バグダッド日誌 (2006年1月21日)
| バグダッド 日 誌 ( 1月21日 ) p イラク人雑感 … … ・ 我々がここに来て 、 早くもアを月近くがすぎた 。 サマーワ程ではないと思うが我々もいくらかイラク人と接触する機会
があった 。 私の個人的な彼らに対する印象は 、 7月はじめら時間の経過とともに少しずつ違ってきた 。 我々が時々接 「 触する機会があり 、 私が興味を持って観ていたのはイラク軍兵士と多国籍軍に雇用されたイラク人労働者達である 。 ・ イラク軍兵士と初めて会った時は 、 正直言って怖かった 。 30 ~ 40名が駐車場にたむしていて 、 中には的を 「 持っているのもいたと思う 。 その駐車場を私が一人で歩いて通りかかると 、 みんなこっちをにらむ , ほぼ全員がごっち を見ている 。 しばらくにらみ合いが続いた後 、 沈黙に耐えかねて 「 アッサラーム ・ アレイコム 」 と挨拶してみた 。 にらみ 」 合っていた彼らが一斉に 「 ヤバーニ 、 グッド 」 、 「 サマーワ 」 等々と言いながら 、 私を取り囲んだ 。 これにも恐怖を感じた 。 が 、 彼らは一様に笑態で日本人の私と会ったことを喜んでいるように感じた 。 ・ 基地内を駆け足するとイラク人雇用輩達とよく行き会あった 。 すれ違う際 、 盗み見るようにこっちを見る 。 その表情と 視線に彼らの感情を感じることは余りなかった 。 武装した米兵に監視されながら基地の整備作業 ( 草刈り 、 運河清掃 等 ) を搭々とやっている 。 こちらが挨拶をすると 、 手を振って答える 。 運動着姿でもなぜか 「 ヤバーニ 」 という 。 イラク軍 人も最用者も 、 ここに5人しかいない 「 日本人 」 を確実に導している 。 しかし 、 我々がここに来た当初は 、 彼らから技
拶してくることは 、 めったになかったように思う 。 ・ 最初に私が彼らの変化を感じたのは 、 10月の国民投票の後だった 。 こちらから挨拶しないとただ黙ってこっちに視 「 線を送るだけだった彼らが 、 向こうから機捜し始めた 。 「 ヤバーニ ・ グッド 」 といって 、 手を振ってくる 。 我々は 「 スバーウ
グイス嫌作戦をしていたわけではない 。 彼らから手を振ってくるようになった 。 ・ 最近は 、 余り意識することなく彼らと挨拶している 。 私の感じた印象は彼らが 「 自信 」 を持ち始めた様に感じる 。 我々 「 を見慣れたのか 、 以前の感情のない視線を向ける者はほとんどない 。 どこで出会っても挨拶してくる 。 私も当初の 「 ような恐怖感を感じる事がなくなったから 、 安心して片言のアジア圏で彼らと話すことができる 。 一方 、 イラク陸軍司令部に動務する高級将校達は 、 常に食堂入り口等で米軍兵士にボディ ・ チェックを受けている 。 我々からみると 「 屈辱的な 」 扱いを高級将校ですら受けている 。 そのせいか 、 かえって高級将校達の方が未だに 『 整 情のない視線 」 を我々に向ける 。 我々から使拶しない限り彼らから挨拶することはない 。 司令部に勤務する高級将校 しての語りはあると思うが 、 未だに 「 米ディ ・ チェック 」 をうける毎日が 、 彼らに自信 」 と 「 自覚 」 を持たせないのかも知 れない 。 週ア日勤務する我々に礼 、 22日の休みはきっちり確保する彼らの態度に 、 「 誰のために我々はここにいる
の ? 」 と文句を言っている米軍将校の気持ちも理解できる 。 ・ 全くノーチェックで彼らと共存するのは , やはり 「 自殺攻撃 」 の恐怖感がつきまとう 。 「 ワク人 」 と言うだけで 、 「 信用 」
できないのも確かである 。 イラク人の自様にはまだまだ時間がかかるだろうが 、 若い兵士や雇用者には 「 自信 」 が見 え始めたように感じているのは 、 私だけではないと思う 。
TA