バグダッド日誌 (2006年2月16日)

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バグダッド 日 誌 ( 2月16日 )

ケーシー大将との遭遇

はパレス ( 多国籍軍司令部は 、 フセインの建設した宮殿にオフィスを設けている 。 ) に調整に行った際にケーシー大 将に遭遇した 。 「 先日イラク軍先任LO フダイエ少将に馴れ馴れしく挨拶した件を 、 私に厳しく指導されたトラウマで 、

は思わず柱の 後ろに隠れてしまった 。 運悪くケーシー大将が自分のオフィスに入る手前で 、 だれかと立ち話をはじめ 、 そのすぐ柱の裏で身を 縮めている自分が客観的に非常に怪しく見えると思い動揺していた 。 すると 、 横からにこやかにフダイエ少将が手を振って

の方に近づいて来てしまった 。 もうパニック状態になってしまった 」 はフダイエ少将に挨拶もせず 、 用もないのに MNC情報部にいる のところに逃げて行ったそうである 。 この話しを正直に話した 「 は 「 高官に会った際の挨拶の仕方 」 を私からみっちりと教わる羽目になってしまった 。 じ後 高官と会った時は落ち着いて挨拶してくれると信じている 。

O 「 押忍 」 → 「 ビトリー 」 恥ずかしながら言い訳をさせていただくと 、 一応フダイエ少将には 「 ハーイ 」 と挨拶だけはしたのである 。 誰にあっても 「 ハーイ 」 ( 笑顔は欠かさず ) しか言えず 、 度々指導されるのではあるが . . さて 、 最近 、 班長の心遣いから調整に行く機会も多くなった 。 「 調整が終わるまで帰ってくるな ! 」 という暖かいお言葉と共に 快適なコンテナから追い出されるのである 。 「 お気に入りの調整先はKBR 。 洋梨体型の優しいマダムと中南米系女性 ( 29歳 ) が対応してくれる 。 そこには 、 いつも曹長ク ラスがたむろしていて中学校の保健室を思い出す 。 いつもいるのがジャイアンみたいな厳つい先任曹長 。 チュッパチャップスを くわえながら私を見つけるやいなや 「 オス 」 と大声を出す 。 前任者の影響が根強く残るここCamp Victoryなのである 。 初めて

会った時 、 「 オス 」 と笑顔で答えてやると 「 おまえはビクトリーと答えるんだ ! 」 ときつく指導され 、 それから数分間 「 オス 」 → 「 ビク トリー 」 を何回も練習させられた 。 マダムとの調整にはいり 、 英語を間違えたり 、 言葉に詰まったりすると曹長に 「 オス 」 → 「 ビクト リー 」 をやらされる 。 然しながら 、 正しい英語で一文言えるとマダム達が拍手をしてくれるのである 。 何て楽しい調整先なんで 」 しょう 。 このままだと帰る頃には英語の達人になってしまうんではないかと錯覚する一瞬である 。

今日 、 食堂の中央から響き渡る声で 「 オス 」 が飛んできた 。 反射的に 「 ビクトリー 」 である 。 班員みんなに友達なの ? と聞かれ る 。 一応友達なのかな ? ? 。 「 ハーイ 」 以外を話せることを尺度に友達と定義するなら 、 友達も増えたものである 。 BUAで席の 譲り合いをする作戦部副部長 、 ハートのチョコをくれる海兵隊大佐 、 フダイエ事件からサーを付けて挨拶してくれるイラク軍大 佐 、 変な日本語を教えてしまった韓国軍少佐 . . . 等々 。 あと一応フダイエ少将も入るのかな ?

班長の指導に怯えつつも 、 班長のいないところで友達づくりに励む今日このごろである 。 明日もまた 、 私の英語を理解してく れない米軍人のもとへ勢いに身を任せて元気に調整に出かけることでしょう 。

バスラLO日々業務報告 ( 2月16日1900 )

バスラ空港

1 警戒態勢

( 警戒態勢 ) :

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2

2 特記事項

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応

SSR ( ISFの戦力化の状況 ) 、 MND ( SE ) の将来計画 、 IED及びIDF関連情報 、 デモ関連情報等 ( 2 ) 定例情報収集 : 情報要約書 、 MND ( SE ) SITREP 、 MSR ・ ASR脅威情報等 ( 3 ) 定例会議への出席 : 幕僚会議 、 J2 ・ J3 ・ J9認識統一会議 ( 4 ) J4会論調整

4 明日の予定

( 1 ) 情報要求対応 、 定例情報収集 ( 2 ) 定例会議 ( 3 ) 指揮官会議 、 J4会議調整

5 その他 ( 備考 )