バスラ日誌 (2006年5月26日)

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バスラ日誌 ( 5月26日 )

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本日 、 第10次イラク復興支援群への指揮転移が実施された 。 第10次群の皆様には 、 無事サマ ワへの移動を完了されたことで 、 最初の任務を達成されたことになると思う ( 明日最後の1コ梯 」 隊 ) 。 これから多くの任務を遂行していかれることと思うが 、 遠くバスラから 、 その活動のお役に 立てるよう全力を尽くしていきたいと思う 。 山中群長には 、 幹校戦略教官室企画正 ・ 副としてお世 話になったが 、 引き続きよろしくお願いしたいと思う 。 ( 私は相変わらずですが 、 若い3人が一生 懸命頑張っています 。 )

第9次群第3波最終梯隊で帰国される皆様には 、 最後の最後まで注意力を研ぎ澄まし 、 ご家族の 元への無事帰還をお祈りする 。 ( 小野寺群長 、 奥様 ・ ご家族の皆様によろしくお伝え下さい 。 )

2 5月21日の日誌に 「 このところバスラに対する夜間の攻撃はなく静かな夜が続いている 。 」 と 書いた 。 するととたんに 、 23日の夜2220 、 1DF攻撃を受けた 。 攻撃14回目 ( 29発 ) 。 今回は 、 珍しく迫撃砲1発と報告されたが 、 発射地点付近の確認 ・ 捜索を行った警備中隊が 、 発射 準備を終えたロケット弾を発見したため 、 再度警報が鳴った 。 ロケット弾の処理が終わった翌朝0 337まで警報は解除されず 、 司令部から出ることはできなかった 。 攻撃を受けた場合でも 、 情報 が鳴ってから1時間程度で警報解除されるのが普通であるが 、 今回は約5時間余り 、 アーマー ・ 鉄

帽を装着したままで司令部に閉じこめられていた 。 余計なことを書くとまた聞が当たるかもしれな いが 、 これも近況報告の1つだと思って書いている 。 シャイバに行く時に 、 シャイバの方が 、 バス ラよりもIDF攻撃が多いと書いたけども 、 あれだけ広い所に実施される攻撃回数と 、 たかだか東

西2km 、 南北×1 . 5kmの敷地に受ける攻撃回数を単純に比較することはできないと 、 シャイ バに行ったときに思った 。

3 本日快晴 。 バスラ4名 、 極めて健康 。

スミッティLO日々業務報告 ( 5月26日 )

区 分 警戒態勢等

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| 変化なし

Threat Level

2 特記事項

特になし

3 本日の業務

( 1 ) 情報要求対応等

サマーワ市内の治安情勢 , デモ関連情報 、 英豪軍の情勢判断 、 リルにおけるIDF ・ ED脅威情報等 ( 2 ) 各種業務調整等

「 日豪共同訓練関連 、 明日以降の豪軍支援要請関連 、 業支隊長 ・ 政策アドバイザー等キャンプスミッティ

訪問関違 ( 1日 ) アカウント取得関連等 ( 3 ) 各種ミーティング等

豪軍作戦会議 、 日豪共同訓練調整会議参加

4 明日の予定

( 1 ) 情報要求対応等 ( 2 ) 各種業務調整等 ( 3 ) 各種ミーティング等

明日の射撃訓練 RANGE3 : 藤軍 ( 25mmGUN ) 0700 ~ 1800

その他 ( 備考 )