バスラ日誌 (2006年6月30日)

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MND - SE管内の状況

バスラ日誌 ( 6月30日 ) - 157号

1 今日は 、 6月30日 。 明日からいよいよ7月である 。 昨日今月7回目の 「 DF攻撃があり 、 我々 | がここに来てからだけでも21回目 、 38発目であった 。 これまでの 「 DF攻撃の至近弾は 、 約2

00mの地点に4回程度着弾したが 、 爆発音で一番すごかったのは 、 2月11日夜 、 同日2回目 の攻撃で 、 確か4発を撃ち込まれた時であった 。 すぐ近くで爆発しているだろうと思われた 。 ( 実

際には600m ~ 800m程離れていたが 。 ) こちらに来て初めて受けた攻撃であったので 、 皆 の無事を確認する手段を確立しておらず 、 離れた部屋の間を砲弾が落ちている間に2往復ほどして 、 最後の4発目は

部屋のドアの外で聞き 、 「 今のは妻かったね 。 』 と話したことを覚えて いる 。 その時の の感想は 「 誰かが屋根の上に乗ったかと思った 。 」 であった 。 それからは 、 無用の動きを避けるため 、 全員モトローラーを携行し 、 警報発令時等事案発生時にはスイッチを入 れることにして 、 すぐに連絡がとれるようにした 。 売店に寄ったためにタイミングがあってしまっ た車両移動間に受けた近弾は 、 音も激しかったが 、 弾着時の煙を確認して 、

と 『 今のは近 かったね 。 』 と話した 。 司令部はコンクリートの建物だが 、 居住区は耐弾化されておらず 、 あとは 運次第と思って過ごしてきた 。 日本では考えられない生活だったけれども 、 住めば都で楽しく過ご せた 。 あと数週間 、 誰も怪我をしないように 、 また 、 我々の撤収後も誰にも被害がでないようにと 願っている 。

2 日本隊の撤収状況 、 撤収に関わる様々な業務の進捗状況等については 、 逐次師団の関係部署に通

報し 、 要すれば 、 直接幕僚長あるいは師団長 ( MA経由 ) にも報告している 。 もちろん師団から も日本隊が必要とする情報について 、 情報の提供を受けサマワに通報している 。 面白いことに 、 1 週間前までは 、 師団から日本隊への情報提供が重要性を持っていたように思うが 、 逐次現地の直接 交渉が重要になると 、 日本隊からの情報を師団が待つ状況も生起してきた 。 これまで多くの情報を 「 頂いてきた師団に対し 、 少しでも恩返しができるように 、 迅速に 、 正確に伝えたいと思っている 。

師団への情報提供についてもお忘れ無く 。

3 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。