バスラ日誌 (2006年5月23日)

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MND - SE管内の状況

「 バスラ日誌 ( 5月23日 )

1 お隣コンテナに新しい養満中隊の隊員が入ってきた 。 昨日一杯は 、 引っ越しでゴタゴタしていたようで 、 帰国のために出ていったグループのような明るさはなかったが 、 色々指示する声が飛び交い活気はあった 。 「 ケイオス ( 混沌としている 。 ) 」 と話しかけてくれたので 、 ちょっとの間話をした 。 これから6ヶ月間 の警備任務に就くわけであるが 、 被害が出ないことを祈っている 。

昨日出たJ2の情報報告書によると 、 6日バスラ市において墜落した英軍へり ( リンクス ) の墜落原因 は 、 携帯対空ミサイル ( MANPAD ) による撃墜とのこと 。 当時 、 複数の携帯SAMを携行したグルー ブが配置についていたという情報もあるとのことで 、 この情報が正しければ 、 まだ使用されていない携帯 SAMが存在することになる 。 地上移動にもIEDの脅威はあるが 、 空路移動についても必要最小限に止 めるべきであろう 。 2 先日の1ED攻撃による英軍殉職者2名のご遺体を本国に送還する儀式が 、 明日1800から実施され

る 。 我々がバスラに来てからだけでも 、 4回目の本国送還式である 。 イラク南東部は比較的平和と言われ てはいるが 、 殉職者の棺を目の当たりにすると 、 これが現実なのだと思う 。 日本隊としての哀悼の意を表 すために 、 - LOではあるが 、 サマワ本隊の代理のつもりで参加している 。 式典は至って質素であるが 、 英国軍の伝統と宗教の影響を反映して 、 とても厳かな 、 重みのある様式で ある 。 夕方とはいえ日はまだ高く 、 気温も尋常ではないので 、 式典が始まる前の時間も入れると約2時間 余り 、 屋外で立っているだけでかなり消耗する 。 先日の式典の時には 、 3 、 4箇所で倒れる人が出たが 、 私の1人置いて前の列の隊員も正面にまともに倒れ 、 助けようとしたが届かなかった 。 倒れた若い隊員を 介抱していると後方から下士官が来て進んで行った 。 私の前の人は 、 助けようともしないので 、 冷たい奴 だなと思っていたが 、 後で聞くと 、 下士官はそのような時でも動けないのだそうだ 。 そんな時には 、 列外 にいるサージャント ・ メジャーが対応するらしく 、 後から来た人がそうだったのだなと思う 。 そうは言っ ても 、 滑走路のコンクリートにまともに倒れる同僚を助けられないとは 、 ちょっと ・ ・ ・ ・ ・

3 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。