バスラ日誌 (2006年6月28日)

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バスラ日誌 ( 6月28日 ) - 155号

1 本日

( 愛称CS ) が任期満了につき国の途に着いた 。 本国に帰ってから ( ドイツ 駐屯師団であるのでドイツに帰るそうだが 、 休暇を取った後 、 少佐に昇任し第7旅団の基僚として勤務 するとのことである 。 2人の男の子の父親で 、 机上には常にその子達の写真が飾ってあった 。 ハンサムで とても若く見えるのだが 、 勤続24年のベテランで 、 16歳で入隊したと聞いていた 。 陸自で言えば少年 工科学校のようなシステムがあるのだろう 。 居住区コンテナが近く 、 我々がバスラに来たときから 、 どこ で会っても 、 元気に親しみを込めて挨拶してくれる方であった 。 着任当初 、 周りには外国の軍人ばかりで ( 当たり前だが 、 ) 、 顔見知りの人がいるわけでもなく 、 とにかく挨拶から始めようと思って 、 すれ違う 全ての人に挨拶し 、 そのほとんどの人から無視されていたときに 、 彼の存在がどれほど勇気を与えてくれ たことか 。 2人のお子さんに鶴を折ってくれと頼まれた時 、 彼の子供達が怪我などせず 、 すくすくと幸せ に成長することを祈って心を込めて折った 。 今日 、 後任者を連れて挨拶をしに来てくれた時 、 あの想には 神様がいて 、 あなたの子供達を守ってくれるようお願いしてあると説明した 。 とても喜んでくれて 、 鶴は もう家に届いており 、 下の子が壊さないように網の上に飾ってあると教えてくれた 。 また 、 母い期間を共 に過ごした友人が去っていった 。 J3では 、 我々より古いのはあと2人である 。 今でも 、 来た時の気持ち のまま 、 すれ違う全ての人に挨拶しているが 、 殆どの方から挨拶を返していただき 、 無視する人は 、 ほぼ いなくなった 。 2 朝礼時の群長訓辞を読んだ 。 「 任務完遂のため 、 前向きに胸を張って最後まで全力を尽くす 。 」 という 気持ちに迷いはない 。 炎天下の撤収作業は 、 国難を極めると思うが 、 安全に留意されて準備を進めて頂き たい 。 遠くバスラより 、 本隊の安全に寄与する情報収集 、 本隊の撤収計画が少しでもスムーズに進むよう にするための調整 、 及び本隊が 、 少しでも安全に離脱できるようにするための調整に全力を尽くし 、 詳長 の企図に応えたいと思う 。 『 バスラにて陰で支えし復興支援 、 替わり良ければすべて良し 』 幹部学校戦略 教官室長 から頂いた歌である 。 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。

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