることの出来る人は極めて少数であり 、 改めて身に余る光栄であることを痛感 した 。 また 、 同時に手渡された記念品には 、 何と私の個人名が刻まれており 、 このバグダッドの地に自分の名前を刻 んだ気がして 、 またまた感動を覚えた 。 この場をお借りしまして 、 改めてお礼申し上げます 。 この栄誉ある褒章は 、 私の自衛隊生活の中での最高の栄誉で す 。 本当にありがとうございます 。 また 、 私のイラク派遣に多大な協力をいただいた方々 、 派遣中の業務を代行してく れている方々ほか 、 関係する皆様に感謝するとともに 、 留守を心配することなく 、 こちらでの勤務に専念していられる 環境を与えてくれている妻をはじめ家族に本当に感謝しております 。 この賞を励みとして残る派遣期間 、 また 、 残る自 衛隊生活を努力していきたいと思います 。

○ 日本について

先日 、 バグダッド訪問者の帰隊の送迎でBIAPIに行った際 、 米兵と長時間話す機会を得た 。 2人はキャンププロスパ リティー ( バグダッド市内 ) に在駐しており 、 休暇で米国に一時帰国するということであった 。 一人は軍曹でもう一人は 伍長 、 しばらくよもやま話をしていると 、 日本隊のことを最先任曹長から聞いてよく知っているとのこと 。 彼らの所属す る部隊最先任曹長はおそらくサージャント ・ メイジャー会議に参加しており 、 日本隊のことを紹介してくれたのだと感じ た 。 まさかキャンプ ・ プロスパリティーにまでサージャント ・ メイジャー会議の内容が伝わっているとは思わず 、 少なから ず驚いた 。 褒賞を頂いたことを励みとし 、 ここにいる限り 、 日本について説明し続けたいと感じた 。


バスラ日誌 ( 2006年5月12日 )

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バスラ日誌 ( 5月12日 ) 1 今回のバグダッド訪問では 、 英軍C130の航空輸送調整を実施したが 、 往路はバグダッド付近の砂嵐 のため着陸地点をバスラに変更する可能性がありエアターミナルにおいて待機し 、 宿泊施設も確保した 。 師団VISITの

には手間をかけさせたが 、 幸いバグダッドに着陸できたので 、 キャンセルした 。 調にはお詫びを申し上げたところ 、 笑顔で 「 ノープロブレム 」 と言ってくれた 。 復路 、 英軍C130は予定通りクウェートまで飛んでくれたので 、 我々も任務終了と思っていたところ 、 空自機の飛行延期 ( 気象条件 ) によって1日遅れたこと等の理由から 、 英軍ヘリを要請することとなった 。 事案発生後の厳しい条件の下 、 前日夕方からの調整にもかかわらず 、 空輸調整担当

は嫌な顔 もせずに調整してくれた 。 6日のヘリ墜落で亡くなったパイロットが 、 2日後に帰る予定であったこと 、 その方が彼の上司であり友人であったことを教えてくれたのは 、

である 。 事案当日 、 仕事を 終えるまでいつもと変わらず冷静に事態に対処していた だ が 、 その夜遅く珍しく感情を高ぶら せ 、 悲しみをこらえながら語ってくれたものである 。 本日 、 そのヘリが飛ぶ約2時間前にさらに6名を乗 せて欲しいとの調整では 、 さすがに彼も苦笑いだったが 、 大きなヘリ ( メルリン ) だからたくさん乗った 方がいいと言ってくれた 。 結局その6名は乗らなかったとのことで 、

には再度お詫びした 。 私たちは 、 我々のために危険を冒してくれている他国軍人のことを 、 もう少し意識したほうが良いのでは なかろうか 。 自前の輸送手段を持たない我々は 、 お願いして輸送していただいている 。 サマワは理解して くれているが 、 それを実感していない方々もいらっしゃるようである 。 また 、 師団司令部で彼らが欲しい と言ったほんの些細な情報も 、 微妙な問題については提供することができないと断る我々に対し 、 彼らは 理解を示し 、 真摯に対応してくれる 。 彼らにとって 、 信頼できるパートナーとして認めてもらえるように 努力してきたつもりであるが 、 さらにさらに努力が必要だと思っている 。

当然だが 、 空路移動にはより高いリスクもある 。 実態 をご理解頂くためには綺麗事では済まない部分もある 。 どうかこの思いが届きますように 。 2 本日曇り後晴れ 。 バスラ4名 、 極めて健康 。

スミッティLO日々業務報告 ( 5月12日 )

区 分 1 警戒態勢等

変化なし 。

Threat Level

2 特記事項

ヒドル付近における民間コンボイ損壊事案に関して重点的に情報収集を実施

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応等

サマーワ市内の治安情勢 、 デモ関連情報 、 英豪軍の情勢判断 、 ヒドル付近における民間コンボイ損壊事

案関連情報等 | ( 2 ) 各種業務調整等

明日以降の豪軍支援要請関連 、 業支隊長 ・ POLAD等キャンプスミッティ訪問関連 、 素POLADサマーワ 宿営地訪問関連 、 AMTG2COサマーワ宿営地訪問関連 ( 13日 ) 等 ( 3 ) 各種ミーティング等

英豪軍作戦会議参加 ( 1 ) 情報要求対応等 ( 2 ) 各種業務調整等 ( 3 ) 各種ミーティング等

4 明日の予定

明日の射撃訓練 RANGE1 : 英軍 ( 小火器 ) 0800 ~ 1500 RANGE2 : 英軍 ( 小火器 ) 0800 ~ 1600

5 その他 ( 備考 )


バグダッド日誌 ( 2006年5月13日 )

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CURRENT SITUATION

バグダッド 日 誌 ( 5月13日 )

Oバーデン ・ シェアリング ( 負担の共有 )

はここ2 ~ 3日下痢 ・ 発熱で少し体調を崩していた 。 体調をくずしたのは砂嵐の影響だと本人は言っている が 、 私はそうではないと感じている 。

はMNC - Iの情報部におけるスタッフとして勤務しており 、 勤 務の主体は 「 日本 」 ではなく 「 多国籍軍 」 である 。 情報部では一つの研究命題に対して約2週間の期間を与えられグ ループ作業を実施している 。 この研究命題に対する発表責任者をチーム ・ リーダーとして称して全ての取りまとめを実 施する 。 つまりチーム ・ リーダーとしての2週間はかなり大変な勤務となっている 。 このチーム ・ リーダーを は4 回 、 では3回実施している 。 他国のLOがローテーションの間に2回程度のチームリーダーを実施するのが通常 であることを考えると 、 日本隊はかなり信頼されていることになる 。

の二人は 「 使われているうちが 花だ 。 」 と気にもとめていないが 、 はかなり疲れがたまっていたのではないかと思っている 。 スタッフLOのが献身的に多国籍軍の負担をシェアしているので 、 勤務の主体を 「 日本 」 においているナショナル LOの

はかなり強気の態度で調整ができるといえる 。 他方 、 イラク派遣のための準備訓練から親しくし 、 労苦をともにしてきたバスラ連絡班から聞こえる悲鳴は 「 バスラ日 誌 」 から痛いほど感じることができる 。 バスラはMND ( SE ) から多大な支援の 「 TAKE 」 を受けても 、 「 GIVE 」 すること が限られるのだと想像する 。 日本人の美意識として 「 与えられるまま 」 は日本人としての誇りが許さない 。

我々バグダッド連絡班からバスラ連絡班へ貢献できることは極めて限られているが 、 バスラから何らかの要請があ れば全力展開で協力するつもりである 。


バスラ日誌 ( 2006年5月13日 )

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バスラ日誌 ( 5月13日 )

最近連絡班の中で 、 ここに来た頃の緊張感をもう一度思い出して 、 基本 ・ 基礎を徹底しようと話

をして いるところである 。 派遣されてから約4ヶ月が過ぎ 、 業務にも慣れ 、 相互に他の者の業務を実施す

ること もできるようになり 、 業務要領にも 、 日常の生活においても余裕が持てるようになってきたと思う 。

余裕 」 を持つことは良いことだと思うが 、 そこに気の緩みがあってはならない 。 しかし 、 最近交互にポカ

をして 、 反省しているところである 。 通信手段の常時携行 、 警報発令時の対応 、 情報の共有 、 その他 、 小さ

なこと で小さなミスが重なっているので 、 気持ちを引き締めなければと思っている 。 師団長が移動する時 、 自ら小銃を携行することには驚かなくなった 。 副師団長も小銃を携行され

ていた し 、 休憩時にも身体から拳銃 、 弾倉を離そうとはされなかった 。 今回のサマワ訪問時にも師団長は 、

いつ ものように小銃を携行されたが 、 ウェポンチェックの際 、 基礎動作を確行し 、 薬室の点検の際は 、 副官の

に確認をさせた 。 警護員を3名もつけていながら 、 自らも小銃を携行するのは 、 いざ という 時のことを真剣に考えているからだと思う 。 当然 、 小銃の取扱いにも習熟されていることが点検動

作を見 てもわかった 。 若い頃 、 演習時に小銃がじゃまだと思い 、 拳銃装備者を義ましく思ったが 、 今 、 イ

ラクに 来て 、 師団長以下が小銃を携行しているのに 、 自分だけ拳銃で恥ずかしく思うし 、 小銃装備者を誘

スミッティLO日々業務報告 ( 5月13日 )

1 警戒態勢等

変化なし 」

Threat Level ( 1 ) 本日未明サマーワ市内PJOC付近において発生した銃撃事案に関し重点的に情報収集を実施 ( 2 ) TFMCO ・ 英POLAD ・ AMTG2COがサマーワ宿営地を訪問 、 群長 ・ 業支隊長 ・ 政策アドバイザー等と会

談を実施

2 特記事項

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応等

サマーワ市内の治安情勢 、 デモ関連情報 、 英豪軍の情勢判断 、 PJOC付近における銃撃事業関連情報 、 ヒドル付近におけるIED事案関連情報等 ( 2 ) 各種業務調整等 TFMCO ・ 英POLD ・ AMTG2COサマーワ宿営地訪問関連 ( 本日 ) 、 明日以降の豪軍支援要請関連 、

サマーウ宿営地訪問関連 ( 15日 ) 、 整備関連 、 英軍からの依頼事項 ( 質問 ) 関連等 ( 3 ) 各種ミーティング等

英豪軍作戦会議参加

4

明日の予定

( 1 ) 情報要求対応等 ( 2 ) 各種業務調整等 ( 3 ) 各種ミーティング等 明日の射撃訓練 RANGE1 : 豪軍 ( 小火器 ) 0800 ~ 1800 RANGE2 : 英軍 ( 30mmGUN ) 0800 ~ 1400

5 その他 ( 備考 )


バグダッド日誌 ( 2006年5月14日 )

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| バグダッド 日 誌 ( 5月14日 )

0人の縁

先日 、 在イラク日本大使館から足木公使がバグダッド連絡班を激励するためキャンプ ・ ヴィクトリーを訪問してくだ さった 。 この際に一肌脱いで頂いたのは

は昨年防衛庁 ( 空幕防衛部 ) を定年退官され 、 現 在外務省で勤務していることは先日紹介した 。 在イラク日本大使館における交代の際 、 大使館から民間BIAP ( バグダッド ・ インターナショナル ・ エアポート ) までの 移動をウオッチし 、 不測事態が発生した際の多国籍軍の

を要請できるように準備している 。 こ の調整を毎回 、 と実施していたのだが 、 余りにも 「 制服的な 」 警備に関する鋭さをもっていたので 、 「 は 警察から出向しているのですか ? 」 と聞いてみた際にはじめて 、 が 、 航空自衛隊を定年退官したことを知っ た 。 我々の大先輩にも拘わらず全く偉ぶったところがなく 、 非常にキメの細かい調整をしてくれている 。

また流石は航空自衛隊出身であり 、 C - 130の運用について造詣が深く 、 多国籍軍との調整の際にはいろいろと 知恵を拝借している 。 統合運用態勢となり 、 ここバグダッドでも空の調整機会も増えてくると想像しているが 、 素人の 私にとって素晴らしい後ろ盾を得たと有り難く感じている 。 「 ここでの勤務は 、 コアリションの仲間を通じたマルチ ・ ナショナル ( 多国籍間 ) の人の縁は勿論 、 インターエージェン シー ( 省庁間 ) の人の縁により 、 我々の連絡調整業務が成り立っていることのありがたさをつくづくと感じている 。

25


バスラ日誌 ( 2006年5月14日 )

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バスラ日誌 ( 5月14日 )

「 勤務雑感 「 我々は多国籍軍と同じ地域に展開しているが 、 多国籍軍の指揮下にはない 。 これは 、 日本の法的制約が 主な理由である 。 これは政府が派遣を決定する際 、 国民及び野党の理解を得るために何度も国会等で説明 しているので 、 皆さんご承知の通りであると思う 。 しかし 、 同じ作報地域に展開しているのに 、 同じ指揮 官の隷下にないということは 、 軍事的には極めて不自然なことである 。 MND ( SE ) にしてみれば 、 通常 命令すれば済むことができないという 、 非常に不都合な点があると私は認識している 。 その反面 、 我々は 隷下部隊と同様 ( それ以上の ) の要請を行い 、 それを支援してもらっている 。 それはMND ( SE ) レベル の軍事的判断というよりも 、 極めて高度な政治的判断 ( 日米英豪の4ヶ国関係 、 日本がコミットすることを 米国が重視していること 、 日本が多額の資金をイラクに提供している等々 ) のおかげであると思う 。 ただ 、 末端レベルではそのことを十分認識していない人達もいると感じる 。 英国側にしてみれば 、 なぜ指揮下に ないのかから始まって 、 どうして広報用の写真が提供できないのかという細かいところまで疑問があるよ うである 。 そのような人達の疑問に対し 、 私は日本の憲法の話 、 集団的自衛権の話 、 自衛隊の派遣に至っ た政治的経緯の話をして 、 日本隊が極めて微妙な立場にあることを理解してもらうようにしている 。 それ は決して日本隊が多国籍軍と同一視されては困るという利己的なものではなく 、 あくまで日本国内の政治 的制約であるとの認識である 。 一方 、 日本側でもそれら政治的なことを十分理解するとともに 、 MND ( SE ) から受けている支援を 認識する必要がある 。 指揮下にない部隊にもかかわらず 、 指揮下部隊以上の支援を受けていること 、 日本 隊だけで日本隊の復興支援を行うことはできないことなどがそれである 。 MND ( SE ) には彼らの作戦が ある 。 その作戦に我々はほんの少ししか貢献していない 。 それでも彼らは我々を一生懸命支援してくれる 。 その恩に少しでも報いることができるように 、 我々LOは日本隊の代表として行動しているつもりである 。

しかし 、 これはイラクにいる我々だけの問題ではないとも感じる 。 ここイラクは依然 、 普通の国ではな く 、 毎日のように戦死者がでており 、 軍隊が恒常的に軍事的作戦を遂行しているところであることを改め て関係者が理解する必要があると個人的には思っている 。

| 2 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。

スミッティLO日々業務報告 ( 5月14日 )

区 分 1 警戒態勢等

変化なし

Threat Level

2 特記事項

ヒドル付近で発生したIED事案 ( 5 / 11発生 ) に関して重点的に情報収集を実施

3

本日の業務

( 1 ) 情報要求対応等

サマーワ市内の治安情勢 、 デモ関連情報 、 英豪軍の情勢判断 、 PJOC付近における銃撃事案関連情報 、 ヒドル付近におけるED事業関連情報等 ( 2 ) 各種業務調整等 「 明日以降の養軍支援要請関連 、

サマーワ宿営地訪問関連 ( 15日 ) 、 整備関連 、 英軍からの依頼事項質問 ) 関連等 ( 3 ) 各種ミーティング等

英豪軍作戦会議参加

4

明日の予定

( 1 ) 情報要求対応等 ( 2 ) 各種業務調整等 ( 3 ) 各種ミーティング等

5

その他 ( 備考 )

明日の射撃訓練 RANGE1 : 豪軍 ( 小火器 ) 0800 ~ 1800 RANGE4 : 薩軍 ( 小火器 ・ 40mm態弾 ) oa00 ~ 1800

27


バグダッド日誌 ( 2006年5月15日 )

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バグダッド 日 誌 ( 5月15日 )

Oサージェント ・ メイジャー ( 部隊最先任曹長 ) 恐るべし

先日 、 米軍の警備要員が創意工夫して取り付けているED装置を紹介した 。 この装置の詳しい構造等のデータを 入手しようと 、 バグダッドでの人脈を通じていろいろんな部署を確認したが 、 なかなか私が目指す担当部署を見つける ことができなかった 。

困った時の神頼み 、 あらゆる所に顔が利くコアリション ・ オペレーション副部長の に聞いてみたが 、 なか なか担当部署を見つけるのに苦労しておられ 、 徒に時間がすぎていった 。 そこで 、 を通して部隊最先任曹長の人脈で担当部署を探ってみた 。 すると 、 いとも簡単に目指す部署を発見 できた 。 が親しくしている対ED部隊の部隊最先任曹長が窓口になってくださり 、 あっという間に詳しいデータを 入手してくれたのである 。 を通して部隊最先任曹長に一声かけてもらうと 、 対IED部隊長の米陸軍大佐自らが 直接指示を出してくれ 、 1時間もしないうちに 、 担当中佐が日本隊コンテナまでデータをもってきてくれるという親切さ であった 。 「 こんなことなら初めからサージャント ・ メイジャーに聞けばよかった 。 」 と感じると同時に 、 蛛の巣のように張り巡ら されたサージャント ・ メイジャーのネット ・ ワーク 「 恐るべし 」 であると改めて実感している 。

バスラLO日々業務報告 ( 5月15日1900 )

区分

バスラ空 】

1 警戒態勢

( 警戒態勢 】 : 「

2 特記事項

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応

SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 ED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ 夕会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議

4

明日の予定

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 | ( 2 ) 定例会議出席 | ( 3 ) カウンター | ED会識 、 EOD会議出席

5 その他 ( 備考 )


バスラ日誌 ( 2006年5月15日 )

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MND - SE管内の状況

バスラ日誌 ( 5月15日 )

1 先日紹介した第20旅団の部隊章 「 拳 ( こぶし ) マーク 」 である 。 彼らもその ものズバリ 「 フィスト 」 と呼んでいる 。 第7旅団のマークより強そうだと思うが いかがだろうか 。 皆さんこのマークを左腕につけて誇らしげである 。 まだ 、 その 由来については聞いていないが 、 そのうち何でも知っていそうな ( 自衛隊の隊付 准尉のような ) 人を見つけて聞いてみようと思う 。 左下の写真の方も 、 この部隊 章を誇示するかのようなポーズで写真に収まっている 。 この方が 、 誰であるかに ついては 、 内緒である 。

第7旅団と第20旅団のどちらが精強かについてはまだわからない 。 ただ 、 マークを 見た印象だけを言っているので悪しからず 。 一昨日夜 ( 昨日未明 ) バスラシティの橋業 付近をパトロール中の英軍車両がIED攻撃を受け 、 2名の方が亡くなられた 。 1週間 の内に7名の殉職者を出したことになる 。 イラク作戦開始後の英軍の殉職者は 、 これで 111名になった 。 昨日 、 隣のコンテナにいる警備中隊の人が 、 武器手入れをしながら 、 「 あと12日で帰れます 。 」 と話かけてくれた 。 『 最後の日まで気を付けて 、 』 と言う と 「 ありがとう 。 皆が 、 自分の事をチキンと呼ぶくらいだから大丈夫です 。 」 との事 。

臓病と言われるぐらいでいいと思う 。 細心の注意を払っているということだから 。 こちらに来た時の新着任者教育で 、 ROEの教育があり 、 英国も日本と同様に 、 武器使用条件がかなり 厳しいものであることを 、 ずーと前の日誌に書いた 。 その時説明を聞いていた米軍下士官が 、 「 シュート ( 撃つ ) 」 を連発していたのも興味深かった 。 脅威が存在すれば 、 まず撃つ部隊と 、 慎重に状況を考慮し てからしか武器を使用できない部隊とでは 、 対処方法も異なるかもしれない 。 自衛隊が 、 将来の対応につ いて研究するのであれば 、 英軍の方が参考になるのではないかと思う 。 2 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。

19


バグダッド日誌 ( 2006年5月16日 )

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JAM Update : 16 May

Assessment

バグダッド 日 誌 ( 5月16日 )

の整備日の設定 バグダッドではコアリション20数カ国が所在する 。 各国の軍人と伍して勤務できる環境に毎日感謝しながら勤務して いる 。

先日業務支援隊長にバグダッドを訪問して頂いた際に 、 カウンセラーから整備日を設けていないことを指摘され 、 な んとか週1日の整備日を設定しようと努力した 。 まず私から整備日を設定しないと 、 誰もとれないであろうと想像してB UA ( 朝の指揮官報告 ) から戻ってからは戦闘服を着ないでいようと心に誓った 。 しかしながら 、 10時頃にはコアリショ ン ・ オペレーション副部長から呼び出しがあり 、 午後もイリアのLOとの調整が入ってしまった 。 結局私が前例を作るこ とに失敗したせいか 、 誰も整備日を設定することができなかった 。 「 今日は 、 戦闘服をなるべく新るな ! 」 と指示しても結 局無駄であった 。 無理に整備日を設けようとすると 、 かえって全員がストレスを感じてしまっている 。 たしかに各国のLOも毎日オフィスに出勤しており 、 とても日本隊だけ整備日を設ける雰囲気ではない 。 また 、 よくよく 考えてみると 、 ここでの勤務自体が充実しており 、 毎日オフィスに顔を出す瞬間が最も幸福感を感じる時だ 。 私だけで なく連絡班全員が 、 「 ここでの勤務が 、 自分の性にぴったりはまっている 。 」 と心の底から思っている 。 それほどまでにこ こでの勤務は刺激的で 、 日の丸を背負って仕事をしているという充実感がある 。 日本に帰りたくない訳ではないが 、 一日も長くここで勤務できることを皆で祈っている 。


バスラ日誌 ( 2006年5月16日 )

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バスラ日誌 ( 5月16日 )

1 師団司令部の要員もかなりの人が交代し 、 我々が来る前からいた人は数えるほどになってしまった 。 昨 日の朝会議で副師団長

「 も新副師団長を紹介され 、 お別れの言葉を述べられた 。 既に今 頃は故国に到着されていることと思う 。 J9のメンバーも今月10名弱の人が入れ替わると聞いているし 、 J2の顔ぶれも随分と替わった 。 J3でも我々より古い人は4 ~ 5人である 。 不思議なもので 、 毎日朝か ら晩まで顔を合わせ 、 同じ釜の飯を食い 、 合宿のような生活をしていると 、 国は違っても仲間意識が生ま れ 、 とても親しく接することができるようになる 。 それ故に 、 別れの時が来るととても寂しい 。

別れがあれば出会いもあり 、 また新しく赴任された方々との新しい人間関係が生まれる 。 今度 、 新工兵 部長として来られた方は 、

という方である 。 どこかで聞いたような名前だが覚えて おられるだろうか ? 4月19日まで幕僚長として勤務していたあの方が 、 噂通り 、 本当に工兵部長として 赴任された 。 信じられない 。 師団の朝会議では 、 師団長のお隣から 、 私の斜め対面席に降格 ( ? ) である 。 冗談みたいな人事だが 、 現幕僚長の

の前の幕僚長らしい 。 英軍の海外 勤務のローテーションはかなり厳しいようだ 。 先日伊軍の方からも 、 イラクから帰ったら年末にはアフガ ニスタンだと聞いた 。 伊軍も海外8カ所程に部隊を派遣しているようで 、 こちらも同様の厳しい事情のよ うである 。 『 イタリア本国は誰が守っているのか 』 と聞いたら笑っていた 。

2 英軍の部隊名あるいは部隊章には 、 古い伝統があり 、 その由来を聞くだけでも面白い 。 昨日の挙マーク については 、 がそのうち聞いてきて記事を書いてくれるだろう 。 以前 、 スミッティとクウェート LOの日誌も見てみたいと書いた 。 1人で忙しいだろうけど 、 1ヶ月に1回くらい書いてくれないかな ? 家族説明会用の爽やかなビデオは拝見したが 、 特に大使館LOの近況が知りたいとは思いませんか ?

|

本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。

スミッティLO日々業務報告 ( 5月16日 )

区 分 1 警戒態勢等

変化なし

Threat Level

2 特記事項

特になし

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応等

サマーワ市内の治安情勢 、 デモ関連情報 、 英豪軍の情勢判断 、 IED事案 ( 5 / 11 ) 関連情報等 ( 2 ) 各種業務調整等

明日以降の素軍支援要請関連 、 業支隊長等キャンプスミッティ訪問関連 ( 17日 ) 、 Inot シナジーブルー 整備関連 、 CIMIC関連 、 TFMからの依頼事項関連等 ( 3 ) 各種ミーティング等

英豪軍作戦会議参加

4 明日の予定

( 1 ) 情報要求対応等 ( 2 ) 各種業務調整等 ( 3 ) 各種ミーティング等 明日の射撃訓練 RANGE3 : 豪軍 ( 小火器 ) 0800 ~ 1800

5 その他 ( 備考 )

21


バスラ日誌 ( 2006年5月17日 )

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バスラ日誌 ( 5月17日 )

1 この写真は 、 師団司令部の建物の内側にある空間である 。 中庭の ようなものだろうが 、 枯山水があるわけでもなく 、 殺夏景な場所で ある 。 写真手前も 、 同じような壁で取り囲まれた四角い空間だが 、 エアコンの室外機が28 、 ホール用大型エアコンの室外機2を加え ると 、 30台が殆ど常時稼働し 、 それでなくても暑いのに 、 気温を 上昇させてくれている 。 喫煙者にとっては 、 なくてはならない数少 ない喫煙所であるが 、 日除けも何もないので 、 日中は強い日差しに 悩まされ 、 喫煙者に対する拷問施設のような場所でもある 。 しかし 哀れな愛臣家達は 、 悲しくもここに集まって来る 。 イラクを無帽で歩くような無謀なまねはしないように と日本から同期の優しい貴葉も頂いているが 、 喫煙所にまでは 、 帽子を被ってはいかないので 、 刺すよう な直射日光を直接浴び 、 私の頭皮も黒くなった 。 でも 、 ここでの情報は結構役立っている 。 2 昨日 1600頃から1645頃まで司令部の火災報知器が鳴りっぱなしで 、 一時全員が建物の外に避難 した 。 鉄帽とアーマー以外何も持たずに出たので 、 消防車3台が駆けつけ 、 司令部要員全員が司令部玄関 前に集合した様子を写真に撮ることはできなかった 。 ( 非常に残念 。 ) いつも勤務している場所ではある が 、 たくさんの人が勤務していることを改めて実感した 。

消防隊が建物の中を点検し 、 結局火災の発生はないということで 、 全員中に入ることを許された 。 その 後も17時過ぎまで 、 警報器が誤作動を繰り返し 、 電話会議の最中にも鳴ったりしていたが 、 今のところ 問題はなさそうである 。 しかし 、 スクープを逃したカメラマンの気持ちがわかるような気がする 。 残念 。

3 本日快晴 。 バスラ4名 、 忘めて健康 。

スミッティLO日々業務報告 ( 5月17日 )

区 分 1 警戒態勢等

内 容 変化なし 。

Threat Leve 業支隊長 、 政策アドバイザー等がキャンプスミッテイを訪問 、 TFMCO 、 AMTG2CO 、 英豪POLAD等と会談 を実施

2 特記事項

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応等

サマーワ市内の治安情勢 、 デモ関連情報 、 英豪軍の情勢判断 、 IED事案 ( 5 / 11 ) 関連情報等 ( 2 ) 各種業務調整等 明日以降の豪軍支援要請関連 、

整備関連 、 CIMIC関連 、 TFMからの依頼事項関 違等 ( 3 ) 各種ミーティング等

英秦军作忆会越参加 ( 1 ) 情報要求対応等 | ( 2 ) 各種業務調整等 ( 3 ) 各種ミーティング等 明日の射撃訓練 RANGE1 : 英軍 ( 小火器 ) 0800 ~ 1600 RANGE4 : 豪軍 ( 小火器 ・ 25mmGUN ) 0800 ~ 180

4 明日の予定

5

その他 ( 備考 )


バグダッド日誌 ( 2006年5月18日 )

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JAM Update : 18 May

| Assessment

| バグダッド 日 誌 ( 5月18日 )

○再会の誓い 最近部隊交代が激しく 、 バグダッドに到着以来親しくしていた仲間が次々に帰国してしまう 。 昨日 、 日本コンテナによく遊びに来ていた米海兵隊

ドバグダッドを出発して帰国の途についた 。 「 は 、 沖縄のキャンプ ・ フォスターからイラクに派遣されており 、 家飯は沖縄に住んでいるそうである 。 第4次バグダッド連絡粧の時から仲が良く 、 下手な日本語で一生懸命に我々に語りかけてくれる 。 いつも馬底をして 我々を笑わせてくれていた 。 ニック ・ ネームで 「 クレイジー ・ マリーン 」 と呼んでいたが 、 同僚からも同じように 「 クレイ ジー 」 と呼ばれており 、 本当に明るくて 、 面倒見の良い海兵隊員であった 。 「 帰国前に日本障コンテナにわざわざ挨拶に来てくれ 、 皆で記念写真を撮った 。 日本コンテナの前には前任者が業

京 ・ サマーワ ・ ニューヨークの方位と距離を示した矢印板があり 、 そこが記念写真を撮る場所として多国籍軍の中でも 人気のスポットとなっている 。 そこで 、 ルイジー ・ マリーンは 、 「 僅は沖縄に帰るのでニューヨークではなく 、 東京の方 に機るんだ 。 」 と東京の方を指さして 、 皆でスナップ写真を撮った 。

「 イラクでの任務完遂おめでとう 。 標営おめでとう . 」 と口々に日本隊から言葉をかけると 、 いつも冗談ばかりやって いる彼が 、 「 皆さんは 、 ステイ ・ セイフです 。 皆さんが帰国したら沖縄で会いましょう 。 」 と肩を抱き合って再会を誓いあっ た 。 帰り際 、 見事な 「 敬礼 」 をしてサヨナラを言った 。 我々も苦礼を返し 、 後ろ姿を見送った 。 ここでの勤務の報翻味は良い仲間に巡り会えることに尽きる 。 また新たな仲間が 、 我々のコンテナを訪問してくれる のを刻みにしている 。

20


バスラ日誌 ( 2006年5月18日 )

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バスラ日誌 ( 5月18日 )

1 昨日1755から 、 バスラ航空基地エアポートにおいて 、 先日のヘリコプター墜落事率で亡くなられた 5名の方のご遺体を 、 本国へ送還する確式が執り行われた 。 今回も参列者への統制は最小限で 、 現地にお いて説明があった後 、 すぐに式が開始された 。 従軍牧師の先導で 、 バグパイプの音色が響くなか 、 各々の 棺を6名の兵士が担ぎ 、 航空機の手前に安置した 。 殉職者の名前を1人ずつ読み上げ 、 それぞれに対し 、 全員で祈りの言業を捧げた 。 全ての祈りが終わり 、 ラッパ吹楽に合わせて独礼し 、 式は終わった 。 約1時

間の確式であったが 、 該悼の気持ちを込め 、 心からご冥福をお祈りした 。 2 上野3日目 ( 1月25日 ) の患者役送時 、 患者を一時シャイバ兵站基地に建送する事になり 、 同行医官 と連絡が取れなくなって 、 車両でシャイバに行ってくれないかという依頼があったことがある 。 IEDの 脅威があるため 、 基地の外に車で出ることは薬じられていたが 、 群長の許可があれば行きますと答えた 。 行くことになれば自分1人で行ぐつもりだったが 、 私も行きますと理員が言ってくれた 。 ( 遅れて行くつ もりはなかったが 。 ) 今思えば 、 華味しか持っていないし ( 車両移動時の小銃携行雑務有 ) 、 車両の単独 移動はMND ( SE ) も禁じているので 、 行くとすれば英軍エスコートの調整も必要だっただろう 。 結局 、 シャイバの医務室に下手な英語で電して 、 日本隊の患者が運ばれてくるので 、 間行医官に 、 ここの業活 番号に電話するよう伝えてくれと連絡して事なきを得た 。 電話1本で済むことを 、 何であんな厄介な方法 を考えていたのか今思えば笑い話であるが 、 その時は真剣だった 。 . ヘリ移動にも危険が伴うし 、 師団長表彰などは先任者が同行した方が良いだろうということで 、 サマワ ・ 帯への移動は私が実施することにしていたが 、 何もない時には 、 そろそろ氏にも機会を見つけて行かせ てあげようかと考えていたところ , ヘリ撃墜の情報が2件続いた 。 英軍ヘリについては確定していないが 、 その可能性が高いようである 。 本日 、 MJLC代理参加のため 、 シャイバ是站基地に行ってくるが 、 でき れば 、 あの時の医務室に寄って御礼を言ってきたいと思う 。 ヘリ移動し 、 シャイバはBASよUIDF 攻撃を受けているのでちょっと嫌な優じだが 、

3 本日所被基り一時雨 ( 営 ) , バス4名 、 極めて健康 。

スミッティLO日々業務報告 ( 5月18日 )

区 分 1 警戒継勢等

内 Threat Level

変化

2 特記事項

特にね

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応等 | サマーワ市内の治安情勢 、 デモ関連情報 、 英基軍の情勢判断率 ( 2 ) 各社業務内駿率

明白山勝の義軍支払事請関連 , 群集 ・ 業支隊長率キャンプスミッティ訪問関連 サマーワ審番地訪問関連

等サマーワ宿営地時間関連 露備関連 CIMICM , TFMからの依類率項M

査 定関連 ( 3 ) 各種ミーティング

英基運作金將參加 ( 1 ) 情報摂求対応等 ( 2 ) 各種業務期要事 ( 3 ) 各種ミーティング等 明日の射撃訓壁 RANGE2 : IPAC小火 ) 0830 ~ 1400 RANGE4 : 英軍 ( 小火器 ) ogog ~ 19go

14 日の予定

5 その他 ( 備考 )

22


バグダッド日誌 ( 2006年5月19日 )

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| バグダッド 日 誌 ( 5月19日 )

o アイ ・ オー ・ キャンペーン ( 情報戦 )

先日 、 NHKニュースの特集においてイラクの子供達に対するテレビの影響について報道されていた 。 最近 、 イラクの子供達の間で玩具の銃で遊ぶのが密かに流行っているそうだ 。 イラク人の母親は息子に対し銃で遊 ぶのは止めるよう説得するが 、 子供は 「 将来は警察官になって悪い奴らをやっつけるんだ ! ! 」 と正当性を主張して いる 。 子供達がこのように銃で遊ぶようになった背景には 、 イラク警察のコマーシャルで 、 「 銃撃により犯人達を掲討する 」 映 像を格好良く放映しており 、 これらの影響を強く受けているとNHKは紹介していた 。 「 このイラク査察のコマーシャルを犯たとき私 書 携した 。 このコマーシャルは 、 先日のサージャント ・ イ ジャー ・ ミーティング ( 部隊最先任曹長会議 ) で 、 キャンプ ・ ヴィトリーの心理戦部隊が製作し 、 紹介していた 「 ビデオ そのまま 」 であったからだ 。 イラクの子供はすっかりこのコマーシャルの影響を受けているようであり 、 多国籍軍の !

「 が発揮されていると感じた瞬間でした 。

●日進月歩

先日 、 班長がIED対処装置について紹介されたが 、 常に研究は続いているようである 。 キャンプ ・ ヴィクトリー内のと ある直線道路において 、 あらゆる計測器が設置された道路を 、 見たことのない装置をつけた軍国が走り抜ける 。 それ は1種類ではなくその日によって違うのだ 。 正式採用される前の研究段階であることと敵に事前に情報が漏れる危険 性を避ける観点から 、 さすがに細部の情報は教えていただけなかった 。 IEO対処に対するTED攻撃は 、 まさにイタチ ゴッコであり 、 その技術は日進月歩なのである 。

0 天然サウナ

昨今 、 ここバグダッドではめっきり熱くなってまいりました 。 皆様いかがお過ごしですか ? 「 職場の隣に常設される簡易トイレには常に厳しい日差しが降り注いでおります 。 昼間に便座に座ると 、 深いんです 。 電気も入ってないのにかなり高温の 「 ホット便座 」 です 。 更にトイレの中は高温高湿でまさにサウナ状態です 。 このまま 。 気を失ったら恥ずかしいと自分に言い聞かせ 、 肉球をしっかりと保つようにしております 。 温度計と砂時計を準備しようかと思っております 。

●トイレの魔物 「 パレスのトイレには魔物が住んでおり 、

いろんな物を奪われるらしい 。

バスラLO日々業務報告 ( 5月19日1900 )

|

バスラや理

1 青戒態勢

( 新技態勢 ) :

2 特記事項

, | | 3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応

SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 ED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 [ 2 ] 定例情報収率 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ 夕会議 、 J2 ・ J3 ・ J9B総統一会議 ( 4 ) MJLC会議参加 ( 炭シャイ基地

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会議出席

4 明日の予定

5 その他 ( 備考 )


バスラ日誌 ( 2006年5月19日 )

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MND - SE管内の状況

バスラ日誌 ( 5月19日 )

1 ここバスラ ・ エア ・ ステーションにも 、 米軍のキャンプとは比較にはならないが 、 こぢんまりとした売

店群がある . コンビニのような普通の売店 、 喫茶店 、 怪しいイラク土産などを売っている店 、 そして3つ の食べ物屋 ( カレー屋 、 ピザハット 、 サブウェイ ) がそれである 。 通の売店は 、 NAFF 」 と呼ばれ 、 米軍のFXと同じ感じではあるが 、 軍用品は非常に少ない ( その他の品物も多くはない ) 喫茶店は未だ 入ったことはないが 、 たまに売店に行くと結構多くの人が利用しているようだ 。 何が売っているのかは随

認していない 。 怪しい土産量は2店舗あって 、 1つは電気製品やCDなどを販売しており 、 品質的にかな り怪しいものが並べてある 。 もう1つは 、 いわゆるお土産屋で 、 イラクのものらしい土産物を売っている 。 こちらは見た目から怪しい雰囲気である 。 最後に食べ物屋だが 、 カレー屋はクウェートにあるお店からこ ちらに来ているらしく 、 お店を紹介するバンフレットにはクウェートの住所や電話番号が書いてある 。 か なり本格的なカレーを食べることができ 、 私はJ9の新着任者歓迎会で利用したことがあるが 、 なかなか おいしかった ( 辛いけど ) , ピザハットとサブウェイは皆さんご存じのファーストフードで説明の必要は ないと思う 。 私は以前から何処の国がイラクに出店しているのかが疑問だったので 、 サブウェイの定員さ んに訊いてみると 、 クウェートからであると教えてくれた , イラクに展開しているサブウェイはクウェー トからで 、 更にアフガニスタンに展開しているサブウェイもクウェートからだということだった 。 彼が 「 日本にもサブウェイがあるのか 」 と訓くので 、 私は 「 全く一緒なのがあるよ 。 」 と答えると 、 「 世界中 で同じなのかな 」 と不思議そうにしていた 。 確かに東京やニューヨークといった大都会でもサブウェイだ し 、 バスラやバグダッドという弾が飛んでくるところでもサブウェイである 。 世界各地に店舗を展開する とはいえ 、 マクドナルドやピザハット 、 スターバックスといったフランチャイズ ・ チェーン店載の 、 準税 端ともいえるイラクにまで店を展開するその展開力というか 、 商魂の薬さに改めて感心した 。

2 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。


バグダッド日誌 ( 2006年5月20日 )

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バグダッド 日 誌 ( 5月20日 )

○指揮幕僚活動雑感

米軍の指揮 ・ 事徴活動はトップ ・ ダウン形式であり 、 日本のそれはトム ・ アップ式であると良く耳にする 。 なるほど 、 ここにキャンプ ・ ヴィクトリーにおいても 「 米軍はトップ ・ ダウンだな 。 」 と感じることが多々ある 。 もっとも課徴的に感じるの は 、 BUA ( 朝の指揮官報告 ) においてNINF - 1司令官 ケーシー大将の武向に答えるのはMNC - 1司令官 トである 。 「 が 、 具体的な数字を確認した場合でも即座に

が回答している 。 日本であれば担 当が分厚い資料を我認して答えるであろうと感じるのだが . . . この間 、 米軍幕僚の担当部署はどうしているかというと 、 「 もうすでに視しているから 」 と言わんばかりの態度に私には見えてしまう 。

多国籍軍司令部において私が経敗した 「 極めて限られた世界 」 での 「 限られた勤務期間 」 を通じたことで恐縮である が 、 「 米軍は約5 ~ 10 % 程度のもの凄く優秀な人が 、 その他大勢を導いている 。 」 ように感じる 。 白頃 、 米軍人とのな にげない交流を通じても 、 日本では想像もできない人がいる 。 これは良い意味でも 、 悪い意味でもある 。 低秀な救 パーセントの人 ( 大佐クラス以上 ・ サージャン ・ メイジャー ・ クラスはほぼ100 % ) の立ち居振るいは素晴らしく 、 スマ的オーラを一課にして感じることができる 。 また 、 その他大勢の方は 、 おおよそ日本ではチョット . . という仕事ぶり で 、 得てしてこれらの方々が尊大な態度をとっている 。 トップ ・ ダウンとボトム ・ アップのどちらが優れているかと比べるつもりは毛頭ない 、 米国は多民族因家故の強みと弱 みを持っており 、 日本も単一国家故の強みと弱みをあわせ持っている 。 このため 、 米国には米国の風土に応じた方法 で 、 日本もまた土に応じた最も効果的な方法で指揮幕僚活動を実施していると感じる 。 「 三人寄れば文殊の知恵 」 「 和をもって尊しとなす 」 風土で育った私は 、 日本のやり方を大切にしつつ 、 米国式の良い ところを学び 、 仕事の仕方を刈和させながら勤していきたいと感じている 。

バスラLO日々業務報告 ( 5月20日1900 )

区分

バスラ

1 事流装勢

(

部品 ) :

2 特記事項

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応

SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 HND ( SE ) の将来計画 、 IED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収業 : [ 3 ] 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ 夕会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議 ( 4 ) 航空請送調葬

小情相去求对达 、 定例情報收集 ( 2 ) 定例会議出席 ( 3 ) 航空輸送網を持

4 明日の予定

5 その他 ( 備考 )

21


バスラ日誌 ( 2006年5月20日 )

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MND - SE管内の状況

バスラ日誌 ( 5月20日 )

・ 代理参加

1 昨日 、 シャイバ兵站基地 ( SLB ) において 、 日例の MULC ( 多国籍統合兵站会 ) が実施され 、 代理参加

に 向 ・ してた 。 細部については 、 第4科を通じて報告するが 、 シャイバ東方 3作品 シャイバ南方 - 1 兵站基地とはこんなに広い敷地が必要なものかと改めて 思った 。 ヘリでの移動時間は約7 ~ 8分であったが 、 基地到着直前に前触れもなく フレアを4回発射したので初導では少々驚いた 。 ヘリポートに到着してすぐ 、 医務 空があるのを見つけて 、 挨拶に行ければと思ったが 、 車に乗せられて反対の方角に | : : : : 数キロ連れて行かれてしまった 。 ( テント地区に宿泊 、 夜は大変素かった 。 )

14 NSE司令部 : 翌朝 、 中央付近にある廃屋の屋上に案内され 、 SLB全般の説明をしてくれたが 、 全国どちらを見ても 、 外構らしきものは見えず 、 どこまでが基地なのかさえわから ないくらい広い敷地であった 。 基地案内は 、 会社説明の後デンマーク大隊の宿営地 、 TK等回収訓練及び操縦訓練場を見せて頂いた 。 引き続き会議が行われ 、 前回会議 の探要説明 、 SOI関連で民間契約輸送会社のドライバー登録制度 ・ データベース

新 作成 、 師団隷下部隊等の交代予定が説明された 。 その後J5の担当者から 、 キャン ,

から 、 キャン SLB医務室 A プ閉鎖予定及び補給幹線の変更についての説明があり 、 各国代表による各国の兵站 状況等説明が実施された 。 日本隊の兵站状況については 、 前回までに説明した事項に に大きな修正事項はないことから 、 部撃交代状況についての説明のみ実施した 。 各国とも6月までに部隊交代するところが多く 、 無点はその部隊交代の計画 、 及び 定期に配産 状況説明であった 。 細部については別途報告する 。

デンマーク大隊 2 本日快晴 。 バスラ4名積めて健康 。

22


バグダッド日誌 ( 2006年5月21日 )

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バグダッド 日 誌 ( 5月21日 )

04回目の追送品到着 ! 4回目の追送品が到着した 。 毎月 、 日本から暖かい支援を賜り有り難く思っている 。 また毎回 、 統幕運用部からお菓 子 ・ みそ汁等 、 我々にとってプレミアムが付きそうな差し入れを頂きまして 、 この場をお借りして御礼申し上げます 。

追送品は家族からの荷物とともに 、 陸自留守業務センターから雑誌 ・ 新聞等を送ってもらっている 。 バグダッド連絡独 内で人気のあるのは 「 ターザン 」 というスポーツ雑誌でこれを読みながら 、 日本コンテナ内でのトレーニングの励みとし ている 。 また防衛ホームや朝雲で国内の状況を確認し 、 帰国してから浦島太郎にならないように気をつけている 。 密か に楽しみにしているのは 「 So You 」 であり 、 「 So You Lady 」 のコーナーから読んでいる人が多い ? バグダッド連絡

・ 前任者 か らもいろいろ送ってもらい 、 バグダッドで勤務したという絆ののありがたさを感じている 。 バグダッド連絡班一同 、 月に一度日本から送られてくる追送品を楽しみに 、 そして励みに頑張っております 。 今後とも ご支援宜しくお願い致します 。

0 未確認生物 ? バグダッドのキャンプには 、 沢山の湖がある 。 これらは 、 チグリス川から水を引いた人工の湖だ 。 キャンプヴィクトリー のパレスの周りには 「 ヴィクトリー ・ レイク 」 、 その東側には 、 フセイン元大統領が収容されていると噂されている 「 ロスト ・ レイク 」 がある 。 キャンプヴィクトリーの北側にあるキャンプリバティには 、 アルファベットのZの形をしている 「 ゼット ・ レイ ク 」 、 南側にはキャンプスレイヤーにある 「 スレイヤーレイク 」 と 、 まるでリゾート地にいるような気分になる 。

以前 、 ヴィクトリーレイクのほとりを歩いていると 、 明らかに魚がはねた音とは違う 、 何か巨大な生物が池に飛び込ん だ音がした 。 このような大きな湖であるから 、 何かがいてもおかしくないと思うのだが … 。

バスラLO日々業務報告 ( 5月21日1900 )

バスラ空港

1 警戒態勢

( 警戒態勢 ) :

2 特記事項

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応

SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 IED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ タ会識 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議 ( 4 ) 航空輸送調整等

4 明日の予定

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会議出席 ( 3 ) 航空輸送調整等

5 その他 ( 備考 )


バスラ日誌 ( 2006年5月21日 )

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| HND - SE管内の状況

「 バスラ日誌 ( 5月21日 )

1

第20装甲旅団の拳 ( こぶし ) マークの由来に関して 、 そのオチは 、 「 特に由来があるわけではなく 、 単に鉄の意志をもって 、 敵を打倒するという意味で 、 アイアン ・ フィストを部隊章としている 。 」 という ことらしい 。 期待させてご免なさい 。 平凡な理由でした 。 でも 、 あの挙は 『 鉄の拳 』 だそうだ 。

2 今月のバスラに対する攻撃は 、 昼間に2回あっただけで 、 静かな夜が続いている 。 11日は 、 1420 「 ロケット弾2発

と 昼食を終え司令部に戻る途中 、 大切な100円ライター ( 実は25セント ) を買いに5分程売店に寄ったためタイミングが合ってしまった 。 司令部手前の3叉路 ( 前に道路上に弾着 があった所 ) 付近を走っていると 、 空気が揺れるのを感じるような爆発音を聞き 、 横を見たら 、 300m ~ 400mのところで弾着直後の煙が上がっていた 。 続けて爆発音1発 、 後で座標を確認したら 、 「 近し 400 」 と 「 遠し600 」 で線上に挟まれていた 。 昨日の20日は 、 ほぼ同時刻の1444爆発音1発 、 滑走路と 「 A10師団司令部との中間点付近にロケット弾が弾着した 。 1月から攻撃13回目 ( 28発 )

3 日中は拷問施設のように暑い喫煙所では 、 さらなる危険が待ちかまえている 。 紳士の国英国のはずであ

るが 、 こちらの皆さんは少々お行儀が悪く 、 1階2階に拘わらず 、 窓を開けて飲み残しのコーヒーや水を 外に ( 中庭に ) 向かってバシャ 、 バシャっと捨てるので 、 日陰を求めて壁際に立っていると 、 とても危険 である 。 今のところ 、 コーヒーを頭からかぶった人を見たことはないが 、 注意が必要である 。 ここでも奥 煙者は肩身の狭い思いをしているわけで 、 窓から捨てる方々と目が合っても 、 涼しい顔で悪びれたところ は全くない 。 中庭に敷き詰められた砂利は 、 窓の下の部分だけコーヒー色に染まっている 。 4 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。

23


バグダッド日誌 ( 2006年5月22日 )

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バグダッド 日 誌 ( 5月22日 )

○未確認生物の存在 ? イラクの宮殿は 、 人工湖の中に建っているものが多い 。 キャンプ ・ ヴィクトリーのパレス ( 多国籍軍司令部 ) も人工湖 に浮かんだ形で建っており 、 その他昨日がバグダッド日誌で紹介したロスト ・ レイク 、 キャンプ ・ スレイヤーにも 同様に湖に浮かんだ形で宮殿が建っている 。 これらの湖の水はチグリス川から引いてきており 、 そのスケールの大き さは目を見張るものがある 。 パレス ( 多国籍軍司令部 ) を囲むレイク ・ ヴィクトリーはその規模 、 約直径800m程も有るかなり大きな人工湖である 。

先日夕方に このレイク ・ ヴィクトリーに面するオフィスに調整に行ったところ 、 何か大きな物体が 「 ドボン 」 と 湖に入って行ったのを聞いたそうである 。 その音からすると 、 体長3mは下らないであろうと想像される生物だと興奮 気味に話している 。 それを聞き 、 私とと を次のように励ましている 。 「 それは 、 レイク ・ ヴィクトリーに棲む伝説の生物 ヴィッシーではないか ? 」 と … 。 陸上幕僚長から褒賞を受賞し 、 整備日なしで頑張っている は 、 どうやら最近 「 疲れ気味 」 のようである 。

バスラLO日々業務報告 ( 5月22日1900 )

|

バスラ空港

1 警戒態勢

( 警戒態勢 ) :

2 特記事項

es |

m

2

| 3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応

SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 IED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ タ会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議 ( 4 ) 航空輸送調整

4 -

4 明日の予定

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会議出席 ( 3 ) 航空輸送調整

5

その他 ( 備考 )


バスラ日誌 ( 2006年5月22日 )

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MND - SE管内の状況 脳

バスラ日誌 ( 5月22日 )

1 お隣コンテナの警備中隊の人達は 、 昨日でコンテナを引き払い 、 テント地区へ引っ越して行った 。 あと 6日 ( 今日1日減って5日 ) で帰国できるということで 、 表情はとても明るい 。 「 日本に帰れるのはいつ 頃 ? 」 『 あと2 ~ 3ヶ月後と思う 。 」 「 まだ 、 長いね 。 」 『 また 、 どこかで会いましょう 。 」 「 食事には 来るからまた食堂で会えますよ 。 」 、 そういう意味じゃないんだけど … 。 まあいいか 。 一時 、 かなり いけてるんじゃないかと勘違いした英語も 、 また壁にぶちあたったようで 、 業務の合間に少しずつ勉強し ながら 、 さらなる向上の道を探っているところである 。 ( 学び 、 かつ戦う ! )

2 多国籍軍団イラク ( MNC - 1 ) は 、 イラク ・ クウェート国境通過点サフワン及びMSRタンパを変更 し 、 新国境通過点をカバリ ・ アラワゼム ( K - Crossing : キーロ ・ クロッシング ) に 、 MSRをアスペンに 切り替える予定である 。 当初 、 7月31日から北上輸送車両はアスペンを 、 南下輸送車両はタンパを使用 させ 、 MSRアスペンの輸送許容量をチェックするらしい 。 この際 、 民間契約輸送会社の操縦手について は登録しておくことが必要となり 、 IDの交付を受けないとK - Crossingを通過できないとのことである 。

9月1日からは 、 引き続き上記一方通行を維持するが 、 0500から1700までの12時間のみ使用 を許可され 、 この時間以外イラク ・ クウェート国境を通過することはできないそうである 。 これが10月 一杯までの2ヶ月間実施された後 、 完全にMSRはアスペンに変更され 、 11月1日からは 、 時間枠なし の双方向通行となる 。 ダンパについては 、 イラク南東部の基地間の輸送のみ 、 使用を許可されるらしい 。 7月31日以降の道路使用 、 及び民間契約輸送会社の操縦手登録制度について 、 日本隊にも影響がでる 可能性があるので報告する 。 ただ 、 MSRアスペンの建設状況によっては 、 日程の変更もあるとのこと 。 この件については 、 先日のMJLCで簡単な説明があり 、 MND ( SE ) も各別命令を出したので 、 詳細 については 、 別途報告する 。

3 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。


バグダッド日誌 ( 2006年5月23日 )

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バグダッド 日 誌 ( 5月23日 )

班長

延長は 、 こだわり派である 。 身につけるものは一流品でないと気に入らないらしい 。 服は … 、 私は●● 、 時計は○○ 、 バッグは XX 、 ゴルフクラブは■■等 、 かつて 、 コアリションの副部長は日本のものにこだわっているということを書いたが 、 班長は海外のものに こだわる 。 確かに使いやすかったり 、 長持ちしたり 、 それなりの物にはそれなりの価値があり 、 こだわるということは大切なことかもしれな い … が 、 たまに 、 そのこだわって買ったと思われるものが悲しい使われ方をすることがある 。 例えば 、 密性能だとのふれこみで買った某 一流メーカーのデジタルカメラ 、 悲しいことに抵長の写す写真は 、 かなピンぼけが多い 。 最近のカメラはピンぼけになることの方が難し いような気もするのだが ・ ・ ・ 。 また 、 操作パネルをあちこち件るので 、 いつの間にか連写になっていて元に戻せなかったり … 。

ある日 、 テレビの音量調節のスケールが表示されなくなっていた 。 「 班長 、 最近ボリュームの表示が出ないですねえ 。 」 と何気なく言うと 、 「 あ ! それ 、 俺がいろいろさわってて 、 いつの間にか出なくなった 。 」 との返事が 。 「 もう元に戻らないかもしれない 。 」 とつぶやいた 。 その表 示が元に戻ったのは2週間後のことであった 。 「 今日の日誌 、 ここに入れてあるから … … 。 」 と班長は 、 いつものようにポケットメディアを に手渡す 。 「 班長 、 どこにあるん ですか ? 」 と 、 しばらく探していた が尋ねる 。 「 あるだろ 、 ○月○日って書いてあるやつが 。 」 と三根1尉の元に駆け寄ってコン ピュータを見つめる 。 しかし 、 その○月○日のファイルはどこを探しても見あたらない 。 「 班長 、 またですか ? これで5回目くらいですよ 。 」 「 ちがうって 、 ちょっと待ってろ 、 探して持ってくるから … 。 」 と自分のPCを探す班長 … 。 しばらくして 、 青い顔をした班長が一言 。 「 もう1

回作り直すから 。 J … これで6回目 。 そのポケットメディアも時々行方不明になる 。 「 そんな班長は 、 やはり我々バグダッド連務班員を 、 こだわりを持って引っ張ってもらっている 。 そのこだわりがあるからこそ 、 しっかりとし た業務に邁進できているものと思う 。 これからもよろしくお願いします 。

バスラLO日々業務報告 ( 5月23日1900 )

バスラ空港

11 警戒態勢 ・

( 警戒態勢 ) :

| 2

3

特記事項

13 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応

SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 , IED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ 夕会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議 ( 4 ) 航空輸送調整

| 4 明日の予定

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会議出席 ( 3 ) 航空輸送調書

5 その他 ( 備考 )


バスラ日誌 ( 2006年5月23日 )

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MND - SE管内の状況

「 バスラ日誌 ( 5月23日 )

1 お隣コンテナに新しい養満中隊の隊員が入ってきた 。 昨日一杯は 、 引っ越しでゴタゴタしていたようで 、 帰国のために出ていったグループのような明るさはなかったが 、 色々指示する声が飛び交い活気はあった 。 「 ケイオス ( 混沌としている 。 ) 」 と話しかけてくれたので 、 ちょっとの間話をした 。 これから6ヶ月間 の警備任務に就くわけであるが 、 被害が出ないことを祈っている 。

昨日出たJ2の情報報告書によると 、 6日バスラ市において墜落した英軍へり ( リンクス ) の墜落原因 は 、 携帯対空ミサイル ( MANPAD ) による撃墜とのこと 。 当時 、 複数の携帯SAMを携行したグルー ブが配置についていたという情報もあるとのことで 、 この情報が正しければ 、 まだ使用されていない携帯 SAMが存在することになる 。 地上移動にもIEDの脅威はあるが 、 空路移動についても必要最小限に止 めるべきであろう 。 2 先日の1ED攻撃による英軍殉職者2名のご遺体を本国に送還する儀式が 、 明日1800から実施され

る 。 我々がバスラに来てからだけでも 、 4回目の本国送還式である 。 イラク南東部は比較的平和と言われ てはいるが 、 殉職者の棺を目の当たりにすると 、 これが現実なのだと思う 。 日本隊としての哀悼の意を表 すために 、 - LOではあるが 、 サマワ本隊の代理のつもりで参加している 。 式典は至って質素であるが 、 英国軍の伝統と宗教の影響を反映して 、 とても厳かな 、 重みのある様式で ある 。 夕方とはいえ日はまだ高く 、 気温も尋常ではないので 、 式典が始まる前の時間も入れると約2時間 余り 、 屋外で立っているだけでかなり消耗する 。 先日の式典の時には 、 3 、 4箇所で倒れる人が出たが 、 私の1人置いて前の列の隊員も正面にまともに倒れ 、 助けようとしたが届かなかった 。 倒れた若い隊員を 介抱していると後方から下士官が来て進んで行った 。 私の前の人は 、 助けようともしないので 、 冷たい奴 だなと思っていたが 、 後で聞くと 、 下士官はそのような時でも動けないのだそうだ 。 そんな時には 、 列外 にいるサージャント ・ メジャーが対応するらしく 、 後から来た人がそうだったのだなと思う 。 そうは言っ ても 、 滑走路のコンクリートにまともに倒れる同僚を助けられないとは 、 ちょっと ・ ・ ・ ・ ・

3 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。


バグダッド日誌 ( 2006年5月24日 )

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バグダッド 日 誌 ( 5月24日 ) |

○国旗掲揚塔設置

日本隊コンテナに掲げてある 「 日の丸 」 が風雨によりボロボロになってきたことが気になり 、 何とかならないかと思案 を巡らせていた 。

が朝からキャンプ内を歩きまわり 、 国旗掲揚塔をつくるため廃材を集めてきてきた 。 そこから彼の長い一日 は始まった 。 穴を掘ったり 、 金具を取り付けたり 、 器用になにやら作っている 。 とナイトシフトの今西3佐とともに 炎天下 午前中から夕方まで懸かりっきりだ 。 夕方には立派な国旗掲揚塔が完成した 。 そして は日焼けして真っ黒だ 。 キャンプ ・ ヴィトリーの空に誇らしげに翻る日の丸を見上げ 、 本日も日々新たに 「 日本 」 を思い勤務している 。

バスラLO日々業務報告 ( 5月24日1900 )

区分

バスラ空港

| 1 警戒態勢

( 警戒態勢 ) :

Eg

2

特記事項

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応

SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 IED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ 夕会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議 ( 4 ) 航空輸送調整

4 明日の予定

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会議出席 ( 3 ) 航空輸送調整

5 その他 ( 備考 )


バスラ日誌 ( 2006年5月24日 )

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MND - SE管内の状況 |

バスラ日誌 ( 5月24日 )

1 日本では梅雨に入ったところもあり 、 家族の住む横須賀でも 、 このところ雨の日が多いと聞いている 。 こちらでは 、 殆ど雨は降らないし 、 毎日日照時間も延びているようで 、 日増しに暑さが厳しくなっている 。 茶色の風景の中に頑張って少しだけ緑色を加えてくれていた植物も 、 さすがにくたびれて 、 段々黄色から 茶色になり背景に同化してきた 。 雀に似た小鳥や 、 少し大きめで足の長い水鳥は 、 水が殆どなくなった池 の近くを元気に飛び回っているが 、 いつまでここにいられるのだろう 。 自然は厳しいが 、 その環境に順応 して生物は逞しく生きている 。 「 20日マリキ新首相が閣僚名簿を提出し 、 国民議会の承認を受けた 。 内相 ・ 国防相の指名は未決である が 、 首相は34項目の施政方針を示し 、 自由と多様性のあるイラクの建設に決意を表明した 。 ムサンナ県 ・ メイサン県では 、 6月中にも治安権限を移譲できる見通しという 。 宗派対立 、 部族間抗争 、 民族問題 、 テロリストの潜入等により毎日のようにテロ事案が発生し 、 不安定な電力供給 、 水問題 、 失業問題等国民 生活は大変厳しい環境下にあるが 、 人間もまた逞しく 、 問題を解決する知恵を持っている 。

イラクが近い将来 、 もともとそうであったように 、 豊かな国家として再生する日を期待させる出来事が 、 今目前で起こっている 。 このような歴史的な出来事に 、 ほんのちっぽけな役割ではあっても 、 関わりを持 つことができて 、 大変幸せだと思う 。

2 MJLC ( 旧J4会議 ) の前日は 、 必ず何かが起こり殆ど寝ずに参加するのが恒例となっている 。 先日 シャイバで実施された会議の前日は 、 何もないはずだった 。 しかし 、 寝具を忘れて行ったので 、 ガンガン に冷房が効いたテントで何もかけずに簡易ベッドに寝ていると 、 凍死しそうになって寝られなかった 。 あ んまり寒いので 、 シャワー室に逃げ込み 、 そこにあった20cm幅の木製長いすに横になったが 、 うとっ とした瞬間に1m程下の床に転落して滑落死しそうになった 。 やはりJ4会議の前日は縁起が悪い 。 担当 のハンター少佐には大丈夫かと聞かれたが 、 歩兵はどこでも寝れるとやせ我慢を言ったのがまずかったか

もしれない 。 因みに伊軍歩兵 も寝具を忘れていたが 、 平気で寝ていた 。 スゴイ 。 | 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。


バスラ日誌 ( 2006年5月25日 )

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バスラ日誌 ( 5月25日 )

1 多国籍軍は 、 車両の識別表示について統制を強化しているが 、 各別命令411でフロントガラス 、 及び ドアの両サイドに国旗を付し 、 フロントガラス上部に反射テープ ( 赤 ) を付けることを義務づけたことに ついては 、 サマワ本隊に通知し 、 既に完了していた 。 しかし 、 夜間識別用に車の屋根又はダッシュボード に赤外線ストロボを装着すべき事という一項を見落としていた 。 今回担当者から 、 日本隊の準備状況につ いて確認された際 、 指摘を受けたので 、 昨日必要数について調査を依頼した 。 ストロボについては 、 必要

数を申請すれば多国籍軍側で準備して配布するということで 、 ストロボ代金の請求については確認すると いうことだった 。 そのようなやりとりをしている内に 、 日本隊では昨年末に既にストロボを取得しており 、 既に取得済み ( 88車両分 ) との連絡を受けた 。 担当者にはその旨連絡し 、 今回のストロボ調査事案は終 了した 。 フロントガラス上部の赤テープといい 、 国旗の表示及びストロボといい 、 日本隊では既に実施済 みの事項が多く 、 今回の各別命令は 、 再微庭のための命令だったかもしれない 。 ( フロントガラスに国旗 を表示する件は新しい指示であったが 。 ) 部隊が頻繁に入れ替わり 、 担当者も数ヶ月毎に変わる特別任務 故の齟齬も多少あると思う 。 英軍等も既に装着しているのではないかという疑問も湧くが 、 各国毎に堂提 して頂くしかない 。 お騒がせしたがストロボだけにブラッシュ ( 閃光 ) のように解決した 。 2 本日 、 第9次群32名の方の部隊交代について 、 英軍ヘリによる空路移動を無事終了することができた 。

昨日午前中の航空輸送調整ミーティングに呼ばれ 、 豪軍部隊移動とも重なっているためどうするか検討中 言われたが 、 日本隊の部隊移動の状況とヘリ移動の必要性を説明したところ 、 再度JHFに持ち帰り検討 するとのことだった 。 結局 、 昨夜2100過ぎに実施可能という返事を頂き 、 本隊に報告できた 。 ピック アップ時間の確認についてはご迷惑をおかけしたが 、 無事任務終了ということでお許し頂きたいと思う 。 航空輸送では 、 気象条件の影響を強く受けることから 、 いつも任務終了まで気を抜けないが 、 昨今の武装 勢力対空攻撃能力向上の情報も併せて 、 心配していた 。 無事タリルに着いたことを確認して 、 が 買ってきてくれたコーラで乾杯した 。 ( J3の他国要員は 、 日本隊撤収の情報でも入ったかと勘違いして いるかもしれない ? ? ? … … もちろん空輸調整担当の方にはすぐに御礼を申し上げた 。 ) 3 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。

スミッティLO日々業務報告 ( 5月25日 )

区 分 1 警戒態勢等

「 変化なし 。

Threat Level

2 特記事項

( 1 ) TEMCO ・ 英POLADがサマーワ宿営地を訪問 。 10群長 ・ 業支隊長等と会護を実施 ( 午前 ) ( 2 ) 9次群長がキャンプスミッティを訪問 、 TFMCO ・ AMTG2CO等と会談を実施 ( 午後 )

本日の業務

( 1 ) 情報要求対応等 | サマーワ市内の治安情勢 、 デモ関連情報 、 英薬軍の情勢判断等 ( 2 ) 各種業務調整等

JZ関連 、 明日以降の豪軍支援要請関連 、 業支隊長 ・ 政策アドバイザー等キャンプスミッティ訪問関連

整備 ・ アカウント取得関連 飛行計画変更関連等 ( 3 ) 各種ミーティング等

英豪軍作戦会議参加

4 明日の予定

( 1 ) 情報要求対応等 ( 2 ) 各種業務調整等 ( 3 ) 各種ミーティング等

明日の射撃訓練 なし

5 その他 ( 備考 )

20


バスラ日誌 ( 2006年5月26日 )

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バスラ日誌 ( 5月26日 )

1

本日 、 第10次イラク復興支援群への指揮転移が実施された 。 第10次群の皆様には 、 無事サマ ワへの移動を完了されたことで 、 最初の任務を達成されたことになると思う ( 明日最後の1コ梯 」 隊 ) 。 これから多くの任務を遂行していかれることと思うが 、 遠くバスラから 、 その活動のお役に 立てるよう全力を尽くしていきたいと思う 。 山中群長には 、 幹校戦略教官室企画正 ・ 副としてお世 話になったが 、 引き続きよろしくお願いしたいと思う 。 ( 私は相変わらずですが 、 若い3人が一生 懸命頑張っています 。 )

第9次群第3波最終梯隊で帰国される皆様には 、 最後の最後まで注意力を研ぎ澄まし 、 ご家族の 元への無事帰還をお祈りする 。 ( 小野寺群長 、 奥様 ・ ご家族の皆様によろしくお伝え下さい 。 )

2 5月21日の日誌に 「 このところバスラに対する夜間の攻撃はなく静かな夜が続いている 。 」 と 書いた 。 するととたんに 、 23日の夜2220 、 1DF攻撃を受けた 。 攻撃14回目 ( 29発 ) 。 今回は 、 珍しく迫撃砲1発と報告されたが 、 発射地点付近の確認 ・ 捜索を行った警備中隊が 、 発射 準備を終えたロケット弾を発見したため 、 再度警報が鳴った 。 ロケット弾の処理が終わった翌朝0 337まで警報は解除されず 、 司令部から出ることはできなかった 。 攻撃を受けた場合でも 、 情報 が鳴ってから1時間程度で警報解除されるのが普通であるが 、 今回は約5時間余り 、 アーマー ・ 鉄

帽を装着したままで司令部に閉じこめられていた 。 余計なことを書くとまた聞が当たるかもしれな いが 、 これも近況報告の1つだと思って書いている 。 シャイバに行く時に 、 シャイバの方が 、 バス ラよりもIDF攻撃が多いと書いたけども 、 あれだけ広い所に実施される攻撃回数と 、 たかだか東

西2km 、 南北×1 . 5kmの敷地に受ける攻撃回数を単純に比較することはできないと 、 シャイ バに行ったときに思った 。

3 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。

スミッティLO日々業務報告 ( 5月26日 )

区 分 警戒態勢等

1

| 変化なし

Threat Level

2 特記事項

特になし

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応等

サマーワ市内の治安情勢 , デモ関連情報 、 英豪軍の情勢判断 、 リルにおけるIDF ・ ED脅威情報等 ( 2 ) 各種業務調整等

「 日豪共同訓練関連 、 明日以降の豪軍支援要請関連 、 業支隊長 ・ 政策アドバイザー等キャンプスミッティ

訪問関違 ( 1日 ) アカウント取得関連等 ( 3 ) 各種ミーティング等

豪軍作戦会議 、 日豪共同訓練調整会議参加

4 明日の予定

( 1 ) 情報要求対応等 ( 2 ) 各種業務調整等 ( 3 ) 各種ミーティング等

明日の射撃訓練 RANGE3 : 藤軍 ( 25mmGUN ) 0700 ~ 1800

その他 ( 備考 )


バグダッド日誌 ( 2006年5月27日 )

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JAM Update : 27 May

Assessment :

バグダッド 日 誌 ( 5月27日 )

0未確認生物の存在 ( パート2 )

先日 、 パレス ( 多国籍軍司令部 ) を囲んでいる人工湖レイク ・ ヴィクトリーのほとりでが 、 大きな生物が 「 ドポン 」 と入水した音を聞いた話を紹介した 。 その後 、 バグダッド連絡班内では 「 迫撃砲でも落ちたのか ? それともワニでもい るのか ? 」 と面白半分に冗談を言い合っていた 。 もっとも当の本人は 、 いたって真剣で必ず証拠写真を撮ってみせる と意気込んでいるが 、 これ以上の疲れが溜ったり 、 またワニに食べられても困るので 、 証拠写真を撮るなんてこ とをしないように諫めている 。 「 今度は | がおかしなことを言っている 。 パレスから南東に約1kmのところにあるロスト ・ レイクという人工湖で 「 長さ1mは下らないであろう魚の背びれの様なものが湖面を泳いでいるのを確認した 。 」 という 。 「 そこで私と で を励ましている 。 「 それは 、 ロストレイクに棲む伝説の生物 ロッシーではないか ? 」 と … 。 キャンプ ・ ヴィクトリーは未確認生物の宝庫 ・ ワンダー ・ ランドである 。 口は炎天下 、 国旗掲揚塔を作ったり 、 整備 日なしで夜遅くまで頑張っており 、 その疲れが相当溜っているものと考えられる 。 ところで 、 このロスト ・ レイクの湖の真ん中に小さな宮殿が建っており 、 その周りは厳重な警備が実施され 、 写真撮影 も禁止である 。 そこにサダム ・ フセインが収容されているとの噂があるのだが 、 真偽のほどは明らかではない 。

20


バスラ日誌 ( 2006年5月27日 )

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バスラ日誌 ( 5月27日 )

1 机の上に使用済みのコピー用紙で作った 「 鶴 」 と 「 兜 」 を置いている 。 時々興味を示した人がこ れは何かと聞くので 「 クレイン ( 偽 ) 」 「 サムライ ・ ヘルメット ( ? ) 」 だと答えている 。 中に は日本通の人もいて 、 「 オリガミ ? 」 と聞くのでイエスと答える 。 日本の折紙は知っていても 、 こ れが何なのかはわからないらしく 、 やはり説明をしてあげる 。 日本の文化について関心を持っても らうためには 、 やはり現物があった方が良い 。 ( けん玉や千羽鶴 、 その他いらなくなった日本らし い物があったら 、 月曜日の通信斑来訪時にいただけないでしょうか 。 師団長表彰時の写真も欲しい と ( 師団長以外の写っていた人から ) 言われているのでデータがあればCD等で下さい 。 ) こちら にも100円ショップグッズなど持ってきているが 、 残された期間日本文化浸透作戦を展開したい と考えている 。 因みに当初から続けてきた挨拶作戦は 、 見事な成果を収め 、 挨拶をして無視する人 は殆どいなくなった 。 今日は 、 ちょっと要求が多くなって申し訳ないが 、 なぜこんな事を思いつい たかというと 、 こちらに来た時から親切にしてくれている 、

から 、 たった今 「 自分の息子2人のために 、 鶴を2羽折ってくれないか ? 」 と頼まれたからである 。 『 心を込めて

折ってあげる 。 』 と答えた 。 2師団司令部で休憩中にタバコを吸っていると 、 灰皿が火事になっていることが多々ある 。 喫煙マ 「 ナーが悪い人が多く 、 火を消さずに灰皿にタバコを捨てる人が多いからである 。 清掃にくる役務業 者がタバコなんか吸わなければいいのにと言わんばかりに 、 壁の出ている灰皿をきれいに清掃する 。

また 、 居住区でタバコを吸っていると 、 近所の英国人から 「 Stop smoking for your health . 」 と通るたびに禁差を促される 。 さらに 、 妻から 「 ( 日本では ) タバコが 30円値上がりするみたいだよ 、 これを機にやめたら 。 」 というだめ押しのメールがきた 。 そろそ ろ禁煙を決断しなければならないと思う今日この頃です 。 3 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。

スミッティLO日々業務報告 ( 5月27日 )

区 分 1 警戒態勢等

変化なし 」

Threat Level

2 特記事項

特になし

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応等

サマーワ市内の治安情勢 、 デモ関連情報 、 英豪軍の情勢判断 、 リル付近におけるDF ・ ED脅威情報 、 薬軍車両 ( ASLAV ) のタイヤ交換要領に関する情報等 ( 2 ) 各種業務調整等

明日以降の豪軍支援要請関連 、 群長 ・ 業支隊長 ・ 政策アドバイザー等キャンプスミッティ訪問関連 ( 1日 )

整備関連 、 CIMIC関連等 ( 3 ) 各ミーティング等

英豪军作报会議参加 ( 1 ) 情報要求対応等 ( 2 ) 各種業務調整等 ( 3 ) 各種ミーティング等

4

明日の予定

5 その他 ( 備考 )

明日の射撃訓練 RANGE3 : 豪軍 ( 25mmGUN ) 0700 ~ 1800

22


バグダッド日誌 ( 2006年5月28日 )

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別紙第2

に関する最近の状況 ( 仮訳 )

バグダッド 日 誌 ( 5月28日 )

0暑さ本番 、 食欲も本番

熱い日が続いている 。 パレス ( 多国籍軍司令部 ) ゲートにある温度計は連日50℃を示している 。 日中 、 食事時間以 外に外を出歩く隊員の姿は少なく 、 飛んでいる鳥すら見かけないほどにキャンプ内が静まりかえっている 。 風が吹くと それは 、 「 温風 」 ではなく 「 熱風 」 である 。 ただし温度が低いため汗でべとつくことはない 。 肌はサラサラで日本の夏より はマシだとも感じている 。

暑い中でも 、 バグダッド連絡班一同 、 体調は絶好調だ 。 やたらと腹が減り 、 業務の合間にラーメン ・ 焼きそば ・ 煎餅を 食し 、 「 夏痩せ 」 の逆行をしている 。 R & R ( レスト ・ アンド ・ リフレッシュメント ) の際にクウェートから持ってきた加給食の 備蓄が一挙に減ってきて 、 規制を加えなければならない程だ 。 「 バグダッドに到着した当初は特段に空腹を感じることもなく 、 また食べるものがあまり無かったこともあり 、 最近のよ うに間食する習慣もなかったのだが . . . 食べるものがあれば 、 あるだけ食べてしまうものだと感じている 。 「 備蓄量が少なくなりつつある加給食 」 を眺めながら 、 夏場によく水不足となり紹介されている 「 早明浦ダム 」 を連想し ている 。 先日 、 日本から追送品が届いたが 、 最近の消費量を考えると2 ~ 3日分か ? これを食べ尽くしたら間食の習 慣を止めることができるか心配だ 。

20


バスラ日誌 ( 2006年5月28日 )

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バスラ日誌 ( 5月28日 )

1 第7旅団と第20旅団のいずれが精強かについて 、 いろいろ比較してみているが 、 警衛に就いている者 の態度等を見ると 、 もしかすると第20旅団の方が上かもしれない 。 また 、 昨日夜 、 人が少なくなってか ら 、 第20旅団の廊下では壁のペンキ塗りが始まった 。 そんなに汚れているわけではなかったが 、 ペンキ だらけになりながら 、 7 ~ 8名の兵士がペンキの入った容器とスポンジ式のローラーを持って 、 どちらか と言えば楽しそうにペンキ塗りをしていた 。 私は 、 第20旅団長の予定伺いと副師団長のサマワ訪問関連 を確認するため一番奥の旅団VISITの部屋に用があったのだが 、 ペンキを付けられないように体を縦 に横にねじりながら 、 ようやく目的を達成して帰ってきた 。 通りすがりの挨拶も第20旅団の兵士の方が よく返してくれる気がする 。 挨拶や警衛の態度 、 司令部の美化など 、 嫌事項的なものについては後者に軍 配を挙げようかと思っている 。 ( 居住区コンクリートブロックには巨大な 「 鉄拳 」 が描かれているし 。 )

作戦に関していえば 、 部隊交代直後とはいえ 、 機牲者 ・ 負傷者を多数出したことは反省の余地があるか もしれない 。 しかし 、

など当初から力を発揮していると思う 。 表面的なところし か見てはいないが 、 印象としては 「 鉄拳 」 の方が強そうだ 。

2 ずーっと前に紹介した 、 松野宗純先生から出国時に頂いた本の中に 、 禅の修行において重視されるもの として座禅のみならず作務があり 、 中でも食事係が特に大切な仕事であり 、 道元はわざわざ 「 典座教訓 」 というー書を著していると書いてある 。 作務とは座禅以外の日常の作業であろう 。 また典座とは 、 食事係 のことだそうだ 。 その 「 典座教訓 」 の中に 、 炊事の心得として 「 喜心 ・ 老心 ・ 大心 」 をもってその仕事に 当たることが大切だと述べられているらしい 。 「 喜心 」 とは与えられたその仕事に喜びと生き甲斐を見い 出し 、 心を据えて葛進すること 。 「 老心 」 とは 、 懇切丁寧な親心を持ってその仕事にあたり全ての素材や 器を悲しみの心で取り扱うこと 。 「 大心 」 とは 、 公平無私な心の働きのことだそうだ 。 なかなかそのよう な境地に至ることはできないが少し反省を込めて紹介してみた 。 見た目は坊主なんだけど 。

3

本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。

スミッティLO日々業務報告 ( 5月28日 )

区分 1 警戒態勢等

変化なし

Threat Level

2 特記事項

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応等

サマーワ市内の治安情勢 、 デモ関連情報 、 英豪軍の情勢判断等 ( 2 ) 各種業務調整等

明日以降の豪軍支援要請関連 、 群長 ・ 業支隊長 ・ 政策アドバイザー等キャンプスミッティ訪問関連 ( 1日 )

整備関連 、 SWG関違 、 QDG依頼事項関違 、 QDG Administration Ofice関連等 ( 3 ) 各種ミーティング等

英豪軍作戦会議参加

4 明日の予定

( 1 ) 情報要求対応等 ( 2 ) 各種業務調整等 ( 3 ) 各種ミーティング等

5

その他 ( 備考 )

明日の射撃訓練 なし


バグダッド日誌 ( 2006年5月29日 )

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バグダッド 日 誌 ( 5月29日 )

○慣れたこと 、 慣れてはいけないこと

いこと . . . ここバグダッドに到着して4ヶ月以上が既に過ぎた 。 こちらの生活にも随分と慣れ 、 充実した毎日を送っている 。

到着当初は 、 言葉の壁も厚く特に英 ・ 豪LOの話す英語がほとんど聞き取れず 、 またコアリション各国の英語にもな かなか対応できなかったが 、 今はかなりコミュニケーションがとれるようになったと感じている 。 「 日常生活も完全に慣れた 。 食事については 、 時には日本食が恋しくなることもあるが 、 食堂で三食を美味しく食べて いる 。 また故障のため時折水しかでないシャワー ( 時には水すらでない ) にも慣れ 、 全く不足は感じない 。

生活のリズムも完全に掴み 、 コンテナ内で体力練成をしたり 、 多国籍軍の仲間を日本コンテナに招待したりと 、 色々 新しいことに取り組む余裕も出来てきた 。 「 しかし 、 安全に関することは全く慣れることなく細心注意を注いでいる 。 食堂に行く際も道路の端を歩き 、 待避壕の場 所が移動していないかを確認している 。 また爆発音等がした時はすぐに身を屈め安全の確保に留意している 。 昨日も キャンプ ・ リバティ ( 日本隊の所在するキャンプ ・ ビクトリー北に隣接 ) に迫撃砲による攻撃があり 、 キャンプ上空を米軍 攻撃ヘリコプターが警戒していた 。 身の危険に関することは引き続き慣れることなく 、 日々新たな気持ちで準備に怠り はない 。


バスラ日誌 ( 2006年5月29日 )

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バスラ日誌 ( 5月29日 )

最初

にあっ

1 第20機甲旅団の人々について

が昨日 、 7旅団より20旅団の方が強そうだという作戦及び奨事項における印象を書か たが 、 私は20旅団の人々について書こうと思う 。 まず1人目は 、 J3運用担当 た時に 「 コンニチワ 」 と挨拶してきたのが彼である 。 彼曰く 、 「 毎日1フレーズずつ覚えていけ 6ヶ月後 ( 私はそこまでいないんだけど ) は日本語ペラペラだ 」 そうだ 。 夕方の会議で会うと 「 コ ワ 」 「 にんにちは 」 「 ゲンキデスカ ? 」 「 元気です 。 元気ですか ? 」 「 ゲンキデス 」 という会話が 定番になっている 。 彼は私が参加している夕方の会議準備の担当で 、 「 イソゲ 、 イソゲ 」 といいな その準備のためキビキビと動いている 。 2人目は 、

である 。 彼は20旅団の隊付 たいな人である ( と思う ) 。 彼は20旅団の “ Names To Faces ( 写真入り関係者一覧表 ) ” を作成 に私の写真を撮りたいと訪ねてきてくれた 。 その後も旅団の集合写真撮影にまで呼んでくれ 、 会議 ば必ず 「 Good Afternoon , sir 」 と挨拶してくれる非常に礼儀正しい人である 。 全般的な人物の印象と 礼儀正しい 。 人当たりがよいと感じる 。 そういう人々が20旅団をしっかりとした部隊に見せてい もしオ

2 武器弾薬等の押収品について

昨 スラLO朝ミーティングの時 、 が逮捕作戦で押収した武器弾薬を外に並べてい うので 、 ミーティング終了後に見に行ったところ 、 ちょうど写真撮影をしているところであった 。 れていたのは 、

が押収されたことになる 。 そういえば 、 2日前の夕方 、

UT小町

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バグダッド日誌 ( 2006年5月30日 )

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| バグダッド 日 誌 ( 5月30日 ) |

Oモシモシ ? ここ数週間 、 コアリション各国の部隊交代が多く実施され 、 親しくしていた友人が帰国し 、 新たな交代要員が任務に 就いている 。

BUA ( 朝の指揮官報告 ) に参加するためにバレス ( 多国籍軍司令部 ) のゲートを通る際に 、 新しく配置となった警備 の米陸軍兵が 「 オハヨウ 」 「 ゲンキデスカ ? 」 と挨拶をしてくれる 。 私も大きな声で 「 おはよう 」 「 元気です 。 」 を挨拶を返し ている 。 朝のすがすがしい一瞬だ 。

またキャンプ ・ ヴィクトリーの食堂は 、 軍人は銃携行でなければ食堂に入れず 、 身分証明書のチェックを受ける 。 食 堂における警備の米陸軍兵も新しく配置され 、 日本語で挨拶しようと我々日本隊にトライしてくる 。 身分証明書を確認 した後 「 イクスキューズー ・ ミー ・ サー 」 と朝の挨拶は 「 オハヨウ ・ デスカ ? 」 と熱心に尋ねてくる 。 こちらも悪い気はしな いので食事の度にワン ・ フレーズづつ日本語を教えてあげている 。 お互いにぐっと親近感が着いてきて小さな楽しみと なってくる 。 昨日昼食時にこの米陸軍兵が得意げに 「 モシモシ 」 と挨拶してきた 。 私が怪訝な顔をしていると 、 「 モシモ シはハローではないのか ? 」 と聞いてきたため 、 「 確かにハローだけれども 、 電話口で挨拶するハローだよ 。 」 と教えて あげると真っ赤な顔をして恥ずかしそうにしている 。 なかなかに面白い反応だった 。 次に食堂に行く時は 、 どんなフレーズを教えてあげようか楽しみとなっている 。

バスラLO日々業務報告 ( 5月30日1900 )

|

| バスラ空港

| 1

警戒態勢

警戒態勢 ) :

E9

2 特記事項

| | 3 本日の業務

| ( 1 ) 情報要求対応

SSR ( SFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 IED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ タ会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議 ( 4 ) 航空輸送調整 、 通信整備等

4 明日の予定

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会議出席 ( 3 ) 航空輸送調整等

5 その他 ( 備考 )

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バスラ日誌 ( 2006年5月30日 )

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MND - SE管内の状況

開 」

バスラ日誌 ( 5月30日 )

1 5月22日に衛星通信システムがダウンしてから8日間 、 英軍回線

及びインマルによる自衛隊クローズ系メールのみで対応してきた 。 不便ではあったが 、 最終局面の予行訓 練を兼ねて実施した 。 この間 、 不測事態に即応するため 、 部隊移動時には し 、 連結班内の交信のために

した 。 心配し た第10次群との部隊交代も無事終了して安心していたが 、 通信班の移動の目途が立たず 、 今日まで同様 の状態が続いていた 。 昨日夕 、 0120 ( 深夜 ) に 「 空 ( エンプティ ) のヘリ 」 が 、 スミッティから飛ぶ 予定があるけれども使うかと聞かれた 。 通信班の移動について 、 ヘリを申請しては 、 断られていたところ だったので 、 担当者も何とかしたいという気持ちで言ってくれたのだろう 。 『 もし 、 こちらに来たとして 、 31日のヘリは大丈夫ですか ? 」 「 あっ 、 帰りのことは考えていなかった ・ ・ ・ 」 彼も 、 やったと思って 駆けつけてくれたに違いない 。 「 今 、 もう一度確認するから 。 」 と言って自分の肌に戻って行った 。 結局 、 深夜便は時間変更されて 、 本日0635 ( 実際には0650離陸と聞いた 。 ) のヘリで 、 通信斑のバスラ への移動が実現した 。 システムの交換作業は順調に進み 、 昼前には自即電話 ・ メールともに復旧し 、 通常 の態勢に戻ることができた 。 業支通信班 ・ 第10次群通信小隊の皆さん及び英軍ヘリ関係者の皆さんには 感謝している 。 しかし 、 帰りの便はまだ決まっていない 。 31日の便は先程断られた 、 次は2日を予定し ているがいつ帰れるかはわからない 。 ( 1日は無飛行日 。 ヘリ運行状況は 、 さらに厳しくなっている 。 ) 通信班の移動を後回しにしたのは 、 第9次群のヘリによる部隊移動を優先させていただいたからであるが 、 必通の信念に燃える通信職種としては 、 耐え難い状況であったと思う 。 幸い 、 いつもはちょくちょく断絶 する

はすこぶる調子が良かった 。 ( 整備の為のダウンと短時間の故障はあったが ) 「 これまで 、 何度も申し上げてきたが 、 ヘリ運用は大変厳しい状況である 。 調整ミーティングにも参加し たが 、 限られたヘリに対して 、 要求は際限がない 。 JHFで優先順位に基づいて掲いているが 、 担当者は 皆 、 頭が痛いといった表情である 。 これも説明済みであるが 、 ヘリは計画的に削減されており 、 撃墜事案 も含めて機数自体が減っている 。 作戦支援は依然多く 、 トップカバーの為 、 夜間も頻繁に 、 飛行している 。 6月も既に多くの支援依頼をあげている 。 C - 130を利用して 、 タリルーサマワ間であれば 、 やや実現 の可能性が高いが 、 C - 130のタリル便は 、 週に2日程度しかない 。 2 本日快晴 。 バスラ8名 、 担めて健康 。


バグダッド日誌 ( 2006年5月31日 )

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「 バグダッド 日 誌 ( 5月31日 )

○自衛隊教育訓練の偉大さ

はMNC - I ( 多国籍軍団 ) 情報部の情報幹部として24時間 ( デイ ・ ナイト ・ シフト ) で勤務しており 、 日本隊の所属している部署のチーフ ( 米陸軍少佐 ) から与えられる課題を約2週間の期間をかけてグループ作業で検 討している 。 このグループの長老チーム ・ リーダーといい意見の取りまとめから発表まで実施しなければならず 、 チー ム ・ リーダーに指名された場合かなり大変な2週間を過ごすこととなる 。 「 日本隊がチーム ・ リーダーの時は勿論 、 他国のLOが分析結果を発表する時もなるべく見にいくようにしているが 、 日本隊とコアリション各国の実施する発表内容の質に格段の差がある 。 言葉は悪いが情報部で日本隊とともに勤務 するコアリション各国LOの発表は全く分析になっておらず 、 事実の異列としか思えない内容を分析 」 として発表して いる 。 また発表態度も 「 ヘラヘラしており 、 まず発表を聞いてもらうに値しないように感じてしまう 。 一方で日本隊は 「 帰納法 」 なり 「 演繹法 」 なりのアプローチで分し 、 米軍チーフをして毎回 「 興味深い視点だ 。 」 と好評である 。 このた め日本隊がチーム ・ リーダーになる機会がやたらに多いのかも知れないが . . 。 分析成果発表を見に行くたびに感じる のは 、 陸上自衛隊の幹部上級課程を終えた幹部なら 、 多国籍軍司令部内で十分どころか 「 使える幕僚 」 として評価さ れるだろうと感じ 、 つくづく自衛隊における教育訓練の質の高さを感じている 。 毎回この分析成果発表を見ながら 、 日米同盟の重要性が見えてくるように感じている 。

バスラLO日々業務報告 ( 5月31日1900 )

バスラ空港

1 警戒態勢

( 賛成態勢 ) :

2 特記事項

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応

SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 IED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝 ・ タ会識 、 J2 ・ J3 ・ J9認読統一会議 ( 4 ) 航空輸送調整 、 サマワ取材対応等

4 明日の予定

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会議出席 ( 3 ) 航空輸送調整等

5 その他 ( 備考 )

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バスラ日誌 ( 2006年5月31日 )

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MND - SE管内の状況

バスラ日誌 ( 5月31日 )

1 イラク新政府は 、 治安の悪化を念してバスラへ高官を派遣する予定という新聞報道は承知していたが 、

本日午前中 、 新政府首相自らバスラ入りし 、 県知事との会議に富んでいると聞いた 。 会議の内容等につい ては 、 また報道されるだろうが 、 残念ながら多国籍軍側との接触はほとんどないという 。 5月1日の部隊 交代に伴う指揮転移後だけで英軍病載者が9名となり 、 多国籍軍側とイラク治安部隊との連携も一層必要 とされる時期であるだけに 、 首相の来訪には意義があると思われるが 、 多国籍軍指揮官との会話が計画さ れないところに 、 一抹の不安は残る 。 2 昨日バスラに到着した通信整備関係者は 、 昨日中に任務を完了し 、 土気旺盛である 。 他に何か困っ ていることがあれば 、 何でもやりますよと言ってくれているので 、 写らなくなったテレビの修理や不要品 のサマワへの発送等 、 いろいろなことをお願いしている 。 ヘリ移動については 、 例によって困難を極め 、 31日の0230 深夜 ) 、 それも1人だけ 、 それもタリルへだったら運べると言われた 。 さすがに 、 こ れを受けるわけにはいかないので 、 丁重にお断りした 。 この話をしたら 、 通信別が 「 私が行くこ とになってたでしょうね ? 」 と言うので 、 『 LO粧全員一致で 、 が行くことになるだろうという 結論に達していた 。 』 というと笑っていた 。 31日の移動はできなくなったが 、 次に第2次移動大作戦を 1日から2日にかけて実施する予定である 。 まず 、 0400行動開始 、 050 バスラエア ・ ターミナル 陣地占領 、 0700英軍C - 130によリタリルへ 、 075dタリル陣地占領 。 あとは当たって砕けろ ! ではなくて 、 ちゃんと宿泊要領及びヘリ搭乗手続き等を説明し 、 作成の 「 手続き時の英会話集 」 を渡してある 。 重たい箱を3つも抱えて 、 不慣れな土地で1泊するわけで 、 こちらとしても心苦しいが 、 今のところ2日のヘリも確定したわけではなく 、 の方には 『 頑張ってください 。 』 というしかない 。 ヘリの調整は最大限努力したいと考えている 。 サマワに着いたら展かく迎えてあげて欲しい 。 特に

には 、 かなり職務を肩代わりして頂いているようで 、 みんな気にしていた 。 よろしく , 3 本日快晴 。 バスラ8名 、 極めて健康 。

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