バスラ日誌 (2006年4月25日)

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バスラ日誌 ( 4月25日 )

本日早朝 、 ANZAC DAYのセレモニーに 、 SNR ( Senior National Representative ) 代理として 参加した 。 ANZAC DAYは 、 オーストラリアで最も重要な国家的行事の1つであり 、 オーストラリア 及びニュージーランドの部隊が第1次世界大戦間 、 初めて主要な戦闘に参加した記念日である 。 1915 年4月25日 、 オーストラリア及びニュージーランド陸軍部隊 ( The Australian and New Zealand Army Corps : ANZAC ) はガリポリにおける戦闘に参加し 、 1918年11月の休戦協定まで戦った 。 第1次世界 大戦後 、 オーストラリア政府は 、 4月25日を国家の記念日として宣言した 。 「 その後数年間に 、 ANZAC DAYの意味は軍の作戦で戦死したり 、 負傷した全てのオーストラリア軍 人を含むように解釈が拡大された 。 追悼の儀式がオーストラリア 、 ニュージーランド及び世界中で実施さ れる 。 その時間は伝統的に夜明けであり 、 ガリポリ半島に上陸した時刻である 。 その後 、 その日になると 退役軍人が主要な都市 、 たくさんのより小さな町全てに集まり 、 行進に参加するようになった 。 この日は オーストラリアの人々にとって様々な戦争の意味を考える日となっている 。 「 私はその夜明けの追悼儀式 ( ANZAC DAY dawn service ) に参加したわけであるが 、 オーストラリア国旗 の半旗が掲揚された会場は真っ暗であり 、 その中で粛々と式は進められた 。 ガリポリ上陸時の戦関の様相 の説明に始まり 、 ANZAC DAY のオーストラリア人にとっての意義の説明 、 追悼の言葉 、 師団長及び オーストラリア先任将校による花輪の献上 、 ラッパ吹奏による追悼に併せた敬礼 、 神父の言葉 、 そして最 後のオーストラリア国歌吹奏で式は終了した 。 「 我々にも終戦記念日があるが 、 軍人がそこまで大きく行事を行うことはない 。 「 負けたから 」 という理 由もあろうが 、 軍人が戦争に関係する記念日 ( 又は追悼日 ) に式典を行うといっただけで 、 各方面から 様々な反応があるからでもあろうと個人的には考えている 。 しかし 、 戦争が終わって約60年 、 そろそろ 自分たちの歴史を見つめ直すべきではないだろうか 。 別に大東亜戦争は正義の戦争だった 、 いや先の大戦 は侵略戦争だったとかそういうものではなく 、 先人が命をかけて国のために戦った事実を 、 戦争という歴 史を後世に伝えていくべきではないかとこのセレモニーを通じて考えさせられた 。

2 本日快晴 。 パスラ3名 、 極めて健康 。

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