バスラ日誌 (2005年12月17日)

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バスラ日誌 ( 12月17日 )

1本目は 、 副師団長 ( イリア陸軍准将 ) に同行し 、 サマーワを訪問した 。

移動には 、 初めて英陸軍のヘリ 、 リンクスを使用した 。 昨日になってJHFから急に 、 使用できるヘリがリンクス しかない 、 5人搭乗帯型だが4人しか乗れないので 、 一人誰か判ってくれと通報を受け 、 しかも時間変更もあって 少々バタバタした 。 米海軍の艦載ヘリを使う予定だったらしいが 、 昨日の悪天候の影響で運用できなくなったらしい 。 時間変更についても 、 我々を運び終えた後にリンクスに重要なコンボイの警戒任務があるからということであった 。 相変わらず 、 ヘリの運用は厳しい状況が続いている 。 しかし 、 JHFもJ3 Arn も 、 なんとかリクエストに応えようと 努力してくれている 。 帰隊後 、 すぐに 」 3 Avn に礼を言いに行った 。

副師団長は 、 サマーワ訪問の目的をすべて達成することができたと大満足であった 。 帰隊後すぐに副師団長に 呼ばれ 、 私まで立新な記念品を頂いてしまった 。 (

2 本日の J3 Evening Update t師団第3部夕会議 ) は 、 通常は15分ほどで終了するが久々に30分を超え緊温感 ・ 一体感ある空気に包まれた 。 当初の15分ほどで日本隊を含む各部隊が状況及び明日の活動を報告 、 次に各町 ・ 部 員がUp date 報告を行った後 、 運用延長 、 部長の顔で指導を行うという流れだが 、 1週間程前に交代し沈黙を保って いた運用班長く英 ・ 少佐 。 J3 OPsのNo . 2 。 部長がデンマーク人であるため 、 Native English Speaker としてはトッ プ ) がついに超スピードの英語で指示を飛ばし J3 Ops を持めにかかった 。 「 しく婚任する師団長は , … な人柄 。 ~ は許さない 。 よってJA OPaは他部署と連携して ~ 」 などとJ3 OP 』 の大筋の方向性を示した後 、 各班毎に現 在及びじ後予測される特性を踏まえて具体的な指示を出した 。 最後に来週第3部長が新師団長に対し実施するプ リーフィングに使用するプレゼン作成を各班に指示したが 、 まさに明解であった 。 若干1等陸尉の私が言うのは大変失礼だが 、 「 切れ者の参謀長 ( 英 ・ 大佐 ) が発案した新生J3が 、 本日 、 切れ物の 新参運用理長の手によって一つにまとまった 」 というように感じた 。

スミッティLO日々業務報告 ( 12月17日 ) ] 9

区 分 1 評成底勢等

「 変化し

Threal Level

2 特記事項

特になし 。

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本日の業務

( 1 ) 情報要求対応等

サマーワ市内及びルメイサ市内等の活安倍和の収集 、 乗車率両事故関連 TFMの投石被害連 , 日本人 ジャーナリストの行動に関して 、 先日のサマーワ宿営地へのIDF事業関連 , メッカ巡礼関連 、 日豪共同訓賛参加 役に対する装悪事 ( 2 ) 各様に摂町屋等 ( 3 ) 各種ミーティング等 《 作报要求才行 2 ) 各種業務調整等 3 香川ミーティング等

明日の英 ・ 事業審の射撃 | Rang4 0745 - 1800 英軍 ( 小火器 )

4 明日の予定

その他 ( 備考 )