2006年1月
バグダッド日誌 ( 2006年1月1日 )
バグダッドLo白々業務報告 ( 1月1日1goo )
区 分
( 1 ) サマーフに直接影響を及ぼす脅威情報
警戒態勢等
( 2 ) イラク全域に係る脅威レベル
サマーワ及びバスラは | バグダッド及びモスルは
ラマディは
2 特記事項
情報収集及び連絡調整
3 本日の業務
( I ) 情報収集及び連絡調整 ( 2 ) ACSA経額手続
4 明日の予定
5 、 その他 ( 備
「 バグダッド 日 誌 ( 1月1日 )
残りわずか ( ? ) となりましたが 、 これからも一生懸命頑張ります 。
今年もよろしくお願いします 。 バグダッド連絡班一同
大晦日は 、 年越しそば 元旦は 、 おせち料理と鮮で 日本気分を味わいました 。
・
|
『
.
.
バスラ日誌 ( 2006年1月1日 )
バスラ日誌 ( 1月1日 )
1 明けましておめでとうございます 。 今年もよろしくお願いいたします 。 ( パスラLO一同 )
スミッティムの日々業務報告 ( 1月1日 )
_ 区 分 1 ・ 警戒態勢容
変化ない
Threat Level
2 特記事項
特になし 。
| | 本日の業務
{ } 情報要求对比等
サマーワ市内及びルメイサ市内等の治安頃報の収集 ( デモ情般 ) , TFMバトロールに関して 、 ルメイサ市内 、 「 ヒドル市内のハザードマップにして ( 2 ) 各種業務調整等 ( 3 ) 各種ミーティング等 ( 1 ) 放税要求対応募 ( 2 ) 各種実務以聖等 ( 3 ) 各種ミーティング等
4 明日の予定
5 その他 ( 備考 )
明日の英 ・ 豪車等の射撃 Rangel 080 - 120 英軍 ( 小火器 , GUN )
一ー "
バグダッド日誌 ( 2006年1月2日 )
バグダッド 日 誌 ( 1月2日 )
0 日本人との遭遇 ? ! ・ バグダッドで正月を迎えるにあたり 、 日本コンテナの入り口に 、 正月飾りと 「 謹賀新年 」 と朱書きした紙を貼った 。 通り | |
を行く各国軍人が珍しそうに見ながら通り過ぎてゆく 。 ・ 夕方のこと 、 日本コンテナに米軍兵士 ( 女性 ) が訪ねてきた 。 流な日本語で 「 日本語が書いてあるので来ました 。 」 とうれしそうに話す 。 日系人か日本勤務のある米兵かと思い 「 日本語が上手ですね 」 というと 「 当然です 。 日本人です から 」 との答え 。 これにはこちらの方が驚いた 。 彼女は 、 愛知県出身の純粋な日本人だが 、 様々な事情で今は米国籍 を有する米軍人として 、 1ヶ月ほど前にイラクに来たという 。 残り11ヶ月バグダッド勤務をするそうだ 。 ・ 彼女も招して 、 「 紅白歌合戦 」 を見ながら 、 「 年越しそば 」 を食べて新年を迎えた 。 日本にいる時には当然のことの 「 ように過ごす時間だが , ここではやはり感慨深いものがある 。 ・ 我々が数十年親しんだ一般的な 「 大晦日の過ごし方 」 は 、 「 日本民族 」 として国籍や場所に関わりなく 「 心が落ち着 | く時間であった 。 彼女のバグダッドでの無事を祈りたい 。
0 元旦の風景 ・ 日々の作戦会議等は 、 元旦といえども全く普段と変わりなく実施された 。 クリスマスには 「 サンタのコメント 」 や 「 サン 「 タの訪問予定 」 等のジョークもあったが 、 先日にはそういったものは全くなかった 。 ・ BUAの報告に先立ち 、 2005年を振り返ってと言うアナウンスの後スライドショウが写された 。 2005年の多国軍 の活動を写真で紹介するものだったが 、 写される写真は 「 米軍 」 ばかりだった 。 私の近くにいる 、 英軍 、 ポーランド 、 伊
軍の各LO達は白けた顔して 、 報告画面を見ず自分のパソコンの作業画面を見ている者が多かった 。 ・ 基地内の各国将兵の様子や食堂のメニューや飾り付け等 、 普段と変わらない 。 キリスト教徒等の人たちは 、 元旦に
特別な感慨を感じないように感じた 。 我々も 、 餅を焼いて食べた他は 、 これといって特別なことをしたわけではないが 、 やはり元旦はタダの月初めではなく 、 特別な意味があると思う 。
バスラLO日々業務報告 ( 1月2日1900 )
g
分
一容一
バスラ空港
1 警戒態勢
( 警戒態勢 :
:
2 特記事項
「 ES ・
3 本日の業務
( 1 ) 情報要求対応 、
SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( S ) の将来計画 、 IED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝会舗 ・ 夕会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会進
空路输送調整 ( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 2 定例会越への出席 ( 3 ) 空路輸送調整
1 . 14 明日の予定
15 その他 ( 備考 )
バスラ日誌 ( 2006年1月2日 )
「 MND - SE管内の状況
「 バスラ日誌 ( 1月2日 )
| 1 昨日着任された新幕僚長 、
にとって本日が実質的には初日であった 。 朝会議の最中においても 、 適宜指示を出し 、 また師団長と副師団長が退席後にも 、 今後の会議のやり方について 明快な説明があった 。 タ会議においては 、 前任者ほど多くを語ることはないが 、 必要なことのみ付言され 、 イタリアの LOとうなずき合った 。 個人的にも 、 なかなかいい感じを持った 。 私にとって 、 3人目の幕僚長であるが 、 それぞれ個 性的で味のある人ばかりである 。
バグダッド日誌 ( 2006年1月3日 )
別
紙 |
見通し 。
【 仮訳 ) ( 仮訳 )
|
*
*
――
――
「 バグダッド 日 誌 ( 1月3日 ) | |
2 于区分 ・ バグダッドでの生活ゴミ等は 、 基地内のあちらこちらに設置されているゴミ収集箱に捨てている 。 日本と異なり 、 全く
ゴミ区分がされていなかった 。 ・ 年末頃から 、 食堂出口の食器等の収集場所のゴミ箱に区分がされ始めた 。 だ 、 缶ゴミだけを区別するだけである
が 、 イラクを有していく上では 、 必要かつ重要なことだと思う 。 ・ 我々は 、 「 CAN ONLY 」 と書かれれば 、 高値に指示に従ってゴミを分別するが 、 外国人選にはなかなか困難なこと のようだ 。
外人と一図書 ・ 我々がいつも使っている本堂は 、 朝夜それぞれの食率が約3時間ずつ喫食時間がある 。 通常は 、 あまり混むこと
なく食事ができる 。 が 、 食事をとる際 、 後ろにどんなに人が並んでいようが , マイペースでのんびりしている外人をよく山 ・ 「 見かける 。 そんなに急いでいなくても 、 ついつい 「 何やってんだよ ! 」 と感じることが多い 。 ・ 昨日の夕食時 、 まるまる太った国籍不明のシビリアンが 、 後ろに長い列ができているのにも拘わらず 、 食事をとるた
めの 「 はさみを片手に 、 列の先属で立ち止まって話しをしている 。 ・ すぐ後ろにいた私は , しばらく待っていたが 、 彼が全く意に介することなく長々と話しをしているので 、 「 ここで立ち話
をしないで下る 。 」 と言った 。 ・ この外人 「 なんだと ? この野郎 … 黙ってろ 」 と言った 。 私もつい 「 カッ ! 」 となって 、 「 じゃまだと言ったんだ 。 後ろ
を見てみろ , みんな持ってるぞ ( しするならそこをどけ 」 と言い演した 。 i何か言いたそうなそいつと話をしていた外人が 「 すまん ! あなたの言うとおりだ 」 と徴を引っ張って道をあけた 。 当人
は殴りかかりそうな雰囲気でこっちをにらんでいる 。 見るからに憎らしげな眼をしている 。 ケンカになったら 、 日本人 の戦地にかけて 、 こんなデブに負けられない ) と思いつつ 、 道を空けてくれた彼の連れに対して 「 ありがとう 」 とだけ
言った 。 ・ この話をLO仲間にした 。 某国中佐は 「 そう否う時は 、 拳銃を抜く準備をした方がいいゾ 。 相手は抜くかもしれないが 「 ら注意しろ 。 」 とのことだった 。 本気かウソかは別にして 、 反省することしきりである 。 ・ この手のマナーの高いシビリアンと列を作ることを知らないイラク人が目につく , ついつい何か言いたくなるが 、 自分 が悪いと思っていない奴には何を言っても無駄のようだ 。 正月早々 、 あまりいい気分はしなかった 。
バグダッド日誌 ( 2006年1月4日 )
バグダッド 日 誌 ( 1月4日 )
e ニコチンガムの薦め ! ・ バグダッドの司令部においても 、 喫煙所が定められ 、 指定の場所以外での喫煙は基本的に禁止されている 。 ナショ 「 ナルLCが勤務するコアリッション事務所でも 、 事務所の入り口付近に 「 喫煙所 」 が設けられている 。 ・ ・ 各国LO12名 、 所長以下のスタッフ12名の内 、 喫煙者は事務所長の
以下8名とやはり少ない 。 とは いえ 、 やはり喫煙間というのは無駄話を含めて 、 情報収集のいい機会でもある 。 准将は 、 「 イタリアのたばこを試して
みるか ? 」 と気さくに話しかけてくれる 。 我々もたばこを吸うついでに 、 仕事の話をすることもできるいい機会である 。 ・ 昨年暮れ 、 髪の毛を伸ばし始めるのと同時に 、 たばこを吸うのを 「 やめた 。 」 ( 決して禁煙ではない 。 ) 吸わなくなって 、 「 既に約10日くらいになる 。 しばらく 、 他の日本人LOにも 、 他国のLO達にも言わなかった 。 ・ 先日 、 准将が 「 たばこを吸いに行こう 。 」 とLO達を誘いに来た 。 私にも直接声をかけてくれた 。 「 ありがとうございます 。 「 でも実は 、 最近吸ってないんです 。 」 と答えた 。 ・ 話を聞いていたLO達の反応は予想以上にすごかった 。 喫煙者からは 「 体に悪いから 、 ( 禁煙は ) やめろ 」 、 「 絶対に
やめられないから 、 無駄なことはするな 」 、 「 俺は禁煙だけはしない 。 だからお前もするな 。 」 等と訳の分からない理屈 を並べられた 。 非喫煙者からは 「 体にいいから ( 禁煙を ) 続けろ 」 、 「 良かった 。 良かった 。 」 、 「 アメ食うか 、 バナナもあ るぞ 」 等々と言いながら 、 みんな席を立って推将と私のそばに集まってきた 。 ・ 准将は 「 何でやめたんだ ? 」 と聞いてくる 。 私は 「 特に理由はありません 。 吸うのをやめただけです 。 今はこれをやっ
てます 。 」 と米軍のFXで買った ) ニコチンガムを見せた 。 みんなが珍しそうに見ている 。 実はこのガムに興味をそそら | れ 、 吸わなくなったと言うのが本音である 。 このガム結構効果があるようで 、 今のところそんなに辛い思いはしていな
い 。 い 。 ・ ・ それ以来 、 准将は私と会うたびに 、 「 今日も吸ってないのか ? 」 、 「 スペシャル ・ ガムをかんでるのか ? 」 と聞いてくれ
る 。 LO達も 「 今日も続いているのか ? 」 と挨拶代わりに聞いてくる 。 ここまで大げさには考えていなかったが 、 すっかり 「 禁煙ムード 」 になってしまい 、 今更吸うのはチョット恥ずかしい気持ちがする 。 ・ 今朝 、 准将と会った時 、 「 たばこを吸わなくても 、 ニコチンガムばかりかんでいたら 、 一日中たばに吸ってるのと同じ
で 、 かえって体に良くないんじゃないのか ? 」 と厳しいご指摘があった 。 ・ 「 これからは 、 ガムの数を減らします 。 」 と答えた 。
バスラLO日々業務報告 ( 1月4日1900 )
|
| バスラ空港
1 警戒態勢
( 警戒態勢 ) :
こS
2 特記事項
. la 本日の業務
( 1 ) 情報要求対応 ) | SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MNDISE ) の将来計画 、 ED及びIDF関連情報 、 デ宅関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝会議 ・ タ会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議 ( 4 ) 空路輸送調整 ( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 | ( 2 ) 定例会議への出席 ( 3 ) 空路輸送調整
4 明日の予定
5 その他 ( 備考 )
バスラ日誌 ( 2006年1月4日 )
| MND - SE管内の状況
バスラ日誌 ( 1月4日 )
1 最近 、 米軍 ( バグダッド ) のc2と師団のJ2で 、 いろいろと見解の相違が見えることがあります 。 昨日バグダッドから の報告にあったサドル派の分析コメントについて 、 その見解に違和感を感じてJ2の担当者に意見を求めたら 、 見た とたんに 「 何じゃこりゃ ? 」 といいだして 「 事実と逆のことを言っている 。 」 「 こんなことはありえない 。 」 と予想以上に香 定的な評価 。 J2の見解も 、 主に師団管内の情報に基づいているので 、 宗教勢力と世俗勢力間の関係など南東部で あまり関係ないことには 、 しばしば疎いこともあります 。 今回のレポート内容に関してもJ2のスタッフの方が背景知識 不十分な点がありました 。 でも結局 「 Fuckin ' ×× 」 と言い出す等結構感情的な議論になってしまいました 。
先日も 、 EFPという強力なIEDの一種がイランから流入している問題をめぐる米軍の見解について 、 2部長が米軍 LOの所にクレームを付けに来ました 。 「 全てのEFPが南東部から流入しているなんて言っているが本当にそう思っ てるのか ? 」 、 「 サドルがイランの全面的支援を受けてるなんて言ってるがそんなはずないだろ ? 」 、 「 お前 、 実情をど う見てるのかブリーフィングしろよ 。 」 などと普段穏やかな部長が珍しくエキサイトしてました 。 「 英国人と米国人が 、 見た目ほど仲が良くないというのを改めて感じると同時に 、 事実を的確に把握して認識を統一 する難しさも感じました 。 でも 、 この社会の中で一つの客観的事実など存在するのだろうか ?
バスラ日誌 ( 2006年1月5日 )
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バスラ日誌 ( 1月4日 )
・ ・
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1 先日 、 ムサンナ県内に化学兵器が造業された場所があり 、 農家の人が危険にさらされているというレポートを見て 、 「 初耳だな 。 」 と思い 、 作成に使った資料を担当者にもらったら 、 それは新聞記事 。 随むと 、 「 Muhane 」 には過去化学 、 兵器の製造施設があり 、 タブン 、 サン , VX … … 今も汚染が … , 「 何 」 と思いつつ読み進めていくと 、 「 バグダッドの 北部では ・ ・ 云々 」 , 「 これはムサンナ県じゃない ! 」 と気付いて担当の軍曹に 「 これってムサンナ県じゃないよね ? 」 と 聞いたら , 読み返して 「 Oh ! 」 「 あんまり聴んでなかった ! 」 「 ごめんごめん 。 」 と照れ笑い 。
「 これは新手のDlgInformatlan作戦か ? 」 「 最初の数行だけ読んでレポート作るなよ 。 」 と思いつつも … … 「 Muthang 」 と 「 Muthanna 」 アラビア語のスペリングだと確かに違う地名になるが … それにしても紛らわしすぎる 。
スミッティLO日々業務報告 ( 1月5日 ) ]
区 分 . . 11 警戒態勢等
| Threal Level
変化なし
2
特記事項
| IED脅威関連の情報を取嘉中 。
|
| | a 本日の業務
( 1 ) 増税要求対応募 | EDの脅威団連 , サマーワ市内及びルメイサ市内等の治安情熱の収集 ( デモ情報 ) 、 TEM パトロールに関し
て , 日本盛CLIMICの学校卒素関連 ( TEM CMICから ) : 12 ) 各種業務期設等
件其要请 ( 3 ) ティング事
素律及び英軍作戦会描参加 ( 1 ) 情報要求对比等 ( 2 ) 各種素務調整等 3 各種ミーティング要
| | 4 明日の予定
15 その他 ( 備考 )
明日の英 ・ 変事等の射撃 Ranged D700 - 1300 廣軍 ( 小火器 、 GUN )
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バグダッド日誌 ( 2006年1月6日 )
| バグダッド 日 誌 ( 1月6日 )
サマーワ訪問 | | | ・ コアリッション作戦部長
( 伊空軍 ) のサマーワ訪問に同行した 。 昨年から何度も計画したが 、 選挙等の t影響から 、 この時期にずれ込んだ 。 准将は日本隊を訪問できたことを本当に喜んでおられた 。 ・ 私も同行させていただいたおかげで 、 米空軍機C - 12や英海軍ヘリシーキングに乗ることができた 。 また 、 これまで 行けなかったリルやスミッティにもわずかな時間ではあったが立ち寄り 、 進将への説明を側で聞かせていただいた 。 |
我々もバグダッドの米軍キャンプから外に出る機会は滅多になく 、 今回の同行は良い経験になった 。 ・ 私などが言うのはおこがましいこととは思うが 、 今回准将に同行して 、 サマーワ訪問が各国の軍人になぜ人気が高 いのかがよくわかった 。 ブリーフィングの見やすさ 、 訪問者への接遇がこの上なく洗練されていること等 、 宿営地内で 訪問者がいかに快適に過ごせるかを身をもって経験させていただいた 。 私自身が 「 来て良かった 。 」 、 「 もう一度来た い 。 」 と感じた 。 それ以上に准将以下同行した米国人 、 豪州人達は感じたことと思う 。 ・ 当地に戻り 、 事務所に入るなり 、 准将は今回同行できなかった他のスタッフに 「 サマーワは本当に楽しかった 。 」
「 ジャパニーズ ・ ゲイシャ 」 と写真を機った ! 」 と楽しそうに話していた 。 同行したスタッフも 「 日本には我々にない伝統 「 文化がたくさんあっていいね 。 」 と上機嫌で話していた 。 | ・ 各国の接遇やブリーフィングがどのようなものかよく分かっていないが 、 他国と比べるのではなく 、 来客をもてなす上 「 での日本人の気配りの細やかさは日本人の私から見てもすばらしいと感じた 。 ・ 同行したスタッフばかりではなく 、 同行できなかったスタッフ達も 「 次はいつ ? 」 、 「 今度は も ) 是非行きたい 。 」 と私に 「 言ってくれた 。 日本人として 、 「 大いばり 」 で事務所に帰ってこれたことを関係各位に感謝したいと思います 。 ・ 多忙な日常で機嫌の悪かった各国将官が 、 「 サマーワを訪問すると機嫌が良くなる 」 と言う話しをある将官の副官か しら聞いた 。 まさにその通りだった 。 彼らも後任者に 「 サマーワのすばらしさ 」 を申し送ることと思う 。
○ 餅食う人々 ・ ・ ・ コアリッションの人たちに 「 餅 」 を食べさせた 。 沖縄から来た米海兵少佐とモンゴル大佐は以前にも食べたことがある 「 らしいが 、 他は初めてとのことであった 。 「 なんじゃこりゃ ? ガムか ? 」 、 「 魚か ? 」 ( かまぼこをイメーしているらしい ) 、
見ただけで 「 俺 、 今腹一杯 」 と断る者 、 いくつか食べて 「 もう昼飯はいらない 」 と言う者等々反応は様々だった 。 概して 、 さほど抵抗なく食べていた 。 准将も気に入ったようで 、 昨日のことも含めて 「 日本はありがたい 」 と言ってくれた 。 ・ 彼らと過ごせる時間も少なくなった 。 これまでの日誌ネタ提供への感謝を含め 、 残りの時間を有意緒に過ごしたい 。
バスラLO日々業務報告 ( 1月6日1900 )
|
分
パスラ空港
1
警戒態勢
( 警戒態勢 ) :
2 特記事項
( 2 )
|
| 本日の業務
( 1 ) 情報要求対応 ・ | SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 , ED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝会謝 ・ タ会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議 ( 4 ) 空路輸送調整 小情報要求对灾 、 定例情報收集 | ( 2 ) 定例会議への出席 | ( 13 ) 空路輸送調整
4 明日の予定
5 その他 ( 備考 )
バスラ日誌 ( 2006年1月6日 )
MND - SE管内の状況
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バスラ日誌 ( 1月6日 )
1 食堂のコーヒーコーナーの壁に 、 が追送品として送ってもらった日の丸が飾ってある 。 私は 、 食パンと コーヒーを朝食としているので 、 毎朝 、 この日の丸を見て新鮮な気持ちになっている 。 「 相変わらず 、 宿舎と司令部間を歩くことにしているが 、 多くの 、 もちろん 、 外国人とすれ違う 。 そのほ とんどの人と挨拶を交わしている 。 バズラでの勤務も長くなったからか 、 面識のない人からも 、 「 HI , Colonel 」 と階 級を付けて声を掛けられることも多くなった 。 また 、 以前はあまりなかったことであるが , 挙手の敬礼をされ 、 あわて て右手に持っているヘルメットを持ち替えることも増えてきた 。 簡単なことであるが 、 挨拶を交わすことにより 、 この司 令部での勤務がやりやすくなっているのは 、 間違いない 。
バグダッド日誌 ( 2006年1月7日 )
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バグダッドLO日々業務報告 ( 1月7日1900 )
区分
( 1 ) サマーワに直接影響を及ぼす脅威情報
1 警戒態勢等
( 2 ) イラク全域に係る脅威レベル
サマーワ及びパスラは
バグダッド及びモスルは
ラマディは
12 特記事項
情報収集及び連絡調整
3 本日の業務
一
【 情報収集及び連絡調整
4 明日の予定
その他 ( 備
| バグダッド 日 誌 ( 1月7日 )
o 訪問調整 ・ 本邦からのイラク訪問受け入れの窓口は 、 MNF - I SCUS ( Secretary Joint Staff ) という部署が行っている 。 ・ 本邦からタンパに提出されたREV ( 訪問要請 ) が 、 CFLCCとMNF - IIに届いた後 、 正式の調整が開始される 。 いかな 」
る訪問も調整系統は全て同じである 。 ( 超VIPの場合は異なる場合もあり 、 別途確認 ・ 調整が必要 ) ・ イラク訪問の調整をサマーワから受けた後 、 事前に担当者 ( 米陸軍少佐 ) に 「 耳打ち 」 をして 、 概ねの下調整をしてお く 。 彼も必要な部署と概略の調整してくれる 。 正式文書がタンパから届く時点は 、 概ね調整ができており 、 細部日程
表敬予定者との懇談時程 ・ 内容等及び出迎え ・ 送迎の細部を詰めていくことになる 。 ・ 我々の派遣間 、 長官 、 陸幕長をはじめ大勢の方々がイラクを訪問され 、 こうした調整も場数を踏むことができた 。 最 初の頃は 、 部署も担当者も 「 頭 」 でしか知らないため 、 「 無駄な調整 」 や 「 無理な依頼 」 をして 、 相手を困らせ 、 サマーワ や日本にもずいぶん迷惑をかけた 。 私が最も失敗したのもここでの調整である 。 ・ 特に選挙の前後は 、 訪問者受け入れ制限や航空機の運航制限があったことから 、 我々だけでなく各国のLOや米
軍スタッフも相当苦していた 。 最近では 、 こうした制限も解除されるとともに 、 陸幕長の訪問調整の頃から顔見知り 「 の担当者があらかじめ色々手を打ってくれたりして 、 調整もスムーズにすすむようになった 。 ・ 「 今度の訪問者は俺の元上司なんだ 。 ヨロシク ! 」 とあえて担当者に話すと 、 「 そりゃ大変だ ! しっかりフォローする よ 。 」 と応じてくれた 。 元上司に気を遣うのは 、 日本のみならず 、 多国籍軍内でも共通のようだ 。
o 新着任者は ・ ・ ・ ・ 日本コンテナとシャワーへ行く道路には 、 チョットした 「 段差 」 がある 。 私せ
でも自転車で軽く超えられる程 度でたいしたものではない 。 ・ ある日 、 コンテナを出たところで 、 自転車に乗った米兵がこちら向かってくるのが見えた 。 黒人の米兵で見るからに
精悍そうであった 。 ( 米国のプロバスケットリーグ 、 アメフトリーグで活躍する黒人選手は 、 彼のような雰囲気なんだろ うな … ) などと思いながら 、 彼の様子を見ていた 。 ・ するとこの米兵 、 その 「 段差 」 のところで見事に転んだ 。 近寄って起きあがるのを助けてあげた 。 彼は自分でもよほど
恥ずかしかったのか 「 いやあ 、 まだ来たばっかりなもんで ・ … 」 などと訳の分からない言訳を始めた 。 ・ 真偽は別として 、 新着任者は転びやすいそうである 。 5次要員の皆さんも気をつけてください 。 転んで恥ずかしい思 いをしたら 「 いやあ 、 まだ来たばっかりなもんで … … 」 をお勧めします 。 外人はきっと助けてくれる … … と思います 。
バスラ日誌 ( 2006年1月7日 )
. . . . . . . …
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バスラ日誌 ( 1月7日 )
1 隣に座っているイタリアのLOが 、 電話で話をしていた 。 日本の中佐がどうのこうのと言っていた 。 私のことを話して いるんだなと思っていた 。 そのうち 、 彼が 、 この電話に出てくれと急に言い出した 。 彼の10才になる娘さんが私と話 をしたいと言っているという 。 母親がアメリカ人であるので 、 英語も問題ないらしい 。 うらやましい限りである 。 学校で の一番好きな科目の話などをし 、 いつかイタリアで会いたいねと言いながら話を終えた 。 次の海外旅行の有力な行き 先が 、 決定した瞬間であった 。
スミッテLO日々業務報告 ( 1月7日 )
スミッティL0日
容
・
・
区 分 | 警戒態勢等
内 Threat Level
変化なし
2 特記事項
特になし 。
( 1 ) 情報要求対応等 | EDの育成関連 , サマーワ市内及びルメイサ市内等の治安情報の収集 ( デモ情報 ) 、 TFMパトロールに関し
て 、 日本隊CIMICの学校事業関連 ( TFM CINMICから ) 本日の業務 ( 2 ) 各種業務調整等
発電機の修理要請 、 POLAD会同 、 緊急患者後送関連 ( 継続中 ) ( 3 ) 各種ミーティング等 「 英軍 ・ 薬軍作戦会議参加 」
情報要求对等 4 明日の予定 ( 2 ) 各種業務調整等
( 3 ) 各種ミーティング等
明日の英豪軍等の射撃 5 その他 ( 備考 ) Rangei 0800 - 1000 EOD , ATO ( 小火器 )
Range4 0800 - 1600 家率 ( 小火器 、 GUN )
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バグダッド日誌 ( 2006年1月8日 )
バグダッド 日 誌 ( 1月8日 )
p NINJA n Baghdad ? ・ ここニ白間ほど 、 バグダッドでは雨が断続的に降っている 。 昨夜は 、 音が鳴り 、 相当な時が降った 。 大半の将兵が事 「 らしている生活コンテナの周辺は 、 砂利が敷いてあるが 、 あちこち水たまりができている 。 彼らの生活道路の大半が
未舗装である 。 日本コンテナの近くまでは半長靴を泥だらけにした将兵が歩いてくる 。 ・ 日本人LC5名は 、 シャワー以外は 「 ぬかるみ道 」 を歩くことがないため 、 助者場所や食堂の住枚は他国の将兵に比
べると 「 きれいな半長靴 」 をいてすごすことができる 。 ・ 今朝 、 コアリッション事務所へ行くと入り口に数名がたむろしていた 。 みんな靴が泥だらけである 。 私が行くと 「 お前 の靴はなんでそんなにきれいなんだ ? 」 と聞かれた 。 ( 何て食えばいいかな ? ) と思っていると 、 ルーマニアLO ( 陸中
佐 ) が 、 「 彼らは都会に住んでるんだよ 。 花ぬけの靴は 、 田舎モンの証拠だよ 。 」 といった 。 ・ みんな妙に納得していると 、 ボスニアLO ( 空大尉 ) が 「 おれは日本人は忍術を使って 、 水の上を歩くように 、 今日み たいな日は道路に足をつけずに歩いているのかと思った 。 」 という 。 「 【 NINJA IN BAGHDAD ] という題で映画を撮 ろう 」 とよろこんでいる 。 他のLOも含め 「 日本人はどこか特別 」 、 「 不思置な力がある 」 というイメージがあるようだ 。 ・ 昨日 「 段差 」 で転んだ米兵のことを書いたが 、 実は自分も昨夕転んだ 。 「 雨の降り始め 」 に自転車に乗っていて 、 米
兵運が大勢たむろするバス停前で 、 思い切り転んだ 。 高さはなかったが 、 恥ずかしかった 。 彼らの日本人に対する 「 かっこいい 」 イメージを越してしまった … ?
0 新着任者は超能力者 ? ・ 先日帰国したウクライナのLOの後任者が若離した 。 これまでの部隊は撤収したが 、 イラク軍の創練支援のため新 たな部隊が派遣され 、 LOもこれまで通り派遣される 。 立で勤務予定のLoも 、 我々の勤務するコアリッション事務所に 挨拶に来てくれた 。 * 外人の名前を覚えるのは本当に苦手である 。 特に東欧系の人は 、 名札が盛めないのと聞き慣れない名前が多いせ 「 いか 、 なかなか名前を覚えられない 。 今も 、 Zで勤務する
が自己紹介をしてくれたが 、 何 「 度も聞き直して確認した 。 ・ 横で見ていたカザフスタンLO ( 空中佐 ) が 「 彼らの名前は覚えやすいだろ ? 」 という 。 私は 、 「 YES 」 とも 「 No 」 とも言
えずにいると 「 昔超能力者がいただろう ? 」 と重ねて言った 。 「 ああ 、 そういえばユリゲラーっていうのがいたな 」 と私 。 「 でも俺らは超能力なんかないよ 。 それにおれは
で もいいけど … 」 」
った 。 ・ 「 二人合わせてユリグラー 」 、 これで私も一発で彼ら二人の名前を同時に覚えた 。 でも 、 今度は
別がつかななった 。
バスラLO日々業務報告 ( 1月8日1900 )
|
内
バスラ空
1 * 状態勢
( 警戒応勢 ) :
2 特記事項
www
-
3 本日の業務
( 7 ) 情報要求対応 ・
SSR ( ISFの独力化の状況 、 MNDISES ) の将来計画 、 IED & DF関連性率 、 デモ関落情報務 | @ 定例情報収集 : ( 3 定例会培への出席 : 間令部朝会 ・ 夕会 、 J2 ・ J3 ・ JO認験耕一会議 ( 4 ) 空席輸送岡空 ( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会開への出席 ( 3 ) 空始輸送調整
明日の予定
5 その他 ( 備考 )
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バグダッド日誌 ( 2006年1月10日 )
「 バグダッド 日 誌 ( 1月10日 ) |
o 再会は戦場で !
C2CASEで 、 スタッフLOとして勤務していたエストニアの大尉が帰国する 。 パレスで会った際に声をかけた 。 「 園 : 「 任務終了おめでとう 。 気をつけて帰ってくれ 。 」 エ : ありがとう 。 又 、 次の戦争で会い乱ょう 。 」
B : 「 そうだね 。 」 ・ これまで色々な国のLOを見送った 。 「 きっと日本に行くよ 」 、 「 いつか 、 彼の国に来てくれ 」 というのが 、 彼らのいつも
のせりふだった 。 「 次の戦争 」 で会おうと言われたのは初めてだった 。 少なからず驚いた 。
p 「 書異動作の注行 」 ・ 自特離において 「 基壁動作の確行 」 が大事な事は出もが知っているが 、 米陸軍においても同じである 。 ・ 戦時平時にかかわらず 、 それぞれの部隊の先任陸曹や趣 『 塔が厳しく指導しているが 、 一度決まった規則や脳に
ついても 、 隊員からの修正裏望があれば 、 それぞれの部隊や基地 ( 規模によっては全陸軍 ) の 「 曹長mpeting 」 で話 し合われ 、 必要の都度最上級先任曹長から指揮官に直接指導を仰ぎ 、 変更決済を得ればまた 「 Empelog 」 によ り職底されている 。 米軍では 、 「 やるべき事 」 を確実に部隊に殺底する上で 、 質長の果たす役割は大きい 。 ・ て 、 各国の高官等が来訪する場合 、 来訪リギリの日時に 「 重耳meeting 」 において発表するのが通例となって いるので 、 情報提供を来訪当日に行った 。 「 陸上自衛隊の第2師団長が本日午後から明日までの間 , バクダッドに来訪されます 。 もし将軍に会った場合 、 「 オ ス 」 と言ってください 。 「 オス 」 とは 、 米陸軍の 「 HOOAHI ( ローア ) 」 と同じで挨拶する時の雪革ですので 、 将軍も喜ば れると思います 。 」 と 、 互ったところ皮号が大きく 、 初めてその事を聞いた首長などは 、 meetingの舞始を通じて 「 オス 、 オス 」 と言ってくれていた 。 米軍の軍長を通じての情報伝送の確行という点では 、 師団長の滞在高次のような状況であった 。 . 空発に師団長を迎えに行った時に 『 オスI 」 宿泊場所に案内した時に 「 オス 新教場所に案内した時に 「 オス1 」 夕食後の贈間で通りすがりの車の中から 「 オスI 」 、 魚釣りをしている米異が竿を持ちながら 「 オス ! 」
あまりにも 「 オス 、 オス 」 言われるので 、 流石の師国基ビックリされていた 。 ・ 来障事の情報伝達スピードと勘底ぶりにビックリさせられた 。 ・ ・
・ バスラLO日々業務報告 ( 1月10日 1900
図
パスう空港
11 警戒態勢
| 聖戒態勢 】 :
"
配率兵
W
3 本日の素務 :
( 1 ) 情報要求対応
SSR ( ISFの財力化の状況 ) 、 MNDS ) の弓来計画 , ED及びIDF似球情報 , デモ固連情報等 ( 2 ) 定例情報収率 : 1 ( 39 ) 定例会購への出席 : 可を前朝会話 ・ タ会紙 , J2 ・ J3 ・ J9起点良一楽 ( 4 ) 空馬術送関要 ・ 5 ) 的問者刘庆
情帕里求对齿 , 密切相忆 112 ) 定例会品への出席 ( 3 ) 空路輸送
ls その他 ( 備考 )
バグダッド日誌 ( 2006年1月11日 )
| バグダッド 日 誌 ( 1月11日 )
● 嵐を呼ぶ訪問者 ? ・ 8師団長がバグダッドを訪問された 。 訪問予定日の数日前から悪天候が続き 、 基地内はどこもドロドロになってし
まった 。 そもそも雨対策など考えていないような場所だけに仕方がないが 、 部屋の清掃などは手のつけようがない状
態になった 。 師団長は意に介する様子もなく 、 ここでの二日間を過ごされた 。 ・ 今回の訪問では 、 航空自衛隊機 、 英軍機の他 、 米陸海軍機を10 ~ 15分の時間間隔で乗り継ぎ 、 Zでの表敬訪問 も計画した 。 ところが 、 悪天候のため 、 初日のIZ行きのヘリが飛べなくなった 。 中将2名 、 少将1名 、 准将2名と将官5
名の他 、 大佐3名との懇談を実質5時間の中に詰め込んだ時間計画が最初からもろくも崩れた 。 ・ 師団長が表敬 ・ 懇談される際は同席させていただき 、 次の訪問への移動間や待ち時間に米軍担当と調整し 、 師団
長に指導を仰いだ 。 訪問前から予想した通り 「 胃の痛くなる 」 調整を繰り返した 。 米軍担当者も目を白黒させながら対
応してくれた 。 ・ ・ なんとか師団長のご希望に添った形で計画を修正し 、 安心した翌朝のこと 、 豪州司令官と懇談を終え , ( さあ次はへ 」
リでIZへ移動だ ) と思いつつ楽州司令部から出るなり 、 エスコート担当将校米陸軍大尉 ) が 「 また悪天候のためヘリ が飛べないようです 。 」 と言ってきた 。 「 エッ ? ! ! 」 と言ったのは私だけでなかった 。 ・ 善後策を米軍大尉と相談すること約5分 、 「 チョット失礼 … 」 と彼は無線交信 ( 骨伝導無線機を装着している ) を始 | めた 。 ( 何とかしたいなあ ) と思っていると 「 ヘリが飛べるそうです 。 Zへ行けます 。 」 と言った 。 まさに 「 救いの一言 」 だっ た 。 師団長も 「 念ずれば通ずだよ 」 と安心されたようだった 。 ・ 私が空挺にいた時 、 若い頃の8師団長の噂を聞いたことがある 。 あだ名は 「 嵐を呼ぶ男 」 だったそうである 。 詳しくは | 述べないが 、 まさに ・ ・ と言う感じである 。 今回の訪問も ・ 今回の訪問には 、 多くの米兵が支援してくれた 。 空き時間に関係者と調整して師団長に報告しようとすると 、 いつも 将校 ・ 下士官 ・ 男女の別なく米兵達が師団長を囲み 、 楽しそうにしている 。 わずかな時間の内に彼らは感化をうけ 、
多くの米兵が 「 すばらしい将軍ですね 。 」 と私に言ってきた 。 ・ Zでは元在日素州武官だった
が 、 「 是非会いたい 」 と忙しい中 、 勤務時間を自ら割いて 、 MNF - I副司令 官の執務室の前で待っていてくれた 。 エスコート将校に 「 10分だけ 」 と断って 、 懇談していただいた 。 米兵にしても
にしても 、 今回初めて会った豪州司令官やコアリション作戦部長 、 コアリッション事務所を少し覗いた際 、 わずかに言葉を交わした各国LOも皆 、 「 すばらしい将軍ですね 」 という 。 師団長の人徳 ・ 威徳を見る思いがした 。 ・ 統幕3室長当時 、 毎日のように風のような指導をいただき 、 どんなに働いても言われたことの無かった一言を今回 の訪問の最後に師団長からいただけた 。 「 バグダッドLOの諸官ありがとう 」 とてもうれしかった 。
バスラL0日々業務報告 ( 1月11日1900 )
|
バスラ空港
|
| 1 警戒態勢
( 警戒態勢 ) :
Eg
2 特記事項
3 本日の業務
( 1 ) 情報要求対応 | SSR ( SFの戦力化の状況 ) 、 MND ( S ) の将来計画 、 ED及びDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝会議 ・ タ会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議 ( 4 ) 空路輸送調整 ・ ( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 | ( 2 ) 定例会議への出席 ・
空路輸送調整
4 明日の予定
SB
5 その他 ( 備考 )
バグダッド日誌 ( 2006年1月12日 )
バグダッドLO日々業務報告 ( 1月12日1900 )
区
分
!
内
( 1 ) サマーウに直接影響を及ぼす脅威情報
11 警戒態勢
「 ( 2 ) イラク全域に係る脅威レベル
サマーワ及びバスラは
バグダッド及びモスルは
ラマディは
なし
・ V2 特記事項
情報収集及び連絡調整
3 本日の業務
( 1 ) 情報収集及び連絡調整
4 明日の予定
5 その他 ( 備
ない ・
考 )
| バグダッド 日 誌 ( 1月12日 ) |
Q MNC -
1司令官に気合い ( ? ) を入れられる ! ( PART - I ) ・ MNC - 1の司令官
中将は 、 まもなくその任を解かれ帰国される 。 帰国前に 、 隊長からの記念品をお渡し 「 するため 、 司令官を訪問した 。 ・ 先日の9師団長来訪に伴う様々な支援に対するお礼や 、 これまでお世話になったお礼を述べ 、 業務支援隊につい て若干 、 説明させて頂いた 。 司令官は 、 業務支援隊第4次要員がイラクで活動した期間を確認されるとともに 、 日本
隊のサマーワにおける活動に対する感謝の言葉を述べられた 。 ・ 隊長からの感謝の言葉を伝えるとともに 、 我々自身が司令官から親しく接して頂いた事に対するお礼を述べ 、 斉藤
隊長からの記念の 「 盾 」 をお渡しした 。 司令官はとても喜ばれ 、 隊長への記念品を私に預けられた 。 ・ ( 写真を撮らないと … … ) とか ( そろそろ胸に一発気合いが来るゾ ) とか思いつつ 、 「 帰国後も健康に気をつけて下さ い 」 等々と下手な英語でグダグダ 、 サー , サー話していると 、 「 分かった ! 写真撮るぞ エアボーン ! 」 と胸に一発気
合いが入った 。 ( やっぱりきたー ) と思いつつ 、 ポーズを取った ( 写真左 ) ・ その後 、 「 もう一枚取るぞ 。 こっちへ来い 。 」 と米国国旗やMNC - 1の隊旗が並ぶ前に 、 司令官が移動された 。 「 イエ ス ・ サー 」 といいつつついて行く 。 司令官の左側に遠慮しながら立った 。 「 もっとこっちへ来い 。 頭がくっつく位近づくん だよ 」 と言いつつ気合い 【 頭突き 】 を入れられた 。 「 ゴン ! 」 ・ ・ これには本当に驚いた 。 頭突きは予期していなかった 。 ・ 目から 「 星 」 をとばしながら 、 ポーズを取った 。 ( 写真右 ) 普段の厳しい司令官の表情と全く異なり 、 穏やかな司令官 の表情が印象的だった 。
-
. "
あなたに
. . .
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*
| E
バグダッド日誌 ( 2006年1月13日 )
バグダッド 日 誌 ( 1月13日 )
曹長meeting ( 番外編 ) ・ いつもより早くmeeting会場に着くと 、 先日BIAP調整で知り合った空軍曹長が一人で何やらメモを取っていたので 、 「 隣の席に着いて聞いてみた 。
日 : 「 忙しそうですね 。 」 米 : 「 そうなんだよ 。 今日は結婚記念日でね 。 メールに何を書こうか考えてたんだ 。 」 日 : 「 それは大事なミッションですね 。 」 ( 笑 ) 米 : 「 んー 、 もちろん仕事は忙しいけど 、 家の事も重要だからね 。 もし 、 何もしなかったら 、 家に帰ってからの方が大変
なんだよー 。 」 ( 汗 ) と言われて大笑いしてしまった 。 ・ そういえば 、 米国では 「 毎日 、 愛してると言わなかった 」 と言う理由で離婚が成立すると聞いた事がある 。 彼にとって 、
今日は結婚30周年の大事な記念日らしい 。 | ・ 気になって 、 秘訣を聞いてみると 「 自分たちの記念日を忘れない事さ 。 」 と 、 軽く言ってニコニコしていましたが 、 何か
ホッとした暖かい気持になりました 。 仕事に追われる毎日ですが 、 この話をした後 、 それぞれ家に電話をかけたバク
ダッドLO班でした 。 0 ルンダー * * サマーワからいただいた自衛隊カレンダーをコアリッション事務所の自分の机の側にはった 。 各国LOがすぐ寄って
来た 。 1枚1枚めくって装備品を確認している 。 陸海空そろった各国LOが興味深そうに質問してくる 。 陸上装備に関 する質問には答えられるが 、 海空装備品についてはどうも怪しい 。 ・ モンゴル大佐がすかさず 「 お前は統幕じゃなかったっけ ? 海空のことを知らなくていいのか ? 」 という 。 ( おっしゃると
おり … ) と思いつつ 、 「 海空のことは海空のスタッフがいるから大丈夫 」 と苦しい言訳をしつつ 、 「 俺はこの子がかわい いと思うけど 、 お前達はどう思う ? 」 と女性隊員の写真に話題をすり替えた 。 ・ 自分たちのバグダッド出発予定日に赤丸をつけた 。 「 この丸なんだ ? 」 とカザフスタンが聞く 。 「 俺たちの出発予定
日 」 と答えると 、 エル ・ サルバドル 、 カザフスタン , モンゴルも 「 俺はここ 」 、 「 俺はこのあたり 」 とカレンダーの1枚目を見 ながら騒いでいた 。 まだここに来て日の浅い 、 ボスニア 、 ルーマニア 、 マケドニアや私より前からいるグルジアのLOた 」 " ちが 「 ルンダーの1枚目に帰る日がある奴らはいいよなア … 」 、 私が 「 その時になったら 、 言えばいいよ 。 いつでも
印を付けてくれ 」 と言うと 、 「 その時になったらな … 」 みんな帰る日が待ち遠しいのは同じようだ 。 ・ 自衛隊レンダー1枚で彼らとこんな風に騒げるのも 、 残りわずかになった 。 うれしいような寂しいような … …
バスラLO日々業務報告 ( 1月13日1900 )
区分
バスラ空港
警戒態勢
( 警戒態勢 ) :
2 特記事項
| 3
本日の業務
( 1 ) 情報要求対応
SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 IED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝会議 ・ タ会論 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議 ( 4 ) 空路輸送調整 ( 5 ) 5次要員受け入れ ( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会譜への出席 ( 3 ) 空路輸送調整
|
| 4 明日の予定
5 その他 ( 備考 ) :
・
8
バグダッド日誌 ( 2006年1月14日 )
- - - - … . ー
ー
バグダッド 日 誌 ( 1月14日 )
0 5次要員 、 パグダッド到着 ・ 昨タ , 5次要員がハグダッドに到着した 。 先日来の雨の影響が残り 、 あちこちに水たまりやぬかるみが残っている 。
朝夕は 、 10度以下に気温が下がる 。 申し送り期間中 、 4 ・ 5次の要員全員が健康状態を良好なまま維持できるように 「 気をつけたいと思う 。 ・ 日本隊として , レンタカー1台を常に保有しているが , 一人あたり3個のコンテナとバックや装備品を運ぶとなると | ・
車が足りない 。 コアリッションから2台借りてもまだ足りない 。 エル ・ サルバドルLo ( 海軍大佐 ( 1月1日昇任 ) ) が 、 「 催 もいってやるよ 」 と自ら連して輸送支援に来てくれた 。 大佐を車ごと借りて5次要員の装備品を輸送した 。 ・ 5次要員を迎え 、 我々が当地についた日のことを思い出した 。 我々は砂風の影響で航空機が遅れ 、 夜中の23時過
ぎに到着した 。 50度を超す気温の中 、 日陰もないムバラク空軍基地で13時間も待たされ , 干物のようになりながら 当地に到着した事がつい昨日のことのように思い出される 。 暑さと砂埃の中 、 6ヶ月の勤務に不安を感じたのは私だ けではなかったと思う 。 5次要員も塞さと泥の中 、 同じように不安を持っているのだろう 。 ・ 今朝から , 申し送りを開始した 。 各国LO達のみならず 、 米軍スタッフや豪州等関係者が 、 「 お前の交代者をいつ紹 介してくれるんだ ? 」 と声をかけてくる 。 バグダッドに来た当初は 、 仕事や環境に不安を持っていることを彼らも理解し ているから 、 「 何か手伝うことはないか 」 、 「 分からないことがあったら 、 いつでも聞いてくれ 」 とエル ・ サルバドルの大佐 「 同様に嬉しいことをいってくれる 。
04次要員 、 帰国迫る ・ ・ バグダッド出発まで 、 「 あと○日 ! 」
・ 「 1月には揺る ? … … と思うよ 」 、 昨年7月に当地に来て以来 、 「 いつまでいるの ? 」 、 日本人の勤務期間はどのくら | い ? 」 と聞かれるたびにそう答えていた 。 年が明けてから 、 「 Lつまでいるの ? 」 と同じ質問をしてくるが 、 今度の質問
で向こうが求めているのは 、 「 月単位 」 の答えではなく 、 「 正確な日付 」 である 。 ・ 先日カレンダーに赤丸を付けて以来 、 朝 、 コアリッション事務所に行くと 、 各国LOが 「 あと○日だな ! 」 と挨拶してく れる 。 彼らが我々の帰る日を教えてくれる 。 まるで 「 自動逆暦 」 があるようだ 。 「 俺はあと0 + 30日 」 とカザフスタンLg がニコニコしながらいう 。 ・ 5次要領を紹介すると 、 「 よかった ! 交代の日本人が来てくれた 。 」 、 「 これでお前はいつ帰ってもいいぞ 。 」 という 。 各
国のLO達にとってコアリッション事務所に 「 日本人 」 はなくてはならない存在らしい 。 ありがたいとは思うが 、 「 日本も いつまでも 、 イラクにいるわけにはいかないよ 」 と冗談にもならない冗談で返す今日この頃である 。 ・
バスラ日誌 ( 2006年1月14日 )
「 バスラ 日 誌 ( 1月14日 )
1 MNC - TのLO ( 米軍 ) が 、 短期間のうちに全員交代した 。 その中に 、 日本語を話す少佐とイタリア語を話す軍曹がいる 。 「 我々とほぼ同じ時期に交代するイタリアのLOと 、 日伊両国を意識して選抜された訳ではないだろうけど 、 少し遅すぎたなと
話している 。 現在のMNC - 1のLOグループは 、 陸軍中佐を長として 、 将校2名 、 下士官2名の4名で編成されている 。 今のメンバーは比較的静かである 。 騒がしくて 、 いるのかいないのかがすぐ分かった米海兵隊大佐が懐かしくなってきた 。
スミッティLO日々業務報告 ( 1月14日
1
容
区 分 ・ 1 警戒態勢
内 Threat Level
|
変化なし 。
2 特記事項
特になし 。
3 本日の業務
( 1 ) 情報要求対応等 「 サマーワ市内及びルメイサ市内等の治安情報の収集 ( デモ情報 ) 、 キャンプスミッティの兵站関係に関して ( 2 ) 各種業務調整等
明日以降の豪軍支援要請 、 POLAD会同 ( 16日 ) , CIMIC会同 ( 20日 ) 、 EOD会同等 ( 3 ) 各種ミーティング等
家軍及び英軍作戦会議参加 ( 1 ) 情報要求対応等 ( 2 ) 各種業務調整等 ( 3 ) 各種ミーティング等
4 明日の予定
5
その他 ( 備考 )
明日の英 ・ 豪電等の射撃 なし 。
|
36
。
バグダッド日誌 ( 2006年1月15日 )
車の
バグダッドLO日々業務報告 ( 1月16日1900 )
*
因分
( 1 ) サマークに直接影響を及ぼす骨院情報
1 警状態勢等
( 2 ) イラク全域に係る脅威レベル 、 ・ サマーワ及びバスラ出
バグダッド及びモスル
ラマディは
し
2 特記事項
( 1 ) 情報収集及び連結可度 ( 2 ) 5次要員に対する申し送り
3 本日の業務
( 1 ) 情報収称及び連結身空 ( 2 ) 5次要員に対する申し送り
明日の予定
その他 ( 備
く
バグダッド 日 誌 ( 1月15日 )
o 立ち児仲間が増えた ? 」 ・ まもなくMNC - I間令官が交代する 。 米軍の部隊や司令部のスタッフも大幅に入れ替わる 。 これまでは外を歩けば
知り合いと会い 、 挨拶の他二言三言世間話をしていたが 、 最近はすれ違う米軍に知り合いが少なくなった 。 米軍のみ ならず 、 各国LO特にスタッフLOが勤務するC2CASEのLOの交代もピークを迎えている 。 知り合いが日に日に少な
なるようで寂しい限りである 。 ・ ・ 毎朝のMNP一同令宣報告 ( BUA ) でも 、 見かける将校の願ぶれが変わってきた 。 ブリーファー交代し 、 声もいつ もの報告の調子も並わった 。 何となくわかりにくいと感じるのは 、 私の聴取能力の不足ばかりではないと 、 自分では
思っている 。 ・ JOC内での事僚長 の席はMAC - I同令官
ので , JOCA ( 100名以上の多国 産工程兵が参加しているににらみをきかせていたが 、 今朝のHUAでは新在の
に変わっていた 。 は 、 これまでBUA実施間 、 周囲の株子に目を配りつつも 、 何かと
話しかけていたが 、 今日は
「 新任の部雄長にしきりと説明している様子であった 。 ( 出ろん何を出ているかは聞こえな いがりスライド1枚1枚
自ら解説されている様子がうかがえた 。 ・ ハギンズ連将はというと 、 JOCの必尾で 、 立ち見をしている 。 相変わらず厳しい視線をJOC内の各スタッフに向け てはいたが 、 その要情はいつもより親やかに見えた 。 米軍の将軍も実オペレーションの司令部幕僚長を下番ずるとな
ると 、 やはり 「 ホッ ! 」 とするのだろうと思った 。 ・ 私は 、 立ち見する旧幕僚長と新任の幕僚長の様子を伺いながら 、 英国LOの席にチャッ別と座ってBUAをBAT 「 いた 。 「 BUAの立ち見は疲れるでしょう ? 」 などと心がける勇気はもちろんなかった 。 o 誰でしたっけ ? . ・ 私がこれまで直接接触してきた間令都内の将校一人一人に 、 私自身の帰国の挨拶をしつつ 、 後任者を紹介して
回った 。 彼らの中にも 、 まもなく帰国する者も多い 。 帰国が近い者は 、 帰国日が私より早いとか遅いとかが話題となる 。 ・ 着任間もない将校やまだまだ3ヶ月以上の任期を残す者は 、 私に対して 「 いいよな ~ さっさと帰ってしまえ ! 」 、 世任 | |
の者 ( 5次LO長 ) には 「 お前とは仲良くやれそうだ 」 などと皮肉を言うやつもいる 。 それなりに楽しい会話である 。 ・ 今日一日で約20名と挨拶し 、 廊下ですれ違うやつも含めると相当な数の外人と話した 。 挨拶回りの後半になると5 「 次LO氏は 、 「 さっき話したのは誰でしたっけ ? 」 と混乱している 。 申し送りのメインは主な関係者の把握であるが 、 こ れだけ多いと 、 国籍と名前を覚えるだけでも一苦労である 。 改めて 、 こんなに大勢の外国人将校達に支援してもらっ ていたことを実感する 。 5次の要員も 、 時間と仕事を通じて更に人脈を拡大することになるのだろう 。
「
.
. .
」
バグダッド日誌 ( 2006年1月16日 )
バグダッド 日 誌 ( 1月16日 )
0 米海兵少将にお願い * MNC - 1は部隊交代 、 MNF - 1は 、 イラクの政治プロセスの重要な結節を控え 、 司令部内は何かとあわただしい 。 そん な中 、 斉藤隊長からの記念品者
司令官へ贈呈すべく 、 朝から司令官のところへ向かった 。 ところが 、 司令官に 会う直前にドタキャンされた 。 司令官副官から 「 司令官に急用が入り 、 執務室に戻れなくなった 。 幕僚長 ( 米海兵少将 ) に
渡して欲しい 。 」 と言われた 。 「 隊長から司令官への記念品 」 を ( 幕僚長へ渡して良いものか ? ) と返事に詰まる 。 ・ MNF - 幕僚長副官が 「 幕僚長は喜んでお会いになるそうです 。 幕僚長執務室前でお待ち下さい 。 」 という 。 幕僚長に
会わいともいえないし 、 幕僚長に司令官への記念品をことづけるのも気が引ける 。 副官にきいてみると ,
令官が多忙なため 、 ここではよくやっていることで 、 別に変ではないです 。 」 との返事があった 。 ・ 事僚長に会って 、 これまでのお礼を述べ 、 隊長から
司令官 」 への記念品を 「 幕僚長 」 に渡した 。 ( 急なことで募 彼長には何も用意していない ) 幕僚長は 司令官に届けておくよ 。 」 と軽くいって気軽に記念写真 ( 写真左 ) に応 じてくれた 。 米海兵隊少将に司令官へのお使いを依頼し 、 何となく 「 腑に落ちない 」 気持ちのままで写真に収まった 。
園井 ) ○ 部屋もない a …
・ MNF - 1幕僚長と会った後 、 MNC - 1幕僚長 ( 米陸軍准将 ) への記念品を贈呈しに 「 幕僚長執務室 」 へ行った 。 幕僚 | 長のJOC内での席がないと昨日の日誌に書いたが 、 今日は驚いたことに 「 部屋 」 さえもなかった ! !
| ・ 幕僚長執務室前の廊下で幕僚長にお会いした 。 0日には帰国される幕僚長 ( 母親は今も大阪在住 ) に 、 我々も人日 ・ 1にはここを離れることをし 、 これまでの御礼を述べるとともに 、 後任者を紹介して記念品を贈呈した 。
・ 記念写真をお願いすると 、 「 俺の部屋はないが 、 おかげで写真はいいのが撮れるぞ 」 と 、 パレス内の巨大なシャンデ リアをバックに写真を撮った 。 ( 写真右 ) これまで私が最も怖いと感じていた幕僚長が 、 「 宿無し 」 になった今日 、 昨日 より一段と穏やかな表情をされていた 。
( 園井 )
バスラ日誌 ( 2006年1月17日 )
MND - SE管内の状況 、
「
. .
. . .
「 バスラ日誌 ( 1月17日 )
1 本日 、 朝会議において 、 師団長及び全幕僚に 、 後任の を紹介した 。 師団長からは 、 歓迎の育
業があった 。 また 、 業支隊長からの記念品を師団長に手渡し 、 これまでの日本隊に対するAND ( SE ) の支援 と理解に感謝の気持ちを伝えるとともに 、 今後の同様の支援の継続をお願いした 。 町長は 、 感激と感謝 の言葉を述べながら 、 すぐこの配食品を師団長営に飾られた 。 礼状を書くので 、 除災に渡してもらいたい とのことであった 。
2 本日は 、 師団司令部を3人のVIPが訪問されることになっていて 、 朝会調でも 、 師団長にとっては 、 忙
しい一日になるだろうとのことだった 。 まずは 、 米海軍のCTF ( Comrander Task Force ) 50の司令官 、 WINREFELD海軍少将 、 訪問目的は 、 CTF50によるMND ( SE ) の支理要領について話し合うことである 。 次は 、 - MINE - 」 の司令官 、 「 軍中将 、 訪問目的は 、 状況確認 、 状況報告受けである 。 最後は 、 オーストラ
リア国防軍司令官 、 空軍大将 、 訪問目的は 、 Transltlon及びPRTIに関して話し合うことであった 。 このうち 、 オーストラリア国防軍司令官の訪問は 、 フライトのキャンセルのため中止となった 。
「
や
バグダッド日誌 ( 2006年1月18日 )
バグダッドLO日々業務報告 ( 1月18日1900 )
区分
「
内
森
- -
( 1 ) サマーワに直接影響を及ぼす脅威情報
.
1 警戒態勢等
( 2 ) イラク全域に係る資成レベル
サマーワ及びバスラは
バグダッド及びモスルは
ラマディは
特になし
N
2 特記事項
|
ー
( 1 ) 情報収集及び連絡調整 | . ( 2 ) 5次要員に対する申し送り
・
3 本日の業務
:
・
( 1 ) 情報収集及び連絡調整 : ( 2 ) 5次要員に対する申し送り
・
「 明日の予定
「 なし
5 、 その他 ( 備 考 )
バグダッド 日 誌 ( 1月18日 ) |
0 MNC - 1司令官
送别会 ・ 交代に伴い帰国を自前に控えた
の送別会が昨夕実施された 。 MNC -
1副司令官 主催され 、 同副司令官 と英国人スタッフ並びにコアリッション作戦部長
及び各国LO の代表者が出席した 。 日本は私と後任の
出席した 。 ・ ・ 多国籍風寄せ書きを
から送られ 、 参加者全員と記念写真を撮った 。 各国LOが 「 司令官と直接会う機 会は当然のことながら非常に少ない 。 と言うよりめったにない 。 ・ 私は 、 隊長から司令官への記念品を贈呈するため 、 たまたま前日にお会いしていた 。 司令官が会場に入場され最
初に 「 ( とりあえず写真でも撮るか ! 」 と私を抱きしめた 。 「 エッ … ! 」 と驚くとともに 、 ( 気合い入れられるかな ・ ・ ・ ? ) と思っていると 、 すかさず 「 胸に1発 」 続いて 「 頭突き 」 が来た 。 頭をくっつけ合って司令官に抱きしめられたまま写真を
撮った 。 周囲の雰囲気はこれで一変した 。 司令官の 「 つかみはOK ! 」 という感じである 。 ・ 「 ここにいる各国LOとその派遣部隊のお陰で 、 私は任務を全うできた 。 テロとの戦いはまだまだ続く 。 米国はもとよ
『 日本 』 やヨーロッパ中央アジアの諸国にとって 、 中東 、 イラクの安定は 、 世界の平和と安定と繁栄に不可欠であ 」 る 。 」 ( 要旨 ) と訓示された 。 日本の国名を出して話をされた事が印象的であった 。 0 送別会番外編 ・ 会の中で 、 カザフスタンLOと私が話をしていると 、 着任間もない英国少佐が話しかけてきた 。 それぞれの国の派遣 部隊規模 、 活動地域を聞いてきた 。 私が答え 、 カザフが答えた 。
1 名 、 バグダッドに名とい う小規模の部隊を派遣している 。 英国人少佐は 、 そんなに少ないの ? ) という表情をした 。 カザフは特に英米からそ んな風に言われるのが 、 気に入らない 。 ( 凡例 「 英 : 英国少佐 、 「 力 」 : カザフスタンLO 、 「 白 」 : 日本人LO ) 日 : 「 カザフスタンがなぜ 、 ○名しかバグダッドにいないか知ってるか ? 」 英 : 「 知らない 」 日 : 「 日本人はここに5人いるけど 、 彼は一人でも俺達5人分と同じくらい強いんだよ ! 」 . カ : ( 私にウィンクしながら ) 「 そうでもないけど … 」 英 : 「 クートにいるカザフの部隊も強いから 、 少なくていいわけだ ! 」 日 : 「 そうそう 。 彼らは強いんだよ 。 」 英 「 だから米軍は 、 あんなにたくさん必要なんだ ! 」 ( 口に人差し指を当てて 「 シーッ ! 」 というポーズ ) 一同大笑い 。 英米関係も色々複雑のようだ 。
( 國井 )
バスラ日誌 ( 2006年1月18日 )
「 バスラ日誌 ( 1月18日 )
イタリアの
と交代する 。
部隊交代式は 、
| イタリアによると 、
予定である 。
その後については 、 4月4日の総選挙の
可能性がある 。
となる 。
スミッティLO日々業務報告 ( 1月18日 ) |
・
容
区 分 1 警戒態勢等
「 Threat Level
変化なし
| 2 特記事項
|
特になし 。
3
本日の業務 .
( 1 ) 情報要求対応等
サマーワ市内及びルメイサ市内等の治安情報の収集 ( デモ情報 ) ( 2 ) 各種業務調整等
明日以降の豪軍支援要請 、 6次要員 ( スミッティLO ) に対する申し送り ( 3 ) 各種ミーティング等 * 豪軍及び英軍作戦会議参加 ( 1 ) 情報要求対応等 ( 2 ) 各種業務調整等 ( 3 ) 各種ミーティング等
4 明日の予定
5
その他 ( 備考 )
明日の英 ・ 豪電等の射撃 Range4 0730 - 1230 英軍 ( 小火器 )
バグダッド日誌 ( 2006年1月19日 )
バグダッドLO日々業務報告 ( 1月19日1900 )
区
分
・ 内 」 ( 1 ) サマーワに直接影響を及ぼす脅威情報
「 警戒態勢等
( 2 ) イラク会に係る脅威レベル ・ サマーワ及びバスラは
バグダッド及びモスル旧
ラマディは
2 特記事項
( 1 ) 情報収集及び連結詞要 ( 2 ) 5次第入に対するし送り
9 本日の溝跡
ー
( 1 ) 情報収票及び連結期整 ( 2 ) 5次要員に対する申し送り
! ! 4
明日の予定
5 . その他 ( 備
バグダッド 日 誌 ( 1月19日 ) ・
一大事 ・ 保障のため一時帰していた 「 が復帰した 。 早速 、 後任者を連れて挨拶にいった 。 後任者を紹介すると 1 ともに 、 私の帰国予定について報告した 。 ・ 新しいLOが来たことについてとても喜んでくれたが 、 私が帰ることには色々文句を言ってくる 。 社交辞令半分とは思 いつつ , 私自身が大佐と会えなくなると思うととても寂しい 。 ・ ・ ・ 大佐の休暇と
のサマーワ訪問が重なってしまい 、 大佐はサマーワに行けなかった 。 それがとても残 「 だったらしく 「 お前と一対にサマーワに行きたかった 。 大勢の日本人と話し 、 ゲイシャ ・ ガール |
から聞い ていたらしく 、 彼らは着物を着た女性自衛官を 「 ゲイシャ ・ ガール 」 といっている 。 訂正しても通じない 。 ) と会いたかっ
た 。 」 と残念そうに話している 。 ・ 大佐のいつものせりふが出てこないので 、 私の方からご自慢の腕時計 」 は元気か聞いてみた 。 後任者にも見せて
欲しいと言ったところ 、 体照間に壊れたらしい 。 壊れてしまった腕時計をポケットから大事そうに取り出し 、 「 なぜか判 らんが 、 このつまみ ( 時刻を合わせるつまみ ) がとれたんだ 。 」 ; 大佐の 「 得意の一言 」 が当えなくなった ! 「 これは一大事じゃないですか 」 というと 、 「 そうなんだ 。 今度 『 セイコー 』
送って修理してもらう 。 30年使ってきて初めて修理にだすよ 。 」 と話す大佐の左腕には私同様安物のデジタルウォッ チがあった 。 ・ 大佐が 「 一術に写真を撮ろう ! 」 と誘ってきた 。 大佐が一緒に取りたかったのは 、 修理前の時計のようで私に時計を
手越してきた 。 壊れてしまった 「 ご自慢の時計 」 , 大佐も時計もどこか寂しそうな写真になった 。
バグダッド日誌 ( 2006年1月21日 )
| バグダッド 日 誌 ( 1月21日 ) p イラク人雑感 … … ・ 我々がここに来て 、 早くもアを月近くがすぎた 。 サマーワ程ではないと思うが我々もいくらかイラク人と接触する機会
があった 。 私の個人的な彼らに対する印象は 、 7月はじめら時間の経過とともに少しずつ違ってきた 。 我々が時々接 「 触する機会があり 、 私が興味を持って観ていたのはイラク軍兵士と多国籍軍に雇用されたイラク人労働者達である 。 ・ イラク軍兵士と初めて会った時は 、 正直言って怖かった 。 30 ~ 40名が駐車場にたむしていて 、 中には的を 「 持っているのもいたと思う 。 その駐車場を私が一人で歩いて通りかかると 、 みんなこっちをにらむ , ほぼ全員がごっち を見ている 。 しばらくにらみ合いが続いた後 、 沈黙に耐えかねて 「 アッサラーム ・ アレイコム 」 と挨拶してみた 。 にらみ 」 合っていた彼らが一斉に 「 ヤバーニ 、 グッド 」 、 「 サマーワ 」 等々と言いながら 、 私を取り囲んだ 。 これにも恐怖を感じた 。 が 、 彼らは一様に笑態で日本人の私と会ったことを喜んでいるように感じた 。 ・ 基地内を駆け足するとイラク人雇用輩達とよく行き会あった 。 すれ違う際 、 盗み見るようにこっちを見る 。 その表情と 視線に彼らの感情を感じることは余りなかった 。 武装した米兵に監視されながら基地の整備作業 ( 草刈り 、 運河清掃 等 ) を搭々とやっている 。 こちらが挨拶をすると 、 手を振って答える 。 運動着姿でもなぜか 「 ヤバーニ 」 という 。 イラク軍 人も最用者も 、 ここに5人しかいない 「 日本人 」 を確実に導している 。 しかし 、 我々がここに来た当初は 、 彼らから技
拶してくることは 、 めったになかったように思う 。 ・ 最初に私が彼らの変化を感じたのは 、 10月の国民投票の後だった 。 こちらから挨拶しないとただ黙ってこっちに視 「 線を送るだけだった彼らが 、 向こうから機捜し始めた 。 「 ヤバーニ ・ グッド 」 といって 、 手を振ってくる 。 我々は 「 スバーウ
グイス嫌作戦をしていたわけではない 。 彼らから手を振ってくるようになった 。 ・ 最近は 、 余り意識することなく彼らと挨拶している 。 私の感じた印象は彼らが 「 自信 」 を持ち始めた様に感じる 。 我々 「 を見慣れたのか 、 以前の感情のない視線を向ける者はほとんどない 。 どこで出会っても挨拶してくる 。 私も当初の 「 ような恐怖感を感じる事がなくなったから 、 安心して片言のアジア圏で彼らと話すことができる 。 一方 、 イラク陸軍司令部に動務する高級将校達は 、 常に食堂入り口等で米軍兵士にボディ ・ チェックを受けている 。 我々からみると 「 屈辱的な 」 扱いを高級将校ですら受けている 。 そのせいか 、 かえって高級将校達の方が未だに 『 整 情のない視線 」 を我々に向ける 。 我々から使拶しない限り彼らから挨拶することはない 。 司令部に勤務する高級将校 しての語りはあると思うが 、 未だに 「 米ディ ・ チェック 」 をうける毎日が 、 彼らに自信 」 と 「 自覚 」 を持たせないのかも知 れない 。 週ア日勤務する我々に礼 、 22日の休みはきっちり確保する彼らの態度に 、 「 誰のために我々はここにいる
の ? 」 と文句を言っている米軍将校の気持ちも理解できる 。 ・ 全くノーチェックで彼らと共存するのは , やはり 「 自殺攻撃 」 の恐怖感がつきまとう 。 「 ワク人 」 と言うだけで 、 「 信用 」
できないのも確かである 。 イラク人の自様にはまだまだ時間がかかるだろうが 、 若い兵士や雇用者には 「 自信 」 が見 え始めたように感じているのは 、 私だけではないと思う 。
TA
バグダッド日誌 ( 2006年1月22日 )
バグダッド 日 誌 ( 1月22日 )
( 4次要員最終回 ) 」
」
o もう一度 、 行きますか ? ・ いよいよ我々4次要員最後の日となった 。 9月21日から始まったこの白誌も今日で最後となった 。 個性的な各国Lol
( 日本人含む ) に囲まれて 、 充実した毎日を過ごしながら 、 主に彼らとのやりとりを中心に 「 バグダッドの日常の風 「 景 」 をここの状況を知らない人が読んで分かるようにべように努めた 。 ・ 色々な方から 「 日店 、 楽しみにしてるよ ! 」 と言って頂けることが励みになった 。 ただ 、 どんなにおもしろい話でも 、 ど 「 しても 「 字 」 にすることを悼られることも多々あった 。 これは帰国後の 「 酒の考 」 にしたいと思う 。 ・ 陸幕国際協力定勤務間 、 私が担当したイラク 、 UNDOF 、 中国等の海外任務から帰国した隊員を出迎えた時 、 必ず 「 もう一度行くことを希望しますか ? 」 と質問していた 。 同じ質問を今度は我々自身に聞くこととなった 。 .
私以外の4名には 、 帰国後改めてきたいと思う 。 ・ 私自身の答えはもちろん 「 YES 」 である 。 その時々に応じて 、 色々なことがあり決して楽しいことばかりではなかった が 、 日本では絶対に経験できないような貴重な時間を過ごすことができたことに間違いない 。 やり残したと思うこと も確かにあるし 、 もっと別なやり方があったのでは ? と反省することも多々ある 。 そういう意味では 、 「 もう少しここにL 」
たい 」 とも思う 。 いずれにしても 、 機会があれば 「 希望しても再び海外任務につきたい 」 と思う 。 ・ 英語がもっと話せればと毎日のように思いながら 、 陸上自衛隊のLOとして日々他国の軍人選と接し 、 「 日本人 ) ] と [ L
「 自隊の活動 」 を正しく伝えるように努力してきたつもりである 。 また 、 色々な国の考え方や価値観ももっと聞いてみ 「 たかったが 、 私の能力の不足から 、 十分にできなかったことを残念に思う 。 ・ 彼らが 「 正しく 」 日本と自衛隊を理解したかどうかははなはだ不安があるが 、 自衛官としてはもちろん , 私の人生に とってこの上ないすばらしい経験をすることができた 。 ここで出会った多くの本人造と , いつか 、 どこかで再び会える日 を楽しみにしつつ 、 ここでの経話を 、 今後の隊務に活かしていきたいと思う 。
To ありがとうございました 。
・ 4ヶ月固私達の書 「 欧文 」 にお付き合いいたことに 、 本当に感謝しています 。 私違が書く文章を大勢の多忙な 方々に読んで頂けるというのも 、 生涯二度とないことだと思います 。 ここで一緒に地着できた他国の軍人たちと 、 この
機会を与えて下さった皆さんに一同 、 深く感謝しております 。 ・ 陸事長をはじめ陣幕 、 サマーワ 、 クウェート等の多くの皆様からご支援 ・ ご協力を幅り 、 心より感謝しております 。 お 「 かげさまで 、 無事当地での勤務を整え 、 一同笑顔で帰国することができそうです 。 ありがとうございました 。
( バグダッドLO第4次要員一同
バスラLO日々業務報告 ( 1月22日1900 )
|
:
| バスラ空表
1 事流族
( 警戒 ) :
( 1 )
2 特記事項
( 2 )
( 11 ) 情報要求対応
SSR ( ISFの組力化の状況 ) 、 AND ( SE ) の将来計画 、 EDRIDF岡場情報 、 デモ関連情報等
| |
本日の業基
( 3 ) 定例会国への出席 : 司令部朝会場 ・ 会議 、 J2 ・ J3 ・ JS超難統一会
空階精送料撃 ( 6 ) 業務申し遇 ! 18 ) 群長対応 | 小情我要求对本 : 定州情報收集 | 2 ) 定例会議への出席 | | 3 ) 変輸送書 ( 4 ) 4次要員出発
・
| 4 明日の予定
5 . その他 ( 備考 )
バグダッド日誌 ( 2006年1月23日 )
バグダッドLO日々業務報告 ( 1月23日1830 )
区
分
・
内
( 1 ) サマーワに直接影響を及ぼす脅威情報
警戒態勢等
( 2 ) イラク全域に係る脅威レベル 」
サマーワ及びバスラは 、 バグダッド及びモスルは
ラマディは
・
| なし
| 2 特記事項
・
( 1 ) 情報収集及び連絡調整 、
( 2 ) 4次要員の日IAPへの輸送及び送別 | . . ( 4次要員は1240バグダッド離陸 、 英軍機でクウェートへ移動 ) .
3 本日の業務
( 1 ) 情報収集及び連絡調整 ( 2 ) 副司令官
のサマーワ訪問への同行
4 明日の予定
その他 ( 借 、
| 1 / 24 ~ 26の間 、
がMNC - 1副司令官
のAND ( SE ) 訪問に同行
5 考 )
バグダッド 日 誌 ( 1月23日 )
○第4次バグダッド連絡班の見送り ・ ・ 第4次バグダッド連絡班の見送りをBIAP ( バグダッド国際空港 ) まで実施した 。 この際 、 コアリション ・ オペレーション からコンテナ ・ 手荷物等の輸送のため車両支援を受けたが 、 カザフスタンとエルサルバドルの連絡幹部がドライバーを かってでてくれた 。 ・ ドライバー支援をしてくれた2人の中佐は第4次連絡班と特に仲が良く 、 肩を抱き合って別れを惜しみ 、 再会を誓い | ・ ・
あっていた 。 第4次バグダッド連絡班の素晴らしい成果がここに凝縮されていると感じた 。 ・ 第5次バグダッド連絡班も 、 諸先輩が築いてきた日本隊への信頼を継承し 、 更に発展させるよう努力することを心に 誓った 。
O宜しくお願いいたします 。 ・ 申し継ぎを完了し 、 本日から第5次バグダッド連絡班が業務を実施します 。 ・ 日本を出発して16日 , バグダッドに到着してすでに11日が過ぎた 。 この間 、 出国準備 、 出国 、 クウェートでの受け 入れ 、 バグダッドでの申し送りを通じ沢山の方々のご支援 ・ ご協力を頂いた 。 関係各位の皆様に感謝するとともに 、 1 日も早く業務に慣れ 、 任務を全うできるよう頑張ります 。 これからも宜しくお願いいたします 。
バグダッド日誌 ( 2006年1月24日 )
バグダッド 日 誌 ( 1月24日 )
o3種類の携帯電話 ・ バグダッド連絡班は各人が2種類の国際携帯電話 (
ノキア 、 スラヤ ) を携行し 、 更に連絡斑に別の国際携帯電話 ( イ 「 リジウム ) を保有して機微な連絡を可能としている 。 ・ 本日MNC一副司令官
( 伊寧 ) のサマーワを訪問に同行し 、 米軍ヘリでサマーワへ向かったが 、 途中燃料給 油が必要となり 、 急遽ディワーニャ ( MND - CS地域 ) で給油することとなった 。 サマーワへはスラヤが良く通じるため 約20分到着時間が遅れることを伝えることができた 。 ・ 給油を完了し 、 サマーワに向かうところ砂嵐のため再度ディワーニャへ戻り 、 天候の回復を待つこととなった 。 この
際もスラヤが活建し 、 サマーワと連絡を確保することができた 。 ・ 30分ほど待機したが 、 天候の回復は見込めないとのことでバグダッドに戻ることとなった 。 バグダッドへは 、 キア が良く通じるためバグダッドに引き返す事を伝えるとともに 、
の副官にも連絡して空港への出迎えの調整 | . も手軽に実施することができた 。
から日本は電子製品が発達しているから 、 連絡もスムーズだとのお褒めの言葉を頂いた 。 しかしながら携帯電話は日本製品ではなく 、 これら複数種類の携帯電話をもたせている通信関係者の配慮により 、 「 スムーズな連絡が確保されていると実感した 。
バスラLO日々業務報告 ( 1月24日1900 )
バスラ空港
1 警戒態勢
1 ( 警戒態勢 ) :
m
2 特記事項 ・
2
3 本日の業務
( 1 ) 情報要求对应
SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 ED及びIDF関連情報 、 デモ関速情報等 1 ( 2 ) 定例情報収集 :
( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝会識 ・ タ会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議 | ( 4 ) 空路輸送調整
( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会議への出席 | ( 3 ) 空路輸送調整
*
「 4 明日の予定
5 その他 ( 備考 ) 「 * 23日から24日の間 、 車両 ・ 通信整備要員 ( 名 ) がバスラにおいて点検 ・ 整備を実施
バグダッド日誌 ( 2006年1月25日 )
| | バグダッド 日 誌 ( 1月25日 )
O雨 、 雨 、 雨 . . 。 ・ 昨夕から雨が降り続いている 。 この時期は雨季であるので仕方のないのだが 、 しまとまった雨が降るとこちらは大
変である 。 道路は冠水し 、 何でもない空き地が湖のようになった 。 ・ 南の影響は 、 これだけに留まらない 。 こちらの土質は 、 粘土質で雨が降ると至る所が泥状態になる 。 半長靴はドロド ロ 、 水道が発達していないため洗い落とすことができない 。 仕方がないのでそのままオフィスに入ればオフィスも起志 みれ 、 床にたまった泥の水分がなくなれば 、 砂埃まみれとなる 。 シャワー等に行くにもドロドロのぬかるんだなかを歩 いて行き 、 部屋に戻ればまた泥まみれになっている 。 ・ 更に悪いことに 、 蚊が異常発生し 、 昨晩は一晩中段と格闘することとなった 。 通常この時期には発生しないようで
PXで防虫剤や殺虫剤を探したが適当なものは見つけられなかった 。 今晩も取と格闘するか . . . ・ 念のため前任者から申し受けたマラリアの薬を確認した 。 早速役立ちそうである 。 ・ 第1次イラク復興支援群でサマーワに展開した際も 、 対弾用の域に入れた宿泊コンテナが南のため浸水し 、 ベッドの 上まで水浸しになったことをなつかしく思い出した 。 砂漠の民にとって雨は 「 恵みの雨 」 であろうが 、 我々には試練と なっている 。 ・ 今も雨は降り続いている 。 天気予報は明日も雨 。 早く止んでくれればよいが . .
バグダッド日誌 ( 2006年1月26日 )
バグダッド 日 誌 ( 1月26日 )
0インシャアッラー ! ( 神の思し召しのままに ! ) ・ 一昨日からの雨 ・ 風 ・ 雪の影響のためか通信状況がどうも悪い 。 東京 ・ サマーワにメールを出そうとしても通信を拒 「 否されてしまう 。 昨晩も が泣きそうになりながらコンピューターとにらめっこしていた 。 結局朝までかかっても 「 メールは送信できず目をつ潔にしていた 。 ・ 天候の影響は 、 テレビ等にも出ており 、 日本のニュースを見ようとテレビをつけたが画面が写らず 、 「 が2時間か
けて修復し 、 ようやく見ることができた 。 ( 結局 , アンテナとテレビの電源を切ってもう一度つけると復旧した 。 また 、 オ フィスに入ってくる泥を一日中掃除しても 、 部屋は 「 泥だらけ砂だらけ 」 であり 、 少々グロッキー気味である 。
は 、 MNC - 情報部の幕僚として勤務している 。 ナイト ・ シフトであるため夜7時から朝7時までの勤務時間だ 。 着任早々 、 グループ研究のリーダーを任されてしまい多忙な日々を送っている 。 曰く 、 「 他国のスタッフは 、 オ ・ フィスに来る時間が遅く 、 朝3時頃には居なくなってしまう 。 夜12時頃に夜食を食べに行き 、 2時間ぐらい帰ってこな い 。 」 とやや困惑している 。 日本人は時間に厳密なため 、 どうしても時間前には 、 オフィスに着き 、 次に申し送るまでオ フィスを群れられない 。 ・
は 、 MNC -
1情報部のデイ シフトで勤務している 。 彼のヴーキング ・ グループの中で海軍マークは彼のみで 「 あり 、 迫砲やら携帯ロケットの分析課題を与えられ四苦八苦している 。 また 、 雨による泥導化した道に妨害され 、 「 シャワー ・ ルームまでたどり着けなかったそうである 。 ・ 私 、 も砂嵐のため延期となったMNC - 副司令官のサマーワ訪問の調整に行ったが 、 時間通りになっても調整相 手はこない 。 遅れてミーティングに参加したわりに自分勝手なことを言う 。 こちらは 、 会議場所を確認するため30分も 前から待っているのに . . . ここでは 、 日本の様に 、 時間通りにはいかないことが多い 。 ・ 5人それぞれが 、 日本の代表として 「 いい仕事 」 ができるよう努力しているが 、 時には 「 インシャアッラー 」 の気持ちを ・ もつことも大切かもしれない 。
|
バスラLO日々業務報告 ( 1月26日1900 )
区
分
一容
バスラ県内 :
1 警戒態勢
( 警戒態勢 ) :
e8
2 特記事項
| | | 3 本日の業務
( 1 ) 情報要求対応
SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MNDISEの将来計画 、 ED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : ( 3 ) 定例会議への出席 : 司令部朝会識 ・ タ会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議 ( 4 ) 空路輸送調整 ( 5 ) 緊急患者輸送調整 ( バスラ : シャイバ病院 クウェート )
( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 | ( 2 ) 定例会菌への出席 | ( 3 ) 空路輸送調整
14 明日の予定
5 その他 ( 備考 )
ー
バグダッド日誌 ( 2006年1月28日 )
バグダッド 日 誌 ( 1月 28 日 )
| O多国軍情報部C2動新 ・ コアリションC2動務には 、 デイシフトとナイトシフトがある 。 2700から1900そして1900から0700と虚複間を微L | | : てコアリション事従として情和収集するのだ 。 事値はコアリションの国々から大尉 、 少佐クラスが勤務しており 、 ・ 国際色豊かな勤務場所だ 。
情勢は常に動いており 、 当然土日もなく下置したら足のように眠りまた上置するという厳しい任務であるが 、 その中 にもハッとするような新鮮な書き 、 そして楽しみを見つけることもできる 。 デイとサイトでは 、 そのメンバーも入れ替わりそれぞれの雰囲気もようようだ 。 私の勤務するナイトシフトでは 、 デイに比べて国強の好きな軍人が多いようだ 。 私の隣に座っているマケドニアの 少佐は 、 マケドニア国内反政府ゲリラ掃討では常に第一線で指揮していたという鬼瓦のような怖い顔をした大男だ 。 しかし 、 この鬼瓦少佐は顔に似合わず話し好きでもある 。 少佐のゲリラ掃討における経誌談は 、 実転ゆえに異味ごと が多い 。
以下はある日の会話である 。 名 : ぼくで銃声がしたとき , それが訓練のものであるか実親であるかを判断することはできるか ? - 「 東瓦少佐 ; 高単だ 。
私 ; それは ? 党式少佐 ; 第11には 、 緊張話が違う 。 私 : ( 噴出しそうになりながら ) なるほど 。 鬼瓦少佐 : 第2には 、 違う火器の銃声が混じることだ 。 「 この第2は感心した 。 なるほどそのとおりだ 。 私たちの中では方で銃声がしたとき日4小貌と89小銃の違いを何人 が業別できるだろうか 。 してこれが外国の国型であったらお手上げではないだろうか 。 「 東工少佐の言うことには 、 地声から敵が所持する武器を弾別するのは 、 当然のことであるという 。
私が 、 平和な日本からきたゆえに 、 考えさせられる言葉であった 。
私の開が 、 女性であったらナイトシフトがもっと明るくなるのに 、 と叶わぬことを思いながら今夜も1900に鬼瓦少佐 が持つ職場に向かう 。
バスラLo日々業務報告 ( 1月28日1900 )
区分
パスラ空教
| i 華流影勢
( 警戒態勢 ) :
2 特記事項
相容美求城
SSR ( SFの戦力化の状況 ) , MNOSE の将来計画 、 ED及びDF関連情報 、 デモ関高所頼等 ( 2 ) 定例報収集 | 定例会賞への出席 : 司令部朝会 ・ 会議 、 J2 ・ J3 ・ JOB識統一会議
奖路器用建 ( 5 ) JA会識代理参加 、 トランジッション会議 、 部部長表彰等調整
1 } 情報要求床 、 龙例情职收集 ( 2 ) 定例会への出席 ( 3 ) トランジッション会関等瀬度
| 4
朝日の予定
| 5 その色 ( 備考 ) |
バグダッド日誌 ( 2006年1月29日 )
バグダッド 日 誌 ( 1月29日 )
oリクエストは ? ・ 第6次バグダッド遠格班全員が芸業者を自認しているが 、 その先陣をきって 、 「 加する約束をしたので 、 練習見学にキャンプ ・ ヴィクトリー内の教会に出かけた 。
音楽バンドの独習に参
・ 教会で音楽バンドの練習をするということに多少の遺和感を感じたが 、 先日 、 バンド ・ マスターの米陸軍少佐 と昼食をともにする機会があり 、 「 時代の流れで 、 省が楽しめる様に伝統的な音楽から最近の音楽まで演奏し
ている 。 」 とのこと 。 ・ 練習初日 、 教会に行ってみると単堂 ( Chaplain ) が数かにお祈りの儀式をしており 、 やや場違いな雰囲気 . . とまどいながらもとともに中に入り席に着く 。 すると目の前にバンドのメンバーが 、 にこやかに費実数等 毛華調に調製しはじめた 。 2 ・ 3曲の演奏が終わり 、 軍備が 「 リクエストはないですか ? 」 と閣に尋ねている 。 私 は 「 ビリー ・ ジョエルでリクエストしょうか ? 」 と考えていると 、 前に座っていた女性兵士が 「 私の部隊の仲間が コンポイ移動中に集撃を受け行方不明になりました 。 と言い 、 その他にも 「 任務中の部下が攻撃を受け 、 韓 不明の重体です 。 「 私の15ヶ月になる例がドイツでの講のバイパス手術を受けます 。 」 と次々にリクエストして いる 。 そう 、 軍資は 、 神にご加鍵を祈る際のリクエストを聞いていたのだった 。
・ 異国の地で家族を思い 、 バグダッド市内で実際に縄性を払いながら車い任務にあたっている将兵の祈りのリ クエストを聞きながら 、 「 イラク復興支援に参加している日本隊の安全と任務完遂を折った 。 。
・ この日は練習初日ではなく 、 バンドの初酸書の日であった 。 リクエストについてもとんだ誤解をしており 、 自ら の英語能力に赤面する思いだった 。 「 日曜日の朝6時から教会でやることは ? 」 と考えればすぐ分かることで あった 。
・ ちなみにバンド練習は 、 水曜の夜に実施しているとのことである 。
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